52小麦まみれのネズミを捜せ③
世の中暴れたくて仕方がないけどできない事ってある。
ストレス社会に生きているとそれが本当にもどかしい。
悪者を成敗する系の動画の視聴率が伸びているのがわかる気がする。
雨になるかと思われていた天候だが、雨を降らせることなく雲が流れていき、海上の天候が回復していった。雲の切れ間のいたるところから光が差し込み、海上を照らし始めている。
「射程内にいる今が好機だ。クレマン、小麦粉は全て捨てたのか?」
ふと小麦粉のことをオルソンが心配するのでクレマンは先ほど小麦粉をたくさん海中へ廃棄したことを非難されるのかと肝を冷やした。
「い、いや……。捨てきれなかったものがいくらか残っているだけだ……。すまねえ!船を追いかけるために捨ててしまった……。あれは商品だったのに……アルベール(オルソン)、俺は間違ったことをしてしまった……」
クレマンはびくびくしている。強がってマリサをおとしめようとしたことがあるクレマンは失敗という言葉が嫌いだった。南海泡沫事件(1720年にイギリスで起きた投資のバブル崩壊事件)のあおりを受け、自身も借金を背負ってしまったことから失敗を恐れている。
「何を言っているのだ、クレマン。もし残りがあるのなら全てここへもってきてくれ。奴らを小麦粉まみれにしてやるのだ」
オルソンの傍らでルークが早速甲板に置かれた大砲の砲撃準備をさせている。
「小麦粉まみれ?」
クレマンはオルソンが何を言っているのかさっぱりわからないまま、仲間とともに残っていた小麦粉を数袋ほど船倉から運んで甲板に置く。すぐさまオルソンはナイフを手にすると袋を破ってしまった。それとともにふわり、ふわりと宙に小麦粉が広がっていく。そして風に乗って敵船へ広がりながら向かっていった。
目を丸くしているのはカトリーヌ号の乗員達である。本気でオルソンは敵を小麦粉まみれにするのだと知り、言葉もなかった。
「アルベール(オルソン)!正気か。俺たちはあんたが何を考えているのかさっぱりわからねえ!」
クレマンほか配下の者たちもオルソンの奇怪な行動をみて思わず手を止める。何かをやってみせるだろう、とは期待をもっていたが、こんなときに小麦粉で攻撃するなんて正気の沙汰と思えないからだ。
案の定、風上にいるカトリーヌ号からふわり、ふわりと飛散していく小麦粉は敵船の乗員達も不安がらせる。
「奴ら、何か企んでいるな。気をつけろ!これは何かの仕掛けだぞ!」
漂っている白い粉が小麦粉だとは知らず、余計に彼らの不安を掻き立てる。かといってわけのわからない粉が広がっている状況で、それらを攻撃するとも考えたくもないことだった。
最後尾の船はカトリーヌ号の砲撃によって大きく損傷して航行不能となり、置き去りになった形だ。2隻目の船は目下ジェーン号の相手となっている。先頭の船を何とかしなければ、ブリッグ船を追うとしても自分たちが後方から狙われるわけだ。この3隻の船は万が一の時の時間稼ぎなのだろう。そしてその時間はオルソンたちによって有効に使われることになる。カトリーヌ号の乗員たちはもう何がどうなるか考える暇もなく、敵が小麦粉に見とれている間に着々と準備をしていく。
カトリーヌ号は射程を保ちつつ大きく左側へ回り込む。
「よし、砲撃開始!」
オルソンの指示で敵船めがけて砲が火を噴く。硝煙だか、小麦粉だか、もうわからない状況だ。そしてそれは敵船のメインマストを確実に捕らえ、破壊した。いや、それだけで終わらなかった。
ドガーン!ボーン!ボーン!
カトリーヌ号からの砲撃が命中したかと思うと、まるで花火のように大きく爆発音が聞こえ、船は破片を散らしながら火と硝煙に囲まれて木っ端みじんになる。
「うへえ!」
カトリーヌ号の乗員たちは目の前で起きた出来事にしばらく体が言うことを聞かなかった。砲撃など何だったのだろうと思うほど破壊力のある爆発だったのだ。そしてそれは後方から他の敵船と戦っているジェーン号からも確認出来た。
「実にオルソンらしい攻撃だ。ルークが一緒にいるから怖いものなしなのだろう」
見事に先頭の敵船を破壊した攻撃にマリサは口角をあげ、連中の士気を高める。
「さあ、あたしたちもそろそろ決着をつけようぜ。海賊らしくな!」
この声に海賊上がりのジャンたちは興奮してその機会を待ちきれないようだ。
「サン・マロ海賊の意地を見せるぞ!俺たちはフランス人でもブルターニュ人でもない。俺たちはサン・マロ人だ!」
ジャンの声に配下の連中は歓声を上げ、武器を手にした。サン・マロ海賊は英仏海峡を通る船を狙い略奪を繰り返しただけでなく、自治を求めてきた海賊であり、ジャンたちはそのサン・マロ出身だった。サン・マロ出身であることは彼らの誇りでもあるのだ。
ジェーン号は敵船が砲撃の準備をする隙をついて砲撃をした。小さきものの抵抗である。1度目は敵船の砲門を狙い、2度目はマストを狙った。
ドーン!ドーン!……。
ルークの用意した砲弾は命中とともに炸裂し、損害を広げる。そして砲門を狙ったことで敵船の側面に穴が開いた格好だ。こうなると航行できなくなり、船のバランスも崩れていった。そのチャンスを逃さず、ハーヴェーの指示で船を接近させる。
「よーし、移乗して攻撃だ」
ハーヴェーは移乗攻撃を指示する。すでにジャンたちの興奮は収拾がつかなくなっていた。
「行くぜー!俺たちは最高の海賊だ!」
雄たけびのような歓声を上げて次々に敵船に乗り込んでいくジャンたち。マリサやギルバート、アーサーも負けていられなかった。
ヤードから垂らされたロープで次々に移譲してジェーン号の乗員たち。そのジェーン号では戦闘など縁がなかったサイモンとその部下たちが極度の緊張をもって操船に集中している。船長であるハーヴェーは彼らが恐怖で固まらないようにあえて船に残り、彼らを支援することにした。
移乗した乗員たちは攻撃による船の損傷の対応に追われている敵にさらなる恐怖を与えることになる。
「ジャン、本分を忘れるなよ。あたしたちはこの船の足止めだ」
マリサは彼らが行き過ぎた行動をしないように釘を刺した。
ルークの作った砲弾は大きな威力こそなかったが、船を広範囲にわたって損傷させていた。そんなところへ最後の砲門狙いの一撃は相当のダメージを与えたようだ。次々に無力化されていく敵の乗員たちをみて、この船の指揮者は冷静さを欠き、ギルバートに向かってくる。だが、”青ザメ”時代からマリサに剣を指南していたギルバートは彼らの敵ではなかった。
ギルバートの前に倒れ込む指揮者。これが今ままでの海賊なり私掠なりであれば命さえ奪うこともあったが、今の目的は船を奪うことではない。ギルバートは彼に致命傷を与えなかった。そしてジャンたちもこの機会を待っていたかのように甲板上や船内において所狭しと暴れまわり、少しでも抵抗してくる敵を次々に無力化していった。
マリサがふと海上を見るとカトリーヌ号が遥か水平線上へ小さく見えているではないか。いつの間にかカトリーヌ号はジェーン号を気にするでなく、さっさとブリッグ船を追いかけていたのだ。そのブリッグ船には渡英を企てているヘンリエッタが乗っていると思われる。ヘンリエッタに対するオルソンの執着は相当なものである。
「撤収!船に戻るぞ!」
マリサの声にジャンは物足りなさを訴えていたが、それでも存分に暴れることができ、満足をしていたようだ。
「今日はきっといい夢を見られるぞ」
ジャンはまだ高揚している。船に戻らせて落ち着きを促したいほどだ。サン・マロ出身であり、先祖が海賊だった彼らの自尊心もオルソン同様相当なものだ。
航行不能になった2隻目を後にし、支援の為カトリーヌ号を追うジェーン号。だがハーヴェーの機嫌は幾分悪かった。マリサたちが移乗攻撃をしていた間にも敵は砲弾を数発撃ってきて、フォアマストの一部が損傷してしまったのだ。ジェーン号も無傷といえない状況だった。
「人員の損傷がなかっただけでも有難く思えよ、ハーヴェー。あんまりカッカッとすると卒中を起こすぞ」
船の人員の中で一番歳をとっているハーヴェーを気遣うマリサは、彼に休息をした方がいいと勧める。この言葉にハーヴェーも自分が疲弊していることを引きずりたくなかったので有難く進言を受け入れた。
ジェーン号の船長代理はアーサーに任せた。アーサーはギルバート同様に”青ザメ”時代からの仲間で、かつてブラッディ・メアリー号の船長もしていた。そうした経験を活かしてもらうのである。
このジェーン号の様子をカトリーヌ号も確認をしている。
「見事に2隻目を無力化したようだね。ジェーン号がちゃんと追従してきている」
ルークとオルソンはマリサたちの働きに非常に満足をしている。
「だが、油断はならん。あのブリッグ船の動きを見ていると我々から逃げようとしているというわけでないからな……」
オルソンはそう言ってクレマン船長に指示をする。
「クレマン、あの船の船長は何かを企んでいるぞ。カトリーヌ号と距離を保ったまま航行をしている」
「俺も何か変だと思ったぜ。アルベール(オルソン)、じゃあ、俺たちは奴らの望み通り、距離をおいて帆走してやる」
何か企んでいるとすれば距離を置くまでだ。クレマンはそのように考えた。
ブリッグ船は今のところ全くの無傷であり、後方にいた3隻の船を気にも止めていなかったようだった。しかし3隻の船の動きから、ブリッグ船と何かしらの関係があったものと思われる。3隻の船が守りたいものをブリッグ船は運んでいるのだ。
「奴らを見逃すな。お前の腕の見せ所だ」
オルソンがそう言うとクレマン船長は一瞬はにかんだ表情を見せたが、直に表情を硬くした。まだまだ油断できないだろう。
「もしあのブリッグ船にヘンリエッタが乗り込んでいるとすれば、イギリスで何をやろうとしているのだろう。お父様には何か考えでもあるのですか」
ルークがオルソンの耳元でささやく。
「私はヘンリエッタをどうしても消さねばならない理由がある。オルソン家の秘密をなぜ知り得たのか。私はそれを掴まねばならないし、それが自分たちの欲望のために使われるとしたら、社会の要人を脅かして社会不安を引き起こすことになるからだ。ヘンリエッタをこれ以上泳がせるわけにいかない」
オルソンの言葉には重みがある。王室の影になり、常に人知れず脅威や王室に仇なす者を排除してきただけに、その役割を果たせなくなってしまうからである。
カトリーヌ号とブリッグ船はまるで様子を伺いながら敵対しているかのように、互いに距離をとっている。このままイギリスへ仲良く航海をするのかと思えるぐらいだった。
2隻が奇妙な航行をする中、海上ではカモメが何十羽も飛び交っていた。その下には餌となる魚群があるのだろう。
クウーッ、クウーッツ。
カモメたちはブリッグ船やカトリーヌ号のヤードに止まって羽を休めたり、乗員たちの横をかすめてとびかったりして、人間の思考の駆け引きを垣間見ているようだ。そしてついに彼らは獲物に焦点を当て、海上をかすめて飛ぶ。
バサッ、バサッ、バサバサッツ。
先陣を切ったカモメが魚を捕ったのを皮切りに、幾羽ものカモメが魚を捕っていく。
オルソンとルークはこの様子を誰よりも厳しい目で見ていた。自分たちが追う獲物は決して逃してはならない獲物だからだ。
ブリッグ船とカトリーヌ号、そして遅れてジェーン号。船隊のような動きをしている3隻の船はそれぞれの思惑を運んでいる。
その思惑があからさまとなるのに時間はかからなかった。
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