4暗殺未遂
見え透いた嘘ならぬでっちあげ。ここでマリサは今回の事件のキーワードを得ます。オルソン家に次々と降りかかる災厄は誰のせいでしょうか。
イライザ急病による看護のためマリサをしばらく屋敷へ留め置くという内容の手紙は使者の手によってハリエットに届けられる。
医者であった夫の亡きあともフレッドをひとりで育て上げたハリエット。自分の意見をよく聞き、思い通りに育ったフレッドは優しい息子であり、自慢の息子だった。それだけにグリンクロス島総督のご令嬢との結婚話が来たときは天国へ昇る気持ちでもあった。身分違いの結婚話であり、フレッドの昇進が到底まにあわない心配で眠れない日々を迎えていた。それが何の手違いか縁談の相手は海賊の頭目に代わってしまい、しかもその女の監視と海軍との協力関係を結んだ海賊船に乗り込むという任務となった。ハリエットは天国から突き落とされたような気持ちで自分がおかしくなりそうな毎日だった。息子がたぶらかされているのではないかと心配でならず、ある貴族が客としてデイヴィージョーンズ号へ乗り込んだときに理由をつけて自分も船へ乗り込んだ。(本編 14話 イライザ母さんの望み・スチーブンソン夫人望み、15話 マリサ・沸騰する )
フレッドの結婚相手と言われた女海賊は自分の意見を言い、自分の考えで行動していた。陸にいる一般の女性よりも自立をしていると感じ、その生き方はどこかハリエットに似ている部分もあった。使用人として屋敷で働いた経験があり、家事をこなすこともできていたので嫁として迎えることに異を感じることがなかったほどだ。
それだけでなくハリエットはマリサが船を降りた(船乗りを辞めて陸で暮らすということ)のをとても喜んでおり、これまでにも一緒に家事をしたりエリカの教育や躾をすることで、嫁としてマリサを評価していた。
その日もマリサとエリカが不在の家を寂しい思いで掃除をし、港へ出ていくつかの海軍の船を見つめては、どこかの洋上にいると思われる息子の無事を祈っていた。
港は民間の船も出入りしており、それに合わせて人や荷を運ぶボートが行き交っている。この大型の船と陸を結ぶ連絡船で生計をたてている人々もおり、物売りや商売女も停泊している海軍の船へ乗り込み、乗員たちを楽しませた。昔からここはそんな賑わいがあった。平和にみえる港の風景だが、まるでそこだけ死神がいるような場所も存在している。大概の人は当たり前のように見慣れているのであまり話題にもならない日常である。
処刑台では海賊が吊るされていた。国王の恩赦を受けることなく海賊行為を続けた彼らは容赦なく吊るされ、体が朽ち果てるまで晒された。このロンドン市で生きてきたハリエットには珍しくもない風景だが、息子が海賊とかかわるようになってからは見る目が変わってきた。ハリエットも自分の人生があるように海賊も人生があったのを感じるのである。
(マリサ、私はあなたとごく普通に暮らしていきたいだけなのよ。でも今回もそれはできそうにないわね……)
ハリエットは港から帰ると寂しい気持ちでオルソンからの手紙を読み返した。
オルソンの屋敷ではイライザが少しずつ回復してきている。ただ、それとともに不穏な気配を感じることが多くなった。これまで死線をくぐってきたマリサにはオオヤマのいう『殺気』とその気配を感じることができていた。”青ザメ”の仲間として船に乗っている異国から来たオオヤマは独特の思想や文化を持っており、僅かな音や風から気配を感じ取ることをマリサに教えてくれた。その気配から間違いなく敵は屋敷内にいるとみてよかった。
「イライザの回復はどうだい?」
そう言いつつ入ってくるアーネストとその妻メイジー。誰もが羨むようなおしどり夫婦である。だが、メイジーはアーネストがオルソン家の嫡子として汚れ仕事を担うことを知らない。それを抜きにしてもメイジーは控えめな女性で出しゃばるようなことをしない女性だった。
「ご心配ありがとうございます。時間はかかっていますが順調に回復しています」
それ以上のことをメイジーがいる前で言えなかった。使用人でありながら安全のためにこの部屋を使わせてもらっているからである。
そう答えつつ、部屋の外で何かがうごめくのを感じた。マリサが視線を部屋の外に送ったのを見てアーネストが静かにドアを開ける。しかしそこに期待したものがなかった。首を振ってマリサに応えるアーネスト。
安堵して緊張が一瞬とける。しかし、何やら騒がしい声と物音が響き渡り、現実に連れ戻された。
「アーネスト様!アーネスト様!ご主人様が大変なことに!」
執事のトーマスがいつになく慌ててやってきた。この声にマリサはとっさにイライザをかばう。
「……突然役人どもが押し入り、ご主人様を貴族殺害の嫌疑で捕えてしまったのです!なんの釈明も許されないまま、私たちのご主人様は目の前で役人の手にかかり……」
トーマスの顔は涙で溢れている。あれほど落ち着いたトーマスがこんなに落ち着きをなくすのだから余程のことだろう。
「領主様はどこかへ連れていかれたと?」
マリサが尋ねると静かにトーマスが頷いた。マリサの手を握るイライザから小刻みに震えが伝わる。
何があってもうろたえるな、オルソンはマリサにそう言った。もしかしたらこれを予見していたのかもしれない。
「貴族殺害の嫌疑って証拠でもあるのか?証拠もなしに役人がお父さまを捕えるとは思えないが」
そう尋ねるアーネストの声もうわずっている。落ち着けというのは無理な話だ。それを感じてか、メイジーはアーネストに寄り添った。
「殺害された貴族のそばにオルソン家の紋章の入ったナイフが落ちていたのです。役人はそれが証拠だといっていました。私はやっていない、とご主人様が激しく抵抗なさいましたが武器を持った奴らになすすべはありませんでした……。アーネスト様、我々はどうしたらよいでしょう」
「トーマス、皆にはいつも通りに仕事をするよう言ってくれ。何も見えない状況の中で詮索しても始まらない。今後のことはこれから考える」
そう言ってトーマスに指示を出したアーネストはその場に座り込む。何をどう考えたらいいのかさえ分からない。
マリサは声を落としてアーネストに言う。
「……アーネスト様、これは罠です……。現場にわざわざ証拠を残す馬鹿者がいますでしょうか。それに……オルソンはナイフを使わないことはあたしがよく知っています……」
何年もともに海賊をしてきたマリサだからこそ彼の戦い方を知っている。そしてアーネストも毒の守り人としてそれを理解していた。これは明らかな罠だろう。
(オルソンを貶めた人物とイライザ母さんに毒を盛った人物とつながっているのかもしれない。間違いなくこの屋敷にそいつは潜んでいる……)
「奥様、この屋敷には敵がいます。使用人たちに気を許さないでください」
不安そうにしているメイジーに声をかける。幸せに暮らしていたオルソン家でこのような事態に巻き込まれるとは思ってもみなかったメイジー。アーネストは彼女を気遣い、抱きしめた。
「マリ……サ……」
かすかな声が聞こえる。イライザが力を振り絞って声を出したのだ。
「……フランス……」
イライザはようやくそれだけ言うとハアハア大きく息をしだした。まるではじけるようなわが身を抑えようとするように目を見開き肩で息をしている。
「フランスと何か関係があるんだね。それ以上はいいから休んで」
これ以上イライザに無理をさせるわけにいかない。
イライザの様子を見ていたメイジーはワインを入れるとイライザに飲ませた。普段から酒を飲むことがないイライザは体を温められ、顔色もよくなってくる。そしてマリサに誘われて再びベッドに横たわった。
捕らわれたオルソンのために動くにも誰が敵かわからないこの屋敷を離れるわけにいかない。イライザは回復したばかりで再び敵に狙われる可能性もある。それだけでなく無防備の子ども二人がいる。ジョシュアとエリカに状況をどう説明するのか。エリカはともかくジョシュアは貴族の子として祖父が捕らわれるという衝撃の中にあるのだ。
「アーネスト様、あたしは屋敷に潜む敵を探し出します。アーネスト様と奥様は変わりなくお過ごしください。あまり慌てふためくと敵の思うつぼです」
マリサがそういうとアーネストとメイジーは頷いた。特にマリサのことを幼いころから知っているアーネストはその信頼を寄せた。領主に貴族殺人の嫌疑がかかり捕らわれてしまったということを王室や議会でとりあげられなかっただろうか。ともすればコーヒーハウスで格好の噂話として広まるだろう。
カーテンを少しだけ開けて庭の様子を見る。マデリンがオルソンによって命を閉じたこの寝室の外では四季咲きの薔薇が咲きほこっていた。
(薔薇の花……あの日も同じように薔薇が咲いていた。あの日、奥様(オルソンの妻マデリン)は若手の画家との不貞による不名誉のため毒によって命を閉じた。薔薇の香りが漂うそんな夜だった……) (幼少編 8話 オルソン家の貴族のたしなみ、9話 眠れる薔薇の美女)
庭と見つめていると当時の事が鮮明に思い出された。
樹木に隠れて小さく見える東屋。ふとみると植物に隠れながらときおり姿を見せる人影があった。庭の仕事に関与しない使用人たちが東屋へ行くことはまずない。しかも一瞬見えた人影は女性のようだった。戦いなれたマリサにとってこの空気は危険を感じさせる。
「庭の東屋へ出入りする女がいます……ご存じでしたか?」
屋敷内に漂う違和感と猜疑心。マリサの問いにアーネストとメイジーが首を振る。そうであるならマリサの求めるものはそこにある。
マリサはふたりにイライザを任せると部屋を飛び出す。領主が捕らわれた状況で自分の仕事をわきまえずに動く使用人。しかも限られた人しか近寄れない東屋へ行くなどオルソン家の秘密に迫る行為だ。
庭師ジョナサンによって管理された植物は時として人や物を隠し、迷わせている。今はほふく性の植物が地を這い、蔓性の植物が樹木に絡みつきうっそうとしていた。わざとなのか整備前なのかはわからないが、人を隠すには丁度良かった。
「ご主人様が捕らえられてしまった……私がやっていることは本当に正しいのか?」
自信のないジョナサンの声は何か迷いを感じる。やっていることが正しいかどうかを聞くということは、彼が関与しているということだろうか。
「大丈夫よ、あなたの行いは間違っていない。これは皆を救うことにもなるのだから何ら心配することはないわ」
若い女の声がする。マリサはその声がヘンリエッタの声だと気づくのに時間がかからなかった。
(ヘンリエッタ……やはりあんたはあたしが嫌いな女だ)
使用人の中で一番日が浅いヘンリエッタ。色白で華奢な体つきをしており、ウエーブがかかった金髪をまとめ上げている。その姿はあか抜けており、気品のある顔立ちのせいで使用人らしくない雰囲気を醸し出していた。マリサはジョナサンの表情からまだ彼に迷いがあるように思う。マリサが知っているジョナサンは秘密を守る重責があり、緘黙だが真面目な男だ。それがあのような発言をしているのだから明らかに迷っているとみてよかった。
ヘンリエッタはジョナサンを抱きしめキスをするとそそくさとその場を離れた。
(ジョナサン、あの女にたぶらかされたか……。それにしてもヘンリエッタはなぜオルソン家の秘密を知った?そしてルークとアイザックに秘密を教えたのはジョナサンなのか)
いろいろ裏がありそうだが今は動くべきでないだろう。マリサは気づかれぬように屋敷内へ戻る。
アーネストとメイジーにジョナサンとヘンリエッタとは距離を置いた方がいいと話し、状況を説明する。このことはその後トーマスにも知らせた。オルソンが無実の罪で捕えられ、そのことも何とかしなければいけないが、どのように動けばよいかまだ考えがうかばない。
「ごめんね、私がこんなことになってしまって……」
さっきまで眠っていたと思われたイライザが目覚め、マリサたちを見つめている。
「無理しないで母さん。それよりご主人様が無実の罪で捕えられてしまった。それもフランスと関係あるの?」
イライザが以前口にしていたフランスという言葉。それは何を意味しているのか。
「私はジョナサンが誰かに箱を渡しているのを偶然見てしまったのよ。その後、誰かに体を押さえられて何かを飲まされた。覚えているのはそこまでよ。そして彼らの発音からそれがフランス語だと気づいたの。この屋敷にフランス語を話す人間はいないはずなのに」
イライザの言葉にアーネストとメイジーも頷く。後にトーマスにも尋ねたがフランス語を話す人間を知らないということだった。
その夜、完全に意識を取り戻したイライザを喜んだエリカはイライザのそばを離れようとせずそのまま眠ってしまった。体力の回復がまだ十分でないイライザもエリカを抱くように眠っている。そんなふたりを横目にマリサはサーベルとピストルを手にすると部屋の片隅にたたずんで体を休める。
意識が完全に回復したとなればこの夜にでも再びやってくるだろう。マリサはトーマスに頼んでわざと部屋に通じる通路の見張りをなくした。トーマスはさも忙しくして見張りなどできないというふうに、あれこれと使用人の手が回らないところをやっていた。
庭から薔薇の香りが強く漂っている。捕らわれたオルソンについて何か王室から沙汰があるはずでそれを待つのも辛いものだ。オルソンがナイフで貴族様を殺害したとなると、毒の守り人のこともあり取りつぶしになる可能性がある。ひとりでも犯人につながる証拠を掴み,冤罪を晴らしたかった。
(どうやらこの事件はオルソン家……いや……イングランドだけでなく何かフランスとも関係がありそうだな)
サーベルを持つマリサの手に力が入る。フランスを獲物として相手にしてきたのは海賊時代でも限られた期間である。時代遅れの海賊(buccaneer)”青ザメ”は主にスペイン船を襲撃してきた。海賊共和国の海賊たちの中にはフランス人の海賊もいたほどだ。オルソン家は知らぬ間にフランスを敵に回していたのだろう。
月明りだけの暗い部屋にイライザとエリカの寝息が聞こえる。あまりの静けさに壁にもたれて座り込んでいたマリサに眠気が襲うが、頬をかすかな風が当たったことで現実に引き戻される。
布が床にすれる音とともに感じられる張り詰めた空気。これは殺気だ。”青ザメ”の時代から乗り込み組の海賊として戦ってきたオオヤマは異国から来た男だ。彼は常々、剣を振る前から戦いが始まっていると言っていた。体を動かさず気をめぐらして相手をのみこむ殺気を感じ取れなくては行動が遅くなってしまうからだ。
その人影は部屋の片隅で息をひそめているマリサをまるで無視するかのように気づくことなく、ベッドへ向かっている。
(女……?)
床に布のすれる音がするのはスカートのせいだろう。その女は眠っているイライザのそばまで来ると顔を覗き込み、それがイライザである確信した。そして胸元から小さな紙包みをだすとイライザの口を開ける。
これ以上みているわけにいかない!マリサは立ちあがり、ナイフを投げつけた。
ナイフは女の手をかすめ、女が持っていた紙包みが床に落ちる。何ごとが起きたのか一瞬驚いた女はナイフが飛んできた方向にマリサはいることを見つける。
「あら……寝ずの番人お疲れ様ね……」
その女はヘンリエッタだ。相当肝がすわっていると見えて自分がやろうとしていたことがばれても平然としている。
「お気づかいありがとうよ。母さんに毒を飲ませたのはあんただろう?」
マリサはサーベルを構え、ヘンリエッタをにらみつける。
「おお怖い顔だこと。私はイライザがよく眠れるようにしてあげたいだけよ。あなた誤解しているわよ」
ヘンリエッタは笑みを浮かべて胸元へ手を入れる。ゆっくりと出されたのはナイフだ。そのナイフを眠っているイライザとエリカへむける。
「なるほど……確かに誤解していたよ。あんたが使用人だとね」
こんな脅迫など”光の船”のガルシア総督に比べたらまだかわいいものだ。あのときは嘆きの収容所で死を待つしかなかった捕虜たちを体を張って救い出した。それでも愛する家族に刃を向ける行為はマリサの怒りを触発する。
「使用人のつもりよ、今は」
ヘンリエッタはナイフをイライザへ振り落とす。
「母さん!」
マリサの声とともに2本目のナイフが飛ぶ。ヘンリエッタのナイフがはじかれてベッドの反対側へ落ちた。そしてマリサの声で目覚めたイライザは状況をみて眠っているエリカをかばう。
「領主様を貶めたのはあんただろう?役人へ突き出してやる!」
マリサが叫んだが、ヘンリエッタは薄ら笑いをすると窓から飛び出した。
「お生憎様。まあ今回は私がひくといたしましょう。またあなたに会うこととなるでしょうから」
飛び出たヘンリエッタから嫌味気な声が聞こえる。
「トーマス!アーネスト様!ヘンリエッタが犯人です!」
大声で叫ぶマリサ。窓越しにヘンリエッタを追うがうっそうとした樹木に隠れて姿が見えなくなっていた。
マリサの叫び声にエリカが目覚め、ただならぬ様子に体を寄せ合っている。
「大丈夫、心配しないで。母さんの命を狙ったヘンリエッタはもうここへ寄り付かないだろう」
トーマスとアーネストがやってくるとマリサは状況を説明した。イライザはジョナサンが誰かに箱を手渡したのを見てしまい、その後毒を飲まされたこと、回復したイライザをヘンリエッタが殺そうとしたこと、ジョナサンはヘンリエッタにたぶらかされていること。ありのままを話す。
(となるとルークとアイザックにオルソン家の秘密を洩らしたのはジョナサンか?でも何のメリットがあってそんなことを?)
ふたりがオルソン家の秘密を知り得た理由に疑問が残る。緘黙で真面目なジョナサンはヘンリエッタと出会う前には秘密を漏らしていたことになる。それ以上に捕らえられたオルソンの冤罪を晴らし、解放してもらわねばならない。しかし誰に力を貸してもらえばよいのだろう。
まずはイライザが働けるようになるまで代わりに働かねばならない。ヘンリエッタがいきなり姿を見せなくなり、使用人たちはいらぬ詮索をするだろう。そこは立ち回りのうまいトーマスがもっともらしい理由を言って落ち着かせられるだろう。
マリサは次の行動を考える。
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