36決意
新たな情報を得てアーティガル号、ジェーン号、そしてノアズアーク号とブリトマート号は与えられた責務を果たすために決意を新たにして航海へ出ます。
南海泡沫事件は実際に起きたバブルの崩壊事件です。株価に踊らされた人々、インサイダー取引など、今も昔も変わらない事でした。投資はリスクを伴います。投資で失敗した人々もいました。
テイラー子爵は事務所へ戻ると早速私掠の段取りを進めていくことにした。とはいっても、ガルシア総督の死因について問いただされたマリサは警戒してその場に来なかった。それ以上にマリサの心をとらえていたのは夫フレッドや家族のことであった。
フレッドを含めた4人の士官がアーティガル号に身柄を預けられた立場であり、ジョンソン艦長に対する謀反の疑いが晴れたわけでないので上陸しないままだった。リトル・ジョン船長からなんとか面会させることができないかと相談されたテイラー子爵は、事情を知らないラッセル少尉やコックス少尉、フォスター中尉の家族を密かに呼び寄せては船での面会をさせた。家族たちはてっきり彼らがイギリス海軍として働いていると思っていたので非常に驚き、またそれまでのいきさつを知って悲しんだ。
「俺たちは必ず疑いを晴らしてお前たちの元へ帰る。だから心配をしても悲しまないでくれ。こうして身柄をアーティガル号へ預けることで処刑から救ってくれたのはジャマイカの艦長たちなんだ。……本当は堂々と胸を張って家へ帰りたい……それが叶わないことを頭ではわかっていても、いざこうしてお前たちの顔を見ると……」
フォスター中尉は彼の妻や子供たちを前にして涙ぐむ。そしてその気持ちは他の士官たちも同じだ。
「僕は一時、後悔をしてばかりでした。こんなことなら船に乗る仕事を選ばず、陸で一生を送りたかったと。無実の罪を着せられてあわや処刑となり、誰がこんなバカげた小説を書いたのかとも恨んでばかりでした。でも、もう少し頑張ってみます。だって吊るし首より戦って死んだ方が名誉でしょう?……いや、やっぱりそうじゃない。この足で必ず故郷の土を踏んで帰りたいんだ」
ラッセル少尉は目の前にいる田舎の母親を見て今までためていた思いが一気に溢れて涙をぼろぼろこぼした。母親想いの彼は何ごとも弱気な人間で田舎でも弱虫扱いをされていたので、彼が海軍へ入隊したときの人々の驚きは相当なものだった。それ以上に母親は喜び、息子を誇りに思っていたのである。
「ええ、ちゃんと帰るのよ。誰が何と言おうとあんたは私の大切な息子なのよ。神様はきっとあなたを守ってくださるわ」
母親はラッセル少尉を抱き締めるとしばらくその体を離さなかった。
その隣ではコックス少尉も最愛の妻を前にして無言で何度も頷いている。妻に会えた喜びで気持ちがいっぱいで思うように言葉が出ないようだ。それでも妻は喜びを理解してコックス少尉の胸へ飛び込んでいる。
少し離れた場所ではマリサとエリカ、フレッドの母ハリエットがいる。
「家族に会いたい思いは何よりも強い武器かも知れないわね。きっとオルソン伯爵も機会を伺っているわ。だからマリサは諦めないのでしょう?」
ハリエットの言葉に静かに頷くマリサ。一時は対立したふたり。それでもマリサはハリエットが決していい加減なことを言っているのではないと知っていた。自分が航海に出ていた間、ハリエットは家事と育児と内職をこなしている。ハリエットのおかげでできる航海なのだ。
しばらくすると話し合いをしていたリトル・ジョンとハーヴェー、サイモン、ジャンが戻ってきた。ゴブリン号への私掠活動とジェーン号の救出活動について方向が決まったようだ。彼らは人員配置を決め、必要な火薬・弾薬・他食料など活動に必要なものの手配を主計長のモーガンに頼んだ。そして海軍がつかんでいたゴブリン号の動向やジャコバイト派の動きに関する情報を得て連中に周知した。
それによるとゴブリン号は船団を組んで大西洋上へ出て海賊行為をしているとのことだ。奴隷船や商船など手当たり次第に拿捕をしては奴隷や荷を売却したり、略奪したりして利益を上げている。奴隷は特にお金になるのだろう。
「間接的でもマリサは奴隷船とかかわるのは嫌じゃないのか」
ハーヴェーが心配するのは理由があった。奴隷船から逃亡したラビットを仲間としたのはマリサである。ラビットの身を案じたグリンクロス島のウオルター総督は、ラビットを買い上げてそのままマリサに託したが、それは稀有なケースだ。奴隷船を海賊から救っても商品の奴隷たちはまた売られていくのである。全員を買い上げるなんて到底できないことだ。
「はっきり言って嫌だよ。でも、これは仕事だ。あたしの私情を挟むことじゃない。まずは海賊船ゴブリン号を叩くことだろう。それがオルソン救出と関係あるかもしれないんだ。……あたしたちは時代遅れの海賊だったからこそ、時代に逆行している海賊を叩くことができると思っているし、責務だとも感じている。今回あたしはオルソン救出の方を優先してゴブリン号のことはアーティガル号の連中に任せるしかない。それはとても残念だが、それ以上にオルソンは大切な人なんだ。手を貸してほしい」
マリサが言うとそばにいたハーヴェーは静かに笑みを浮かべる。
「お前たち!これが私掠として……海賊としての見せ場だぜ。やる気のない奴は今すぐ船を降りろ。やる気のある男はマリサに大事なアレを預けようぜ!」
リトル・ジョンの声が響くとアーティガル号の連中は大盛り上がりになった。彼の言葉に赤面するマリサ。
「バカ!それをこの場で言うな!お義母さんやエリカもいるのに」
慌てて抗議するマリサだが、歓声に消されて彼の耳に届かない。もっとも、ふたりは彼の言葉の意味が分からなかったので反応できなかった。
「リトル・ジョン、あんた達まだ言い残している情報があるんだろう?肝心要の拠点だよ。ナッソーが海賊共和国として海賊の拠点だったように、その行為を黙認している場所があるはずだ。まさか闇雲に大西洋上を捜しまくれなんてことはないだろうな」
マリサのいう通り、これまでの海賊はどこかに拠点を持っていた。例えばエドワード・ティーチのように、民営植民地(国営植民地と違い規範がゆるかった)であったノースカロライナ州のイーデン総督と利益関係にある場合もあったが、結局総督は国の役人に捕えられている(アーティガル号編 59話 オクラコークの戦い)。エドワード・ティーチの海賊団もその後メイナード大尉によって討伐され、エドワード・ティーチは処刑でなく戦死となった。
「あるから行動を起こすんだよ。ほら、商談を済ませたテイラー子爵がやってきたぞ。話を聞いておけよ」
リトル・ジョンが視線を投げたその席にはあのテイラー子爵が立ってその場の人々を見つめている。
「さて、諸君。我々の目指す方向が決まったところでとっておきの情報を出させてもらおう。元海賊の君たちが海賊討伐にあたるため必要なものは何か。船……そう、艤装化された船もそのひとつだ。アーティガル号はこれまでにも私掠に励んでおりこれからも期待される船だ。そしてジェーン号。奇しくもあのエドワード・ティーチを討伐したメイナード大尉の指揮する船と同じ名だ。メイナード大尉のジェーン号は大砲の艤装がなかったにもかかわらず、作戦勝ちしてエドワード・ティーチの首を討ち取った。体から切り離された首はマストの帆桁からぶら下がり、勝利の証とされたそうだ。我々のジェーン号も十分に活躍を期待できるだろう。なぜなら海賊討伐にたけた連中もいるからだ。そしてフランスと取引のあった連中もいる。……失礼、前置きが長かったな。では君たちが欲している情報を提供しよう。奴らの拠点だ」
そう言って彼は一枚の報告書と地図を広げた。
「私……いやスパロウ号の乗員にとって因縁の島だ。ここはいずれ国王の植民地となることが決まっている。海賊共和国から善良な人々の島へと変わりつつあるニュープロビデンス島ナッソーの整備が先に急がれており、まだこの島に入植者はいない。当初、島にいた役人たちは海賊どもに追い出された格好だ。この島はあのスパロウ号事件後、名前が付けられた。島の名前はキャニオン島(Island with canyon)だ。地図を見るがいい。キャニオン島はひとつの山が割れたような地形をなしており、割れたようになっているところはまるで峡谷のような険しい崖になっている。この狭い崖が曲者で、イギリス海軍のフリゲート艦スパロウ号はジェニングスの罠にはまり、そこへ誘い込まれた。やがて崖の上から銃弾が降り注ぎ、多くの乗員たちが殺された。ジェニングスは投降した我々をその島へ置き去りにし、スパロウ号を鹵獲した。そんな忌まわしい島を植民が進まないところに目をつけた海賊どもが再び手中に収めたのだ。この島は地図にあらわれる前から一部の海賊に知られていたらしく、置き去りの刑に処された海賊の骨や遺品があちこちでみられた。このことは我々の探索で明らかになっている。キャニオン島から生還した私やスチーブンソン君、クーパー君にとっては忘れられない因縁の島だ。海軍からいただいた報告書にはゴブリン号の詳細や島の状況がかかれている。ゴブリン号を指揮しているのはスミスという元海軍少尉だ。元々指揮していたジョンソン艦長は要塞爆破事件で亡くなっている。スミスの海賊団は各地で略奪を行い、奴隷船を狙っていることから資金稼ぎとみられている。……諸君にとって申し分のない相手だと思うぞ。本来なら海軍が討伐すべきものだが、後ろにフランスがかかわっており、民間人である私掠で動くこととなった。私からは話すことは以上だ」
テイラー子爵はまくしたてるように話すとその場の連中の表情をみた。これはひとつの答えだけを待っているのだ。
「海軍の旦那がたはフランスに怯えているのか……なんでぇ、見損なったぜ。マリサの目の前でデイヴィー・ジョーンズ号を沈めたあの無慈悲で冷酷な判断を忘れたようだな」
リトル・ジョンはそう言い捨てると地図を手にして掲げた。
「スパロウ号の置き土産を俺たちで拾うぞ!」
彼の言葉に無言でうなづいた連中は次々に事務所をあとにする。
彼らの後ろ姿をじっと見つめているテイラー子爵の姿にマリサはあることを感じた。
スパロウ号事件の当事者でもある彼にとって因縁のキャニオン島。間違いなくある強い思いを持っている。
自分に疑いの言葉を投げかけたとはいえ私怨を乗り越えた関係だ。だから落ち着いた今、話せる言葉があった。
「伯父さま、アーティガル号の連中は必ずやキャニオン島から海賊を追い出すでしょう。そこにあたしがいないのは残念なことですが、その分、フランスで暴れてきます」
そう言って手を差し出すマリサ。マリサへの疑念はいずれはっきりする日が来るだろう。外交で解決をしている問題を今更自分ひとりでどうこう言っても始まらない。今しなければならないのはジャコバイト派の資金集めとされている海賊の討伐である。
「全く、お前は優秀過ぎて私には扱いづらい女だ。マリサ、ぜひともオルソンを連れて帰ってこい」
テイラー子爵はこれまでアーティガル号が海賊ハンターの傍らで行っていたグリンクロス島への荷の運搬をノアズアーク号とブリトマート号に委ね、すでに2隻はひと足先に出帆している。他の商船も出払っておりしばらく帰ってこない。ノアズアーク号は再艤装をしており、戦うことなど無縁のブリトマート号を援護する意味もあった。商船会社本来の利益も上げねばならず、輸送はどうしても必要な仕事だった。
それでもオルソン拉致とデュマ一座、ヘンリエッタ一味がどうも関連しているように思えてならず、あれこれと推測してみたがうまくつながらないままだった。人脈で得た情報をマリサたちに渡し、ある程度の見通しを立てたに過ぎない。
航海には船のお金だけでなく給料や乗員たちの食料などとかく経費もかかるものだ。アーティガル号のように、国のために海賊討伐をするといっても無償でやれるものではない。アトランティック・スターズ社はオルソンとマリサが海賊や私掠行為で得た利益を会社設立のために投資して設立された。そこへテイラー子爵が一方的に投資をしてきて今や経営を担っている状態だ。会社の未来はテイラー子爵にかかっているのである。
周りは倒産した会社も多数あった。投資の失敗によるものである。
アメリカ大陸やアフリカ大陸だけでなく遠くインド洋などから荷を運ぶため船と人員が必要とされ、その投資が活発に行われてきた。しかしそれもある事件でイギリスの経済が混乱に陥ってしまった。
それは『南海泡沫事件』である。大きな会社は多数の投資家による株の購入で資金を得て運用されている。株は利益だけでなく株価が下がると損害を受けることを投資家は承知しているものだが、元々貿易会社であった南海会社は、海難事故やスペインとの関係悪化などで経営が危うくなるうと、くじを発行して立て直しに成功をする。そしてそれをきっかけに金融業へ手をのばすのである。南海会社の株価操作や単なるコーヒーハウスネタ、過ぎるほどの宣伝などにより株価が上昇し続けたことで他の会社の株価も巻き込んでいく。株が儲かると信じた人々は銀行からお金を借りてまで株を購入してその利益にありつこうとした。中には実体のない紙きれだけの会社も多数存在し、まるで泡が立つように人々は投資にひかれた。
この状態に危機感を持った政府は6月に「泡沫会社規制法」をだし、実体のないペーパーカンパニーを裁くことになった。すると株を買った人々は株を売り始め、結果、釣り上げられていた株価はこれを機に下がっていった。また、南海会社の持ち株を担保に銀行から借金をして他の株を買っていた多数の人々が株の損失を南海会社の株を売却することで賄おうと売り始めたところ、南海会社の株価が大暴落したというものである。1720年1月に130ポンドだった株価は5月に700ポンド、6月24日には1050ポンドの最高値をつけ株価のバブルは頂点に達した。政府の介入で株価は9月に大暴落をし、多くの自殺者や破産者が出ている。(損害を被った人の中には万有引力の法則を発見したアイザック・ニュートンもいた)
この経済の混乱に財政の専門家であるロバート・ウォルポールは見事に経済の立て直しをしていき、ジョージ1世の信頼を得て、議院内閣制の基礎となっていった。
「アーティガル号が討伐し損ねたら経営者のあたしたちも破産者だ。ただし泡はないけどな。オルソンが立ち上げたこの会社をつぶすわけにはいかない。ジャコバイト派が絡んでいるなら尚更だ。……フランスにはあのヘンリエッタがいる。イライザ母さんを殺そうとしたヘンリエッタをあたしはどうしても許すことができないんだ。アーティガル号と合流したい気持ちは山々だが、それは伯父様……いえグリーン副長も同じでしょう?」
そう言ってマリサはテイラー子爵の手を握った。
最後までお読みいただきありがとうございました。ご意見ご感想ツッコミお待ちしております。




