32東屋にて
手ぶらで帰ったことを気に病むルークを前にアーネストは謎めいた言葉を話します。
偶然居合わせたシャーロットに思いをぶつけるルーク。
東屋とは庭にある小さな小屋。多角形の屋根をもち、壁はありません。ガゼボともいいます。
ジェーン号とアーティガル号がそれぞれ港へ入ったという知らせはすぐにマリサからシャーロットのいる領地へ知らせが入った。ジェーン号でマリサたちとともにオルソン救出へ向かっていたルークはいったん領地へ戻り、心配しているアーネストへ状況を報告しなければならなかった。アーネストや使用人たちも、貴族殺しの罪を着せられて拉致されたままのオルソンを心配している。ましてそれがでっち上げの事件だと知ってからは目に見えぬ相手の存在に不安を抱える毎日だった。
「礼ははずむから一刻でも早く頼む」
御者にそういうとルークは項垂れた。もう祈るしかなかった。手がかりもないままどのようにオルソンを見つけるのか。そもそもオルソンを貶めて拉致したヘンリエッタ一味の動向すら知らないままだ。
「礼をはずまれても走るのは馬ですから、機嫌を取るなら馬にしてくださいよ。私は馬を御するだけの人間ですから」
ルークの表情に只ならぬ悲壮感を感じた御者は冗談を言ってみたが相変らずルークは思い詰めた顔をしていた。
幾度か休息を挟みながら、とても長い時間、沈黙だけの馬車はオルソンの領地を目指していく。できるなら朗報をもって帰りたかったのに何の手がかりもなく振出しに戻ってしまった自分を兄アーネストはどう思うだろう。アーネストだって本当は共に救出活動に加わりたかったはずだ。嫡男であり、妻と子がいる以上、家に残って留守を守らねばならない。どんな気持ちでルークを送り出したか理解しているはずなのに期待に添うことができないままだ。
夕方になり無理をして走り続けた馬のためにルークは宿をとることにした。いくら急ぐといっても夜は化け物どころか犯罪に巻き込まれることも懸念される。一刻でも早う帰りたい気持ちは山々だったが、誠意ある御者に明日も世話にならなくてはならないので御者ともども投宿した。
眠りながらルークはマリサに殴られた時のことを思い出す。あれは気の迷いだったか、それともくすぶっていたマリサへの思いだったか自分でもわからないが、殴られたことでそれは吹っ切れた。亡くなったアイザックも幼いころからマリサを慕い、ルークと同じく思いを寄せていた。それが叶わぬことを自覚し忘れるかのように女遊びに没頭したアイザック。最期はエリカをかばって銃弾に倒れた。マリサの子エリカを救うために命を落としたのだからアイザックは本望だったのかもしれない。しかし死んでしまったら何もならない。
「お父さま、必ず助けに行きます。それまでどうか無事でいらしてください……」
航海中は仲間ととともに行動をしていたので寂しさや焦りを感じなかったが、こうして船を降りてみるとこれまでの行動が無駄だったのではないかと思え、焦りが生じた。
ルークの表情に宿の主人も心配して酒を持ってきたが、ルークはそれを飲み干しただけで食事もあまり口にしなかった。
寒さで目が覚めた翌朝になってももどかしさは消えていない。
「旦那さん、何があったか知りませんが、今の旦那さんの顔はまるで地獄を見たようですよ。景色でも見て気を紛らわせてください」
御者はすでに馬に餌をやり終え、手入れを済ませていた。ルークの表情から何時でも出発できるようにとの配慮だろう。
朝食を済ませるとどこか懐かしい匂いがした。単に気がしただけかもしれないが、まだやるべきことが残されており、そのことへの誘いだとも思われた。
気を取り直して馬車へ乗り込み一路屋敷を目指す。領地はもうすぐだ。
御者の威勢のいい掛け声とともに馬は駆けていく。この時代、高額な運賃であるにもかかわらず、ロンドンから遠く離れた屋敷まで乗車するルークを御者は上客として見ている。少々の無理なぞお金さえもらえれば関係のないことなのだ。
うっそうとした森林地帯を抜けると荒涼とした荒れ地が見えてくる。その向こうは海だ。鉛色の空が今にも落ちそうで、冷たい風が馬車にいるルークにも伝わってきた。領地へ入ったのだ。
オルソンの妻でありルークたちの母でもあるマデリンの眠る墓地。そこにはマリサの育ての父ジョン・デイヴィスもその一角に葬られている。マリサの育ての母親イライザがオルソン家で再び働くようになったのもそれが理由だ。
「お客さん、ここのお屋敷で合っていますか」
ルークに書いてもらった地図を頼りにここまで馬車を走らせた御者はルークに確認を求めた。
門では馬車の到着に気付いた使用人があわてて駆けつけてきている。彼らも見覚えのある顔だ。
「あっているよ。長い間無理をさせたね。これは運賃だ」
そう言ってルークは謝金を御者に持たせた。相場よりも多い謝金である。このことは御者の疲れを取っ払うほどだった。御者は満面の笑みをうかべると荷を降ろして屋敷を後にした。
「お帰りなさい、ルーク坊ちゃん。本当にお久しいことでございます」
出迎えたのは庭師ジョナサンだ。ジョナサンは子どものころいつも遊びの相手をしてくれた。今はおじいさんになっている。
「いつまでも坊ちゃんじゃないぜ、ジョナサン。僕はもう大人だから……いずれは家を出て放蕩する運命の次男だよ」
そう自虐的に返事をするルーク。確かに貴族といえど爵位を継げるのは長子だけであり、次男から下は自分で何とかしないといけない。次男と結婚したい貴族なんて余程の物好きだろう。その物好きがシャーロットなのだ。もっともシャーロットの方も女性であるため爵位を継げないという理由があった。そんな計算をしたわけではないがグリンクロス島海賊襲撃事件以来、ルークとシャーロットは将来を約束した仲になっていた。
「卑下なさってはいけませんよ、坊ちゃん。亡くなられたアイザック坊ちゃんの分も働かれたのでしょう?だからご主人様の救出にまっさきに向かわれた」
そう言ってジョナサンは微笑んだ。
「全くお前は人の行動をよく見ているから迂闊なことができないな。今の僕は自信を失った獅々だ。猫のように甘えるだけだよ、ジョナサン」
手ぶらで帰ったことが悔しくてならないし、どのようにアーネストに言われるかもわからない。しかし事実を言わなければならない。
ジョナサンの迎えを受けて屋敷内へ入るとイライザが待っていた。使用人頭として相応しい年齢とキャリアを積んでいるが、それを断わっているのは亡きデイヴィスの想いからだろう。マーティン・ハウアドという犯罪人として処刑されたデイヴィスの最期は吊るし首である。噂は広がりイライザの耳にも入って苦しめた。とても使用人頭として働く気にならなかったのだ。
「中でアーネスト様がお待ちです。さあ、中で旅の疲れを癒してくださいな」
ジョナサンが荷を持ち、イライザがルークを誘う。ルークはもはやオルソン家の人間であってもどこかお客さん扱いであった。
屋敷へ入るとバイオリンの音が聞こえた。それは舞曲のひとつ、ブーレであった。ルークは足早に広間へ急ぐ。
「兄さま、帰りました。残念ながら……」
と広間へ入るなりルークが言ったとき、思いがけない光景が目に入る。
「シャーロット……」
そこにはアーネスト夫妻と子ジョシュア、そしてなぜかシャーロットもいたのである。
「ルーク、あなたが帰ったということは……」
シャーロットも驚いている。しかしなぜここにシャーロットが?ルークは報告を忘れかけていたが間をおいて話さねばならないことを話す。
「アーネスト兄さま、メイジー、そしてシャーロット。残念ながらお父様を見つけることはできなかった……というより、事件が起きて証人となる負傷者が出たのでいったん帰ってきたんだ。その証人はテイラー子爵にかかわりのある人なので彼に保護を求めてのことだ」
「ルーク、お前は何らお父さまの手がかりを見つけられなかったのか。あの貴族殺しの罪がでっち上げである以上、本来ならその筋を通して問題解決を図らねばならないが、それができないからルークたちに頼んだはずなのに。全く手がかりもなしに別のことで帰ってくるとはどのような気持ちで帰ってきたんだ」
アーネストの声は厳しい。事情を知らないのだからそう言われるのも仕方がない。このことは覚悟していたつもりである。
「責めるならいくらでも責めてもらって結構だよ、兄様。お父様が運ばれたという港へも行ってみたが何ら手がかりを得られず、あわや事件の首謀者とされるところだったのは本当だ。……遊んでいたわけじゃない!僕だって……僕だって手掛かりを見つけられなかったことをどんなに無念に思っているか……」
思わず感情的になり、肩で息をするルーク。我慢していたものがこみ上げ、涙がボロボロこぼれてきた。
「ルーク!」
みかねたシャーロットがルークを抱き締める。
「いろいろ事情があるんでしょう?あなたがここへいるということはマリサも帰っているということね。……ともかく落ち着いてルーク。誰もあなたを責めることはできないはずよ」
シャーロットの胸の温かみが伝わってくる。そのシャーロットを悲しませるようなことをしたのも自分だ。ただそれはマリサによって正され、ルークは自分を取り戻している。
「ごめん……大人げないことを言ってしまった。兄さま、お父様救出に向けてアトランティック・スターズ社を任されているテイラー子爵も考えがあるようだ。ジェーン号は元々ムエット号というフランスとイギリスを行き来する船だった。そしてその乗員たちの一部がジェーン号の乗員として勤務している。それだけでなくお父様らしき人物を運んだとも言っている。その話に基づいて上陸した港町で情報を探したが特にお父様の形跡を得られることはないままだった。他に情報を得ようとしたとき、その港にある古い要塞が爆破される事件が起きた。この爆破にはイギリス海軍ゴブリン号がかかわっている。……イギリスがフランスに戦争を仕掛けたと言われてもおかしくない。爆破現場に行って負傷者を助けた。それが今回事件の証人と保護のため連れて帰ったクーパーという男だよ。……こうして状況報告ができたから明日にでもひき返す。兄様をがっかりさせてすまなかった。……でもなぜシャーロットがここに」
ルークの話に聞き入っていたアーネストは表情を緩ませてルークの肩をたたく。
「もういいよ、ルーク。この家でお父様の救出の為に動くことができるのはお前しかいない。僕やメイジー、ジョシュアや使用人たちの気持ちを受け取ってまた働いてほしい。ごめん、僕も言い過ぎたね。アイザックを含め、僕たちは同じ血を受け継ぎ、この家に課せられた定めを引き継いだ。それをわかっていると思う。シャーロットはアーティガル号がグリンクロス島へ寄港した際、ウオルター総督から預かった手紙を持ってきたんだよ。なぜオルソン伯爵が拉致されたのか……なぜイギリス海軍の船がフランスへ乗り込んでジャコバイト派の拠点をたたかねばならないのか。総督は疑問をもっている。僕にも答えようがない。そしてシャーロットは領主不在で周囲が疑念をもつ中、常に僕たちを気づかい、何回かここを訪れている。エリカの音楽指導やジョシュアのことも気遣っていてね」
そう言ってアーネストはシャーロットをルークの前へ誘う。
「つもる話もあるだろうから東屋へ行って話をしてきなさい。東屋の正しい使い方だ」
ようやく手ぶらで帰ったことの重荷がとれたルークは、その言葉を有難く受け取りシャーロットとともに東屋へ向かった。
東屋は庭師ジョナサンが管理する小さな小屋のような家である。ここで何回かオルソン家の秘密『毒の守り人』の継承や毒物の精製が行われており、オルソン家の庭の一角にはそれに特化した植物が植えられていた。マリサも幼いころにジョナサンから近づくなといわれた場所である。
しかしアーネストの言うように東屋は本来そのような使い方をしない。
「お帰りなさい、ルーク。こうしてあなたに会えてほっとしたわ」
シャーロットは逢えなかった時間をとりもどすかのようにルークの胸に顔をうずめる。
「ただいま……」
そう言いながらルークは感情のままにマリサを抱いてしまったことを思い出し、知らないところでシャーロットを傷つけてしまったことを恥じた。
「……ごめん、ごめんシャーロット。僕には君しかいない……」
むせび泣くルークをシャーロットは笑みを浮かべて包み込む。今までのことは問わない、問う必要もない。目の前のルークはグリンクロス島で共に海賊を追いだし再建を手伝った頼もしいルークなのだ。
「泣かないで、ルーク。こうしてあなたが私の前にいることがどんなに嬉しいか。……もう言葉に表すことができないの……お帰り、ルーク。ここへ来るたびにアーネストやメイジー、ジョシュアのことをとても羨ましく思うわ。本当に素敵な家族ね。わたしにも家族ができるかしら……」
シャーロットの言葉にハッとするルーク。シャーロットはルークをまっすぐ見つめている。
「もちろん、もちろんだともシャーロット。……僕はオルソン家のしがない次男坊だから爵位はないし、たいしたお金もない。こんなぼくだけど、結婚してください。そして家族を作ろう。君のように優しさが溢れるあたたかな家族を作ろう」
ルークはようやく自分の想いをはっきりと伝え、シャーロットを抱き締めると何度もキスをする。
東屋の外は寒さを忘れるかのように一筋の日の光が差し込んでいた。
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