30エズラ船長
エズラ船長のネーミングはイギリスのシンガーソングライターであるジョージ・エズラ(George Ezra)からとりました。紹介してくれた方はイギリスの友人。私が好きな曲はショットガン(Shotgun )という曲。エズラという名の語源はユダヤの律法学者からきているそうです。
さて、テイラー子爵は相変わらず策略家ですなあ。このままだと会社を乗っ取ってしまうんじゃないでしょうか。
フレッドとマリサが不在のスチーブンソン家ではハリエットが気を張ってエリカの面倒と家事を行っている。フレッドとマリサはそれぞれ留守中のお金を残してはいたが、そうはいってもマリサたちがいつ帰るかわからないことの生活不安はある。そのため、ハリエットは家事の合間にタティングレースで編んだ小物類やドレスの直しを請け負っていくらかの収入を得ていた。
この日、ハリエットはタティングレースを編みながらエリカの文字の読み書きの勉強に付き合っていた。エリカはマリサに似て言葉をよく覚えた。ただ、大人びた言葉の言い回しをよく使っており、おませな子どもとみられることがあった。
トントントン……。
誰かが訪ねてきたようだ。
ハリエットは編み物をテーブルへ置くとドアの方へ向かう。
ドアを開けるとそこには日焼けした肌と潮風があたったぼさぼさの髪の毛に似つかわしくない絹のシャツを着た男がいた。
「突然お尋ねして申し訳ない。私はノアズアーク号の船長をしているエズラという者です。マリサはいますか?お伝えしたいことがあってスチーブンソン中尉のご自宅を探してここまでたどり着きました」
エズラ船長は少し息切れをしている。そうなるほどあちこち探して歩きまわったのだろう。
「息子に何か御用でも?。今マリサと息子はそれぞれ航海中です」
エズラ船長の容貌に少し警戒心を持ったハリエットはドアを閉めかける。
「ええ、それは承知です。というか今スチーブンソンさんを含めゴブリン号の士官たちが大変な思いをしているのですよ。私はそれをご家族へ伝えねばと思い、港へ到着するとすぐにスチーブンソンさんのご自宅を探しました。運よくご近所の方々が教えてくださって無事にここへ参った次第です」
そう言って呼吸を整えるエズラ船長。ハリエットは彼の言葉から何か起きたのではと感じ、エズラ船長を招き入れた。
この様子を見ていたエリカは客の来訪を喜び、エズラ船長を出迎えた。
「こんにちは、私エリカ。おじさん、船でお仕事している人?」
「やあ、こんにちはエリカ。私は君のお父さん、お母さんと知り合いだよ。勉強の邪魔をしてすまなかったね」
かわいい女の子に見つめられてエズラの気持ちがほぐれていく。
「エリカ、おばあちゃんはエズラさんと大切な話があるから自分の部屋へ上がってくれる?」
ハリエットに促されて何か言いたそうだったエリカは勉強で使っていた本を抱えるとしぶしぶその場を離れていった。
「スチーブンソンさん、どうか落ち付いて聞いてくださいよ。実は荷下ろしの為ジャマイカへ行ったとき、スチーブンソンさんと他の士官がまるで反逆者のように扱われて司令部へ連行されていくのを見たのです。そこには彼らが乗っていたゴブリン号ジョンソン艦長もいました。誰が見てもスチーブンソンさんと他の士官たちは反乱を起こしたため、審理を受けるべく司令部へ連行されたと理解できる状況でした」(15話 思わぬ誤算)
エズラ船長がこう話すとハリエットは恐怖のあまり声を発することができず、その場に立ち尽くした。足元がふらふらになり倒れかけた体をエズラが受け止める。
「嘘でしょう?御願いだから嘘だと言って頂戴。フレッドは反乱を起こすような人間じゃないわ。とても忠実で誠実な息子よ。……反乱なんてありえない……」
「だから落ち着いてくださいよ。まだこの話は途中なんですから」
エズラ船長はハリエットをその場に座らせると小声で話を続ける。
「……彼らが審理のために連れていかれたジャマイカ海軍司令部にはスチーブンソンさんの味方がいたんです。誰だかわかりますか……?なんとスパロウ号でフレッドの上官でもあったエヴァンズ艦長がたまたまいらしたんですよ。幸運なことに!私は元々海賊として荒らしておりましたが国王の恩赦の布告を受け、マリサの導きでジャマイカ総督へ投降し命を救われました(アーティガル号編 35話 マリサ、娼館へ乗り込む)。今は真面目に商船ノアズアーク号の船長をしています。スチーブンソンさんの姿を見かけた私は司令部へ詰め寄り、4人の士官たちをどうするのか問い詰めたところ、エヴァンズ艦長は有能な部下を言われるまま審理にかけて処刑することを考えていないとのことでした。きっと何か考えがあったからでしょう。ともかく4人は反乱罪で処刑されることはありません。事実は小説より奇なり(Truth is stranger than fiction. )。このことをお伝えしたくて参った次第です」
エズラ船長が話し終えると、ようやくハリエットは状況を理解して深呼吸をした。愛する息子フレッドが処刑だなんて考えたくもないことだった。
「……エズラさん、今日のお話は本当に心臓に悪いわよ。……もう海賊はこりごりと思っていたらそんな話が待っていたなんて……。でも安心したわ。エヴァンズ艦長のお人柄は何度かご挨拶をしているのでわかっているのよ。それにしてもなぜ息子は反乱罪に問われたのでしょう。本当にあり得ない事なのよ……」
ようやく落ち着きを取り戻したハリエットはエズラを椅子へ案内するとコーヒーを点てた。
「私もエヴァンズ艦長にあれこれ言わせていただきました。他の連中ならいざ知らず、スチーブンソン中尉はマリサの夫ですから。他人事としたくなかったんです」
エズラ船長は点ててもらったコーヒーを覚ましながら飲む。ようやく疲れが取れていく気がした。
「ところで野暮なことを聞きますが、いったん船を降りた(船乗りをやめた)と聞いているマリサがまた航海中とは、客として船に乗っているということですか?」
エズラのいうとおり、マリサが船を降りたというのは海賊界隈でも話題になっている。それがまた船に乗っていると聞いて、これは何か事情があるとしか思えなかったのである。
ここまで話すエズラに対して、これはマリサがその場にいない理由を言わなければ納得しないだろうとハリエットは考え、事のいきさつを説明する。
「なるほど……。私は海賊のことを知り得ていますが、貴族社会のことはわかりません。貴族を救出することを国に任せず自分たちでやろうとするあたり、諸事情があってのことだと思います。もし何かできることがあれば手伝います。それが国王の恩赦をうけることができた恩返しだと思っています。まずは帰りにアーティガル号が所属する商船会社へ行ってみます。何という会社ですか」
「アトランティック・スターズ会社。まだ小さな事務所ですが、オルソンさんとマリサが不在の今,マリサの伯父にあたるテイラー子爵が会社を守っています」
「なるほど……。船の会社なのに経営を任されているのは船乗りでなくテイラー(英語で仕立て屋という意味)子爵ですか。ありがとうございます。早速尋ねてみます」
エズラはそう言って丁重にお礼を言うとその場を後にした。
エズラを見送ったハリエットがカップを下げようとしていたら、エリカが部屋の扉を少し開けてハリエットの方を垣間見ていた。
「お客様は帰られたわよ。降りてらっしゃい」
ハリエットに言われて降りてくるエリカ。まだあどけなさが残っているが言葉は大人並みである。
「さっきのおじさん、父さんと母さんの知り合いだって言ってたよ。家にきたということは何か御用があったの?」
不安そうな顔をして尋ねるエリカ。他の子どもたちなら、たとえ父親が船乗りであっても母親がいる。しかしエリカは父と母の両方が航海中である。というよりそもそも船乗りとして航海をする母親なんてマリサぐらいなものだ。当然甘えられるのはハリエットだけである。
「心配しないでいいのよ。おじさんの話によれば父さんは元気だそうよ。さあ、お勉強が済んだらお手伝いして頂戴ね。今日はニシンのホットパイを作りましょう」
ハリエットの言葉にようやく笑みを見せるエリカ。
エリカはジェニングス一味に拉致されたりグリンクロス島海賊襲撃事件に巻き込まれたりしたためか、子どもらしくない表情をすることがあった。それは海賊の頭目として仏頂面でよくいたマリサによく似ていた。それでも両親を恋しがるところは普通の子どもである。ハリエットはそんなエリカを愛おしく思い、フレッドやマリサの分もしっかりと育てていかねばと気を張っていた。
一方、ハリエットの家を出たエズラは他へ立ち寄るでもなくまっすぐマリサたちの商船会社アトランティック・スターズを訪れた。ハリエットのいうとおりまだ小さな事務所であるが、これはジェーン号の前身であるムエット号が海賊の襲撃に会い満身創痍だったものを経費をかけて直したことにより、大きな事務所を構えるゆとりがなくなってしまったからである。
エズラは従業員にスチーブンソン中尉のことで伝えたいことがあると言っただけで、すぐに経営者のテイラー子爵と面会することができた。
「ようこそ、エズラ船長。私はこの会社の経営者のひとり、ハリー・ジェイコブ・テイラー子爵という者だ。ご存じのように貴族が働くなどとんでもないことだが、生憎我々は退屈な日々に辟易しているのだ。スチーブンソン君の動向について何か伝えたいことがあるそうだね。さあ、話してくれ。一体何が彼に起きているのだ」
テイラー子爵は貴族といいながら服装はどこかの市民のようで質素なものだった。よく見れば洋服掛けにそれらしきコートだのズボンだの掛けてあったので、服装で気分を変えているのではとエズラは思った。
「私はジャマイカで海軍司令部へ連行されていくスチーブンソン中尉と他の士官併せて4名の姿をみかけました。乗っていたゴブリン号で謀反を起こした罪に問われて連行されたとのことでした。私はスチーブンソンさんの妻、マリサには国王の恩赦へ導いてもらった恩義があります。ですので、心配になって追い返されるのを覚悟で司令部の方々に会ったところ、そこにはスチーブンソンさんの過去の上官であったエヴァンズ艦長ほか、他の船の艦長たちがいました」
「エヴァンズ艦長!おお、懐かしい名だ」
かつての上官の名を聞いてテイラー子爵は感慨深げである。
「そうなんです。そこにエヴァンズ艦長がいらしたのは本当に幸運なことでした。スチーブンソンさんと他の士官はすぐにでも処刑されるという立場でしたがエヴァンズ艦長は猶予をくださったのです。つまり、何かお考えがあってのようで4人の処刑を取りやめた格好になっています」
「そうか、エヴァンズ艦長はそのようにされたのか。……エズラ、エヴァンズ艦長はやさしくも厳しいお人だ。お前のいう通り、状況から何かをつかんだのかもしれない。ともあれスチーブンソン君はまた事件に巻き込まれたようだな。マリサも別件で巻き込まれたというのに」
テイラー子爵はそう言うとまじまじとエズラの顔を見つめた。
「マリサが事件に巻き込まれた?そういえばスチーブンソン夫人がマリサは航海中であると言ってましたが。まさかまた海賊家業をやっているとか」
エズラは自分を国王の恩赦へ導いたマリサが航海中というのが気になって仕方がない。
「合法的な海賊行為は”青ザメ”得意の分野だからな。何せ、マリサたちは時代遅れの海賊だった。考えたくもないが、そんなこともあるだろうよ」
そう言ってテイラー子爵はマリサたちの目的であるオルソン救出の為の航海についていきさつを話す。
話を聞いたエズラはすぐに言葉が出なかった。単なる海賊とか商船とかの話じゃないからだった。
この様子にテイラー子爵はある提案を示す。
「さて、エズラ。ここへ来たのも何かのお導きだろう。お前はどこかの商船会社に所属しているか?してないのなら我がアトランティック・スターズ社へ所属したまえ。知っての通り、アーティガル号は私掠活動をやっていて、たまにグリンクロス島の荷を運ぶくらいだ。そしてマリサたちが乗っているジェーン号は初めからオルソン救出の為の活動手段であり、商船として作ったわけではない。少しの荷を運んでいるだけだ。他の船も数隻あるものの、それらも航海中だ。今、荷の依頼が来ているがこのままでは断らざるを得ない。さあ、どうだ?」
胸の内を見通すような目つきでエズラを見つめるテイラー子爵にエズラはゾッとするものを感じた。
「……それが本当の理由じゃないでしょう。あなたは何か企んでいる」
エズラがそういうと、テイラー子爵は大笑いをした。
「なるほど……。お前にそのようにみられるとは私も油断したものだ。……そう、お前のいう通りだ。さっきの話は表向きの理由だよ。では、もうひとつの理由を話そう。なぜ、オルソン伯爵は拉致されたか。オルソン伯爵よりも有力な貴族は数多くいる。むしろ彼は田舎の貴族で、そんなに表立って貴族社会へ出ていたわけでない。だからこそ謎なんだ。マリサは彼の救出の為、必死になっている。元”青ザメ”の仲間であり、使用人と領主の関係だったことを考えてもなぜそこまで彼を救出したいのか。……私はオルソン伯爵に何か秘密があり、マリサはそれを知っていると考えている。……エズラ船長、秘密を探れとは言わない。ただ、マリサの力になってくれ。オルソン伯爵の秘密についてはそれから私がマリサを問いただす」
テイラー子爵は相変わらず冷たい目をしていた。
「……全くよ……どうして貴族様ってのはこんなに策略家なんだろうねえ。おっしゃる通り私は単独で荷を運んでいましたから、会社へ所属することで信用が上がるってもんです。承知しました。アトランティック・スターズへ所属しましょう」
エズラにとっても所属は願ってもないことであり、マリサたちと冒険できるのではないかとの期待感もあった。
テイラー子爵はこのことに満足をし、ふたりは固く握手をする。
エズラの船ノアズアーク号はその後しばらく海賊対策のためにいくらかの艤装を施すこととなった。国王の恩赦を受けてジャマイカ総督のもとへ投降したエズラは、テイラー子爵の求めに応じて再びノアズアーク号を艤装するのである。マリサたちが戦っているのは何かはわからない。しかしかつての海賊エズラ船長としての冒険心が彼の心を動かしていた。
それはまるで自分が演劇の主人公でもあるかのような気さえした。
艤装中の船を見つめるエズラ船長。そして隣にはテイラー子爵とジェーンがいる。
「ハリー、あなたはもう海軍ではないのよ。ここまでやる必要があるの」
寒そうにマントで身をくるむジェーンを気づかいながらテイラー子爵は笑みを浮かべる。
「答えがそこにあるのなら、私はつきすすむだけだよ。さあ、ジェーン。もう屋敷へ帰りなさい。君はもうひとりではないのだよ。これ以上いては冷えてしまうだろう」
テイラー子爵は使用人を呼ぶとジェーンを馬車に乗せる。
ジェーンは身ごもっていたのである。それはテイラー子爵家にとっても待望の子であった。
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