23孤立
周りが敵と無関心のひとばかり。クーパーは命を狙われるかもしれない恐怖で怯えます。
作中に出てくる「四盗賊の酢」は実際よく売れたようです。いまならエビデンスがない、って言われるかもしれませんね。
謀反の罪で4人を捕え、ジャマイカ海軍駐屯地へ身柄を引き渡したゴブリン号のジョンソン艦長。もちろん、4人がその後どうなったか知る由もない。ジョンソン艦長は今や部下のスミス少尉によって操られている状態である。
他国の領地へ入り込んでジャコバイトの拠点をたたくという、一歩間違えたら戦争を吹っかけたように思われてしまうこの命令に重圧を感じていたジョンソン艦長は、その心の弱さから発作を引き起こすようになっていた。命令を失敗したときのことを考えただけで胸が苦しくなり、呼吸しづらくなってしまう。そして体は自由を失い、意に反して体を硬直させてしまうのだ。このような状況を誰かに見られたら艦長として相応しくないとされ、その職から降ろされるだろう。もしかしたらそれはそれで良いのかもしれないが、彼は艦長を夢見て今まで真面目に失敗することなく物事をやり通してきたので、それが無駄になってしまうことや、艦長を降ろされる不名誉を避けたかった。命令を遂行することで優しいジョンソン艦長という不名誉な通り名を捨ててしまいたかった。この命令を無事に遂行したら引退し、名誉の艦長のまま皆から一目置かれるようになる、そんな人生設計をもっていた。
それはゴブリン号の艦長職に就いて間もなくのことだ。士官たちと甲板で乗員たちの動きを見ていたジョンソン艦長は、なぜゴブリン号に砲などの艤装がないのか不安を抱えていた。これは隠密に何かやるということだろうか。そうだとしてもいざというときに何でたちむかえというのだろうか。それを考えただけで彼の緊張が増してきた。
「うっ!……」
足元から違和感が襲ってきた。しびれのようなこの違和感は体を重く感じさせる。彼は手足の可動を試みるが、まるで糸の切れた操り人形のようになってしまう。以前から小さな体の異変を感じることがあったが、こんな大きな発作は初めてだ。
艦長の異変に誰よりも早く気付いたスミス少尉は彼をかばうとそのままその場へ座らせる。
「艦長、何か薬をお持ちですか」
スミス少尉の問いに首を振るジョンソン艦長。彼は発作を大きく考えていなかったのと、病気が露見して使い物にならない艦長とみられるのが嫌であえて発作のことを黙っていた。
「……大丈夫です。私は艦長をお守りします。良い薬をもっていますからそれを飲んでください」
そう言ってスミス少尉は艦長をかばったまま立ち上がり、心配そうに見ているフレッド他の士官たちにこう告げる。
「艦長は昨夜寝付かれなかったとのことです。相当お疲れのようだから私が艦長室へお連れします」
スミス少尉の言葉に誰も反論をしない。疲れているのなら少し休んだら良いと考えるのは自然なことだからだ。
執務用の椅子へ深く座らせたスミス少尉は胸元からある包みを彼に手渡した。
「この薬がよく効きます。私の家は薬を調合することを生業としていました。フランスのトゥーロンでペストが流行ったとき、感染することなく略奪を繰り返していた4人の盗賊が捕らえられた際、処刑から逃れるために感染から身を守る薬として薬の処方をあかしました。結局4人が絞首刑にとなったのはご存じの通りです。私の先祖はフランスで薬の調合を学んでおり、ペストから身を守る『防毒酢』を知ることができたのです。それらの知識を持ちかえり、私の家は薬の調合で生計をたてておりましたが、縁あって私はここへきているのです」
マルセイユで大流行しているペストだが、1628年から31年にかけてトゥーロンでも大流行しており、そこには略奪を繰り返しながらも感染しなかった4人の盗賊がいた。まるで英雄の様に見る者もあらわれたほどその薬は期待されていたが、ハーブを中心にした防毒酢は、本当は効果がないにもかかわらず売れていた。例え薬の効果がなく、その人が亡くなったとしても、運が悪かったと言えた。
ジョンソン艦長に寄り添う姿はまるで息子の姿そのものだ。
「そうか……そんな貴重な薬をこの私に?それは本当に有難い。このお礼をきっとさせてもらうよ」
スミス少尉から薬を受け取ったジョンソン艦長は水で流し込んだ。
少し苦みのある薬だが、即効のようで、先ほどまでのジョンソン艦長の動悸や息切れなど嘘のようにひいていく。
「汗を拭きますね」
スミス少尉は自分のハンカチをだすとジョンソン艦長の額の汗をぬぐう。
「……ありがとう。なんとかいけそうだ。この薬は初めてだ。このような薬があるとは思ってもみなかったよ。本当にありがとう、スミス君」
呼吸が整い、体が軽くなっていることに驚くジョンソン艦長。
「私は艦長のおそばへいるようにします。艦長の健康について私から外部に話すことはありません。もちろん船医にも話さないようにします。でないと我が家の生業にかかわりますから」
スミス少尉が言うと艦長は何度も頷いて答えた。この日を境にジョンソン艦長とスミス少尉の奇妙な信頼感系が続くことになった。
海賊共和国の瓦解とともにジャコバイト派は動きを見せている。スペイン継承戦争で継承問題に他国の干渉を受けたスペインが1718年にシチリア島へ上陸したことにより、イギリス、フランス、オランダ、オーストリアが同盟を結び(四国同盟)欧州は再び戦争下に入っている。1719年、スコットランドのジャコバイト派はそのスペインと手を結び、アイリーン・ドナン城を拠点にジャコバイト派と政府軍が戦ったが、戦いは政府軍優位で終わりジャコバイト派の大敗で終わっていた。(ジャコバイト蜂起)
スペイン継承戦争でスペインの国力は衰え、干渉していたフランスはイギリス王位請求者ジェームズ・フランシス・エドワード・スチュアートの擁護から追放へ立場を変え、イギリス政府と手を組んだ。追放されたジェームズ・スチュアートはイタリアのローマで教皇の庇護下にある。
そのような状況にあってもジャコバイト派は多くの力を失いながらも反撃の機会を伺っていた。
ジョンソン艦長の焦りと不安は確実に彼の健康を害し、それに加えてスミス少尉の行いが拍車をかけていく。
「スミス、スミス君……」
その日、朝起きぬけに強い発作が起きたジョンソン艦長。いつもより目覚めも悪い。
そんな艦長の元へ慌てて駆け寄ってくるスミス少尉。誰よりも先に駆けつけるスミス少尉の姿に他の乗員たちは慣れてしまい、慣れた光景として日常化している。スミス少尉は艦長のお気に入り、そんな空気が漂っていた。ただひとりを除いて……。
(ゴブリン号には魔物がいる……ハル船医の伝えたかったことはスミス少尉が何か企んでいるということか?)
クーパー少尉は極力彼の視線から遠ざかっていた。体中からスミス少尉への警戒心がわき上がっている。信頼のおけるフレッドをはじめ4人はジャマイカ送りとなっており、恐らく処罰は軽くないだろう。そのまま処刑となってしまう可能性もある。この様子の一部始終を見ていた乗員たちは無関係を装っており、クーパーの思いを共有できる味方はいない。クーパーはゴブリン号で孤立していた。
士官として全くの無関係を装うことは不可能だ。しかもかつて自分はフレッドとともにスパロウ号へ乗って業務に従事し、置き去りの刑あっては共に生き延びるために知恵を出し合った仲だ。この関係の深さがジョンソン艦長には気に入らないらしい。その分、同じ少尉であってもスミス少尉を重用している。
孤立化し、誰を信用していいかわからなくなり、言葉数が減っていくクーパー少尉。唯一のハル船医はつい先日、卒中を起こして亡くなってしまったが、それの死因にも疑問を抱かざるを得なかった。
「どうしたのですか、具合が悪くなったのでは」
背後から突然声を掛けられる。その声はクーパーの心臓を貫くかのようだった。
「……スミス少尉……」
青白い顔で振り返るとそこにはスミス少尉がおり、冷ややかな目でクーパーを見つめていた。
「い、いや……大丈夫です。船酔いを起こしそうなだけです。心配してもらってすまないことです」
そう言って慌てて口を手で押さえ、右舷にもたれて吐くそぶりをする。
「ああ、それなら良いのですが。もし具合が悪いようでしたら相談してください。船医不在となった今、艦長は乗員たちの健康状態を気にしておられますから」
ゆっくりと振り返るとスミス少尉の口角が少し上がっているように見えた。それはクーパー少尉の心に恐怖心を植え付けることになった。
「4人の士官と船医がいなくなり、この船は非常事態とみていいでしょう。任務遂行にあたり、あなたまで何かあればいけませんからね。くれぐれも深堀しないように言っておきますよ。まだ我々は任務の1幕目です。あなたも最後まで演じたいでしょう?そう、生きて国へ帰りたいと思うのは皆同じですから」
スミス少尉の言葉がクーパーの体をロープの様に絡みついていく。返す言葉もなく、黙ったままのクーパー少尉を見て再びスミス少尉は口角を上げ、その場を後にする。
そんなクーパーの脳裏に何度もハル船医のことばが繰り返された。
――ゴブリン号には魔物がいる――。
もしかしたらすでに自分は狙われているのかもしれない。それでも問題を深堀せず、我関係なしという立場でいたら何ごともなく終わるのかもしれない。しかしそれでいいのだろうか。少なくともフレッドをはじめ、グリーン副長(テイラー子爵)やエヴァンズ艦長は生き延びるために考え続けた。状況が違うとすれば、自分は孤立しているということである。
(スチーブンソン中尉、あなたならこんなとき、どうなさいますか。私は今ひとりで戦おうとしています。力になってくれるのならどんな神だって祈ります。魔物がゴブリン号を沈めることがないように、どうか力を貸してください)
手を握り締め、どうにか力を振り絞るクーパー少尉。
ゴブリン号は拠点とされるフランスの海岸にある町へ向かっている。その事実はジョンソン艦長の発作の頻度を増やし、薬の量が少しずつ増えていった。
その夜もすでに聞き飽きた言葉が艦長室から聞こえる。
「スミス、スミス君!早く来てくれ」
「私はここにいます。いま向かいます」
クーパー以外このやり取りを風の音のごとく聞き流している。これがゴブリン号の日常だった。
最後までお読みいただきありがとうございました。
ご意見ご感想ツッコミお待ちしております。




