21用無し
夏の暑い日のビールはたまらなく美味しいらしいですが(私は酒を飲めないのでなく飲まない)またやっちゃいましたね。本編じゃマリサもやっちゃってます。
コーヒーにしておけば良かったのに。
ル・アーブル港でジェーン号から降り、一路パリを目指しているデュマ一座。旅の疲れを見せることなく時折町の辻で短い寸劇をして市民を喜ばせている。彼らはとても機嫌がよかった。なぜならイギリスの貴族や市民たちにフランス演劇を楽しんでもらい、多くの収入を得たからである。
「団長、正直、僕は今回の上演があんなにうまくいくとは思えなかったよ。あの女、マリーは僕たちを捨てて劇団を出ていってしまい、劇団の活動が窮地に立たされた。そこへマリサが同情心からか乗っかかってきて、見事なまでにフランス語のセリフを覚え、役を演じきった。あきらめていた『町人貴族』の上演はマリサが加わったことで可能になった。しかも貴族の結婚式の余興の場でだ。彼らは貴族階級と貴族に憧れる市民の滑稽な演劇を単純に笑ってくれたんだが、あの演劇は貴族階級に対する嘲笑の意味があることを気が付かなかったんだろうかねえ。全く……イギリス人はどうかしている」
一座の馬車の中でデュマよりひとまわり若い男は顔を緩ませている。
「確かにな……マリサが演劇に加わるというのは予想外だったが、結果的にうまくいった。俺は満足しているよ。まあ、駆け落ちしたマリーのことは残念だった……。女優として俺たちについてきていたらそれで良かったのに、全く残念なことだ」
そう言ってデュマは黒いあごひげを撫でた。
デュマ一座に所属していた女優マリーは、イギリスの地へ降りたって間もなく姿を消してしまった。何の前触れもなく突然にいなくなり、団員たちはマリーを探すにも異国の地で異国の言葉を理解しなくてはならず、探すことをためらってしまった。渡航費用や滞在期間の費用、団員たちへの給料がデュマ団長の肩にのしかかり、苦悩する日々だった。
しかし、実はこれはデュマの演技のひとつだったのである。
(お前はいろいろ知りすぎたんだよ、マリー。お前がいなくなっても演目を変えればいいことだったが、幸いなことにお節介なマリサという女が手助けをしてくれて、『町人貴族』を上演することができた。しかもマリサに縁がある貴族相手だ。マリー、女はな、余計なことに口をださないほうがかわいらしいってもんなんだぜ。そこを理解しなかったというのがお前の不幸だったな)
デュマはマリーがいなくなった原因の張本人だったのである。もちろん団員たちはこのことを知らず、本当に駆け落ちしてしまったと思っている。
「さあて、今日も稼がせてもらうとするか。マルセイユはペストで死の町と化しているらしいからな。その分、市民や貴族を楽しませてやろうぜ。マリーの代わりの女優なんざ、女をその気にさせりゃいくらでもみつかるさ」
「団長、探すんなら金髪の女にしてくれ。マリサみたいにぞくっとするような雰囲気の漂う女がいいんだ」
団員たちは口々に自分の好みをデュマに言う。演技がどうのこうのということは関係ないらしい。
そんな冗談を言いながら彼らは荷物を広げながら寸劇の準備に取り掛かっていく。
同じフランスの空の下、小さな漁港では漁師たちが生活のために漁へ出かけている。彼らはその日の天候と波が漁にとって最適であるように祈りながら、その日その日の稼ぎを得ていた。
晴れているものの、気温が前日よりも下がっている。秋が深まる日々、これからも天候が変わっていくだろう。
港から離れてた場所にある小さな製粉工場では、製粉を頼まれた小麦の袋がいくつか積まれている。夏に収穫されたものがついこの間入ったばかりだ。
「いい塩梅に小麦が入ってくる。俺たちの本当の仕事を知らない村の連中は幸せ者だ。そう思わないか、ヘンリエッタ」
製粉工場の経営者でもあるフィリップは、これを表の顔としている。裏の顔はフランスで密かに活動しているジャコバイト派である。
「幸せなんて誰にも分らないものよ、フィリップ。因みに私の幸せはオルソンが消えてなくなること。そのために今日まで生き抜いてきたんだから。あの男は私から幸せを奪った張本人なのよ。正直言って私はイギリス国王が誰であっても関係ない。ジャコバイト派もさして興味はない。オルソンを破滅へ追いやって私が奪われた悲しみと苦しみを彼に味わってもらえたらそれでいい」
ヘンリエッタの顔はいつになく無表情だ。それは諦めではなくわき上がってくる感情を押さえた見えざる炎で隠された表情だ。
「まあ、目的と結果が同じであれば経過を問わないよ。この計画が上手くいくように祈っておこうぜ」
自分達がやろうとしていることは反逆である。失敗すれば身の破滅だろう。それでも自分たちの信念を曲げることを選ばなかったフィリップとその仲間たちは勝負に出ようとしている。
ジャコバイト派はスチュアート家の流れを組むジェームズ・スチュアートを国王にと望む一派であり、これまでにもイギリス国内において反乱を起こしていたが、成功しなかった。スチュアート王朝最後の君主であったアン女王は17回妊娠するも、流産や死産を繰り返し、なんとか育った子どもも夭逝したり大人になることなく死亡したりしている。そのため、1701年に王位継承法が議会で制定されており、これは王位を継承するものはスチュアート家の血を引くソフィアとその子孫のみとすることを定めたものだった。アン女王が崩御し、ソフィアも亡くなったためスチュアート王朝は途絶え、アン女王の又従兄にあたるハノーヴァー選帝侯ゲオルク・ルートヴィッヒが国王として迎えられた。
ルイ14世の庇護下にあったジェームズ・スチュアートはスチュアート家の血を引いていたが、カトリック教徒だったため王位継承からはずれ、『老僭王(王位を請求するもの)』と呼ばれるようになった。アン女王戦争後のユトレヒト講和条約によりジェームズ・スチュアートはルイ14世の庇護を失い、ルイ14世の崩御もあいまって追放の身となった。ジェームズ・スチュアートがカトリックからプロテスタントへ改宗すれば国王の道も開けていたかもしれないが、彼はそれを選ばなかった。追放されたのちはカトリックの総本山ともいえるローマでローマ教皇の庇護を受け、年金をもらいながら機会を伺っているのである。
イギリスではこれまでにも海賊たちを利用して資金や戦力を得ようとした者もいる。ジャコバイトの海賊として海賊共和国の巨頭のひとりヘンリー・ジェニングスがそうであったし、その配下である海賊チャールズ・ヴェインもジャコバイト派とつながっていた。
しかしジェニングスは時代を先読みし、自身の保身の観点から投降して恩赦を受け、海賊をやりとおしたヴェインは世間に悪態を吐いた挙句吊るされた。
海賊共和国が終焉を迎えたようにジャコバイト派の反乱も成功せずなかなかジェームズ・スチュアートの思いは進展しない。
「本当ならこんなやり方を選びたくなかった。しかし現実をみると俺たちと志を同じくした者が減っていることをは否めない状況だ。イングランド国教会徒のオルソンの力を借りるなんて恥でしかないが背に腹は代えられん。早くオルソンが作ったお宝を使って世の中を変えてやろうぜ」
フィリップは労働者たちに製粉を指示すると事務所として使っている裏手の小さな建物ヘンリエッタとともに入っていく。
妻帯していなかったフィリップは製粉業務を献身的にこなし、頼まれれば売買も行っているといった、はた目から見ると人の良い人物とみられている。町では住民が味方であり、真面目にやっていれば誰からも目を付けられることはない。そのため町を離れても商用で離れていると思われており、事実、これまでにも商用でムエット号を利用してオルソン拉致の疑惑を隠していた。
「オルソン、なかなかその気にならなかったお前がここまで協力するとは……お前のご婦人はさぞかし美人で社交界の花だろうよ。ヘンリエッタが刺客を送るといっていたのがわかるようだ。きっとこの世から花が散るのは美しいだろうねえ」
毒物精製の疲労で椅子にもたれているオルソンに満足そうな顔をしたフィリップが声をかける。
「あら、フィリップはご存じないの?オルソン夫人はとっくの昔に亡くなっているのよ。それも……突然の病で眠ったように亡くなったらしいの。本当に美しい方だったので当時は社交界でも話題になったほどよ」
そう言ってヘンリエッタはクスっと笑う。それは彼女が何かに気付いている、或いは知っているというような表情だ。
「これでお前たちの用は済んだはずだろう?言われた通りの物を言われた数だけつくってある。ここまでつくれば我が家に伝わっているあの毒について書かれた本や私も必要ないだろう。これらを使ってどうするかはお前たちの自由だ。さあ、あの本を返してくれ」
オルソンは連日の毒物の精製で緊張が抜けず、夜間、眠ることもままならなかった。それもそのはず、オルソンの裏切りを恐れたヘンリエッタは仲間に命じてオルソンの睡眠時間を短くし、眠ろうものなら暴力で目覚めさせてきたのである。
捕らわれの身となっているオルソンの姿はもはや貴族の顔ではなかった。いたるところに傷があり、ぼさぼさの髪に延びた髭、相手を捕らえては放さなかったその眼差しから光が消えてようやく息をしているような感じであった。
「ふふっ……なんて無様な姿なんでしょう。貴方のおかげで私たちの計画は上手くいきそうよ。お礼を言うわ。返すといっても家まで歩いて帰らせるわけにいかないからイギリスへ向かう船まで送って差し上げるわよ。船賃のことを心配しなくても大丈夫。ただし、私たちのことは秘密よ」
そう言ってヘンリエッタは無邪気に笑う。
家というのはオルソンの家のことである。着の身着のまま拉致されたオルソンは血と汗で汚れた服を着ており、当然武器となるようなものを持ち合わせていない。貴族の面影など全くないのである。
「オルソン家に伝わるこの本……どれだけの人を亡き者にしてきたのでしょう……。いいわよ、私たちの要件は済んだのだから返して差し上げましょう。この忌々しい本のために苦しんだ人々がいるのを忘れてほしくないものだけどね」
ヘンリエッタはオルソン家に伝わっていた毒の精製本をオルソンに手渡す。
この本はオルソン家の庭師、ジョナサンをヘンリエッタがたぶらかして取り上げた本だった。しかし実はこの本はヘンリエッタの様に秘密を探ろうとしている者へのダミー本であった。内容はラテン語とギリシャ文字が組み合わさっており、解読できないものである。オルソンはわざと騙されたふりをしてこの本を見ながら毒の精製をしていた。なぜなら経験豊富なオルソンはすでに精製をいくつか記憶しており、本を必要としなかったのである。
「さあ、馬車に乗りなさい。船賃も持たせるわ。あとはあなたがここへいた証拠を消すだけ。いいこと?国へ帰っても私たちのことは胸に納めるように。ジャコバイト派を舐めたら後悔するわよ。私たちはいつでも貴方たちを見ている。刺客なんて出さなくても市民に紛れているのを思い知ることになるでしょう」
そういうヘンリエッタのそばでフィリップが仕事で使っていた荷馬車へオルソンを誘う。重い体を何とか動かしながら何とか座り込んだオルソン。荷台にはワイン樽が積まれている。このまま船へ乗せて出荷するのだろう。
「世話になったな、オルソン。もうここへ戻ってくるんじゃねえぞ。ここは貴族嫌いの連中ばかりだ。正直言ってあんたがいつか仲間に殺されるんじゃないかと冷や冷やしていたんだ。計画が成功したらジェームズ・スチュアート様に重用していただけるだろう。我々も市民の力で新たな国を作るんだ。あんたの毒は必ず成功へ導いてくれるだろう。本当に世話になった。あんたのことは忘れねえよ」
そう言ってフィリップは船賃他と当面の費用が入った袋を持たせる。市民からお金を恵んでもらう貴族の姿はなんとも惨めである。もちろんこれはフィリップの思惑通りのことだ。
「最後に……他を滅ぼす毒は自らも滅ぼす……この言葉を覚えておくがいい。ある植物は根から毒の成分を輩出し、他の植物の成長を妨げ、同じ植物がはびこる。しかし年月が経つと自らの毒にやられて成長できなくなってしまい、駆逐される。お前たちも気を付けるがいい」
オルソンはやっとの思いでそう言うと荷台にもたれかかった。
冷たい秋の風が頬をくすぐる。ようやく国へ帰れるのだ。
「丁重な助言、ありがとうよ。じゃ、元気でな」
フィリップは手下に手綱を委ねるとオルソンに別れを告げる。
ワインの酒樽とオルソンをのせてゆっくりと走り出す荷馬車。
ヘンリエッタとフィリップはそれが小さくなるまで見送っている。
「全くどこまであの男は愚かなのかしら。もう二度と会うことはないオルソン、お疲れ様」
嘲笑するヘンリエッタのつぶやきはオルソンの耳には届かない。
酒樽とオルソンを積んだ荷馬車は一路ルアーブルを目指す。小さな漁港には荷をたくさん積めるような船が入らない。いや、理由は他にもあった。
「間に合わないとは思わないが、念のために近道を通っていく。少々道路状況が悪いけど我慢してくれ」
フィリップたちの手下である男は時折荷の様子を見ながら小さな道路をいくつも通っていく。整備されてないような悪路もあり、走るたびにオルソンの体に振動が伝わった。近道とされる小高い丘をのぼっていく荷馬車。
オルソンは拉致されて以来、ジェームズ・スチュアート氏に会うためローマへ行った以外に自由な環境はなかった。ようやく解放されたものの、オルソンは彼らの様子からある結末を考えねばならなかった。それはオルソンが当事者だとしても行うであろう結末である。そしてそれは確実なものとなっていく。
「やべえ、車輪に何か引っかかっているようだ」
男は手綱を引き、馬車を慌てて停める。悪路で車輪軸に何か異変でもおきたのだろうか。
「オルソンもみてくれ。俺は反対側の車輪をみてくる」
男に言われてオルソンは荷台から降り、車輪軸を確かめるが何もないようだ。
「こちらは異変個所がない。そっちはどうだ」
「ああ、済まねえ、オルソン。異変はこっちだったようだ。車輪軸に長い丈の草が巻き込んでいた。そいつはとったからもう大丈夫だぜ」
そう言って男は酒樽からコップにワインを注ぐとオルソンに差し出しす。
「おいおい、これは売り物だろう?」
「心配すんな、いつものことなんだ。フィリップはこれくらい目をつぶってくれているし、これは手間賃の一部だよ。今年のワインの出来は上々だから楽しみな」
のどの渇きを覚えていたオルソンは、男が差し出したワインを受け取り、口にする。男はもう一杯の自分用のワインを入れつつある。
芳醇なワインの香りがオルソンの口の中に広がる。しかしオルソンは香りの中にあるものを感じていた。
(なるほど……こういうことか)
脱力してワインが残っているコップを落とし、そのまま倒れ込むオルソン。次第に体が痺れていくのがわかる。
「悪く思うなよ、オルソン。俺だってこんな真似はしたくねえんだ。できれば一緒に戦いたかったよ。じゃあな」
男の声が聞こえたがそのまま意識を失っていった。
オルソンが持ったコップには毒が仕込まれていた。オルソンはワインの風味の違いからそれを自覚していたが、あえて飲んだのである。
「全く……自分が作った毒にやられるなんて因果な話だ。あのヘンリエッタは美人で俺好みだが、あんまりかかわりたくねえな」
男はオルソンの体を藪の中へ投げるように捨てるとそのまま本来の港へ続く公道に戻っていく。
湿った風がさわさわと音をたてて藪や枯れた草むらを吹きぬける。そんな藪の中でうずもれるかのように横たわったオルソンの体に雨がひとつぶふたつぶ落ちていった。
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