2疑惑
毒の守り人であるオルソン家の秘密は本来嫡子しか引き継げないものだった。それがどういうわけか亡くなったアイザック、ルークも知り得ていた。アーティガル号編で未解決だった事案はオルソンを追い込んでいく。イライザは毒を飲まされており、疑心暗鬼になるマリサ。それは戦いの始まりに過ぎなかった。
広間へ入ったオルソンとマリサ。ジョシュアはエリカのハープシコード演奏にあわせてバイオリンを弾いていた。響き渡るふたりの演奏。何もなくば思い切り堪能できるだろう。だが、いまマリサたちがここへ居るのはそのためではない。なによりもイライザの異変のことだ。イライザの急病と何か関係があるのか、あるとすればあの事しかない。
「領主様、何を隠しておいでです?」
マリサは演奏の音に隠れるような小声で尋ねた。
毒の守り人として王室の安泰のために様々な政敵を密かに葬ってきたオルソン家の歴史。それを知るものは息子たちと執事トーマス、庭師ジョナサンぐらいだ。
「医者はイライザが卒中を起こしたのだろうと言っている。その診断でみんな納得して心配しているようだが、私とアーネストの考えではイライザが毒を盛られたとみているのだ。今回、医師の薬で命を取り留めたと皆には言っているが、実は解毒を用いている。私たちは毒の守り人として解毒の薬も知っている。ただ、全ての毒物に対応できるかと言えばそうでもない。イライザが盛られた毒は幸いにも致死量に達せず、解毒も可能なものだった。なぜならこの屋敷にある毒物だったからだ」
オルソンはそう言ってしばらく沈黙をすると重い口を開く。
「……誰かがこの家の秘密を知っている……それだけではなく長子しか引き継がないこの秘密をなぜルークとアイザックは知りえたのか。このことについてアイザックは何も語らず亡くなってしまった。ルークも結果的に遊学によって私が知っている以上の知識を得ているがこのことについてまだ話をしていない。私はそれ以上のことを二人に問いかけることはしなかった。二人に秘密を洩らしたその誰かはこの屋敷にいる可能性が高いからだ」
そう言ってオルソンは声を潜める。アーティガル号の一件で息子二人とともに行動をするはめになったオルソン。(アーティガル号編14話 密航者と人質、19話 シャーロットの企み、23話 ポートロイヤルへ)その行動の裏で常にどうやってルークとアイザックは秘密を知ったのか気になっていた。聞くことができなかったのは問い詰める状況下に無かったからだ。
オルソンの言葉に驚愕するマリサ。再びエリカたちの演奏だけが響く大広間。
「イライザは我々に何か教えようとしていたのかも知れない。マリサ、こうなってはトーマスやジョナサンも疑わねばならないだろう。……毒の守り人の教えをお前も全てではないが継承している。使用人たちの中に入って調査に協力してくれないか」
「……お気持ちはわかりますが、お義母さんは急に私がいなくなれば心配をするでしょう。領主様からお義母さんへ書面を書いていただけないでしょうか。お義母さんは文字の読み書きができます」
以前のマリサならこのような依頼にすぐ応えていたが、今のマリサには家庭がある。ジェニングス一味にハリエットとエリカを拉致されたときにあれほどまでに家族を守ることを痛感したのではないか。
もちろんそれがわからないオルソンでもなかった。オルソンは少し頷き、早速マリサをイライザの看護のためにしばらく屋敷へ残らせることを書面に書き表した。そして早馬を手配し、多めの報酬を持たせてロンドンへ向かわせた。それを無言で姿が見えなくなるまで見送ると、再び口を開いた。
「……時間がないかもしれない。オルソン家の秘密が公になれば我々はおしまいだ。恐らく取りつぶしになるだろう」
毒の守り人などそんな汚れ仕事をやる貴族がどこにいるだろうか。もしかしたらオルソン家はその見返りに貴族となったのかもしれないが、そのようなことは語られていない。はっきりしているのは、これがあからさまになればオルソン家がなくなるかもしれないという危惧だ。
「あたしは領主様に貴族の立ち振る舞いや教養、イライザ母さんやメアリーさんからは使用人として生きる力を教わってきました。領主様には育てていただいた恩義があります。貴族のたしなみ(オルソンがマリサに教えた毒の知識)を教わったお陰で”光の船”のガルシア総督を葬り、仲間を救出することができました。そのご恩に応えねばならないと思っています」
マリサがそう言ってオルソンに手を差し伸べるとオルソンは深く頷いた。船上では海賊の頭目と砲手長という間柄だが、これまでにいくつもの戦いの中で互いに協力をし敵を殲滅してきた。その関係は陸に上がってもつづいている。
「マリサ、イライザは何かを見たのかもしれない。解毒が効けばイライザはやがて目覚める。そうなれば毒の秘密を洩らした誰かは再び命を狙おうとするだろう。……イライザを守れ」
オルソンがマリサを呼び寄せたのもその理由があった。
(オルソン家の秘密を知るものはオルソンのほかに嫡子アーネスト、庭師ジョナサン、執事のトーマス、そしてあたしだ。ルークとアイザックはどのような経過で秘密を知り得たのか。アイザックは特にそれをひけらかすことはないまま亡くなったし、ルークは遊学によって自分なりに知識を得たのだから毒のことを専門にやるわけではなくなった。アーネスト様とオルソンの話によればイライザ母さんが倒れたのは毒によるものではないかと。その証拠に解毒が効いているが、まだイライザ母さんは目覚めないでいる。……何か大きなものが動こうとしている気がする……)
この不安感は海賊のころにはなかった。あの頃は人の心を読むよりも天候や戦いの流れを読んでいたような気がした。しかし今は違う。誰もが敵に思えて疑心暗鬼になっている。こんな場所へエリカを連れてきたのは間違いだったと今更に思う。これ以上血の争いにエリカを巻き込みたくないとマリサは自分の浅はかな思慮を後悔していた。
そしてオルソンはマリサに不安要素をさらに話す。
「総督の屋敷でアイザックが海賊を銃殺するのに関与したエリカの記憶はいつまでも催眠で隠せるものでない。いつの日かそれ以上のことが起きると催眠は解けて忘れさせていた記憶が一気に蘇るだろう。それを忘れるな」
オルソンの言葉にマリサは驚愕する。エリカにかけられた魔法はこのまま続くと思っていた。魔法はおとぎ話に過ぎないものなのか。催眠によって忌まわしい記憶を音楽の記憶として変えられているエリカ。はたして魔法がとけたらエリカの心は耐えられるのか。
「承知しました……心しておきます。ではイライザ母さんを守るためここへ残ります。そして使用人の動きから秘密を洩らしたものの手がかりを見つけます」
「助かるよ。イライザはあと少しで目覚めるはずだ。そうなったらイライザは私とアーネストの目が行き届く部屋で休ませる。その方がお前も動きやすいだろう」
オルソンは音楽のレッスンに勤しむジョシュアとエリカを残し、マリサとともにイライザの元へ向かう。
イライザが眠っている使用人たちの部屋では領主の息子アーネストが張り付いている。この状況に使用人たちは緊張して余分なおしゃべりをしなかった。使用人たちはマリサが子どものころに比べ歳をとったり亡くなったりで半数ほど入れ替わっている。それでも使用人頭のメアリーはまだ現役でこの屋敷を仕切っており、イライザを信頼して共に働いていた。メアリーはマリサを見かけるたび、いつも笑顔で迎えており、エリカの成長を喜んでくれていた。それはマリサが子どもながらも使用人として働いた過去があり、真面目な働きぶりを評価していたのである。
「イライザは当分の間働くことはできないだろう。イライザの世話はマリサにさせるからお前たちは変わりなく働くように。すでにマリサを知っている者も知らない者もいるだろうが、よろしく頼む」
オルソンは使用人たちの前でこう言うとマリサを使用人頭のメアリーに託した。メアリーは長年共に働いてきたイライザを心配しており、マリサの気持ちがわからないでもなかった。
「イライザのことは私たちも心配しているのよ。気持ちは一緒よ」
小声でマリサに言うと見まもる使用人たちに言いつける。
「さあさあ、仕事を始めるわよ」
歳をとったが声にまだ張りがあり、見た目も若々しいメアリー。使用人頭としていつも小ぎれいにしている。
マリサも着替えるためにメアリーの後をついていくが、その際、とても若くて美しい金髪の使用人を見かける。髪にはウエーブがかかっており、色白で華奢な体つきをしている。
「初めましてマリサ。私はヘンリエッタ。ここへきてまだ1か月なの。使用人経験のあるあなたのほうが詳しそうだからいろいろ教えて頂戴ね」
ヘンリエッタはマリサから見てもとても気品がある顔立ちだ。
「こちらこそお世話になります。よろしくヘンリエッタ」
ヘンリエッタはどこかあの女、ジェーン・ブラントに似ていた。ジェーン・ブラントは貴族の娘で高圧的な女だったが、マリサは身分もわきまえず彼女を投げ飛ばしている(本編15話:マリサ・沸騰する)。
(まあ、あまり親しくしない方が互いのためだろう。ともあれ、仕事をするまでだ)
今のマリサには新入りの使用人さえ疑念の対象だ。
その後メアリーとともに洗濯をしているとアーネストが小走りにやってきた。ずいぶんと慌てている。
「イライザが目覚めた……すぐきてほしい」
この言葉にメアリーも行こうとしたが、アーネストは引き留め、使用人たちが勝手に動かないよう仕事を言いつけておけと命じた。残念そうなメアリーを残し、マリサはアーネストとともにイライザが休んでいる部屋へ急ぐ。
最後までお読みいただきありがとうございました。相変らずゆっくりペースですがよろしくお願いします。
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