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19ゴブリン号に潜む魔物

魔物が動き始めます。当時は本気で海に魔物がいるを信じられていた時代。いやいや、魔物は陸にもいるだろうし、化け物とは限らない。

人の心が一番魔物なんじゃないかと思える今日この頃。

 ジャマイカの海軍司令部へ拘束した4人を降ろしたゴブリン号は、艦長の持つ不安要素がなくなって順調に任務遂行へ向けて航海をしているものの、士気が高いとは言えなかった。なぜなら乗員たちはいつ自分たちが謀反の疑いをかけられるか怯えており、声を出しても伝達事項だけで、その表情はまるで葬儀に参列するかのようだった。ゴブリン号は風や波音など自然の音以外は聞こえないと言ったほうが適切だった。

 ジョンソン艦長を追い込み、苦しめたもの。それは艤装のない船でジャコバイト派の隠れた拠点を壊滅させることである。一歩間違えればフランスへ戦争を仕掛けたとみられてしまう恐れがあったため、その重荷がジョンソン艦長の方に乗りかかっていた。


(これが海軍でなく民間であったなら話も別だが、この船でどう動いてよいものか。ジャコバイト派がフランスとつながっているとすれば、まともに上陸したところで警戒されるだろう。密かに上陸するしかないのか)


 甲板で部下たちの業務を見ながら考え事をするジョンソン艦長。今まで大きな成果を上げることはなく地道に小さな任務をこなしてきた。艦長という職も、ある艦長が退任するにあたって真面目な働きぶりを評価してくれたから得た地位だ。彼の推薦がなければこの地位はあり得なかった。実践不足と言われればそれまでである。なんとか今回の任務を遂行し、少しは名を挙げて退任したい。名誉のうちに退任することで自分を守りたかった。


(この船では上陸できない……ボートで密かに上陸するのか……それも士官が4人も抜けたとなると、大規模な作戦はできないだろう。あの反逆者たちのおかげで任務に支障をきたしているのだ。この問題はすべてあの反逆者たちが引き起こしたのだ……私を貶めようとして……)


 そう考えただけで体中に汗が吹き上がってきた。体のほてりを感じ、呼吸が荒くなる。


 ハア、ハア……。


 立っているのも辛くなり、マストにもたれかかった。

「大丈夫ですか、艦長。いつからこのようなことに」

 このところの艦長の言動から様子がおかしいことに気付いていたハル船医は、発作を目の当たりにして驚き、艦長に寄り添った。

「君じゃだめだ……スミス、スミス君。スミス君はどこだ!」

 そのまま座り込みハル船医の手を払いのける。

「艦長、体を休めましょう。私はここにいます」

 艦長の叫ぶように自分を呼ぶ声を聴いて駆けつけるスミス少尉。実は彼は艦長の発作を見越して常に近くに待機していた。艦長がスミスを唯一信頼していることを知っているからである。

 スミスはジョンソン艦長の手を肩に回すと艦長室へ誘導する。ハル船医は初めて見たジョンソン艦長の発作に医師として放っておけず、艦長の誘導を手伝いながら同行した。その間もジョンソン艦長はハアハアと息をするのが辛そうにしている。


(艦長のこのような発作を初めてみたぞ。一体何が彼に起きているんだ……そしてなぜスミス少尉が?彼はこのことを前から知っていたのか)


 自分の知らないところでスミス少尉は艦長の健康状態を把握して対応していたということにハル船医は焦りを感じる。船医として艦長の健康状態を気にかけるのは至極当たり前のことであるが、何か思い違いをしたのか発作の事実を知らなかった。そんな自分をはたから見れば船医として失格だと思ってしまうだろう。


(スミスが知っていたとしても何故私に黙っていたのだろう……私は何かを見落としたのだろうか……)

 

 そう思いつつ艦長室へ運び込まれる艦長の後に続こうとすると、ジョンソン艦長はハル船医が部屋に入るのを拒んだ。わけがわからず困惑するハル船医。

「ご心配なさらなくても結構です。艦長は休まれたら治ります。そばでお仕えしていた私ならわかります」

 スミスはそう言って扉を閉めた。

 艦長の許可もないのに入ることはできず、しかも明らかに発作であるようなのに船医として何もできないハル船医。ここで何もしなかったら自分は何のためにここへいるのかわからなくなってしまう。

「スミス少尉、私は職務を遂行したいだけです。開けてもらえませんか、私は船医です、艦長の健康状態の把握と対策をする必要があります!」

 そう言って呼びかけながら激しくドアをたたく。

「ハル先生、艦長は大丈夫です。私のそばで休まれると落ち着かれます。直に元気になられますよ」

 慌てる様子がないスミス少尉の声。

「では、君は艦長の健康状態を知っていてなぜ私に言わなかった?私は船医としての役目があるのだぞ」

 そう言って何度もドアをたたくハル船医。しかししばらくの間何も応答がなかった。


 ドアの向こうで何が起きているかわからず、ハル船医はそのまま凝視した。ドアの向こうが見えるわけでもないが、何かを見つけたかった。


 しばらくしてドアがゆっくり開かれ、ジョンソン艦長が現れる。さっきまで発作に苦しんでいたとは思えないほど血行が良く、普段と変わらない物腰である。

「騒ぎすぎだぞ、ハル先生。私は見ての通り大丈夫だ。君の出番がないからと言ってスミス君を責めるな。彼は最も信頼している部下、それだけだ」

 ジョンソン艦長の変わりように何が起きたのかとハル船医は言葉を失う。

 驚きを隠せない彼の目の前を何ごともなかったかのように通り過ぎるジョンソン艦長とスミス少尉。

 自分の知らないところで何が起きているのか、船医でありながら関知されていないことに焦りを感じたハル船医は、彼らが出て行ったあと悪い気がしながらもそっと艦長室をのぞいた。


(一体ここで何が……)


 ベッドで暴れた様子はない。ただ、机上にコップが置かれているだけだった。そっと入り、コップを見つめる。水が入っていた形跡があり、かすかに匂いがした。それは水の臭いではなく、匂いを伴っていた何かだ。


(これはまさか……!)


 ハル船医はその匂いの記憶をたどる。この匂いは自分もかつて必要に迫られて使用したことがあるあの薬だ。そしてそれを常用したらどうなるかも覚えている。そのまま彼らの後を追うハル船医。

 しかし甲板上で見かけたジョンソン艦長はいたって普通である。ジョンソン艦長に持病があることは知らされていないし、痛みを伴う怪我があるわけでもない。ハル船医は艦長のそばにいるスミス少尉へ駆け寄り、問い詰めた。

「スミス少尉、一体君は艦長に何をしたのだ。私は知る権利がある!」

 うわずっているハル船医の声。しかしスミス少尉は全く動じることなく言葉をかえす。

「私はなにもしておりませんよ、医者ではありませんから。むしろ船医であるあなたがやるべきことなんでしょう?」

 

 ふたりのやりとりにジョンソン艦長の機嫌が悪くなった。

「ハル先生、君が船医という職務を全うしたいなら、船酔いでぐったりしている者たちの手立てをしたらどうだね。私は見ての通り、どうもない。君に心配される筋合いはない」

 そう言ってジョンソン艦長は先ほどから船酔いで吐いている乗員を指さす。これはいますぐこの場を離れろという、指示だ。

 ここで従わなかったら謀反がどうのこうのと言い出すだろう。仕方なくその場を離れて船酔い者の元へ向かうハル船医。


(何かが、この船で何かが起きようとしている。いや、もう起きているのかもしれない……)


 ハル船医の不安はすでに的中していた。

 4人の士官が審理の為ジャマイカで降ろされるという前代未聞の事態に他の乗員たちもゴブリン号に漂う空気を気付いている。しかし誰も口に出そうとしない。ジョンソン艦長の言動はときとして理解に苦しむことがあるものの、命令とあらばそのように実行しなければならない。彼に意見しようものなら4人の士官の様に何をどう疑われるかわからないからだ。乗員たちは口に出さなくてもゴブリン号に潜む魔物の存在を感じ取っており、常に緊張をしていた。


 

 その日、ゴブリン号はまるでその行方を占うかのように大西洋上をフランス領にあるジャコバイト派の拠点めざして進んでいた。船足は決して速いとは言えない。まるで迷いながら進んでいるかのような動きである。

 わき上がってくる暗色の雲は風にのり、瞬く間に空を覆っていく。波も次第に高くなり船は大きく揺れだした。ゴブリン号は嵐に近づきつつあった。

「嵐に備えるぞ!縮帆!」

 艦長のそばでスミス少尉が声を張り上げる。艦長は頼もしく思ってか微笑んでいるように見えた。自分の代わりに信頼のおける部下が指示を出しているのだ。


 時間とともに波は高くなり、船が大きくローリングする。強風と激しい船の揺れに恐れを抱く間もなく、乗員たちは縮帆をしていく。誰かがそのまま海へ転落しても助けられない状況であった。

「回頭!船首をまわして大波に備えろ!」

 ジョンソン艦長はこのときすでに張りのある大きな声を出せなくなっていた。彼の言葉を受けてスミス少尉が大きく復唱し伝える。風と波の音はあらゆる雑音を消し去っている。


「うっ……」

 先ほどまでなんとか足腰で体を支えて大揺れの甲板上に立っていたジョンソン艦長がふらつき、倒れ込む。スミス少尉はとっさに体を抱えると艦長を船内へ誘った。

「す、すまん……こんなときに」

 苦しそうに息をする艦長。風雨で濡れた体が汗をかいている。

 スミス少尉は無言で艦長を支えながら艦長室の椅子へ案内する。

「もう大丈夫です。すぐにあれをお持ちします」

 そう言って艦長が待ち望んでいるものを用意すると、水ととも艦長の手に持たせた。それを大慌てで口にするジョンソン艦長。


 ハア……ハア……。


 何度か大きく深呼吸をすると深く椅子にもたれた。

「私に何かあれば……君がこの船を指揮してくれ。このところ体がわたしの体ではないように思えるほどこの苦しみがよく起きる。君の薬はよく効くのだが、今となっては君がいないと私は……」

 そう言ってジョンソン艦長は机上の紙にあることを書きとめる。


「何かあればこの書面を皆に周知してくれ」

 ジョンソン艦長はそれをスミス少尉に見せた。

「承知しました。確かに周知いたします」

 スミス少尉は静かに表情を変えることなく答えた。そしてその内容は彼の望むものだった。

 書面は艦長の机の引き出しに入れられる。


 何ごともなくこの儀式は終わるかと思われた。しかしスミス少尉の動きに不信感を持っていたハル船医が艦長室へ入ったふたりの後をつけ、ドアの隙間から一部始終を垣間見ていたのである。


(スミス君……一体君は何を企んでいるのだ……君が魔物か)

 

 スミス少尉は何かとんでもないことを企んでいるようだ。証拠は艦長の机の引き出しに入れられた先ほどの紙らしい。一体何がかかれているのか気になったが、中へ入るわけにいかなかったハル船医はいったんその場を後にする。


 彼の物音は風雨による船の軋み音でかき消されたが、彼が様子を伺いに来るだろうと考えたスミス少尉は、わざとドアの隙間を開けていたのである。


(ごらんいただけたかな、ハル先生……)


 艦長の体は思惑通り、薬でコントロールされるようになっていた。自分が作った台本通りに物事が進んでいき、スミス少尉は満足をしていたのである。


 (邪魔者の士官たちはいずれ処刑されるだろう。あとは……ハル先生とクーパー君か……)


 笑いたい気持ちを必死にこらえ、ハル船医の気配がなくなったドアを見つめる。


「あやつは船医の癖に薬さえ調合できない役立たずだ。4人の士官に加担していることを忘れちゃいかんぞ」

 ジョンソン艦長はまともな判断をすることが難しい状況だったが、それをスミス少尉が隠すように乗員達へ指示を出している。この時点で艦長を支える士官はスミス少尉とクーパー少尉だけになっていた。

「承知しました。お言葉をしかと受け止めておきます。もし彼に謀反あらばいかがいたしますか」

「……これ以上魔物を生かすわけにいかんだろう。証拠があれば処刑だ。ジャマイカへ謀反人を送り込んだのにジャマイカ司令部の奴らは私を非難した無能な奴らだ。だからこちらの判断で始末してしまうべきだ」

「艦長はいつも正しい判断をなさいます。では、そうするといたしましょう」

 スミス少尉は思わず含み笑いをした。



 嵐の甲板上では波風にもまれて何かに捕まっていなければ海へ落ちてしまいそうな状況だ。風の金切り音が響き渡り、それが乗員たちに恐怖心を植え付ける。

 船内では船の揺れに落ち着くことがなく、また厨房の火も使えないことから簡素な固いビスケットをかじるぐらいの食事しかとれず、乗員たちは疲弊していた。

 クーパー少尉も疲労と揺れで船酔いを起こしそうになり、甲板上へ出た。

「なかなか嵐はやみそうもないな……」

 風に体をもっていかれそうになりながら、大きく息をするとまた船内へ戻る。そこへ自分の名を呼ぶ声がした。声のする方向を見るとハル船医が立っており、わざとクーパーに背を向けると小声でこう告げる。

「……この船には魔物がいる。スミス少尉に気をつけろ」

 クーパーは何のことかわからず言葉の意味を聞こうとしたが、ハル船医はすでにどこかへ消えていた。


(ゴブリン号の魔物?)


 確かに4人の士官が謀反の疑いで拘束され、ジャマイカへ送られて以来この船の空気がおかしいと感じることがある。しかし下手に何か言おうものならまた謀反の疑いをかけられてしまう。艦長に何も意見することはできない雰囲気だった。


(ハル船医はその魔物がスミス少尉である可能性を言ったのか)


 ハル船医は何かもっと伝えたかったのだろうが、この状況でふたりだけで話すことは避けなければならず、あの一言だけで終わったのだろう。



 時間は嵐の山を過ぎつつあり、風が弱くなりつつあるが波はなかなかおさまらない。厚い灰色の雲が太陽を隠したまま辺りを暗くしてきたころ、ハル船医は艦長室へ呼ばれた。

「艦長、何か御用でしょうか」

「ここへ来てもらったのは他でもない。いろいろと私のことで心配をかけているようだからな、少し話をしようと思ってのことだ」

 そう言ってジョンソン艦長はハル船医に高価な紅茶を勧めた。紅茶など一般の人間には高価すぎて艦長職にある者でも大概はコーヒーだ。

「とっておきの紅茶だ。香りがいいぞ」

 そう言って香りを楽しむジョンソン艦長を見て、ハル船医はひと口ふた口と飲んでみた。彼にとって人生はじめての紅茶である。それがおいしいのかどうかは比べたことがないのでわからないが、貴族や金持ちが飲んでいることを考えると、自分もその世界にいるような錯覚を覚えた。

「紅茶は初めてなので……ただ、コーヒーよりは気品がありますね」

 ハル船医が緊張しながら飲んでいる姿を見てジョンソン艦長は口角を上げる。

「私のことは心配しないでいいのだよ、ハル先生。幸い乗員たちはとても慎重に仕事をしており、けが人もいない。……まあ、先だってヤードから転落して亡くなったあの男のことは気の毒なことをしたと思っている。事故と言えばそれぐらいだ。ハル先生、この船はいたって平和だよ。君が何を心配しているのかは知る由もないがね……」

 そう言ってハル船医を見つめる。

「艦長、どういう意味でしょうか」

 ハル船医は立ち上がろうとしたがなぜか足元に力が入らず、そのまま倒れ込んでしまった。

「私の目の前で寝るとは失礼な奴だな。もう君には用がない」

 倒れこんだままもがくように手をバタバタするハル船医に艦長が言い放つ。

「か、艦長……」

 ハル船医が手を伸ばしたとき、いきなり背後から目隠しをされる。驚き叫ぼうとしたが、その口にドロドロしたようなものを入れられ、強制的に口を閉ざされた。

「あなたは知りすぎたんです。艦長のことは何も心配いりませんよ。だから安心してください」

 この声はスミス少尉だ。彼はもがいているハル船医を押さえつけている。

 必死に抵抗したハル船医だが、ドロドロしたものをのみこんでしまい、やがて脱力とともに意識が遠くなってきた。

「本日までの勤務、お疲れさまでしたね」

 (かたわ)らでは事のいきさつをみているジョンソン艦長もいる。すでに彼はスミス少尉の傀儡(かいらい)となっていた。

 


 しばらくしてハル船医の水葬が行われた。

「とつぜん倒れて亡くなったらしい。どうやら卒中のようだな……俺たちも気を付けなければいつどうなるかわからないぞ」

 ひそひそと話をしている乗員たち。しかしその声も波風の音でかき消されている。

 卒中という病はアン女王もその病で倒れ、体に麻痺を残して亡くなっていることから、よく知られている病気だった。

「じゃあ、船医がいないまま任務遂行か」

 声に出さなくとも互いに思っていることは伝わってくる。船医がいなくなるのはそれほど心配事でもあった。


 聖書の言葉のあと、まだおさまらない波にもまれるように船から離れていくハル船医の遺体。


(邪魔者は消えるがよい……。あなたは判断を誤ったんだ、ハル先生)


 波間に消えていく遺体を見つめながらスミス少尉はわざと嘆くような表情をして見せた。

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