15思わぬ誤算
世の中ストレスと不安だらけ。心病む人も少なからずいます。神経質なジョンソン艦長も様子がおかしいですね。
病あらばそこにつけ込む輩もいるわけで、ニセ科学ニセ医学をうたった商法が今でもみられます。考えることはみんなおなじだなあ……
拘束している4人の士官の処分の為、任務を後回しにしてジャマイカへ向かっているゴブリン号。
いつしか乗員たちは冗談を言わなくなった。何かおかしいという気があるのにもかかわらず口にすることさえできない状況だった。
その日も言いようのない不安が高まり、椅子に座り込んで頭を抱えるジョンソン艦長は助けを求めるかのようにスミス少尉を呼ぶ。
「スミス君、私の薬を頼む……」
あれから不安の高まりの頻度が増している。自分を苦しめている不安の正体が何かの病気であることには間違いないのに、ハル船医の出す薬は見立てが誤っているのか効かないままである。もっともハル船医はジョンソン艦長が異様に神経質になっていることに気付いているものの、発作を介した苦しみを知らない。ジョンソン艦長はすぐにスミス少尉を呼べるよういつも近くに配置しており、これが『艦長お気に入りのスミス』といわれる所以であった。
ジョンソン艦長は薬を飲むと目をつむり、大きく息をした。
ハア……ハア……。
「謀反人のことでかなりご心労がおありだと思います。ジャマイカはもう目の前ですから、ここで気を休めておきましょう。コーヒーをお持ちします」
スミス少尉は艦長がゆっくり頷くのを確認すると、厨房へ向かった。
(艦長のご心労はかなりのものだ。几帳面で細かなことを気にされる艦長だから、厄介者は排除しておかないと気が済まないのだろう。……あの薬は確かによく効きます……ただ、いつまでも薬があるとは限りませんよ)
薄ら笑いをすると、塩漬け肉をゆでている最中の司厨長にコーヒーを点ててもらう。
「わかっていると思うが、コーヒーは煮るなよ、風味が損なわれる」
「十分承知しております、少尉。それにしても乗員たちが急におとなしくなりましてね、冗談のひとつも言わないので、てっきり食材が腐ってるのではと思っています」
司厨長はコーヒーをカップに入れるとスミス少尉に手渡した。
「まあ、酒がある限り乗員たちから声がなくなることはあるまい。君が飛び切り美味しい料理でもふるまえばまた違う話になるがね」
スミスは点てたばかりのコーヒーが冷めないように小走りで艦長室へ向かう。
甲板ではジャマイカの島影が見え、乗員たちの動きが活発になった。先ほどまで強い不安からくる緊張で座り込んでいたジョンソン艦長も、スミス少尉からもらった薬やコーヒーを飲むことで落ち着きを取り戻すことができ、何ごともなかったかのように甲板へ上がる。
そこには拘束されている4人のことを心配しているハル船医がいた。
「港へ入ったら真っ先にあの愚か者どもを降ろして司令部へ引き渡す。謀反を起こせばどうなるか見せしめをしてやるのだ」
「私はどのように?クーパー少尉も同様ですが」
ハル船医の言うとおり、クーパー少尉はフレッドたちの近くにいたということ、海賊ジェニングスによるスパロウ号鹵獲の際、フレッドとともに巻き込まれていることから海賊とのつながりを疑われていた。そしてハル船医は立場上、必要な人材であった。ふたりとも監視だけで拘束は免れている。
「ふん……君の好きなようにやりたまえ……。君がいなくても医者の代わりはいくらでもいる。クーパー君もスチーブンソン君のそばがいいだろう。厄介者は任務遂行に要らないのだ」
ハル船医は艦長のこの言葉に少々驚いた。本気でそのように言っているのかどうかはわからなかった。返す言葉がなく、黙っているハル船医を残しジョンソン艦長は上陸へ向けて指示を出していった。
ジャマイカ到着の知らせは拘束されている4人にも届く。フレッドは天を仰ぎ、フラフラになりそうな自分の心の動揺を何とかして鎮めようとしている。フォスター中尉、ラッセル少尉、コックス少尉も言葉はないが、不安を隠せないでいた。
「出ろ、ボートへ乗り込むぞ」
海兵隊員たちに銃を突き付けられ、上陸用のボートへ乗り込む4人。彼らは制服をはがされ、シャツとズボンだけである。犯罪者に似つかわしくないというのだろう。4人とも黙ったまま、前を向いていた。おどおどしているのはラッセル少尉である。
犯罪者として縛られ、銃を突き付けられたまま上陸する4人を町の人々も何ごと見つめている。
「海賊じゃなさそうだな……反乱でも起こしたのか……」
「やあ、それはまた楽しみなことだ。人を集めて見せしめとするだろうぜ」
人々は処刑という娯楽を楽しみにしているようだ。
たった一人を除いて……。
(あれは確か……スチーブンソンさん。ってことはマリサの旦那か)
連行されていくフレッドたちを見て驚きの表情をしている男がいた。ノアズアーク号のエズラ船長である。彼は元々海賊だったが国王の恩赦を受けて投降し、以後はノアズアーク号を商船として荷を運んで手下たちを養っていた。投降した夜、マリサが娼館へ乗り込むという事件があった。当時、貴賤結婚による中傷から憔悴していたフレッドは娼館通いをしていて、情報伝達のためにジャマイカへきていたマリサの耳にそれが入ったのである。血相を変えて娼館へ乗り込んだマリサを見てその場に居合わせた客たちは流血事件を期待する者もいたが、結果的にマリサとフレッドは心ひとつにして出てきたのである。エズラは仲間をねぎらうため娼館の一階にある酒場へ居合わせており、この事件を知ることとなった。
エズラ船長は居ても立っても居られなくなり、そのまま後を追うように司令部へ向かう。
フレッドたちはそのまま牢へ入れられた。司令部でも4名の士官がこのようなことで拘束されることに非常に驚いている。特に驚いたのがフレッドの元上司のスパロウ号のエヴァンズ艦長だ。スパロウ号は海賊ジェニングス一味の罠にはまり、スパロウ号を鹵獲され自分たちは置き去りの島に置かれた。その際に負傷した自分を仲間たちが助け、助けが来るまで皆が協力しあって生き延びることができた。そのフレッドが処刑されるようなことをするだろうか。それだけでなく、ゴブリン号は本来の任務があるのにもかかわらず、審理と処刑のためジャマイカへ訪れることを先にやっている。それも本来の任務でフランス近海を航海していたのであればイギリス本国へ戻った方が近いというものだ。
この奇妙なジョンソン艦長の行動を、その場に居合わせた司令部の者たちは首をかしげる。
「4人の件はしっかり審理をして事実を確かめてからの処分だ。それよりも貴方は一刻も早く任務へ戻った方がいいのではないか。それが優先すべきことであることは貴方がよく心得ているはずだ。なぜ本国ではなくジャマイカまできての処分なのか、それに伴う貴方の行動に対して問われることは覚悟をした方がいい」
エヴァンズ艦長はそのようにジョンソン艦長に伝える。ジョンソン艦長の判断はどうなのか誰しも不思議に思うことだろう。
「私の判断が間違っているとでも?ゴブリン号は主だった艤装がない船だ。海賊と対峙するとしたら……任務遂行に砲撃が必要となるとしたら……人という武器で戦えということだ。そんな中で謀反の話し合いをして乗員たちの士気をかき乱すような輩は即刻潰さねばならん。謀反の種を本国へ持ち帰ると彼らの仲間たちがきっと反乱を起こす。だからあえてジャマイカへ来たのだ。私の判断は間違っていないはずだ!」
ジョンソン艦長は激高し、ハアハア息を切らせている。顔も赤くなり、興奮の為か手が震えていた。
「貴方の言い分は書き留めた。これを証拠として保管しておくから安心したまえ。どうです?コーヒーでも飲まないか。ここのコーヒーは風味が違う」
そう言ってエヴァンズ艦長が勧めたが、彼の思いは伝わらなかった。
「お気づかい無用。ゴブリン号には優秀は士官がおり、私の良き右腕だ」
ジョンソン艦長は息を整えると部屋を後にした。
「彼の様子は何か変じゃないか」
「推測でものを言っていますな」
「艤装のない船で任務を遂行することが怖いのですかね」
「本来の任務をあとまわしにしていることをどう思っているのか」
エヴァンズ艦長はじめその場にいた人たちは口々にゴブリン号の行く末を心配した。
そしてそこへ来客の知らせが入る。犯罪人として司令部へ連れられるフレッドを見かけたノアズアーク号のエズラ船長である。
「スチーブンソンさんは処刑されるのか?彼はいったい何をやったんだ。彼は犯罪を犯すような人じゃない。俺は彼の奥さんであるマリサに世話になった。スチーブンソンさんが処刑されるなんてマリサが知ったら黙っていないぞ!それを知らないあんたたちじゃないだろう?」
エズラ船長は半分怒りを込めてまくしたてた。
「まあ落ち着いてくれ、エズラ船長。私たちは今すぐあの4人を処刑するとは言っていない。証拠もないのにすぐに処刑はしない。これから本人たちの話を聞いていかねばならん。それにスチーブンソン君のことは私が一番よく知っている。彼は謀反をやらかすような無謀なチャレンジャーではない。彼を直接指導していたグリーン副長(テイラー子爵)もいっていたが、スチーブンソン君は慎重な人間だ。細君が海賊上がりで起伏の激しい人間だから丁度それでいいんだ。謀反を起こすような人間ではないと私は見ているよ」
そう言ってコーヒーをエズラに勧めるエヴァンズ艦長。
「……では皆さんにお任せしていいんですね。本当にもしものことがあればマリサは黙っていないだろうし、海賊ハンターとして働いているアーティガル号の奴らが仕返しをしそうで」
そう言ってエズラは冷ましながらコーヒーを飲んでいく。
「アーティガル号の乗員たちは恩赦によって吊るし首から逃れたことを有難く思っている。それを無碍にするようなことをするとは思えない。貴方も同じでしょう」
エヴァンズ艦長の言葉には重みがある。彼はスパロウ号を海賊ジェニングス一味に鹵獲され、多くの乗員を罠によって失った。その失態は責められるべきであり、置き去りの島で部下とともに生き延びるための生活をしていた時もその思いは片時も離れなかった。しかしその後船を取り戻し、海賊を討伐することで責めを受けることがなかった。(アーティガル号編 55話 反撃の火③)
「わかりました。……すみません、本当に先走ってしまって」
エズラはコーヒーを飲み干すとその場を後にした。もう司令部に任せるしかなかった。
自分の判断は間違っているのではないかといわれたジョンソン艦長は相当気を悪くしたようで、あれから司令部へ顔を見せることはなく、航海に必要な水や食料などを積み、さっさとジャマイカを離れていった。本来なら乗員たちが女と遊ぶ時間を作ってやるものだが、その時間さえなく出帆を命じた。この水や食料などの補給もジャマイカへ寄らなければ必要のないものである。誰もが今回の航海に疑問をもっていたが、それ以上にジョンソン艦長が日増しに神経質になっているのを恐ろしいぐらいに感じていた。
「司令部のあの場にいた艦長たちは任務より先にジャマイカへ来た私を非難した。謀反がおきたら任務どころじゃないのがわからないのだろう。あのような人間が艦長を務めていることこそ誤りなんだ」
ジョンソン艦長は相当悔しかったとみえて刺々しい口調で話した。そして徐々に呼吸が荒くなり、その場に座り込んだかと思うと体を硬直させて苦しみだした。
ハア……ハア……。
そばで話を聞いていたスミス少尉は即座に薬を引き出しから出すと水とともに艦長に飲ませる。
「……くそっ!忌々しい病め!私の弱いところを狙ってきやがる……」
脱力でもたれかかるのがやっとのジョンソン艦長は、頻回でおきるこの発作という、あらたな懸念事項を嘆く。
「ジョンソン艦長は正しい判断をなさいました。謀反の芽を残しておくのは任務遂行の妨げになります。艦長はいつも正しい」
といって慰めるスミス少尉にジョンソン艦長は何度も小さく頷いた。
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