12ジェーン号
ブリガンティンというのは船の種類の名です。
海賊に襲われたこの船を修理し、新たな航海へでるため、名前を変えたのでした。
モリエールの「町民貴族」読みましたが、貴族になりたい男を徹底的に揶揄しています。
当時の人々はこの喜劇に大いに盛り上がり、笑ったそうです。
市民むけの上演を終えたマリサはひとまず劇団との契約を終えた。劇団は元々パトロンだったブラント伯爵から多く報酬をもらい、国へ帰るとのことだ。フランスでまた女優を探し、演劇活動を続けることだろう。
マリサも日常の会話ぐらいならフランス語で話せるようになった。デュマ団長と何人かの劇団員が英語を話せたおかげで対訳がすすみ、マリサの短期言語習得に役立った。
その日は商船会社にとって新たな歴史が始まる日だった。ブリガンティン船が修理と艤装を施し終えたのである。新たな連中として静観していた乗員たちのほかにハーヴェーが人脈を使って乗員たちをスカウトしていた。そしてマリサが一番喜んだのは”青ザメ”時代からの連中の助っ人である。
ブリガンティン船が修理を終え、艤装に見合った人員をハーヴェーが探していたときにあのアーティガル号が帰港した。私掠船としてのアーティガル号の活躍はウオルター総督の期待通りであった。もちろん討伐された海賊の中には海賊共和国で知り合った者たちもおり、『裏切り者』とアーティガル号の連中をののしることも珍しくなかった。それでもアーティガル号の連中は信念を貫き通した。特に”青ザメ”時代からマリサとともにいた連中は自分たちの命がマリサによってつながったことに今でも恩を感じている。アーティガル号はまだ私掠船として現役であり、乗り込み組全員をブリガンティン船の乗員として迎えるわけにいかなかった。元逃亡奴隷のラビット(黒人奴隷は何処でさらわれて売買されるかわからない不安があったのでウオルター総督が買い上げた形となり、結果ラビットは自由を得た)は真っ先に手を挙げ、ギルバートが続いた。こうして2人確保しただけでも有難い。ラビットはオルソンの愛弟子であり、ギルバートは歳を幾分とったもののまだまだカットラスの裁きやピストルの扱いも衰えていなかった。
これというのもマリサがアーティガル号の連中に事件のことを話したところ、リトル・ジョン船長が乗り込み組に声をかけてくれたからである。
商船会社にはテイラーが夫人となったジェーンを伴って訪れている。外には馬車だの使用人だのが控えており、普段そのような客が来ることもなかったので通りすがりの人々がのぞき込んでいくほどだった。
「さて、マリサ。おまえはこの船の名前を考えているか?出資者であり経営者として私はこの船の名をジェーン号と名付けたいのだが」
テイラーは当然の権利だとばかりにマリサに詰め寄る。
「あたしが伯父様の奥様と仲が良くないのを知ってそう言うのか?まあいい……女性の名前を付けるのは珍しくないし、費用面で助けられたし。伯父様も奥様の機嫌取りに早速苦労しているようだな」
マリサがそう言うと、おしゃれなドレスに身を包み、ハーヴェーからクッションをあてがってもらって長椅子でくつろいでいるジェーンが不機嫌そうな顔つきをしてまくしたてる。
「失礼ね!ハリー(テイラー子爵)は私に気をまわすほど小心者じゃないわ。なぜなら私と対等の位置にあるからよ。全くそんなこともわからないの」
ジェーンの声は大きな声となるとキンキンするような声だ。自己主張かわがままなのかはわからないが、マリサの前では常に不満顔である。恐らくそれがジェーンの普通の姿なのだろう。
「それはどうも失礼をいたしました。では改めて……ブリガンティン船の名前はジェーン号とする。目的はオルソンの救出だ。ただしこの船は特別艤装許可書での艤装なので海軍様みたいな戦いはできない。自衛目的の武器使用だ。無事にオルソンを救出したら商船として従事することとなる」
マリサがそう言ったとき、テイラーはあることに気付き問うた。
「船の名前だけでなく、まだ船名のほかに決めていないことがあるぞ。一番重要なことだが私はまだジェーン号の船長が誰なのか知り得ていない」
彼は少し不機嫌になった。ジェーン号に出資したことでいろいろ指示を出したいのだが、マリサはあれこれ相談してこない。特に人選などは重要事項ではないのか。
「……何を隠している?」
そう言ってマリサの目を捉える。それは優しいマリサの伯父としての眼差しではなく、かつてマリサを殺そうとしてデイヴィージョーンズ号に乗り込んでいたグリーン副長としての眼差しだ。
しばらく沈黙が続く。ハーヴェーは不安がってテイラーとマリサの双方を交互に見ていたが、そばのジェーンがのどの渇きを訴えたのでコーヒーを点てるべくその場を離れた。
「あたしからは何も言えない。なぜオルソンを取り戻す必要があるのか知りたかったら王室へ尋ねたらいい。だが、いくらテイラー子爵の頼みでも取り合ってくれないだろう。国を思うならそれ以上詮索することはやめてくれ。もしそれで伯父様が一切協力しないというのであれば……あたしは海賊化してでもオルソンを救う」
マリサも久々に海賊としての顔つきとなる。
「ちょっと……あなたたち私の前で喧嘩しないでくださる?それでなくても私はこんなむさくるしい場所へ連れてこられただけでなく、まずいコーヒーを飲まされるのだから少しは考えて頂戴」
これは意図的かどうかはわからないが、ジェーンの発言はマリサとテイラーの緊張を解いた。テイラーは我に返ったかの如く慌ててジェーンのそばへいくとキスをした。
「おお……。許しておくれ、愛しい妻よ。今のは行き過ぎた発言だった。おまえの名を冠する船にケチをつけるところだったよ。もう先ほどのような発言をするのはやめよう」
そう言ってジェーンをなだめているテイラーみてマリサはほっとした。そしてこう告げた。
「伯父様、ブリガンティン船の船長は海賊に殺されて不在でした。かといって船長は誰でもいいというわけにいきません。そうであるなら答えはひとつです」
マリサはずっとふたりの様子を見ていたハーヴェーに視線を送る。
「……そうか……なるほどな。彼は……航海のベテランであり海賊としてもベテランだ。さてハーヴェー、お前に船長の職を頼みたい。マリサの話じゃ体を鍛えているそうじゃないか。ということは覚悟を決めていたということだな」
テイラーはハーヴェーの前に立った。歳をとって若干背が縮んだハーヴェーは目を丸くして驚く。
「ええっ?この俺が船長?俺はいまだかつて船長などやったことがない。そんな急に言われてもよ……」
最後は声が小さくなって何を言っているか聞き取れないほどだ。
「あなた、馬鹿なの?こういうときは跳び上がって喜ぶのよ。それとも、それができないほど耄碌しているの?少しでも自分はまだいけると思ったらやってみたらいいわ」
ジェーンはため息をつくとハーヴェーにそう言った。ジェーンにとってハーヴェーはデイヴィージョーンズ号に乗って以来の顔である。
「さあ、跳び上がるのよハーヴェー。足腰を鍛えたんでしょう?」
ジェーンに嗾けられてたハーヴェーは言われた通り、その場で跳び上がってマリサとテイラーに見せた。
「これで決まりだな。どのみちジェーン号にはハーヴェーがやっていた掌帆長のポストがない。お前は船長として人員をまとめ、航海をするのだ。いいな、ハーヴェー」
テイラーに言われて何度も小さく頷くハーヴェー。内心本当に驚いているのだろう。
めでたく船長が決まったが、もうひとつ大事なことを思い出したマリサ。
「伯父様にも役目があります。あたしとハーヴェーが航海に出てしまったら商船会社にいるものは社員一人となってしまいます。どうかこの事務所に顔を出し、運営に協力してください。人手が足らないというのであればもう一人くらい雇ってもいいと思います」
マリサとハーヴェーがいなくなれば誰かが会社に残って経営をしなければならない。テイラーに頼むしかなかった。
「ハリー、私のことはおかまいなく。ここへいるほうが周りにお店や劇場もあることだし、退屈しなくて済みそうだわ」
ジェーンは屋敷でじっとお人形のように過ごすことにうんざりしていた。仲の良いシャーロットもしばらくは島へ戻らないとのことだったので、この際誘ってみようと考えていた。自分たちは夫婦という演技をしている。そんな自分にとって救いは裏表のないシャーロットと楽しい時間を共有することだった。
「……なるほど……私はジェーン号に乗船して指揮をとっても良かったのだが、愛しい妻を残したら後悔をするだろう。では会社経営のひとりとして留守を預かろう。余程の理由があるようだからオルソンのことをこれ以上詮索するのはやめる。お前が人任せにしないで家庭を捨ててまで船に乗るというなら止めはしない。そのかわり必ずオルソンを連れて帰ってこい」
テイラーの言葉にゆっくりと頷くマリサ。
どのような過程でオルソンを救出するのか、乗員たちと話を煮詰めなければならないマリサはハーヴェーとジェーン号に乗り込む。テイラーは粗末な部屋で過ごす羽目になったジェーンの機嫌が悪くなりそうだったのでひとまず屋敷へ戻っていった。また出直してくるだろう。
もちろん航海の準備以上に情報を共有しておかねばならない。
ジェーン号は限られた艤装しかない。小さい船であるということは相手から下に見られるということだろう。改めてジェーン号をじっくりと眺めるマリサ。
(オルソンらしき人物はこの船で運ばれたということだ……敵はオルソンを利用して何を企んでいる?もしあたしたちが失敗をしたら取り返しのつかないことになるかもしれない、やるしかないんだ)
そう呟いたとき、桟橋のほうから声をかけてくるものがいた。
「おいおい、僕がいることを忘れてやしないかい」
その声はオルソン家の次男ルークだ。オルソンに起きたことを知らされたルークは滞在先のグリンクロス島からシャーロットとともに帰っていた。オルソン家でも兄と話し合っていたのだろう。
日焼けしたルークは一層たくましくなったようだ。家をでて遊学していたとあって、わけのわからない武器や装置を考案しては成果を上げており、グリンクロス島が海賊に襲われた時も時代錯誤の武器をつくって撃退に一役買っていた。その後グリンクロス島の復興のために残っていたのだが、オルソン家の一大事とあって結婚式に招待されたシャーロットとともに帰ってきたということだ。
「ルーク!」
マリサは駆け寄ると助っ人に出会えたかのように喜び、抱きしめた。
「君からの手紙を読んでから僕の心は張り裂けそうだった。一刻も早くお父さまを救い出したい思いでようやく機会を得た。アーネスト兄さまからも屋敷で事のいきさつを聞いたよ。イライザが災難だったってことや、お父様救出に向けて君が船まで用意したともね。この船がそうなのか?海賊の趣味らしい船だが、やはり小型とあって艤装が限られているね」
そう言ってルークはまじまじとジェーン号を眺める。
「そんな仰仰しい艤装なんかしたらいかにも海賊だと警戒されるからな。私掠免許はアーティガル号に与えられたものだ。この船の艤装は特別艤装許可証によるもの。これくらいのかわいい艤装が限界なんだ。それでも何かあれば海軍様に協力をするというのは変わらない」
ブリガンティン船であるジェーン号はちょっとした艤装を施しており、左右に2門ずつの砲が装備されていた。後の戦力といえばマリサを含む乗り込み組ぐらいだろう。本気でが敵が襲ってきたらどうしようもできないかもしれない。
「じゃあ、僕は少ない艤装でどのように戦うか考えるとしよう。……必ずお父様を救い出してみせる」
お調子者のところがあるルークだが、このときはかなり真剣な面持ちだった。グリンクロス島でマリサからの手紙を読んで以来、はやる気持ちを押さえて機会を伺っていた。帰ってからは屋敷にいる兄アーネストとも話をした。アーネストはオルソン不在の領地を守っている。自分もオルソンの救出に参加したかっただろうに、黙ってルークを見送ってくれた。その気持ちを理解したいと思った。
「みんな集まってくれ」
マリサの声掛けにハーヴェー船長を筆頭にして新たな仲間たちが集まってきた。安全に航海をするのはもちろんだが、仲間としての連携も必要だ。自己紹介をし、目的達成に向けて気持ちをむける。給料が保証されることに魅力を感じた新たな”連中”は、航海だけじゃなく銃やカットラスなど武器を持って戦うこともあるだろう。新たな連中の中にはマリサの立場を知らず、反発したり手を出そうとする者もいたが、マリサの過去を知ってからは震え上がったり股間をかばうしぐさをしたりするようになった。
「ハーヴェー船長、あんた彼らに変なことを吹き込んだな?」
マリサが言うとハーヴェーは涼しい顔で答える。
「マリサの趣味は○○をちょん切ってその骨を集めることだって言っただけですぜ」
「ああそうか。ならばあんたの大事なものを一番初めにちょん切ってやるからな、有難く思え」
そう言って胸元からナイフを取り出したマリサはハーヴェーに突きつけた。
「ひゃっ!脅しは無しだ。それじゃあまるでヴェインやウイリアムズ(ヴェインは海賊ジェニングスの愛弟子・非道な行いをした。ウイリアムズは海賊ベラミーの親友。ジェニングス派から海賊ホーニゴールド派へ寝返る。反抗した者を帆桁に吊るして殺害するなど非道な行いが語り継がれている)じゃあねえか。暴力反対、ごめん被る。俺は死ぬまで女を抱いていたいからな」
慌てて釈明をするハーヴェーを前にマリサやルークも大笑いだ。
「頭目の地位は存在しないと言われたあたしはもう乗り込み組のひとりという立場だけだ。昔の自分に戻ってなんでも手伝うから言ってくれ。差し当たってギャレー(厨房)の手伝いでもするかな」
マリサの顔は少し寂しそうだった。頭目だったころは皆をまとめなければならないという責務があったが、今は海賊でもなく、ただの船乗りという立場である。
「いや、そうじゃない。俺たちはひとつの目的に皆向かっている。マリサはその先導なんだ。今までの様に船のことは俺達に任せてお前は手が足りない場所を手伝ってくれたらいい。だからこれからもよろしくな」
マリサの気持ちを察してか、乗り込み組として長くマリサと活動をしていたギルバートが手を差し出す。ラビットやハーヴェーも同じ気持ちなのだろう。ふたりともマリサの方を見て頷いている。
「ありがとう。では、必ずオルソンを救い出そうぜ。……オルソンを救うことはこの国とフランスをも救うことになるんだ……」
マリサはそう言ってギルバートと手を組んだ。
その後、出帆準備が整ったことに合わせて、商船よろしくフランスへ向けて客が乗ることとなった。駆け落ちした女優の役をマリサが引き受けたデュマ団長一座である。航海には費用がかかる。彼らを運ぶ費用が利益といえば利益だ。
「君のおかげで無事に上演ができて助かった……。それよりも君は言葉の習得が誰よりも早くて驚いた。なんか訳ありの航海のようだが、幸運を祈るよ」
デュマ一座の荷物がどんどん運び込まれている。これだけ見るとオルソンの一件がまるでなかったかのように思えるほどだ。
ハーヴェーは各リーダーを集めて情報を共有する。
元々この船に乗っていた者から掌帆長サイモン、甲板長ゴードン、操舵長ベネット、アーティガル号から掌砲長ラビット、航海長ギルバートといった人選である。それまでのキャリアを考慮したものだが、それでも何でもやらなくてはいけない数である。不満はあれど口にする者はいなかった。ルークは船乗りというわけでなかったので、ギルバートを手伝っている。頭目の地位を失っているマリサは皆の意見一致で厨房を任された。もっとも海賊マリサを知っている者たちは驚きの声を上げた。
仲間はそれだけではない。彼らの下で働く乗員たちも立派な仲間だ。
オルソン救出のため、サイモンたちとその目的地を確認する。デュマ一座をル・アーブルで降ろし、その後はサイモンたちの記憶をもとに拠点へ向かう予定である。
マリサはその日いったん家へ戻り、義母ハリエットやエリカと過ごすことにした。また会えない時間が続くのだ。フレッドも航海へ出たまま任務終了まで帰ることはないだろう。
ハリエットがウサギ肉のホットパイを作ってくれた。マリサはまだ自分のパイを考えていない。ウサギ肉のパイはフレッドだけでなくテイラーや”青ザメ”の連中の誰もが認めたハリエットとっておきのホットパイだ。
「パイつくりはあなたの宿題にしておくから必ず帰ってきなさい。本当にいつになったらあなたは落ち着くのかしらね」
ハリエットはそう言ってこらえきれずに涙をこぼした。ジェニングスに拉致された事件で受けた心の傷はまだ癒えない。それはエリカも同じだ。
「母さん、私は母さんが帰ってくるまでにもっと上手く演奏をすることができるよう、たくさん練習するから。いい子で待っているから」
マリサにしがみついてくるエリカ。
『総督の屋敷でアイザックが海賊を銃殺するのに関与したエリカの記憶はいつまでも催眠で隠せるものでない。いつの日かそれ以上のことが起きると催眠は解けて忘れさせていた記憶が一気に蘇るだろう。それを忘れるな』
オルソンが言っていた言葉が脳裏をよぎる。心配は尽きないが心配ばかりしていても始まらない。
「必ず帰ってきます。領主様は必ず生きている。そう信じているからあたしは救出に向かいます」
やっとの思いで返事をするマリサの胸が熱くなった一瞬だった。
翌朝、ジェーン号は関係者の人々に見送られて出帆する。テイラー子爵とシャーロットはもちろんのこと、ハリエットやエリカも来ていた。ハーヴェーをけしかけたジェーンはまだ眠っているという。
まずはデュマ団長一座をフランスのル・アーブル港まで送り届けなければない。船と人員を動かすには費用がかかる。救出費用捻出のための輸送である。
久しぶりの乗船とあって気分が悪くなったマリサは弦側に座り込んで風を浴びている。
ジェーン号はフランスへ向かっている。オルソンを偽の罪で連れ去った彼らがオルソンをどのように利用しているのかわからない。それでもオルソンはきっと生きている、そう信じるしかなかった。
そしてマリサはフレッドに降りかかっている災難をまだ知らなかった。
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