最終話:愛のアーリン
獣星人たちは遂にその姿を見せることはなかった。
新生アーリンの強さに絶望したのか、地球人が銀星人と友好条約を締結したことに怖れをなしたのか、とにかくオオカミたちは引き上げて行き、二度と地上を荒らすことはなくなった。
西の空に逃げて行くオオカミの群れがゴミムシのように小さくなって行く様子が世界各国で撮影され、世界各国から我が国は称賛された。
銀星人との友好条約締結はモニターの中で行われた。
一対一でなければ嫌だというので、地球を代表してウチの藪龍所長が、銀星人代表のトクダ・ナリと二人きりの個室で握手を交わし、言葉を交わした。とはいってもモニターの外から眺めている俺たちには所長の声しか聞こえなかったが──。トクダ・ナリは口を動かさず、思念で所長と会話をしているようだった。
「──なんだと? 無礼だな」
所長が眉間にシワを寄せてトクダ・ナリを睨む。
「そんなこと考えてたのか。地球人も地上で暮らさせてもらうぞ。同意せんのならこの友好は決裂だ」
どうやらトクダ・ナリの思考がダダ漏れなようだ。トクダ・ナリは俺たちから見ると一言も発していないが、きっと所長には聞こえているのだろう。「我々の目的は友好ではなく侵略です。貴方がた地球人には地下に籠もってていただきたい。表向きは友好ということなので、こんなこと口には出せないんですけどね」とでも。
トクダ・ナリが無表情に泣きそうな色を浮かべて、何やらうなずいた。
所長が笑い出した。
「そうか、そうか。なら、いい。っていうか、俺もおまえに対して抱いていた不快感が薄れて来ていたところだ。そうも正直になんでもぶちまけてくれるとな!」
みんなには何も聞こえなかったが、俺には握手を交わしながらトクダ・ナリが所長に何を言ったのか、わかるようだった。たぶんこう言ったのだろう。
「わたしも、貴方に対して好感をもちました。そんなにも情では動かない、冷酷無比な地球人もいるということに感動しています」
ウチの所長が地球人代表で正解だったみたいだ。
所長が豪快な声でそれに答える。
「はっはっは! とはいえ、情で動いて大成功してくれやがったヤツがうちの研究員にいる! 俺もちょっとは情とやらを見直してるとこだ!」
モニターを見ながら、どうやら褒められたらしいことに俺が気をよくしていると、頭の中にヒメカの声が響いて来た。
「オマエ、よくもオレの最高傑作のアンドロイドをオレが造った以上にしてくれやがったな? 凄いな、オマエ。これから仲良くしてくれ。ただしオレを愛したりはするなよ?」
俺は思念を送って答えた。
「大丈夫。おまえのことは大好きだけど、愛したりはしないよ。俺には新婚の妻がいるからな」
ヒメカは研究所の別室にいる。地球人の多いところはあいつにとって毒素が充満しているようなものなので、別室で俺を待っているのだった。
アーリンもそこは相変わらずだ。
人の多いところが苦手なようだ。この間、オオカミを片付けた後も、人のたくさんいるところで俺にキスをしながら、周囲のみんなの『うわぁ……』と羨ましがる思念に包み込まれて、危うくまた故障しそうになってしまった。
しかし、愛毒に対しては、平気な体になった。
これからは俺がどれだけ彼女のことを愛しても、また彼女がどれだけ俺のことを愛してくれても、アーリンが愛毒に弱体化することはない。もっともオオカミがいなくなったので、もう戦う必要はないのだが。
人の多いところが苦手なので、地下シェルターで一人、彼女は今、色々な料理の勉強をしながら俺を待ってくれていることだろう。
内気で人付き合いの苦手だったミアとそっくりだ。
しかし彼女はミアではない。俺の記憶の中のミアの姿をコピーしながらも、新しい俺の妻として、一人の独立した人格をもつ女性として、俺はアーリンを愛していた。
──そう、俺はアーリンと結婚した。忙しくてまだ結婚式も挙げられていないが……。
早く帰ってやりたいな。そう思いながらも、まずはヒメカに会ってやらないといけない。あいつは俺の妻の製作者で、俺の相棒で、俺の親友だ。大好きだ。「気持ち悪い。やめてくれ」と頭の中でヒメカがツッコんだ。
「大神さぁんっ」
モニターの中の友好条約締結を眺める俺の後ろから、白衣姿のハルナさんがしなだれかかって来た。
「アーリンちゃんと結婚したんですって? 人間とアンドロイドの結婚……素敵! でも浮気したくなったらいつでも言ってね?」
俺は余裕で「ハハ……」と笑ってその冗談を流した。浮気なんかしたくなるはずもない。ハルナさんは美人で巨乳で、魅力的だが、俺はアーリンを愛しているのだ。
「は……っ、ハルナさん!」
いつの間にかそこに立っていた佐奈田3曹が言った。
「ボクと浮気してくれませんか?」
ハルナさんがその後ろの人に聞く。
「……ですってよ。奥さん、いいかしら?」
佐奈田がびっくりして振り返る。後ろに立っていた彼の奥さんらしき人が、頭から2本、ツノを生やした。
モニターの中の和平会談も終わり、みんなに笑われる佐奈田を残し、俺は広い部屋を出た。
いい天気だ。
最高のドライブ日和だった。
約1年半振りの地上のドライブは、走れる道を探しての遅々たるものになった。道路がオオカミによってそこかしこで瓦礫と化しているので、俺は慎重に、平坦路を選んで車を走らせた。
俺の隣──助手席で、ぬるい風を受けてピンクシルバーの長い髪がなびいている。
「……また行き止まりだ」
瓦礫でそれ以上先に進めなくなり、俺はギヤをバックに入れた。
「なかなか海に辿り着かないな……」
「ゆっくり行きましょうよ、タカシ」
そう言って、助手席で微笑むアーリンの顔が、太陽の下で眩しかった。
「急ぐ必要はまったくないんだもの」
おおきなサングラスの奥の青い目が楽しそうだ。ミアの白いワンピースが丈もぴったりで、よく似合っている。
「……ほんとうは車なんか使わなくても、君に抱きかかえてもらって飛べばあっという間なんだがな」
そう言って俺が苦笑するとアーリンは、俺が頭に思い浮かべた光景を読み取って吹き出した。
「スーパーマンじゃないのよ、わたし。その絵、へん! あなたを抱いて飛ぶわたしがなんか……イトトンボみたい!」
「ロマンチックもへったくれもないよな」
「そうよ。ゆっくりと、あなたの運転で、苦労して見に行く海だから感動があるのよ、きっと」
「遂に……あの約束が叶うんだな」
俺の頭の中に、ミアの姿が浮かんだ。
「長かった……。遂に……」
「……うん」
アーリンは俺の頭の中のミアと同じ笑顔を浮かべて、うなずいた。
「わたし、幸せよ? あなたみたいな優しい旦那さんに巡り逢えて」
見つめ合い、唇を重ね合った俺たちを白けたように見つめながら、後部座席のヒメカが口を結んだまま、言う。
「オレ……帰るわ。オマエラの愛毒にやられちまいそうだ」
俺は振り返り、言ってやる。
「っていうかなんでついて来てんだよ。これは新婚夫婦のデートだぞ」
「だってオレ……オマエラの仲人みたいなもんだし……」
アーリンがくすくすと笑いながら、自分の産みの親をからかう。
「マスター。こんなところにいると愛毒に中って死んじゃうわよ?」
「そうだそうだ。早く帰れ」
俺が言うと、ヒメカは一瞬、嬉しそうに笑い、一言だけ残すと空間の裂け目に姿を消した。
「オレのアーリンを愛してくれてありがとな」
海岸は綺麗な景色を残していた。
オオカミもこんなところには破壊するものさえなかったのだろう。人の作ったものはここにはあまりなく、ただ波が打ち寄せ、海鳥たちが鳴いていた。
環境は破壊され、酸性の雨が建物を腐食させ、気候はおかしくなっていても、海は変わらず太古のままの風景のようだ。
「綺麗……」
風に長い髪を揺らしながら、アーリンが言った。
「これがミアが見たかった海なのね」
「寒くない?」
彼女の肩を抱き寄せながら聞いた。
「少しだけ……。だからあっためて?」
寒いわけもないのにアーリンはそう言い、俺に身を寄せてくれる。まるでミアのように。
俺たちのシェルターの部屋にはまだミアの写真が飾ってある。俺と並んで、公園で太陽を背にして笑うミアの写真を見ながら、アーリンはけっして嫉妬しない。それどころか、そこに写る女性と自分は同じものだと思っているようなところがある。
アーリンは俺の記憶の中からさまざまに学習をし、いまやもう人間の女性となんら変わりがない。感情も豊かになり、コーヒーは飲まないが、わかめオイルだったら飲むようになった。
海は凪いでいる。ずっと地下にいたので、こんな広大な景色を眺めたことは久しくなかった。目が慣れなくて少しクラクラとする。
すぐ近くにあるアーリンに目を移すと、こちらにもクラクラとしそうになった。波間に浮かぶ光よりもキラキラしている。彼女はゆっくりとこちらを向くと、幸せそうに微笑んでくれた。その笑顔に、俺は心から感謝した。
「すべては君のおかげだ。地球が救われたのも、俺が立ち直れたのも。……君は、世界を救った天使で、そして僕だけの天使だ」
「あなたの力よ」
海を見ながらアーリンは言った。
「わたしを造り直してくれたのはあなただもの」
平和が俺たち二人を取り巻いていた。俺の妻は人間型兵器だが、平和の中でも存在意義を失っていなかった。俺の愛するものとして意味を持っている。
世界各地を守っていた他の人間型兵器たちは、オオカミがいなくなるとその存在意義を失い、今は皆格納庫で眠っている。起きて生活をしているのはアーリンだけだ。
「……あっ?」
アーリンが突然、何かに気づいたような声を出した。
「んっ?」
わからず俺が聞くと、アーリンは長い髪を渦巻かせ、浮き上がった。
「沖で溺れかかってる人がいるわ。ちょっと助けに行って来るね」
「まじで? 何してんだ、そいつ。遠泳に挑戦して途中で挫折でもしたのか? もしかして……佐奈田か?」
アーリンは高く浮き上がると、煌めく海の向こうへ、あっという間に飛んで行った。もう彼女は『銀色の戦闘乙女』ではなく『愛の乙女』だ。戦う必要はない。ただ愛に溢れてくれていれば、それでいい。
日が暮れるまで、二人で海を眺めて過ごした。
サンドイッチとコーヒーとわかめオイルを楽しみながら、海の向こうにゆっくりと沈んで行く夕陽をただ、眺めた。
言葉はいらなかった。アーリンには俺の考えていることがわかり、俺にも彼女の心が透けて見えるようだった。
砂浜は黒く影のようになり、海は赤く燃え上がり、寄り添う二人を永遠のように包み込んでいた。
(完)