修復
アーリンを前に、知識を開いた。
わかる……。アーリンの構造が、その意味が、俺の脳の内に、ある。ヒメカが移して行ってくれたあいつの記憶が、俺にその知識を与えてくれていた。
しかし、知識だけだ。それをどう理解し、どう応用して行くか──それは俺の才能にかかっている。いわばプラモデルの組立図を頭の中に仕込まれたようなもので、完成するプラモデルがどのような出来栄えになるかは組み立てる俺次第なのだ。
そして俺はアーリンを改良したくもあった。俺の、そして俺への愛が、彼女にとって毒になるのなら、そんな機能は取り除いてやりたい。そしてもし、彼女を動かしている銀が俺にとっての毒にもなるのなら、それもどうにかしたい。
それでもし彼女から戦闘能力が失われてしまうとしたら、それはそれで良いことだとも思えた。
愛がなぜ彼女や銀星人にとって毒になるのかはわからないが、俺と愛し合ったせいでアーリンは弱体化し、オオカミに敗れてしまった。それなら愛が毒にならない体に生まれ変わらせ、戦いをやめてもらえばいい。ヒメカは怒るかもしれないが──
戦うのはあのイケメン・アンドロイドに──そして俺に、任せてくれればいい。彼女はただ幸せそうに料理を作り、微笑む顔を俺に見せてくれればいい。
仕入れて来たもののうち、オクラとわかめオイルはアーリンの部品ではなく、ヒメカの食糧だということがわかった。銀星人はどうやらネバネバヌルヌルしたものが好物らしい。
そして気がついた。
材料が、足りない。
主な材料だ。それをヒメカは自分の体から取り出して使おうとしていたようだ。
銀が必要だった。それも地球にある比重の高い銀ではなく、銀星で採れるらしい超軽量の銀だ。
それは常温でも水銀のように液体状で、アーリンの動力となるにとどまらず、彼女の体の約70%を形作っているものだった。
「ヒメカ……!」
通じるのを祈り、俺は頭の中であいつに呼びかけた。
「銀が足りない! どうすればいい?」
しかしヒメカの思念は途絶え、部屋には静寂が漂っているだけだった。
ヒメカが置いて行ってくれた知識を元に、頭を巡らせた。
AIチップは生きているとあいつは言った。しかしアーリンは銀星人と違って、思念を読み取る能力はあっても思念で会話する機能は搭載されていない。地球人への印象をよくするため、地球人に似せて作られているのだ。
アーリンと思念で会話が出来れば、彼女に教えてもらいながらの作業が出来る。AIの知識は役立つことだろう。しかし動力がなければ発音装置を起動することが出来ない。
彼女のヘソのあたりはガラスのように菱形に透き通っていて、その中にいつも銀色の炎のようなものが揺らめいていた。あれが動力だ。あれを復活させなければ……。
発想力だ。
今、俺に求められているものは、発想力だった。アーリンの長い髪の毛は銀星産の銀で出来ている。それを分析して、銀星の銀を自力で作り出せることが出来るか──
ふと俺の頭に未来図がよぎる。
オオカミを地球から撃退し、アーリンと俺が並んで海辺に座っている。
「約束通り──一緒に海を見に来られたね」
そう呟く俺の笑顔はやつれ、目はくぼんでいる。
アーリンの銀毒に冒されているのだ。
「綺麗……」
アーリンはミアの声で、うっとりとそう呟く。
「最後に海を見に来られて……よかった」
そして振り向いたその顔はドロドロに溶けていた。アーリンは俺のO.O.Lに冒されている。俺に肩を抱かれながら、その命は消えようとしていた。
細めて海を眺めるその目は、今にも閉じてしまいそうなまでに弱っている。海は穏やかで、美しいが、そこには悲しい類いの美しさが広がっていた。
──このままでは互いに互いを毒し合い、衰弱して死んで行く二人の未来しかないのがわかってしまった。
O.O.Lとは何なのか、俺はわからなかったが、ヒメカの知識を紐解き、ようやく理解した。
銀星は銀で溢れている。大気中にも銀が大量に含まれ、人々は銀を呼吸して生きている。銀星の銀は空気のようなもので、アーリンはいわば空気を動力として動いているのだ。
銀星人は思念で会話をする。つまりは思念も空気の振動のようなものだ。彼らが無表情なのはあまり感情豊かに会話をすると、空気を揺らしすぎてしまうのだろう。それは彼らにとって害となり、彼らの体を蝕んでしまう。
地球人の、感情豊かな心こそが、彼らや獣星人の言う『O.O.L』だったのだ。あるいは地球人なら誰でも心の中に持っている『愛の原型』──それこそがO.O.Lだったのだ。
それは物質ではない、形而上のものであり、形などないものだ──と、地球の常識で俺は思い込んでいた。
しかし今、俺の頭の中にはヒメカが置いて行ってくれた、銀星の常識がある。それによれば、心というのは物質であり、鉱物だとされていた。
空気よりも軽い鉱物だ。
「よし……」
俺は決意した。
「アーリンの動力元を変更する!」
銀星産の銀は入手出来ない。何よりそれは地球人にとって毒性のあるものだった。気管に入り込み、内側から人体を破壊することだろう。
同じ鉱物なのならば、O.O.Lも動力として使えるのではないかと俺は閃いた。
ヒメカは物凄く嫌がるだろうが、それが最善の方法だと俺は疑わなかった。
『シルバー・アーリン』を、『愛のアーリン』として蘇らせるのだ!
ふつうの地球人には絶対に無理だが、銀星人の知識を植え付けられた俺には、愛の形が見えた。それは確かに鉱物だった。とても軽く、形をさまざまに変える、流動的なピンク色をした鉱物だ。
有り難いことに所長はじめみんなが俺を放っておいてくれた。修復作業に没頭することが出来る。
俺は惜しみなく、自分の体からO.O.Lを取り出し続けると、アーリンのボディーの素材として使用した。熱で縮れていた長い髪はサラサラに戻り、その代わりに色がピンクに変わって行く。流線型のボディーラインは爪先まで復元され、その代わりにすべてがうっすらとピンク色に変わって行く。
腹部の透明な窓も元通りになり、中で揺らめく銀色の炎のようだったものが、ピンク色の炎に代わって揺らめいた。
新しく派遣されたシルバー・カイトの力はアーリンほどではなかった。無双と呼べるほどの強さは持っていたが、オオカミの奇襲には為す術がないようだった。
「地上に隠れていたオオカミに、シルバー・カイトが撃ち落とされました!」
依吹隊員が甲高い声で叫ぶ後ろから、俺は部屋に入って行った。
部屋には所長はじめ防衛隊の偉い人なども集まっていて、深刻な顔でモニターを凝視している。
「大神くん……」
藪龍所長が振り返り、俺に言った。
「銀星人のアンドロイドが敗れた……。オオカミはどうやらこの間の偵察により、地下に憂慮するほどの銀は存在しないと知り、安心して地下に攻め込んで来るようだ」
「終わりだ……」
「人類はオオカミに皆殺しにされてしまう……」
『無念です』
小型のモニターのほうにはトクダ・ナリの顔が映っており、初めて嘘とは思えないような真摯な表情を浮かべ、心から無念そうに言った。
『我々のアンドロイドがもっとしっかりしていれば……』
「大丈夫です」
俺は余裕の笑顔を浮かべ、みんなに言った。
「アーリンが復活し、今、外へ出て行きました」
モニターの中で、イケメン・アンドロイドのシルバー・カイトが下半身を失い、傷ついた鳥のように空から落下して行く。
それを力強く受け止める細い腕があった。
背中にピンク色のおおきな翼を生やした戦闘乙女が、その青い瞳でオオカミたちを睨みつけた。
シルバー・カイトが弱々しく呟く。
「キミは……? キミから恐ろしいほどの力を感じるよ……?」
「わたしが来たからにはもう、大丈夫です」
イケメンを抱きかかえたまま、鋭い目をして、アーリンが言った。
「タカシへの愛のため、わたしは戦います!」
「なんだ、あれは!」
部屋に集まっているみんなが、ざわめいた。
「アーリンだ! でも……」
「ピンク色じゃないか!」
「オオカミに有効なのは銀の粒子弾だぞ? あんなピンク色で戦えるのか!?」
彼らの心配はごもっともだ。
しかし、次の瞬間、誰もが言葉を失った。
アーリンの周囲を取り巻いた光は、ピンク・シルバーだった。
それが渦を巻き、四方八方に飛び散ると、オオカミたちは跡形もなく消え失せていた。
地上に隠れていたオオカミたちが立ち上がり、一斉にアーリンに緑色の光線を浴びせる。
それはアーリンの体に直撃した。しかし、けむりが晴れると傷一つない彼女がにっこりと微笑みながらその姿を現す。
俺はヒメカの知識から、オオカミの出す緑色の光線の正体も突き止めていた。それは愛と同じく、地球人が鉱物として認識していない物質──『憎しみ』だった。銀星人にとってもそれはおおきな破壊力を伴うものであり、銀を超高濃度にしたシールドでようやく防げるものだ。
しかし俺が改良した新生アーリンは、広い愛の心でそれを許す。ゆえに憎しみを受けつけず、彼女に緑色の光線は受け流されて、消えるのだ。
オオカミたちが停止した。
唯一の武器が通じないことを知り、思考停止したようだ。
アーリンを取り巻いて再び、ピンク・シルバーの粒子弾が渦を巻いた。
新生アーリンは愛を動力とするが、攻撃をする時にはそれを銀に切り替えることが出来る。低速は電気を動力とし、高速走行時にはガソリンエンジンの動力に切り替えられるハイブリッド・カーのようなものだ。
ピンク・シルバーの雨が地上に降り注いだ。
それはオオカミに対しては絶大な破壊力を持つが、その他のものに対しては優しく、路傍に咲くたんぽぽの花を微かに揺らしただけだった。
オオカミを全滅させると、モニターの中のアーリンが消えた。同時に俺たちのいる部屋の中に瞬間移動して来た。
「タカシ!」
満面の笑顔で翼をしまいながら、俺のほうへまっすぐ駆け寄って来る。
AIは何もいじってない。以前のアーリンと何も中身は変わっていない。
「ありがとう! 貴方のおかげでわたし、もっと強くなった!」
俺の胸の中に飛び込んで来ると、足を床から少しだけ浮かせ、みんなが見ている前でキスをして来た。