この光を見失わないように、正しい姿勢で、前を向いて、生きていこうと思う。明日も。
学部は違うけど、一般教養の選択コースに「滝本 空愛海夢」という女の子がいる。
『あくあまりん』と読む。
「アクアかマリンかどっちかにしろって某漫画へのツッコミに、全面賛成しかない」と、ネタにして笑う明るい子だ。
友達には「タキモト」とか「タッキー」と呼ばせている。
名前をくれた両親が、馬鹿にされるのがイヤなんだって。
私だけが、アクアマリンちゃんと呼んでいる。
私は「舟橋阿礼」
シンプルかつ、適当な語感。キラキラネームとは言われないけど、良い名前とも思えない。むしろ好きじゃない。
友達には「ふーちゃん」とか「はっしー」と呼ばれている
アクアマリンちゃんにハイテンションな名前をつけたご両親は、海辺の町で出会い、愛し合い、ふたりの娘を得た。
妹は普通に「羽乃」ちゃんだった。
名付けセンスが最低と自覚した両親が悩んでいたところ、アクアマリンちゃんが「うのちゃんがいい!」と言って、漢字はおばあちゃんが決めたという。
姉がうのちゃんと言わなかったら、妹は「海星海月」にされちゃってたらしい。
アクアマリンも大概だけど、ヒトデクラゲはあんまりだ。
この夢見がちな夫婦は、車で30分はかかる山の幼稚園を選んだ。
園舎がドリーミーで可愛いから、我が子の写真が映えるってだけの理由で!
「海がきれい! みんなのおうちも、羽乃ちゃんの保育園も、パパとママのお店も、全部見えちゃうの!」と、豆粒にしか見えないそれらを指しては、いつでも笑顔だった。
アクアマリンちゃんは早起きはイヤだったけど、行き帰りの車中が楽しいからアリだと思っていた、らしい。
そんな彼女は、自分の名前が大好きで、海が大嫌いだ。
ご両親が営んでいた海岸通りの喫茶店と、歩けるようになったばかりの羽乃ちゃんと、近くに住んでいたおじいちゃん、おばあちゃんを一瞬で飲み込んだから。
この話をする時のアクアマリンちゃんは、少しだけ悲しそうだ。
本当はすごくすごく悲しいけど、アクアマリンちゃんは、私たちは、少しだけ悲しそうな顔に留めることに、慣れすぎてしまった。
◇ ◇ ◇
今日は、羽乃ちゃんの誕生日だもんね!
お家を飾り付けして、ケーキ焼いて、おもちを買ってからお迎えにいくね。
んー、夕方4時過ぎになるかなー。
ケーキ、みんなで一緒に飾り付けしようね。
他に食べたいもの、ある?
「ラムネ!」
飲みものの? お菓子の?
「どっちも!」
了解! ラムネおいしいよね。
ママも大好き。
それが、アクアマリンちゃんがママちゃんと交わした最後の言葉だ。
何で知ってるかっていうと、私も後部座席に乗っていたから。
私たちは従姉妹で、フルタイムで働くお母さんのかわりに、ママちゃんが幼稚園の送迎をしてくれた。
親戚っていっても近所じゃない。車で10分くらい遠回りなのに、毎日。
お弁当はさすがにお母さんが作ってくれたけど、お風呂も夜ご飯も全部ママちゃんがしてくれて、金曜日は必ず泊まらせてもらった。
ママちゃんは私にも聞いてくれた。
ねー、阿礼ちゃんは、何が食べたい?
何て答えたかは、覚えていない。
ただ、アクアマリンちゃんが羨ましかった。
変てこな名前だなって幼稚園児なりにわかってたし、先生たちがギャルギャルしいママちゃんを馬鹿にしていることも知っていた。
でも、羨ましかった。
だってアクアマリンちゃんには、幼稚園に送ってくれるママちゃんがいる。
肩車で砂浜をダッシュしてくれるパパくんがいる。
小さなお手てをギュッてしてくれる羽乃ちゃんがいる。
そりゃ、大学生になった今なら、教師でシングルマザーだったお母さんに、自営業で融通がきくママちゃんみたいなペースの子育てはできないってわかる。
「海辺の保育園にすればよかった。近いから」と「美雨の影響はうけないでよ。バカになる」が口癖だった。
でも、土日には、動物園や博物館に連れて行ってくれた。
今思えば、お母さんもママちゃんが羨ましかったんだと思う。
そんなお母さんは、生徒たちを誘導中に津波に脚をとられ、大怪我を負った。
「阿礼の幼稚園、あそこでよかった。津波、絶対こない」
「美雨、いつも、ありがとう。いじわるなお姉ちゃんで、ごめんね」
「私も美雨みたいに、阿礼大好きっていっぱい言えばよかった」
収容先の病院でそんなうわ言を呟いて、3日後に息を引き取った。
震災直後の混乱で、身寄りのない私とアクアマリンちゃんは死にゆくお母さんの傍にいた。
他に居場所がなかったのだ。
そのくらいたくさんの人が亡くなった。
お葬式がどうだったかは、覚えていない。
あの頃の記憶は、ある部分だけやたら鮮明で、それ以外はひどく曖昧だ。避難場所の園庭から、町を呑み込む津波が見えていたはずなのに、全く覚えていない。
私とアクアマリンちゃんは、違う親戚に引き取られて、音信不通になった。
だから、まさか県外の大学で再会するなんて思わなかった。
そりゃ、この世に「たきもと あくあまりん」がそう何人もいるとは思えないけど。
「舟橋阿礼」もあんまいないけど、「滝本 空愛海夢」ほどじゃない。だから、覚えてないだろうなーと思って遠巻きにしていた。
アクアマリンちゃんは、コスプレおたくに成長していた。ギャル系が1番似合うのは、遺伝だろう。
私は、ちょっと勉強ができるだけの平凡な大学生。コスプレグループとは、明らかにカテゴリが違う。
でも、アクアマリンちゃんはあっさり私の正体を嗅ぎあてた。
「だって、洋子おばちゃんにそっくりじゃん? 頭良くて、綺麗だったよね。洋子おばちゃん」と。
言葉は、神奈川の人になっていた。
私は彼女をアクアマリンちゃんと呼ぶけど、彼女にはふーちゃんと呼んでもらっている。理由は、聞かれなかった。
知っていたんだろうな。じゃなきゃきっと、もうひとりのイトコに出会えなかった。
被災者はあの日が人生最大の悲劇と思われがちだ。
でも、そうばかりじゃない。あの日が、悲劇のきっかけではあっても。
私が1番辛かったのは、望まれて生まれた子じゃなかったって聞かされた夜だった。
お母さんは、妻子持ちの人に執着して、偽装妊娠騒ぎをおこした。
その人には、妻も子どももいた。
堕ろせない月数まで粘ったお母さんの執念は実らず、逆に告訴されかけたらしい。マジで、笑えない。
私のことは名前もつけようとはせず、「アレ」と呼んでいたらしい。
見かねたママちゃんが、「アレじゃかわいそー。あたしがつける?」と聞いたら、激怒して「阿礼! Thatじゃないわよ! 稗田阿礼のアレ! 知らないの? 馬鹿じゃない?!」と怒鳴って阿礼になったらしい。
そうか。だから、好きなものを全部詰め込まれた名前を持つアクアマリンちゃんが、羨ましかったのか。
この、思春期の心をえぐる要らん情報は、私を引き取ってくれた遠縁の親戚から聞いた。
ようは、「だからね、阿礼ちゃんは最初からここの家の子だって思ってね」という話だった。
むしろ、思えなくなったわ。
そもそも、その話が本当かどうかもわからない。
まあ、お母さんなら言うかもなぁとは、うっすら思う。
いつも、怒っていたか疲れていた印象だから。
でも、死にゆくお母さんの呟きが、嘘だったとも思えない。
それともあれは、親に愛されたい子どもが紡いだ幻聴だったのだろうか?
一緒にいたアクアマリンちゃんは、お母さんの死は覚えていたけど、言葉は覚えていなかった。
「あたしはさ、何日も経ってから本人には見えないママたちと対面したからさ。洋子おばちゃんは、綺麗だったとしか覚えてないや」と。
アクアマリンちゃんは、私なんかよりずっと深い傷を負っている。と、思う。
子どもに見せるものじゃないって常識は、あの場にはなかった。
見たくなくても、仏さんはそこらに転がっていた。
病院で息を引き取ったお母さんは、あの中では間違いなく手厚く看取られていたのだと思う。
大学1年の秋、東北の自治体に勤めるやたら若い町長を、アクアマリンちゃんから紹介された。
「洋子おばちゃんの、元カレの甥だよーん」
マッチングアプリで出会ったって。
って、アクアマリンちゃん、彼氏を探さないで何してんの?
お母さんの元カレの甥? は面長の細面で、人の良さそうな笑顔で会釈をしてきた。
「岸 晶大です」
名刺には、聞いたとのない町の名前。
「えーっと、生前は、母がご迷惑をおかけしまして?」
「いや、その件は、全部我が家が悪いんで」
騒がしい場所を選んだのは、話を深刻化しないためか。
味の薄いコーヒーを、けっこう美味しそうに飲んでいる。
アクアマリンちゃんはフルーツパフェ。奢りと知って強請ったかな?
「貴女にどう伝わっているか、聞くのが怖い気もしますが。田舎の情報操作は陰湿ですから」
と、古ぼけたノートを取り出した。
「あなたのお母さんは父に執着していたのではなく、叔父とお付き合いされていました。叔父は癌で余命宣告を受けた直後に、株で大儲けしていたことが発覚したんです。洋子さんに遺産を渡したくなかった両親が、町ぐるみ親戚ぐるみで迫害したんです。妊婦に検診を受けさせないとか、ね、町中が親戚みたいな共同体ですから」
「うわ、最低! 洋子おばちゃん、何にも悪くないじゃん!」
思い切り顔を顰めるアクアマリンちゃんに、大きく頷く岸さん。
「全くです。舟橋さん御一家は、そちらの滝本さんのご家族を頼って県外に移住されたのですね。叔父は、病床で両親を呪いながら死にましたよ。僕は叔父さん子でね。叔父の遺品をあさって、日記を見つけて、阿礼ちゃんの存在を知ったんです。12歳でした」
「……」
「震災並みの地獄でした。心が」
岸さんは少しだけ悲しそうに笑った。
私たちが、得意な笑い方だ。
そして深々と頭を下げた。
「本当に、申し訳ございませんでした」
今更それを言われても、当事者ですらない従兄に言われても、心は動かない。
わたしを引きとって育ててくれた夫婦にも、たぶん響かないだろう。ただ、ひとつだけ気になることがある。
「……あの。何で、わたしが阿礼って名前なのか、ご存知ですか?」
岸さんは当たり前みたいに頷いて、コーヒーに砂糖を追加した。ブラックで飲み始めて、ミルク、砂糖とドロドロに甘くしていく飲み方が、お母さんと同じだ。
「この日記に、書いてあります。叔父は古事記に傾倒していました。稗田阿礼のように聡明で、良い仕事、良い書物に恵まれた人生を歩めますようにと。病室でも、洋子さんのお腹に語りかけていたようですね」
「え……?」
「え、ちょ、ふーちゃんどうしたの?! 大丈夫?」
気がつけば、両眼から涙がこぼれ落ちていた。
どんなにアクアマリンちゃんが羨ましくても、ママちゃんがお母さんなら良かったとは思わなかった。ただ、ママちゃんみたいに、抱きしめてほしかった。
ママちゃんと違って、愛情表現が不器用だったお母さん。
よかった。私は、いらない子じゃなかった。
名前だって、Thatじゃなかった。
顔も見たことのないお父さんの、愛情がたくさん詰まった「阿礼」だった。
「だ、大丈夫ですか?!」
お母さんと同じへんなコーヒーの飲み方をする人が、慌ててハンカチを出してくれた。
私は先手を打った。
「今更、お父さんの遺産は要りません。お母さんの名誉を回復してください。お願いします」と。
岸さんが大真面目な顔で頷いてくれたから、もうひとつ気が大きくなった。
だから、ふたりに語りかけた。第一子に名前をつけたときの、パパくんとママちゃんも、こんなテンションだったんじゃないかな?
「岸さんもアクアマリンちゃんも、私のこと阿礼って呼んでくれる? お父さんとお母さんの、形見だから」と。
遺産はいらないって言ったのに、後日、かなりの額の入った通帳が送られてきた。
岸さんは、日記に挟んであった私名義の通帳を、大切に隠し持っていたらしい。
ちなみに、お父さんが儲けた株は震災で大暴落して、元本割れしたままなんだそうだ。ザマーミロとしか思わない私は、たいがい性格が悪い。
大きなお金は、人の心を狂わせる。
もしもお父さんに財産がなければ、お母さんとの結婚を反対されなかっただろう。余命僅かな恋人に寄り添う姿が、美談として語り継がれていただろう。
この通帳のお金だって、私と私を引き取ってくれた夫婦を狂わせるには充分だ。
こんな風に根の暗い私と違って、アクアマリンちゃんは今日も笑顔だ。ますますコスプレに余念がない。
ママちゃん譲りの笑顔でみんなを明るくして、パパくん譲りのバイタリティでバイトを掛け持ちして、羽乃ちゃんみたいに愛されている。
本当の悲しみを知るアクアマリンちゃんでも、この財産を知ったら関係性が変わるだろう。でも、狂わない気はする。彼女なら。
こんなものを手元に置きながら、正気を失わなかった岸さんは、いったいどんな地獄を見てきたのだろうか。
ふたりに共通するのは、悲惨なものを見て、聞いて、体験しながらも、とても美しい何かに満たされているってこと。その美しい何かを、他人に与えられる人たちだってことだ。
愛情とか家庭環境とか経済的な余裕とかって言語化すると、途端に陳腐になってしまう、とてつもなく美しい何か。精神のあり方?
とにかく、私にはないものだ。
もしくは、13年前の春に消えてしまったのか。
震災とは直接関係ないんだけど、失わなかった彼らと失った私が炙り出された。暴かれた。そんな気がする。被災者全体の話じゃなくて、私個人の話だ。
お母さんの命日に、通帳を手に故郷を訪れた。
海岸沿いが生活圏だったからか、自分が小さかったからか、記憶と一致する景色が見当たらない。
横浜と違って、怖いくらいに海が広かった。
テトラポットがものすごく大きい、穏やかな海町だった。
最寄駅やバス停付近にはなかったから、県庁所在地にある銀行の貸金庫に、通帳を預けた。
どうしたらいいのか、今の私にはわからない。
だから、一旦なかったことにして、大学に戻って、お母さんと同じ教師を目指そうと思う。奨学金は、自分で働いて返そうと。
岸さんに言ったら、きっと笑ってくれる。
「叔父さんも、そーゆー人だったよ。贅沢とかしなくて、飄々としていた。財産があるなんて、余命宣告まで誰も知らなかったんだから」って。
お父さんを知る従兄弟と、お母さんを知る従姉妹は、私の光だ。
この光を見失わないように、正しい姿勢で、前を向いて、生きていこうと思う。明日も。