09 あの三人が全力で走っているともはや競技の一つにしか見えないな
――闘技場での騒動から数日。
あのとき何があったのか、今後どうなるのか、それは翌日にも国中に通達された。
元々あの闘技場の地下には違法なカジノがあり、日々の闘技も賭けの一つになっていたという。借金を作る者、闘技場オーナーに弱みを握られる者……自業自得ではあるが、そんな貴族ばかりが増えて国としては問題視していたそうだ。
そして何より、シータを始め奴隷闘士たちの解放は昔から声が上がっていたらしい。しかし違法カジノに関わっていた貴族がその声を握り潰したり、中にはオーナーに脅され抗議者を手にかける貴族も出る始末。
建国記念杯であれば騎士団も王族の護衛として武装したまま闘技場に入れるし、冒険者たちがうろついていてもおかしくない。
また、現ギルドマスターが騎士団長の義理の息子ということもあり、連携が非常に上手くいった。
予想外だったのは、報告にはなかったケルベロスがいたことくらいだったという。あれは見世物として出すには凶暴すぎて手に負えず、しかし魔界に戻すことも適当に放り出すこともできず、闘技場の地下深くに幽閉されていたのだった。
「義理の息子だったのか」
「ええ。僕の母親は騎士団長の姉です」
ユングから少し離れた、小高い丘。ファイが初めてユングの町を目にした場所だ。
ファイとイオは草原に大きな布を敷いて、タランティーノ公爵家の執事とメイドが用意した軽食と紅茶を頂きながら、草原を走るシータとミク、そしてセイセツを眺めていた。
「母が旅の絵描きと駆け落ちしてできた子ですが、僕を産んだ直後に二人とも事故で亡くなって……それからはまぁ本当に色々あって、子供に罪はないと義父さんが引き取ってくれたんです。嫡男は荷が重すぎるので、そのまま弟に任せていますが」
「その……聞いて悪かった」
何も知らないシータは風呂にも、やわらかいベッドにも、外の自然にも興味深々だ。ミクの提案でピクニックに興じているが、設営はファイとイオと執事、そしてメイドが全て行った。
女性陣はこの丘に到着した途端に走り出して、未だに駆け回っている。……あの三人が全力で走っているともはや競技の一つにしか見えないな……
「ただの歴史ですよ。過去のせいで悪いことがあったといえば、ミクが婚約破棄されたときクソ王子に『不純な血筋を迎え入れるような頭のおかしい家と縁を結びたくない』と言われたことくらいですね」
「本当にあの男は地雷原でスキップするのが好きなんだな」
「はは。うっかり顔面が変形するくらい土魔法を打ち込んじゃいました」
「……いくらクソ王子だろうと、王族だろう。大丈夫だったのか」
「ファイさんには及びませんが、回復魔法は簡単なものなら使えますから。まぁ治して土魔法で殴って治して……を繰り返したんですけど」
拷問でしかない。初めて会ったときといい、彼はミクを盲目的に愛しすぎている。
とはいえミクは冒険者ギルドの先輩方からも好かれているようだし、ここ最近の付き合いだけで、人々を引き付ける魅力を持っているのはよくわかった。
「それを見てミクは何も言わなかったのか」
「背中に鬼神が宿っていると声援を受けましたね」
ミクも王太子に対して情がなかったようだ。
ファイは乾いた笑いをこぼし、紅茶を啜る。
「ああ、でも……これから忙しくなりますねぇ……」
遠い目をするイオ。
闘技場はユングの観光資源だ。取り潰すわけにもいかない。なので、新オーナーとしてミクが立つことになった。
ミクが指南するとなれば、全国から武芸者が集まってくる。月一で闘技大会を開いて観客を入れれば、今までのような活気が続くのではないか、という見込みだった。
貴族の令嬢がやる仕事なのか甚だ疑問ではあるが、ミクは乗り気なようなので誰も止めはしない。
健康状態に問題がなかった奴隷たちには適職を与え、中には冒険者ギルド所属の冒険者になって先輩方と楽しく過ごしている者もいるらしい。
それら全てをしばらくサポートすることになったイオは、ギルドマスターの仕事も重なって非常に多忙になることが予見される。
「他の弟妹たちは働かないのか」
「弟は跡継ぎとして重要な仕事に就いていますし、妹二人……ミクにとっての姉たちは、一人は異国へ王妃として嫁いでいて公爵家に戻ることはありませんし、もう一人は未開の大森林で修行の真っ最中です」
「あそこはケルベロスどころじゃない魔物がうじゃうじゃいると聞いたが……」
そうこう話している間に、セイセツがファイらのほうへ戻ってきた。
息を吐きながら敷布に座り「若いと体力が違うな」などと言いつつサンドイッチを頬張る。先ほどの動きも今の様子も、疲れている様子はないようだが……
ファイの不思議そうな目なんて全く気付かずに、セイセツは紅茶を飲み干し、さっさと立ち上がった。
「では、私は隣のフラウの町へ行く」
「もう旅立たれるんですか?」
「ああ。……あの男を殺すまで、立ち止まれないからな」
いつか見た殺気を再び滲ませて、セイセツは外していた一部の装備を身に着け始める。
しかし「世話になったな」と告げるころには、その瞳はいつもどおり冷静に戻っていた。
シータとミクが遠くで手を振っている。それに手を振って応じ、セイセツは丘を降りていった。
「ファイくんは、次はどこに行くんですか?」
「エリーゼマリア地区だ。そこにエルフの魔術師がいると聞く」
エルフとしては若く、しかし人体とエルフの身体の違いについて深く研究しているらしい。エルフは人間を見下す傾向が強いが彼は比較的友好的で研究好きの変わり者という噂を聞いた。
「あの……一ついいですか」
イオが控えめに片手を上げながら訊ねてくる。
「妹さんは病気と伺いましたが、優勝したら『魔術師や神官に診てもらいたい』と仰っていましたよね」
「……ああ」
「それは……病ではなく、呪いなのですか?」
……ファイは「普通の医者では無理だ」とだけ言って、ため息を吐く。
正直、あのときファイがシータの自由を願わなくたって、あと数分待てばシータは自由になれていたのだ。だったら最初の願いを叶えてほしいなんて今さら国王に向かって言えるほど、ファイは図太くなれない。
……この町に来てからこんなことばかりだ。優柔不断な自分が嫌になる。
「ファイくーん!」
「お兄さま! 何の話をしていらっしゃったの?」
……まぁ、ミクを助けていなければイオと知り合って冒険者ギルド枠で記念杯に参加することもできなかったし、シータとミクが良き友人になることもなかっただろう。
殆どのことは良い方向に転んでいるのだ。ミューのことは何一つ進展がないだけで。
そんな弱音を飲み込むように、ファイは紅茶を飲み干した。