08 身体が黒くてね、頭が三つあるの
突然の爆音と揺れに、闘技場内は大混乱に陥った。慌てて逃げようとする人々が押し合い、転んで踏みつけられる者まで出る始末。
国王・女王は騎士団の面々に連れられて特等席から離れ始めたが、特に焦った様子は見せない。国民を動揺させないためではなく、元々この出来事を知っていたかのように冷静な面持ちだ。
オマケのように王子と町娘も騎士団に連れられていたが、二人はパニックを起こしているようだった。
先ほどまで高圧的にシータを連れ去ろうとしていた男も、大慌てでその場から逃げ出していく。
目の前のシータもきょろきょろと辺りを見回しているし、もちろんファイにも何が起こったのかわからなかった。
「今のは……地下……?」
シータが耳をぴくぴく動かしながら、爆音の発生源を探している。
「地下なんてあるのか」
訊ねると、シータは「うん」と頷いた。
「あたしや他の奴隷闘士たちが戦う予定の魔物が入れられてる檻があったり……あと、すごい人たちがいっぱい来る部屋があるの!」
「すごい人たち……?」
「オーナーはあたしには優しいけど、他のみんなにはすごく厳しいんだよー。でもオーナーが、あの部屋に来る人たちにはあたし以上に優しくするの! きっとあたしより強いか、すごく偉い人なんだよ」
単純に考えればそれはオーナーにとっての客人だろうが、それはこの闘技場に訪れる人々も同様だ。それとは別格の客人。闘技場の上客……出資者が『いっぱいいる』とは考えづらい。
騎士団長の不審な動きといい、ファイが推測できる可能性といえば残るは一つくらいだ。
「ファイ! シータ!」
通路からセイセツが駆けてきて、未だ広場から動いていなかった二人に呼びかける。
「騎士団とSランク・Aランク冒険者たちが乗り込んだ」
「Aランク冒険者たちって、長期遠征に行っているんじゃなかったのか」
「騎士団が違法賭博の温床である地下カジノの制圧。その間にSランク・Aランク冒険者たちが、捕らえられていた奴隷闘士たちの救出と闘技に出す予定の魔物の討伐が、本当の任務だそうだ」
推測が真実に変わって、ファイは呆れてしまう。記念すべき建国祭というタイミングでないとできないことだったのか、それは。トーナメントの裏で片付いたのならよいが、こうして民衆にまで負傷者を出している始末だ。
「ここに魔物が逃げ出してくる可能性もあるだろう。だから」
「わかった。ひとまず逃げ遅れてる人たちを助ければいいんだな」
「はーい!」
「……」
そういう話の流れかと思ったが、セイセツは奇妙なものを見る目でファイたちを眺めている。どうやら違ったらしい。
まぁ、セイセツなら「さっさと逃げるぞ」と言うだろう。しかしそれではセイセツの行動自体が矛盾している。
「普通はさっさと逃げるところだろう」
「じゃ、俺たちに声なんてかけずに、一人さっさと逃げなかったのはなぜだ?」
少しでも仲間と思ってくれているのなら嬉しいところだが。
言葉には出さずにセイセツの反論を待つが、セイセツは「うん?」と自身の矛盾に気付いて首を傾げたまま動かなくなっていた。……根は良い人なのだろうが、自覚がない。
「セイセツさんって良い人なんだねー!」
無邪気にシータが笑うと、セイセツはさらに首を捻っていた。
そんなことを言っている間に、殆どの人々は闘技場内から出ていったようだ。しかし出入り口付近から悲鳴が聞こえて、おそらくは魔物たちが逃げ出しているのだろう。
下手に動けば狭い場所での乱戦になってしまう。どうするべきか考え出したときだった。何かを踏みつけた感覚が足の裏に残り、ファイは地面を見下ろす。
シータを連行しようとした男が身に着けていた銀色の棒のネックレスだ。チェーンが切れてしまっている。逃げ出すときに落としたのだろうか。
よくよく見ればただの棒ではなく、小さな笛だ。
「犬笛か?」
思わず呟くと、セイセツも「そのようだな」と同調する。
土埃を払ってから試しに吹いてみると、シータが唸りながら耳を塞いだ。戦闘中に怯んだのはこれが原因だったのか。
最初からシータに願いを叶えさせるつもりなんてなかったのだ。
ズン……
沸々と怒りがこみ上げてくるが、それは地揺れに掻き消された。
ズン……
もう一度。
ズン……
一定間隔で地面が揺れ、次第に大きくなって……近づいてくる。
これは、足音ではないか?
セイセツが身構えた。ファイも息を呑みつつ、いつでも魔法を放てるよう集中する。
ズン……
猛獣が出てくる大きな通用口の鉄格子がバラバラに吹っ飛び、土煙が舞った。
「あ、クロちゃんかな?」
場違いなほど明るいシータの声。
クロちゃん? 獣人のシータがペットのように呼ぶ存在?
「いつも狭い檻の中に閉じ込められてて、すごく怒ってたなぁ。身体が黒くてね、頭が三つあるの」
「え……そ、それって……」
凄まじい咆哮とともに現れた三つ首を持つ黒犬。こんな災害級の魔物が出てくるなんて想定外すぎた。
「……ケルベロスじゃないか!」
人間に勝ち目なんてあるわけない。セイセツですら焦った様子でシータを担いで駆け出し、ファイも後に続く。
こんなものが外に飛び出したら、この世の終わりだ。
さっき聞こえた悲鳴はこれを見た誰かのものだったのか? 犬笛でこちらへ呼んでしまったのだろうか。様々な疑問が頭に溢れては解を得られないまま消えていく。
どれほどの月日を閉じ込められて過ごしたのか皆目見当もつかないが、ケルベロスは怒り狂った様子でファイたちに向かって突進してきた。巨体とは思えないほどの速度から、逃げられるはずもない。噛まれるどころか踏みつけられただけで内臓が破裂するだろう。
やられる――!
そんなときだった。視界の端を自然界ではありえないほど白いものが通り過ぎていく。
いつか森で見かけた少年。通路から広場へ颯爽と歩いてきて、ファイの横を、セイセツの制止も聞かずに通り過ぎていく。
どうしてこんなところに? 観客として来ていたのだろうか。そんな疑問、恐れを知らない、寧ろおだやかな笑みを浮かべる彼の横顔を見たら吹っ飛んでしまった。
「ほら、帰ろう」
この年代の少年特有の高い声がかかった途端、ケルベロスの動きが止まる。
少年の相変わらず指先も見えない長い裾が揺れて、禍々しい球体が現れた。ケルベロスはおとなしく、自らその球体の中へ入っていく。
「く、空間魔法……? 魔界への出入口を作ったのか?!」
セイセツが警戒しながら、少年に訊ねた。
「元の場所に帰してあげただけだよ。一方通行だから、向こうから出てくることはないし安心して」
少年はケルベロスの姿が完全になくなったことを確認すると、その魔法の出入口を閉じた。
どこかからバタバタという足音が聞こえてきて、少年は「めんどくさいなぁ」と呟く。今度は真っ白な光輝く球体をその手元から出して、少年自らが入っていって姿を消してしまった。
「ケルベロスだって――?!」
「伝説の魔物と戦えるなんて、腕が鳴りますわね!」
やってきたイオとミク。
しかし広場で対峙したのがファイたちで、二人は不思議そうに首を傾げるばかりだった。