07 これが俺の願いです
そうして決勝戦。闘技場内の熱気は上がり続けている。
突然現れた旅人、いや冒険者ファイと、闘技場一の人気を誇る奴隷闘士シータの一騎打ち。シータは魔力はあるのに不安定で何が起こるかわからないという、逆転勝利の可能性も秘めているのだ。人々の期待は高い。
これは、娯楽なのだ。
褒賞目当ての旅人と自由になりたい奴隷という配役の演者たちによる、展開の読めない戦い。
シータが自己紹介をしたとき、悲しみを露わにしたのは女王陛下だけではなかった。きっとこの戦いでシータが勝利すればみんな歓喜するし、負ければ今このときは涙を流す。けれど、それだけだ。奴隷解放を求める運動を起こす者はいないだろう。シータを秘密裏に連れ出す者も、所有者に抗議する者も、誰も現れないだろう。この闘技場がなければ、闘技場の町は成り立たないのだから。
いたとしても、きっと闘技場のオーナーに消されているだろう。
今までシータが自由を得られなかったのは、きっとそういう理由だ。
シータの頑張る姿こそが、娯楽なのだ。
闘技場の一等良い席に座る王族。その後ろに、ニヤニヤと笑みを浮かべて立っている薄気味悪い黒服の男が見える。肥えた身体に、無駄にサラサラした美しい金髪……その脂肪を作るためにこんな茶番を仕立てているなんて、吐き気がする。
「あれが闘技場のオーナーか?」
「うん、そうだよー」
気軽に答えるシータ。いつもどおりだ。シータはきっとあの男の本性に気付いていない。
『決勝戦――始め!』
声と同時に、お互い駆け出した。獣人のシータにはセイセツのような不意打ちを仕掛けたって、その驚異的な速さで逃げられてしまう。本当に本気の肉弾戦で消耗させ、弱ったところで魔法を使うほうが良さそうだ。
懐かしい。師匠との辛い稽古の日々を思い出す。最初は本から目を離さないまま避け続ける師匠にファイの拳が掠ることはなかった。やっと一発当てられたとき、すごく嬉しかった。
今はそうじゃない。拳は届くも防御され、逆にこちらに拳が届きそうになったら防御して……戦いというよりは、ピッタリ息の合った組み手をしている気分だ。実力が拮抗するとこうなるのだろうか。
正直、楽しい。思わず笑みをこぼすと、シータも笑い返してくれた。
とはいえ、決着をつけなければ意味がない。シータは武器を持たないので、セイセツのように雷魔法を打ち込むには命中率に問題がある。炎魔法は毛を燃やしてしまうだろうし、最悪傷も残る。風魔法で転ばせるくらいしか無難な戦い方が思い浮かばなかった。
ぐらり、シータの足が一瞬おぼつかなくなる。やはりここまでの戦い、そして連日の戦闘で疲弊しているようだ。
「≪風よ!≫」
その足元に風魔法を放つ。
「っ、負けない!」
しかしシータは、あろうことか突風に乗って空に舞い上がった。
「負けられないもん――!」
バチバチとシータの周囲に火花が散り、ファイは「まずい」と本能的に悟る。
魔力の暴発による雷。そんなもの、耐えられるわけが――
「ッ、うぅ~~……!」
しかし、火花は消えた。シータは両耳を手で押さえ、そのまま地面に向かって一直線に叩きつけられる。
「キャンッ」
悲痛な鳴き声を上げて、けれど「まだ」と立ち上がろうとする女の子に攻撃できるほど、ファイは非情になれなかった。
慌てて審判のほうを見やるが、彼は戸惑いつつもシータが完全に立ち上がれないことを確認するために数秒ほど待つつもりらしい。
早く、早くこの試合を終わらせてくれ。
『勝者、ファイ! よって優勝は――』
そんなアナウンス、至極どうでもよかった。
急いで駆けつけ回復魔法を施そうとするも、見るからに野蛮で屈強な男がやってきて、ファイの前に立ち塞がった。ズボンと靴だけを身に着けた半裸に、銀色の棒のようなネックレスという、いかにも力仕事だけしているような風貌の男。
持っているのは、足枷。
「あ、あたしまだ、戦える……っ!」
じたばた足掻いているシータを押さえつけ、非情にもその足枷は重い金属音を立てて施錠される。
「ま、待て!」
「これは奴隷ですので、そのようなお慈悲は無用です」
これ?
お慈悲?
シータを見下して可哀想だと思っているのではない。
『私は先ほどの願いを曲げるつもりは毛頭ない』
『目的を見誤るな』
セイセツの言葉が、師匠の言葉が脳裏をよぎる。ああ、ああそうか。目的のためには非情にならなければならない。たとえその選択でどんな犠牲を払ったとしても。いや、今まで払ってきたからこそ言えるのだろう。
けれど、ファイはまだ、そんなふうに諦めたくない。
全員救おうなんて無理な話だ。そんなこと頭ではわかっていても、いま目の前で絶望の色に染まっていく瞳を無視するなんてできない。
これはミューの気持ちを鑑みたわけではなく、ファイ自身の意思だ。
「待て」
野蛮な男に、静かに話しかける。うんざりしたように振り返った男はさておいて、ファイは自身で風魔法やら強化魔法を駆使して、自身の声を闘技場全体に響かせた。
「国王陛下、最初に言った願いを撤回させてください」
国王陛下は動じない。まるで予期していたかのようだ。
後ろにいる肥えた男は怪訝な顔でファイを眺めている。
「この獣人の少女を譲り受けたい。これが俺の願いです」
ファイの申し出に、場内がどよめいた。
願いの変更はできないのだろうか。一抹の不安を覚える。期待させるだけ期待させて、また突き落とすことになってしまったらどうしよう。
国王陛下は後ろで踏ん反り返っているオーナーに振り返り、幾ばくかのやり取りを持ちかけている。オーナーは焦ってなんらかの抗議をしているようだったが、やがて黙って悔しそうに唇を噛み締めた。
拡声器を持った使い魔がふわりと漂い、国王陛下の元へ近寄り、
「変更の申し出、およびその願いを、受け入れよう」
重い声が響いたと同時に、場内は歓声に包まれた。
おおよそオーナーが思い描いていた筋書きではないだろうが、結果的に観客はこの物語を喜んでいる。
……反吐が出る。
戸惑う屈強な男を押しのけ、手に持っていた鍵を奪い、シータの足枷を外してやった。
「お、お願い、変更できるんだね……」
しゃがむと、シータが呆然と呟く。
何のことかわからないが、治療が先決だ。回復魔法を発動させ、ゆっくりとシータの傷を癒していく。
「今までも何度かこういうイベントはあったんだけど、お願いって最初言ったのから変えられないんだよ」
「そうなのか? あー……でも確かに、とんでもない願いを後出しするようなヤツは困るだろうな」
「……でも、いいの? 病気の妹がいるんでしょ?」
「……実は、凄腕の魔法使いでも治せなかったんだ。だから…… ……ま、次のあてに向かうさ」
それは本当のことだった。師匠自身が凄腕の魔法使いだったのだから。
師匠に関しては未だ謎が残るが、ミューとファイのために尽力してくれた恩師だ。それに、ミューのあの姿を、ファイの右目を見たときの驚愕した様子は、演技ではなかった。
師匠は自身のことを話したがらないので、ファイも聞かなかったのだ。
「そっか……じゃ、一緒に病気を治す方法を探せばいいんだね!」
「? それはどういう……」
「ご主人がオーナーからファイくんに変わったんだよね?」
シータの目は何の疑いもなくまっすぐだ。先ほどの闇が晴れてよかったとは思う。
「あー……あれじゃお前の所有権をもらうような言い方だったな。悪かった。お前を自由にすることを俺が代わりに願っただけだ」
「えっ……」
「だからお前は、好きに生きればいいが……」
助けてしまった以上、シータが「自分は不幸だった」なんて気づかないように導かなければならない。兄がいるんだったか……せめて兄の元へ送り届けるまではしなければ。
いやまずは食事や入浴だ。イオやミクを頼れば、獣人も入れる店を紹介してくれるだろうか。
そんなことを考えていると、シータが鼻先でファイの額をつついた。行動も犬のようだ。
そのとき、闘技場の内部から爆発音が響いた。
爆発オチなんてサイテー!