05 娘に相応しい婿を探す手伝いをしていただきましょうか
そうして当日。闘技場には熱気が溢れていた。
観客席には人・人・人。この日のチケットは何か月も前から完売しており、人々の期待の視線がファイに刺さる。
一つの村が収まりそうなほどの広場に、四人の参加者だけが立っていた。
『騎士団枠――タランタ王国騎士団長、アルベール・タランティーノ』
魔法により拡大された声が、闘技場内に響き渡る。イオが少し口走っていたので血縁とは知っていたが、タランティーノ公爵家だったのか。
小さな使い魔がふわふわと飛来し、拡声器を持ったまま騎士団長の顔の前で浮遊している。
「優勝したあかつきには……そうですね。娘に相応しい婿を探す手伝いをしていただきましょうか」
公爵の唇の両端はつり上がっているが、エメラルドグリーンの目は全く笑っていない。
どす黒い闇を宿した視線の先――国王は薄くなった頭を抱えていたが、隣の席に座っている王子らしき若い男は人目を全く気にせずに若い女を膝の上に載せ、指を絡めて何言か囁き合っていた。女王陛下の冷ややかな目が恐ろしいし、いつの間にか先ほどまで歓声に溢れていた闘技場内は静まり返っている。
『ぼ、冒険者ギルド枠! ファイ』
慌てて次に進められ、ファイの番になる。騎士団長の前で浮いていた使い魔も慌ててこちらへ飛んできたが……先ほどの騎士団長のように、優勝した場合の権利の使い方を話せばいいのだろうか。
「妹の病を治す方法を探している。優勝したら、高名な医者や魔術師、神官など、できるかぎりの人物に妹を診てもらいたい」
戸惑いつつも言葉を紡ぐと、気を取り直した観客たちから拍手が起こる。少なくとも公爵の意気込みよりはマシなはずだ。
使い魔はセイセツのほうへふわふわと飛んでいくが、セイセツの鋭い目に射竦められて、その場で固まっている。
『一般枠――セイセツ』
それでも役目を果たすため、使い魔は少し怖がりつつもセイセツへ寄っていった。
「家族の仇を探している。情報提供を希望する」
再び静まり返る場内。取り繕った願いを言う必要はないだろうが、この空気の中に立たされるのは息苦しい。
用事を終えた使い魔がさっさとシータのほうへ行ってしまい、セイセツは少し悲しそうだった。
『奴隷枠――』
「えっとね、あたし、闘技場の外に出たいの!」
食い気味に話し始めたシータに、会場から笑いがこぼれる。
「あんまり覚えてないけど、お兄ちゃんがいるから会いたいなって! あと草原?って場所にごろんってすると気持ちいいって教えてもらったの! だからえっと、自由になりたいです!」
――今まで以上にない重い空気。それを作り出したのが、無邪気に尻尾を振る少女だ。
ファイは顔に出さないよう努めたが、セイセツは複雑な顔をしているし、あれほど冷たい目をしていた女王陛下も目元にハンカチを当てている。
……奴隷は誰かの所有物だ。おそらくだがシータは、彼女が思っている以上に不幸な身の上のはず。
それなのに、そんな当たり前のことのために、戦いに身を投じなければならない。
『目的を見誤るな』
師匠の声が脳内に響く。
ファイは首をぶんぶんと振った。迷いは負けを招いてしまう。
先発は騎士団長とシータの戦い。既に会場からブーイングが飛んでいた。この戦いはくじ引きでもなんでもなく決められているようで、おそらくは仕組まれたものだろう。数々の戦いに身を投じてきた騎士団長を相手に、年端も行かぬ少女が勝てるわけがない。
――先ほどから公爵はあの冷ややかな笑顔以外では表情を崩していない。騎士の頂点に立つ者だから、当然と言えば当然だろう。
奴隷であるシータを殺してしまっても罪にはならないというし、彼はどう動くだろうか。
「気になるか」
広場に出入りする通路から二人の戦いを眺めていると、不意に背後に現れたセイセツに問われ、ファイは背の高い彼女を見上げる。
「……騎士団長の戦いなんて、普段は見られるものじゃないので」
当たり障りなく返すと、セイセツは「騎士団長は手を抜くと思うか?」とさらに問うた。
「……可哀想な少女を助けるために?」
「有力貴族の娘で、あまたの武勇伝を持つあの令嬢であれば、あの程度の婚約破棄など瑕にもならない。王の力を借りずとも結婚希望者が殺到するだろう。そんなことのために騎士団長が参加するとは思えない」
「騎士団で一番強かったからじゃないのか?」
「何かの記念でこういったトーナメントは数年に一度行われるらしいが、歴代の参加者に当時の騎士団長はいないそうだ。聞けば王の護衛のため、騎士団長はそもそも予選不参加だそうだが」
では彼は、本当にミクの婿探しのためだけに参加したのか?
あるいは――
「何か別の目的があって……?」
「可能性はある。いずれにせよ、彼のやることに邪魔をしては後々面倒になるからな。気をつけろ」
「あ、ありがとうございます……でも、公衆の面前で国王に嫌味を言うためだけに参加したと言われたら納得する」
「それは……否定できないな」
目的がどうであれ、父親の邪魔をしたなんて知られたら、ミクとイオが黙ってはいないだろう。
ファイは身震いしつつ、改めて騎士団長とシータの試合を見る。
騎士団長は騎士団員たちが使っているのと同じ剣、シータは素手。とはいえ獣人なので、鋭い爪も牙も、恐るべき筋力から繰り出される拳も脚も全てが武器になる。加えて獣人特有の素早さだ。
この記念杯は『気を失う』『武器を手放す』『立ち上がれなくなる』『シータの死』をもって試合終了という至ってシンプルなルールだ。武器も魔法も使っていい。
しかしシータは魔法を使うそぶりを見せない。魔法の素質がないのだろうか。
「ッ!」
騎士団長が反撃とばかりにシータに迫る。獣人にも負けないほどの速度で、シータは咄嗟に対応できていなかった。振り上げられる剣が――次の瞬間には暴風に巻き上げられ、空高く舞い上がる。
観客は何が起こったのかわからなかったようだが、ファイにはシータの手に魔力が発生した瞬間が見えていた。
「あの獣人……魔法が使えたのか」
気付いたらしいセイセツが感心したように呟く。
「みたいだ。でも、制御できていない」
魔法の素質があっても訓練しなければ扱うことはできないのだ。今の風魔法は咄嗟に起こした、いわゆる暴発にすぎない。
「育った環境からすれば当然だが……もったいないな」
「いつ魔法が飛び出してくるかわからないのは脅威だ」
「獣人より早く隙を突かないとやられるな」
難しい条件だ。
騎士団長の剣が地面に突き刺さり、シータの勝利。屈託なく笑う騎士団長と無邪気なシータが握手して、観客は惜しみない拍手を送った。
通路に戻ってきたシータは、特に親しくもないファイとセイセツに「勝ったよ!」と嬉しそうに飛び跳ねて報告してくれる。
「決勝で戦えるのが楽しみだ」
「おいおい、決勝に出るのは俺だぞ」
「なんだと」
なんて軽口を叩いている間に、騎士団長はさっさと歩いていった。……控え室は突き当りを右に進むのに、彼は左に曲がっていく。目が合った途端、ミクとよく似た笑みに人差し指を添えて……やはり何か思惑があるのだろう。ファイは黙って見送った。
「大丈夫か?」
セイセツの言葉で振り返ると、シータがふらついている。
「あー……うん。ちょっとお腹空いたのかな?」
気丈に笑うシータ。……一瞬、手を差し伸べてしまいそうになる。このあと戦う予定の相手なのに。
万全な状態で戦いたいとか、そんな理由もない。ファイはそこまで戦闘自体を好んでいるわけではないからだ。戦いはあくまで手段でしかない。
「決勝まで、ちゃんと休んでおけよ」
つい動物に触れるような気持ちで頭部の毛並みを撫でてしまったが、そういえば獣人といえど女の子だ。
「あ……すまない。気安く異性に触れるべきじゃなかったな」
「ううん! あたしが試合で勝つと、オーナーが撫でてくれるの! 相手を撫でるって、人間にとっては良いことなんでしょ?」
「あ、ああ……そうだな」
『次は、ファイ対セイセツ――』
魔法で拡大された声が通路にも響き渡る。
無邪気に「頑張ってね!」と応援してくれるシータに手を振り、ファイとセイセツは広場へと繰り出した。