04 まるで牢獄ではないか
「勝者、シータ!」
審判の声が闘技場内に響く。ワッと客席から歓声が上がり、少女――シータは長い息を吐いた。
オレンジ色の毛並み、狼の耳、短いマズル、臀部からはフサフサした尾が伸びて揺れている。シータは獣人と呼ばれる人種だ。人間のように直立二足歩行し、けれど五感や戦闘能力は獣そのもの。
ひとたび人間に捕らえられれば、奴隷のような扱いを受ける存在。
この奴隷枠の予選は他枠と違い、見世物も兼ねていた。シータは奴隷闘士の中でも人気があり、こうして観客がたくさん応援しに来てくれる。
しかし今回の試合はいつにも増して負けることができなかった。
「入れ」
言われなくたって入るのに、男はシータを乱暴に部屋の中へ突き飛ばす。あの男は嫌いだ。オーナーと違って粗雑で。
鉄格子のはまった小さな窓、鍵のかかる重厚な鉄の扉、石の剥き出しになった壁と床、固いベッド。時間になればプレートに載せられた食事がドアの下の小窓から差し入れられる。
特に不自由はないけれど、物心ついたころに兄と生き別れ、気付いたらこの薄暗い部屋に一人だったので、兄と会いたいとは思う。
それと……いつか戦った旅の闘士が偶然この部屋を見て「まるで牢獄ではないか」と驚いていた。
牢獄?
その言葉が何かよくわからず、あの粗雑な男に聞いてみたことがある。
男はヒヒッと喉が引き攣るような笑い声を上げて「お前の部屋のことだ」と告げた。
旅の闘士の顔は悲痛そのもので、もしかしたらこの部屋はよその人間から見たら良い環境ではないのかもしれない。
このトーナメントで優勝できたら……旅人が教えてくれた大空や、草原や、毛を攫う風を全身で感じられるだろうか。
親は、兄はどこにいるのか。
自由になれたら、それも闘技場のオーナーに聞けるだろう。
シータが勝利すると、汗でしっとりして少々べたつく手で撫でてくれるオーナー。本当はその感触があまり得意ではないが、オーナーは喜んでいるのだから仕方がない。
ぐらり、視界が揺れる。最近少しずつ食事の量が減ってきていた。オーナーは「不作でな」と申し訳なさそうにしていたから、外の世界は大変なのだろう。
シータは金色の瞳で窓外を見上げ、気を紛らわそうと鼻歌など歌っていた。
***
「勝者、ファイ!」
ギルドの闘技場でどよめきの声が上がる。つい昨日ギルド入りしたばかりの新人が記念杯の予選を制したのだから当然かもしれない。
絶対必要になるからと『あの日』から半年、みっちり師匠に体術を教え込まれただけはある。貧相だった身体が成長することもできた。
ファイは構えを解き、長い息を吐く。まずは第一関門突破だ。
「いやぁ、強いなお前!」
地面に座り込んだままのBランク冒険者男性が、握手を求めてファイに手を差し出す。握手をして、そのまま立たせるように引き上げると、周りから拍手が起こった。
Sランク冒険者のイオらは興味がないという理由で不参加、Aランク冒険者らは長期遠征で不在。そういうことで今このギルドで一番強いだろうBランク冒険者らと戦い、そして勝利した。
「……すみません。俺みたいな新参者が」
成り行きとはいえ、彼らの出場権を部外者が奪ってしまったようなものだ。ファイは申し訳なくなり謝るが、当の先輩冒険者のほうが「いーっていーって」とさわやかな笑顔で受け流す。
「そりゃ一攫千金なんて夢もあったけどよ。お嬢から話は聞いてるぜ」
「妹さんを助けるためなんでしょ? しかもお嬢をあのクソ王子から助けてたら一般枠に間に合わなかったとか」
「泣かせるじゃねぇか!」
いつの間にか周囲に集まってきた先輩冒険者らが口々に話し出した。いったいどこまで流布されているのだろう……あと王子はどれほど嫌われているのだろう……
「その……いいんですか。本当のこととはいえ王子のこと悪く言って。不敬罪とか……」
「いいのいいの! そんなこと国中みんな知ってるわよ!」
「国中……」
「ひどいもんだぜ! 政略結婚とはいえ、あの容姿端麗・文武両道なお嬢とガキのころから婚約してたくせによ! 初等部のときは同い年の伯爵令嬢に手を出して、中等部のときは年上の子爵夫人。高等部の今ときたら酒場で働いてる庶民の娘」
貴族の噂話は出入りの商人などから少しずつ民衆に広まっていく。それが真実であれどうであれ、王族の評判としては最悪だろう。
……先輩冒険者らのお喋りを話半分に聞きつつ、少し離れた場所にあるコートに目をやる。一般枠トーナメントの決着がもうすぐ決まるのだ。後日戦う相手のことを見られるのは好都合である。
大柄な体躯の男と戦うのは、長い黒髪の女性だった。歳は三十代半ばといったところだろう。美しい黒髪を高い位置で一括りにして、真っ黒な瞳は眼光鋭く大男を睨んでいる。目で確認できる皮膚は古傷だらけで、いくつかは最近できたような真新しい傷もあった。
大男の力強い拳がセイセツに向かう。しかし彼女はギリギリまで引き寄せてから、踊るような美しい身のこなしで避けて、大男の懐に入り込んだと同時にその太い喉元へナイフを当てた。
「勝者、セイセツ!」
……いくら試合とはいえ、実戦だったら相打ちになっていただろう。セイセツの戦い方は己の身の安全など、これっぽっちも考えていないように見える。正攻法で勝てる相手ではなさそうだ。
彼女――セイセツはまるで獣だ。
昨日覗き見た奴隷枠予選の勝者は獣人の少女だった。しかし少女の瞳には希望が満ちていたが、セイセツの目には強い殺気が宿っている。まるで本当に殺したい誰かを、目の前の大男に重ねているような。
明日の決勝トーナメントに参加するのは騎士団長、シータという獣人、セイセツという旅の闘士、そしてファイの四人。
――そのとき、セイセツがこちらを見ていることに気付く。明日戦う可能性のあるファイを見据えたようだが、先ほどのような強い殺気は感じなかった。