01 みなの前で『真実の愛を見つけた』と婚約破棄なさったのは貴方でしてよ?
どこまでも続く青空の下、大きな町が広がっている。
タランタ王国領アルナリア地区、闘技場の町ユング。
離れた小高い丘から眺めて、ようやく全体が視界に収まるほどの面積を誇る町だ。目的地――観光名所である闘技場は町の中心を陣取っており、ここからでも見つけられるほど存在感がある。
まるで要塞のような円形の建物。
いざとなれば町の人々は闘技場に避難するらしいが、見世物にされる猛獣もいるような場所が安全とは思えない気がする。
……随分のんびりと町を眺めてしまった。少年――ファイは長い息を吐きつつ、師匠にもらった黒いローブを翻してユングの町を目指す。
心地よい風が生気のない銀髪を攫い、ファイはアイスブルーの瞳を細めた。その右目にだけ浮かぶ、十字の光――聖十字。人と出会う前に、それは長い前髪で隠した。視界はひどく悪いが、この目はよほど信頼できる者にしか見せないようにと師匠に言われている。
タランタ王国で一定以上の大きさのある町に入るには、入国料を払い記名するか、商人などであれば戸籍のある国から発行される身分証の提示が必要だ。ファイの場合は前者だが、このタランタ王国の入国料は他国に比べて比較的安価に思える。
もう何年も旅をして、ぼったくりのような入国料を迫る関所も多かった。それでも払って、そして無駄だったと何度も何度も思い知らされてもなお、こうして旅を続けている。
全ては、ミューを……妹を助けるためだ。
村を滅ぼしたのは誰かとか、母親やみんなを殺したのは誰かとか、そんなものは最初からどうでもいい。今なお生き永らえている唯一の家族を助けることが最優先だ。
『目的を見誤るな』
ファイは自身を落ち着かせるように、懐に入れていた貼り紙を取り出す。タランタ王国は今年で建国五百年を迎えるらしい。それを記念して、ユングの闘技場で建国記念杯を行うというお触れだった。
優勝者に与えられるのは『希望が叶えられる権利』だという。とはいえ、当然だが王の力が及ぶ範囲でだ。不治の病を治せなんて不可能だろう。
でも、これでミューを助けるための手がかりを得られるかもしれない。
参加するには騎士団枠・冒険者ギルド枠・奴隷枠・一般枠のいずれかの予選を勝ち抜かなければならない。
騎士団枠はタランタ王国騎士団に所属していることが前提のため当然ファイに参加権はない。また騎士団枠争いのトーナメントは既に結果が出ており、王国騎士団長が出場するそうだ。
冒険者ギルド枠は、タランタ王国のギルドに所属している者のみが参加可能だ。ギルドの任務をいくつかこなして一定以上の冒険者ランクを所有していなければ所属とは見なされず、参加することもできない。
奴隷枠は闘技場で働かされている奴隷で一番強い者が参加するわけだが……近隣の村で知り合った老婆曰く、奴隷は日ごろから食事も満足に与えられず、前日までの戦いでボロボロの状態で放り込まれ、しかもこの奴隷枠の選手を殺しても相手は罪に問われないらしい。勝てたとしても胸糞悪い。
一般枠はとりあえずお祭りに参加できる特別枠のようなもので、この枠ならファイも参加できる。
お触れに書かれている一般枠の参加申し込み期日は今日。応募者多数の場合は早期締め切りもありえると書かれていて、ファイは少しずつ歩みを速めてユングの冒険者ギルドへと向かった。
一般枠の予選も冒険者ギルド監視の上で行うらしい。
「くそ……っ」
「手間取らせやがって」
不意に、声が聞こえる。男が二人。酒に焼けた声で、口調もガラが悪い。
思わず立ち止まって角から覗き込むと、ファイの推測したとおり、ガラの悪い大男が二人して、地面に倒れる女性を囲んで見下ろしていた。
金属製の手枷と足枷を……手首から肘の上まで五つ、足首から膝の上まで五つ。合計十個? いくらなんでも女性相手に大袈裟なほどの拘束ではないか。猿轡をされ、声を上げることも叶わないようだ。
女性――いや、ファイより少し年下くらいだろうか。金髪の巻き髪は陽光を受けてキラキラと艶めいて、エメラルドグリーンのツリ目はこんなときでさえ強く男たちを睨んでいる。上質な布のロングスカートは破れてしまっているし近くに落ちている純白の日傘もボロボロだが、かなり高貴な身分のようだ。
「殿下の命令だからな、悪く思うなよ」
男が取り出した刃物がギラッと不気味に輝く。
『目的を見誤るな』
師匠の言葉が脳に響いた。
急がないと、予選に参加できなくなるかもしれない。こんな他人事に関わっている場合じゃない。
ファイはさっと踵を返そうとする。
――高く振り上げられたナイフの鋭い光が、ファイの視界の端でなお煌めいている。
「ッ――!!」
仕方がない。これは仕方がない。ミューがいたら理由がどうであれ「困ってる人を見捨てるんじゃない!」とファイの顔が変形するほど殴るだろう。
簡単な強化魔法で移動速度を上げ、大男の手からナイフを手甲で叩き落とす。その勢いのままもう一人の大男の首の後ろに蹴りを一撃入れてやると気を失っていた。
一瞬にして現れた人物にナイフを奪われ、さらに一人は気絶させられた。そんなことを理解する隙すら与えず、ファイが鳩尾に肘をめいっぱい沈ませると、二人の大男は折り重なるように倒れる。
完全に意識を失ったことを確認して、大男の懐を探った。見つけ出した手枷と足枷の鍵を手に、すぐ少女の元へ駆ける。
猿轡を外してから、続けて足首の枷を外そうとすると「膝より上の一つを先に外してくださる?」と上品に希望される。せめて足首から外したほうが、大男が目覚めてしまった場合でも逃げることはできるが――ファイは口答えせず、膝上の足枷を外した。
「次は肘より上の一つを」
さらに希望され、ファイはよくわからないまま従う。
「ありがとうございます。あとは……」
「ヒッ……」
気が付いたらしい大男が悲鳴のような声を上げ、少女を見上げていた。
「自分で外せますわ」
ファイが「は?」と声を漏らすより先に、少女はまず足枷を引き千切る。膝下から足首に連なる金属製の枷が、まるでパンを手で割くようにバキバキと軽快な音を立てて千切れていった。手枷も同様に、肘から手首に向かって千切れては地面に落ちていく。
さすがに膝上や肘上を拘束されていたら力が入りづらくて裂けないか……じゃなくて!
ファイは目の前の少女の、武人と紹介されても納得できるほどの筋肉を纏った脚部に釘付けになった。
「王太子殿下にお伝えくださいな。みなの前で『真実の愛を見つけた』と婚約破棄なさったのは貴方でしてよ? わたくしのような『武骨で』『王妃には不釣り合いな』『女性らしくない肉体を持つ者』から、今さら貴方にお伝えすることはありませんし……わたくし、陰湿な方は嫌いですの」
まるでおとぎ話のような過去が少女にもあったらしい。
武骨で、王妃には不釣り合いな肉体を持つ者――寧ろこのような王妃が玉座にいたら、他国だって戦争も吹っ掛けたくないだろうに。
「それに再三伝えたはずですけれど、わたくし、わたくしより強い殿方が好みですの」
「いるのか、そんなヤツ」
思わずファイがそこで転がったままの大男たちに訊ねるが、大男二人は揃って首を横に振った。だろうな。
この大男たちは雇われ者だとは思うが、相手がこの少女では相当頭を抱えただろう。結果、数にものを言わせた拘束に落ち着いたようだが、そこまでして王太子とやらは少女に何をするつもりだったのか。
「大方、わたくしにケガを負わせて傷物にし、さらに拘束している間に既成事実を作ってしまえば、わたくしを側室に置いて職務を全て押し付け、ご自分は真実の愛で結ばれた町娘の正室と諸外国を遊び回れるとお思いなのでしょう」
「クズだな」
「クズじゃん」
「クズすぎる」
ファイどころか大男たちまで同調してしまった。
「まぁ骨がないので、手を使わずとも捩じ切るくらい容易いのですけれど」
いや何をどう捩じ切るつもりだ。一瞬で嫌な予想ができてしまったが、あまりに残酷すぎる――いや王太子の自業自得でしかないが――その言葉に、ファイと大男たちは身を寄せ合い震え上がった。
「あらいけませんわ、はしたない。……まぁ、貴方がたが報告するのであれば、わたくしがこのような独り言を呟いていたとそのまま伝えればよいのではなくて? それとも――体験したほうがもっと克明に報告しやすいかしら?」
優雅な笑みを向けられ、大男は血相を変えて逃げていく。
少女は愉快そうに笑っていた。拘束された時点で、普通ではありえないことだ。ましてや命を奪われるかもしれないところだったのに。これが彼女にとっての日常であるならば、おそろしい国だ。
「申し遅れましたわ。わたくし」
「あ!」
ようやく本来の目的を思い出し、ファイは声を上げて少女の言葉を遮ってしまう。
「す、すまない! 急ぎの用があるんだった!」
あまりの出来事の連発で忘れるところだった。今日のことは一生忘れられないだろう。
冒険者ギルドの場所は闘技場の近く、南側の大きなレンガ造りの建物と事前に調べた。そのとおりの建物が見えてきて、ファイは速度を上げる。
そしてその入り口のドアノブを掴もうとした瞬間、扉に『締め切りました』と大きく書かれた貼り紙が目に入った。