表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

婚約破棄―その愛と死の応酬

 私は、婚約者であるボリス王子

――第1王位継承権者

――の呼び出しをずっと拒んでおった。


 何のために、しつこく呼び出すかは分かっておった。

 最初の呼び出しの使者が来て、既に6ヶ月が過ぎておった。

 その後も、呼び出しの催促は度々来たが、その度に私は病と称して、断り続けておった。

 ただ、この対応も限界が近い。

 私は地元の公爵領には帰らず、王都の公爵家の館に留まっておった。

 ゆえに、私の病が嘘であることは、使用人に金を握らせるなり、出入りの者に探らせるなりで、王子は既に把握していると想われた。


 これもそもそもは、体調が戻れば、すぐ王城に向かいます。そのため、病にもかかわらず、王都に留まっております、との健気さを演じて、

――参内せぬことへの言い訳として用いるためであったのだが。

 何であれ、公爵家の悪評の種となることは、避けるべきことであったゆえに。

 ただ、こうも長くなってしまっては、却って怪しまれるもの、それほど悪いなら、公爵領に戻って治すべきであろうと当然なろうし、嘘を勘ぐり、探りもしよう。

 うまく行かぬ時には、何事も行かぬものだなと想わざるを得ない。




 そしてつい先ほど、死神と契約した。

 だから、今、私には死神がついておる。

 猶予は1日、つまり、明日の今頃。

 その時刻までに、ある条件が満たされなければ、私は死神に命を取られる。




 私は国の有力貴族ハイネベルグ公爵家の一人娘アレクサンドラ。

 我が家は代々王家と通婚しておった。

 つまり、代々の娘は王妃、しかも正妻の座を得ていた。

 これほどの栄誉を保ち続ける理由はただ2つ。

 その2つを私も受け継ぐ。

 1つはまさに完璧な美貌。

 これに魅了されぬ者はおらぬ。

 それは歴史が証明している。

 ただ、これのみでは十分ではない。

 男とは愚かなもの。

 浮気性で移り気で、どうしようもない。

 それでも肝腎要のところを抑えてくれておれば、文句は言わぬ。

 私と婚約し、無事結婚を済ませ、そして私に正妻の座を確約してくれるならば、他に何も望まぬ。

 結婚の後であれば、いや、前でさえ、浮気などに目くじらを立てる気もない。

 私は結婚する前もそして結婚した後も、静かに過ごしたいだけだ。

 夫の愛など求めておらぬ。


 ただ私の婚約者ボリスは、まさにその肝腎要のところが分かっておらぬ。

 猟の際に見かけた村娘と恋した挙句、その小娘を連れて来て、それを本当の恋だと周囲に言いふらしておると聞く。

 そして王城の内でも外でも、私が婚約破棄されるに違いないとのもっぱらの噂とのことであった。

 それから、ここずっとの呼び出し。

 私はただ婚約破棄を言い渡されぬためだけに、それを拒んで来ておった。

 時と共に、その小娘への情愛も冷め、放り出すものと想っておったのだが。




 ところが、来たのはその娘が去ったとの噂ではなく、王子からの最後通牒とも言い得るもの。

 私が参内できないなら、王子自ら来るとのこと。

 使者が我が家の執事にそう伝えたので、

――私はやはり病と称して、応対には出なかったのだが、

――さすがに、王子を臣下の家に来させる訳には行かない。

 あの家は無礼だ。王家をないがしろにしておるとの悪評を招く訳には行かぬ。

 もちろん、私が本当に病気であれば、そしてその目的がお見舞いならば、話は別である。

 それは王子が婚約者の病状を気遣う美しき情景と共に、

――私アレクサンドラに向けられた優しさと愛の証しとして、世に喧伝することもできたろうが。


 そうではないのだ。

 そこで婚約破棄などされては、どうなる。

 先の悪評と相まって、我が公爵家を他の貴族どもは遠慮無く打擲しよう。


 そして、それ以上の問題があった。

 王子が我が家を訪れては、私や公爵家が疑われる原因となるやもしれぬ。

 毒味も含めガードが完璧な、証人もたくさんおる王城にて、

――私は王子と面会する必要があった。

 例え、私のその無残な様を見られたくない者に見られようと、私が婚約破棄を告げられ、何もなし得ず帰ったことを目撃させる必要があった。

 なす術なき哀れな公爵令嬢として、その者たちの目に焼き付ける必要があった。

 何より、疑われぬために。

 私は、明日、おうかがいするとの返答を使者に託した。




 そして私は迷っていたことに、1つの決断を下した。

 我が家に代々伝わるもの。

 それは契約書であった。

 既に契約書はほぼ完成しており、後はしかるべきところに私がサインすれば良かった。

 伝承によれば、そもそもは10枚あった

 私が王子からの呼び出しに神経をすり減らし、苦しみの中に留まるを強いられても、なおためらっておったのは、

――自らの命を危険にさらさねばならぬというのが、第一だが、

――他の理由として、もう枚数がそれほど残っておらぬ、ということもあった。


 今、手許にあるは3枚。伝承が正しければ、既に7枚使われ、私が使うと残り2枚となってしまう。

 公爵家の永代の栄えを願うならば、一枚でも多く後世に残すべきであるは明らか。

 使わずに済めば・・・・・・、そう願っておったのだが。


 しかし、そのようなことは言っておられないようだ。

 私が婚約破棄される訳には行かない。

 他に姉や妹がおれば、そこに望みを託すということはあったろうが、私には兄と弟しかおらぬ。

 私で代々続いた通婚を断たせる訳には、行かぬ。

 我が公爵家は有力であるからこそ、敵も多い。

 一代、通婚が途絶えれば、どうなるか分からぬ。


 実際、私が苦境に立っておるのも、私の父方の伯母上、つまり父の姉のヴィクトリア

――現国王の王妃であり正妻であった

――が3年前に亡くなったためであった。


 今では、伯爵家より嫁いだ側室が我が物顔で口を出しておると聞く。

 そして今回の呼び出しも、その側室が関わっておるのではないか、

――私の悪口を王といわず王子といわず、吹き込んでおるのではないか、

――そう、想えてならぬ。

 まず私を追い落とし、次は村娘。

 王子の愛がある間はいざ知らず、一端、それを失ったならば、何の後ろだてもない村娘を追い出すなど造作ないはず。

 それから、自分の親戚なり言う通りに動く手駒なりを、王子の妃の座へすべり込ませれば良い。

 つまり、ここまま行けば、『現国王の側室』と『王子の妃』との強固な連係ができあがってしまう。

 兄弟の娘が、やはり私並みの代々の美貌を受け継ぐを得たとしても、かなり不利となってしまう。

 兄の方には既に娘が一人おり、その片鱗はあったと言いたいところだが、何分、幼すぎる。


 いずれにしろ、私の代には私しかおらぬ。

 そして、私は私でやれることをやって、次代につなぐしかなかった。

 伯母上が私になそうとしてくれておった如くに。

 もし、伯母上が生き残っておれば、王に対しては正妻として、王子に対しては実母として、決して好きにはさせまい。

 まさに伯母上の死は痛恨であった。


 それで、この契約書という訳だった。

 一体、先祖がどのようにして、これを死神と取り交わしたのか?

 それについては、今では、分かりようもない。

 恐らくその代償として多くのにえを出したに違いない。

 場合によっては、生け贄を、一族の中から出したのかもしれぬ。

 例えば、生まれたばかりの新生児などを。

 ゆえにこそ、伝えられておらぬのだろうと想われた。


 先祖の残したものは、家訓のみであり、他には何も伝わっておらぬ。そこには、

『ひたすら、愛の神を祭り、尊崇せよ』とあった。

 まさに歯の浮く戯れ言である。

 死神と契約するような者がかようなものを残すとは。

 あるいは、契約ののちに後悔したのか。

 あるいは契約をなしたことを隠蔽するためか。

 いずれにしろ、死神の呼び出し方も契約書を新たに結ぶやり方も伝わっておらぬ。

 ただこれを契約した先祖も、そして代々受け継いだ者たちも、これを破り捨てることはなかった。


 伝承によれば、そこには、こうあると言う。

 といって、私にその書面は読めぬ。

 それは古文字で書かれておるとのこと。

 ただ契約内容はいたって単純。

『我が子孫が愛をないがしろにする宣告――婚約破棄や離婚の宣告――を受ければ、それを告げた者の命が奪われる』

 つまりボリス王子が死ぬのである。

『そうでなければ、契約者たる我が子孫の命を代わりに奪う』

 つまり、私の命が奪われる。

 そして期限は1日。


 通常なら、この期限が1日というのは厄介なものとなりうるが、今回ばかりは、その恐れは無いと言って良かった。

 何せ、王子は私に婚約破棄を言い渡したくて、ついには自ら臣下の館に赴くとまで言い出しておるのである。


 そのどこぞの村娘を新たな婚約者に迎えるためであることは、確実である。

 恐らく、村娘がそう王子にこいねがい、それを受け入れてであろう。

 当然、村娘としては、王子が己にのぼせ上がっておる内に、手を打ちたかろう。

 そして、残念ながら、それほどに王子はその者に魅了されておるのだろう。

 我が公爵家の代々の美貌をもってしても、如何ともし難いということか。


 ただ、逆に言えば、私が呼び出しに応じれば、その当日に言い渡されることは確実であった。



 次の日の朝、起きた時は、むしろ晴れやかな気分であった。

 当然である。

 死神がその鎌を当てているのは、私ではなく、婚約破棄を告げようと待ち構えておる王子なのだから。

 ただ登城の時刻が近付くにつれ、その気分は薄れていかざるを得なかった。


 私はあえて伯母上の真紅のドレスを身にまとい、王城に向かった。

 伯母上が娘時代に気に入り愛用していたものを、昨夜中に仕立て直させたのであった。

 私が年頃になって譲ってくださったものであったが、言うまでもなく、女物の装いには流行はやりというものがある。

 真紅という派手な原色使いも、私を気乗りさせない理由だった。

 私は薄黄色や薄緑を好んだ。

「あなたも真紅が似合うのに」

 私がこれを着ようとしないのを知って、伯母上はそうおっしゃったが。

 確かに外見は似ているから、そうかもしれぬが。

 大輪の真紅のバラの如き美しさは中身を伴ってこそ、

――幸せボケできるほどに相手の愛が信じられるヴィクトリア伯母上ならばこそ、

――愛など信じぬ私とは異なる。


 ただ、こたびばかりは、

――今は亡き、とはいえ、やはり王妃の座を勝ち得て、私に代をつないだ伯母上、

――その力を借りたく想ったのだ。


 伯母上は私と異なり、国王を愛しておった。

 度々、のろけを聞かされた。

 その愛する余り、良く分からぬ国王のサプライズに、あえて飛び上がって喜んでみせるとのことであった。

 相手の好みに合わせて、よそおうこと、

――それくらいの相手に対する思いやりを、私も持つべきだとのたまわった。

 ゆえに、もっぱら聞かされるのろけは国王がしてくれるサプライズであった。

 いきなりの賜り物であったり、

 いきなりのキス、

 まあ、更にその後のいろいろ、色んな色事だった。

 婚前の姪に話すことではあるまいとは、今でも想う。

 心ここに在らずの顔で私に話してくれた。

 あの時は、幸せボケのアホウ伯母上だなと正直想ったが。

 その幸せそうな彼女が生きておれば・・・・・・。


 亡くした者の重みは、亡くなってからでしか分からぬ、

――良く聞くこのことに、

――小さい頃から賢いともてはやされた私自身が身につまされようとは。

 私自身のさかしらさを運命が笑っておるようであったが。

 ただ、こたび、その運命を逆転すべく私は手を打ったのだ。

 ここで終わりではない。

 私は己に言い聞かせた。




 野天にある王城への階段を登る。


(こんなにきつかったかしら。

 これを登るのも、ずい分と久しぶりだし、

 何より病を称していたから、最近あまり外にも出ていない。)

 そう想いつつ、頼りない足運びで階段を上がっていると、

 不意に自分の脇を支える者が現れた。

 驚きのあまり、危うくその者を突き飛ばしかけ、更には私自身は落ちかけた。

 その者は、身軽に態勢を立て直し、なおかつ、私の体を支え、落ちるのを防いでくれた。

 とはいえ、そもそもは、その者のせいでもある。


「何よ。危ないわね」

 そう口にしたのみで、いきどおりを抑え込む。

 それが公爵令嬢のたしなみというもの。

 今日で全てが失われる訳では無い。

 というより、今日から全てが始まるのだ。

 王子が死ぬ。

 それだけだ。


 いや、それに留まらぬ。

 私に婚約破棄を宣告したその夜に急死したとなれば。

 他の人々は死神との契約書を知らぬ。


 天罰に当たったと。

 愛をふみにじったその報いと。

 そう想うであろう。


 そして、私にこそ神のご加護があると。

 そう信じるであろう。


 ならば、跡継ぎを産むことで、国の繁栄の礎を築き、後には国母として国を見守る存在。

 誰がそれにふさわしきか。

 私であると。




 そして王子には弟がおった。

 これは伯母上の子ではなく、側室の子であった。

 その弟が私を時折盗み見ておることには気付いておった。

 無論、今までは、いかなる反応も示さなかった。

 兄の婚約者以上のことは何も。

 あくまで、その視線には素知らぬふりを通した。

 ただ今日からは違う。

 どうしよう。

 微笑み返すか。

 まなざしを交わすか。

 見つめてみるか。

 王子を想うままに籠絡した時を想い出し、更に気分は良くなった。


 そんな気分に包まれるを得たゆえにか、階上に至ると、自然とお礼の言葉が出た。

 階段の上まで脇を支えてくれたならば、やはり礼は言わねばならぬ。


(そうよ。アレクサンドラ。できるじゃない)

 そう自分に言いつつ、改めてその者の顔を見ると、見覚えのないことに気付く。

 汚らしい身なりだが、宮女の装いではなかった。


「誰?」


「初めまして。お姉様」


(お姉様? 何。こいつ)

と心中で想うも、相手の素性が知れぬ内は、丁重さを崩せぬ。

 私は公爵令嬢アレクサンドラ。

 ふさわしき言葉と行いがある。

 父に、そう厳しくしつけられた。

 もちろん、私を王子の妃、

――最終的には国王の正妻とするためであった。


「あなたは私の妹さん?王子のご親戚?見かけない顔ね」


「いえ。私はドガード村の農夫の娘です。ラファといいます」

と言って、右手を振りながら、素朴な笑顔を私に向ける。

 嘘ではないのだろう。

 貴族はこんな挨拶はしない。

 まして私が誰かを知っておれば。

 それに何より、


(こいつか!)

 

 まさに、私は頭に血が上った。

 そしてその状態の私に、こいつはこうのたまわった。


「よろしくお願いします。お姉様」


 遠慮会釈もないとはこのことか。


(この泥棒猫が!)

 私の誇りは、この言葉を口にすることは愚か、心の内に抱くことさえ許さぬはずであるが。

 まさにどうしようもなかった。

 何とか口に出すことだけは抑えた。

 ふぅーとばかり、大きく1つ息を吐き、心を平静に持って行こうとする。


(なるほど。

 婚約破棄宣言を目前にした私が、どんなみじめでしみったれた顔をしているか見に来たという訳ね。

 でも、おあいにく様よ。

 あなたの王子は、後わずかな命。

 そして王子がいなくなれば、誰があなたのことを気にかけるかしら。

 そう想うと、ようやくにして怒りが静まった・・・・・・と想えた。


 ただ、その娘はなお私を愚弄するのか、私の周りをうろうろとうろつき、なんやかやと下らぬことを話しかけてくる。

 耐えた。

 どんなに『失せろ』と怒鳴りつけたかったか。

 いや、そんなものでは済まぬ。

 本音は『殺すぞ』である。

 ただただ耐えた。

 来たり来る日に、

――というか今夜が刻限だ、

――王子が死に、こいつの表情が絶望に占められるのを想像することにより。




 そして、村娘に先導されて、王子の部屋に入る。

 村娘も同席か。

 そうだろう。

 その様を見たかろう。

 私も見たいぞ。

 いや、厳密には聞きたいぞ。

 婚約破棄と王子が明言するのを。


 王子は立って私を待っておった。

 普段は王子が座るそのイスに、王が座しておったからに他ならぬ。

 何ゆえか、王もいらしたのだ。

 ああ、そうか、不思議でも何でもない。

 むしろ当たり前。

 婚約破棄なら証人が要る。

 王なら申し分ない。

 そして王自身が、婚約破棄を望んでおったとの噂は誠であったか、

――遂に認めざるを得なかった。

 私の気に入られたいとの、今までなして来た努力は何であったのか。


 そしてあの側室はおらなかった。

 まあ当然だ。

 下手に顔を出して、無用に私の恨みを買うことはない。

 私が婚約破棄されたのをその場で見る必要も無いほど、己が勝利を確信しておるのだろう。

 村娘ほど愚かでないということだ。

 そのゲスで下卑た心を満たすために、ここにおる村娘ほどには。

 ただ、側室も我が家に代々伝わるものについては知りようもない。

 何がこの先待っておるか、今に分からせてやるぞ。

 次には、そなたの息子をこの公爵家代々の美貌にて籠絡してやろう。

 息子がそなたにつくのか、私につくのか、今から楽しみだ。




 私はまず王の前にひざまずき、差し出された手に軽く口づけしようとする。

 すると、


「ああ。それは。・・・・・・そのドレスは」


 王は不意に落涙された。

 伯母上の若かりし頃を想い出されたのであろう。

 それほどに愛されておったのか。

 比べて私は。

 私はいきどおりに震えつつ、国王の感傷に震える手指にキスをした。


 それから、かたわらに立っておる王子の前に移ると、あらためてひざまずく。

 そして言葉がかかるのを待つ。

『公爵令嬢アレクサンドラ。そなたとの婚約を破棄する』

との言葉を。




「我が未来の妃よ。どうして、我にも我が父王にも、その美しき顔を見せてくれぬ。

 そなたは余りにも長い間、顔を見せぬ。

 そのゆえにこそだ。

 ようやくそなたが参内すると聞くや、

――父王は自ら我が部屋にお越しになり、こうして喜びに満ちあふれ、そなたを待っておったのだぞ」


「残念ながら、このボリスはわしに似てしもうた。

 やはり、同じ女性ということもあるのだろう。

 そなたのかんばせは、ヴィクトリアの面影を強く残す。

 わしにとっては最早見ることのかなわぬ妻の姿を見るようなもの。

 生きておってくれたら、その寂寥を癒やしてくれるのは、そなたしかおらぬのだ。

 どうか、もっと気前良う、もっと気安く、その顔をわしに見せてくれ。

 もっとも、病を治してからで良い。

 無理をするな」


 私は自分の耳を疑った。

 それから、王子や王は言っておったが。

 ・・・・・・何やかやと。

 まさに何やかやとであったが。


 私が理解したところでは、

 果たして、何の悪ふざけか、この場で、私は正式に王子にプロポーズされたらしいこと。

 王の同席は、私の顔を見たいというのと併せて、その証人で、ということらしいこと。

「わしが証人じゃ。誰にも文句は言わせぬ」と確かに王はおっしゃった。

 ここで私が受ければ、その時点で正式の夫婦となるらしいこと。


 加えて、村娘は側室に残したいので、それはどうか認めて欲しいとのこと。


「なぜです?どうしてです?」

私は心中の言葉の冒頭のみ口に出し、その後に続く言葉を呑み込む。

――『アレクサンドラを婚約破棄するとの言葉を告げられぬのですか?』との。


 更に告げられたところでは、

 王子は私を最も愛しているとのこと。

 ただ、この村娘も好きとのこと。

 この村娘は、『私が王子に嫁ぐなんて、とんでもない。側室でさえ恐れ多いことです。侍女として御側に仕えさせてもらえばいいです』と言っておるとのことであった。

 村娘はすぐそこにおったが、これは村娘の発言ではなく、王子が代弁した。

 これが王子の発案であれ、あるいは、村娘の正直な気持ちであれ、そんなことはどうでも良かった。

 更に王子いわく、

「アレクサンドラは優しいから、側室としてきっと認めてくれよう」と


(何が愛だ。

 何が優しさだ。

 反吐が出る。

 私が求めるものは、そんなものではない)


 私はどうして良いか分からなかった。

 とにかく、早くあの契約書を確認しなければ。

 頭にあるのは、それだけだった。


「申し訳ありません。やはり気分が優れず、今日はこれで帰りたく想います」

 私はプロポーズの返事もせずに、そう告げた。




 助け船を出してくれたのは、

――というか、そのつもりで口を開いたのは王であった。


「無理もない。ボリスよ。

 驚かしが過ぎるというものだ。

 ヴィクトリアもサプライズが大好きでのう。

 その姪であるアレクサンドラも、きっとそうであろうと想い、お前にも勧めたのだが。

 しかし、もう少し前もって何か言うべきであったのう。

 それどころか、お前はあえてアレクサンドラのことを良く想っておらぬという風評を友人に流させたろう。

 しかも婚約破棄などとまで。

 まあ、わしもアレクサンドラの驚きの後の喜ぶ顔が見たくて、

――あのヴィクトリアがいつも見せてくれた如くの顔が見たくて、

――ついつい、そのたくらみに荷担して、色んなところで、それを吹聴してしもうたがのう。

 あんな言葉、そう易々とは信じまいと想うところもあってのう。

 実際、ヴィクトリアから聞いておらなんだか?

 王家にとって、婚約破棄とは呪われた語に他ならぬ。

 何せ、それを告げて後、急死した者は6人を数える。

 はやりの演劇に婚約破棄のネタを提供しているのは、他ならぬ王家よ。

 事実、いずれも、惨憺たる様に終わっているのだから。

 脚本家が少し手を加えるだけで、1つの舞台が、それも大人気の舞台ができあがるのだからのう。

 この後、決して王家が婚約破棄を告げることはあるまい。

 そのように、わしは度々ヴィクトリアに告げておったのだが、そなたも聞いておったろう」


「いえ」


(伯母上から聞いたことは無かった。

 なぜだろうか?

 ただ、この王の言葉を信じるならば、私に告げて良さそうなもの。

 王の言葉を信じなかったのか?

 あれほど愛されておったにもかかわらず。

 それは本人も自覚しておったはず。

 亡くなる直前にも、呆れるほどにたっぷりののろけ話を聞かされた。

 それもいつになく長時間。

 というか、その夜、伯母上はお泊まりになり、夜通し聞かされたのだ。

 その半ば以上は、聞いているこちらが顔を赤らめたくなるような話であった。


 伯母上の死は、私にとっても公爵家にとっても痛恨であった。

 しかし、悲惨な印象は薄い。

 それは間違いなく、女としての幸せボケ、溺愛の最中での死に他ならなかったゆえ。

 伯母上が王を信じなかった。

――それこそ私には信じられぬ。


 王家が自らに婚約破棄を宣告することを禁じたとすれば、それは公爵家が死神との契約書を用いて来たことの結末に他ならない。

 とすれば、実家で前者の話を持ち出せば、自ずと後者の話も出て来る。

 おそらく、どこからか漏れることを恐れたのであろう。

 うまく行っておるならば、何も言う必要も無いと考えたか。

 それならば、うなずけるが。

 ただ、このことを告げてくださっておれば、こんなことにはならなかったものを。

 とはいえ、伯母上自身、自らが死ぬなどとは想っておらねば。

 その必要が生じた時に伝えれば良い、そう考えたか。

 確かに、私が今回の如き不安に駆られたとしても、もし伯母上が存命であれば、まさに一言相談するだけで、この苦境に陥るは防げた。


 それはさておき、早く帰らねば。

 しかし、この親子は、まさにこちらの気も知らぬげ。

 いつまで、のんきに長話をすれば、気が済むのだ。

 私はいつまで耐えれば良いのだ。

 あのいまいましき村娘にまといつかれてからずっとだ)


「ただ、こたびはむしろ逆効果じゃったようだ。

 病み上がりのそなたには刺激が強過ぎたのよ。

 しかも側室の件まで出されては。

 なあ。アレクサンドラよ。

 そうじゃろう。

 ボリスよ。

 お前は果たして女性の心をどこまで理解しておるのか」


(伯母上がどうかは知らぬが、私は側室は気にならない)


「ヴィクトリアも、何かとヤキモチを焼いたものよ。

 それはそれはうれしくてのう。

 こんなに美しい女が、しかもこれほどに愛する女が、わしを好いてくれておる。

 ヤキモチはその何よりの証しじゃ。

 天にも昇る気持ちとはこのこと。

 もっともっとヤキモチ焼いてほしくてな。

 しばしば、側妻への愛情を口にしたりもした。

 ただ正直言って、ヴィクトリアの十分の一も愛しておらぬ。

 これはアレクサンドラ、そなたの前だから言うのではないぞ。

 事実だ」


(確かに先に伯母上の若かりしドレスを見ただけで涙を流された。

 ただそろそろ話を終わりにしてくれぬか。

 早く家に帰って契約書を・・・・・・)


『帰らせてもらいます』との言葉を何とか抑え付ける。

 死ぬと決まった訳では無い。

 確かに契約書は読めぬが、父は読めるのかもしれぬし、読めぬとしても、私が知らぬことを知っておるのではないか。

 そう期待するゆえであった。

 王や王子の印象をことさら悪くする行いは控えるべきであった。




「わしも一度、ヴィクトリアに離縁をちらつかせたことがあった。

 婚約破棄は禁句でも、離縁はそうでなかろうと、何気に言いつつな。

 何せ、ヴィクトリアは大のサプライズ好きじゃからのう。

 あれの41の誕生日に何事かの大事を告げるゆえ、心して待っておれとあらかじめ告げてのう。

 心よりの誕生日プレゼントの積もりであった。

 そうして、その当日、わしは『そなたを心の底から愛しておる』と告げ、更には永遠の愛を確かに告げたのだが」


(話がこう転んでは、私も帰りたい気持ちを抑え、まさに固唾を飲んで、続きを待った。

 話の内容もそうだが、伯母上の41の誕生日は、忘れようとしても忘れられない日だった)


「すると、なぜか、ヴィクトリアはとんでもなく怒り、わしを口汚くののしると、ついには『愚か者』とまで。

 その夜、わしが特別に用意させた夕食にも、

――無論、側妻はのぞき、2人きりでの食事となるよう手配しておった

――なぜか顔を見せなかった。

 そして共に過ごすはずの夜

――18の時に妻に迎えて以来、」


(そう、伯母上は18の誕生日に結婚した。

 今日は何日だ。

 私の18才の誕生日だ。

 だから、王子はあれほど急いて、私の家にまで来ようとしたのか。

 そのプロポーズのために。

 伯母上と国王の結婚の出来事を縁起物として、私と王子の間にも繰り返そうとしたのか。

 2代そろって、18才の妃の誕生日にプロポーズする。

 なるほど喜ばしい、そして、何という忌ま忌ましさだ。

 だから、この日か。

 無論、今日が私の誕生日であることも、伯母上が誕生日に結婚したことも忘れてなどおらぬ。

 しかし、伯母上の死に想いを馳せることは度々であれ、正直、結婚した時にあえて想いを至らせることは無かった。

 当然であろう。

 後に聞いただけで、私はまだ生まれておらぬ。

 そして、そもそも、この今の私の精神状況では、その2つを結びつけるは不可能ごとであった)


「ヴィクトリアの誕生日は必ず共に過ごした。

 ただ、その夜、彼女は部屋に鍵をかけ、わしを拒んだ。

 なにゆえか、いくら頼んでも、入れてもらえなかった。

 無論、合い鍵を持っておったが、しかし、それを使うことははばかられた。

 ヴィクトリアの怒りがおさまらぬ以上、

 そしてわしが何より恐れるのが、その愛を失うことである以上。

 しかし使うべきであった」


 私が自らの物思いに囚われておる間にも、国王の言葉は続いておった。

 ただ結果は知っておった。

 ゆえに聞く必要も無かった。

 忘れるものか。

 伯母上を亡くしたその日を。


 王の言葉は続いた。

「わしが最愛の妻を失いながら、何とか今も心を落ち着けるを得るは、まさに、その日、ヴィクトリアに、あらためての愛の告白をしたこと、永遠の愛を告げるを得たこと、そのゆえに他ならぬ。

 そうして、彼女を想い出す度に、そのことをもって己の心をなぐさめておったのだが。

 そして、良く似たそなたの顔を見るを得れば、わしは・・・・・・」

と涙ぐむ。そして自ら手でぬぐうと、

「ゆえにボリスにも、少しでも早く呼べと。

 プロポーズせよと勧めておったのだ。

 そなたは病ゆえに来られぬと聞いておった。

 ゆえに、病ゆえに亡くなるということにでもなれば、取り返しがつかぬぞと。

 どうやら、そなたの様子を見る限り、これは取り越し苦労のようであったが。

 そして、誕生日こそ、まさにプロポーズをなす格好の日。

 そう、ボリスに教えたのだ。

 そなたにとっては記念が2つ重なるのじゃ。喜ばぬはずはないし、わしもうれしい。

 何より、ヴィクトリアが喜ぼう。

 そなたのことを、何かと気にしておったからのう。

 わしはヴィクトリアを喜ばしたいんじゃ」

 そうしてついには大粒の涙を流され、止まらぬご様子。


 そう聞かされ、その様を見せられても、私に何の言いようもなかった。

 私は王の言葉が終わったのを見計らって、再び帰るを請うた。




 ようやく、許しを得て、急ぎ自分の館に帰り着いた。

 

 母上は公爵領の方におって不在であり、また、どのみち、これについては何も知らぬ。

 これは父系に代々伝わるもの。

 ゆえに、これを知るは父方の親族のみであった。


 それから自らがサインした契約書を出し、父上を呼ぶ。

 全てを話した。

 ただ父上はおろおろするばかり。

 頼りの伯母上同様、父方の祖父も亡くなっておった。

 何かを知っておるとしたら、唯一生きておる父上のみだった。

 実際私は全てを父上と伯母上から聞いたのだった。

 私は1つのことを確認した後に、役に立たぬ父上を追い出した。


「今、ここにあるのは、私がサインした分も含め、残り3枚です。

 父上が授かった時もそうでしたか?」


「残り数を心配しておるのか?

 実は、念のためと言って、姉上が一枚持って行っておる。

 かほどに国王に愛されておる姉上には不要であろうと諭したが、お前は女心が分かっておらぬと怒鳴られる始末であった。

 姉上が我のことを『お前』と呼び出したら、それまでよ。

 我の言うことを決して聞く気はないとの宣言に他ならぬ。

 幼き時より何度もケンカした仲。

 そしていつも引き退くは我。

 あの時もそうであった。

 それに姉上が使うはずはない。

 ならば、戻って来るとも想ったのだ。

 実際、姉上にあれは不要だったのだ。

 姉上の亡くなった時の王の落胆振りは、そなたも多少は憶えておろう。

 しかし王家より返された姉上の遺品には入っておらなかった。

 古文字ゆえ誰も読めぬ。

 恐らく捨てられたのだろう。

 そう想い、あきらめたのだよ。

 何せ、下手に探しに言って、それはどんな文書なのですかと問われるならば、どう答えて良いか分からぬ。

 無論、ありのまま答える気はないが、何かのまじないの類とでも想われたら、あらぬ疑いを招いてしまうと恐れてのう。

 何せ、姉上は急死であった」


 私は署名した契約書を破り捨て、燃やした。

 もしかして、それが契約書を無効にする条件かと、わずかに期待して。

 

 それから、読めぬ契約書を書いた先祖を恨みながら。

 私を愛すると言った王子を恨みながら。

 私に正妻の座を譲った村娘の謙遜と優しさを恨みながら。


 何がどうであったら、そして何がどうでなかったら・・・・・・。

 頭の整理がつかぬままであった。

 ただ、もし伯母上が生きておったら・・・・・・。

 全てがそれ次第であったは間違いない。

 果たして、どこで歯車が狂ったのか?

 私にこれをただす機会は与えられておったのか。

 確かに与えられておったのだろう。

 そして、事実、私は伯母上ののろけ話を読み違えたのだった。

 あれは、幸福ボケなどではなく、不安から、夫の愛に対する不安から来るものであった。

 それを正しく読むを得ておったならば、何かが変わったのだろうか?

 あの時、伯母上は何を求めておったのか。

 あの最後ののろけ話を聞いたとき、

――伯母上が亡くなる数日前

――それもあって伯母上の幸福ボケの印象が根強いだのだが

――あれが愛の不安からと分かった今でさえ、私はあの時の伯母上に何と答えて良いか分からぬ、


 その惑いの中で、その夜、私はこと切れた。




最終話

 数百年前。

 1人の女性。

 眼前におる者が次の如く告げた。


「我はそなたに約束しよう。

 いかなる代償も要らぬ。

 そなたのこれまでの我への日々の祭り、1日たりとて欠かさぬ祭り。

 それのみで十分だ。

 そなたほど、我を尊崇する者はおるまい。

 それに、そもそも愛に不実なる者を罰するは、我の務めでもある。

 その日、その愛に忠実でなく婚約破棄や離婚を宣告する者も、

 また、その日、その愛を信じられず、相手が婚約破棄や離婚を宣告するのではないかと疑う者も、我は罰しようぞ。

 まさに、そなたの申し出の如く。

 そなたは、自らの子孫に愛のしもべとなることを、よほどに強く望んでおるのだな。

 もし下手に愛を疑うならば、命を失うは、そなたの子孫ぞ」


「恐れながら、無用な心配です。

 愛されておりながら、何故、愛を疑いましょう。

 そのような愚か者は、私の子孫ではありませぬ」


「ただ1つ除外条件を申しつけておく。

 もし、その日、何らの形であれ、両者の合意により結婚が成立、もしくは保たれるならば、

 それが、婚約破棄や離婚の宣告の撤回と他方の受け入れいう形であれ、

――誰であれ、間違うものだ、

 いずれかによる正式なプロポーズと他方のその受け入れであれ、

――無論これにはあらゆる愛の告白を含めよう、我は形式にこだわる気はない。

――何事にも、告白というものには勇気が要るもの。特に愛の告白にてはのう。その勇気なきゆえに、数多くの愛が成立しなかった。

――例え、その前に多少の行き違いがあれ、あるいは一時とはいえ、愛を踏みにじる行いがあってさえ、我はあえてそれを許すぞ。

 いずれの者も罰さぬ。

 どうして、その者たちを我が罰し得ようか。

 そなたも、これは理解してくれような」


「はい。もちろんです。

 また、もしそのような状況なら、それこそ私の子孫に待つは、幸せな未来。

 むしろ、私の方から頭を下げて、お願いすべきことです。

 残念ながら、子孫があやまちを犯さぬとは申せませぬ。

 ただ、悔い改めるならば、まさに、あなたの前にひざまずき、許しを請うべきです。

 そして、あなたをより一層尊崇すべきです」


「喜ばしきことよ。

 そなたはまさに我が巫女みこ

 我とこれほど心が合うとは。

 まことに喜ばしきこと。

 これで契約は成った」


「ああ。ありがとうございます。

 私の女神様。

 愛の神よ。

 私の子孫に、ひたすらあなたを祭り、尊崇させましょう」



(完)

 どうも。

 最後までお読みいただきありがとうございます。

 番外編としてVictoria編をアルファポリス様にて投稿しております。

 同名のタイトルとなります。

 ちょいエロ(R15相当)が入ります。

 15才以上の方は、お楽しみいただければと想います。

 (エロ厳禁のなろう様にての投稿予定はありません)

 


 姉妹編とでもいうべきものを投稿すべく、鋭意執筆中です。

 下書きはできております(←こればっかりだな)

 作者の一人突っ込みは置いておき、併せてお楽しみいただければと想います。(以上2021.11.17追記)

 上記姉妹編は、その後に続く話の前日譚の赴きが強く、投稿はその後に続く話と時日が開かない方が良いと考えますので、かなり先になります(2021.12.24追記)


 面白いと想われましたら、評価やBMを入れていただければと想います。とてもうれしいです。(←明らかに、書くのが遅すぎだろう)

 (以上2021.11.20追記)

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] 素晴らしい作品ですね! ☆5個つけさせて頂きました。 これからも頑張って下さい! 応援してます。
2021/11/13 18:24 退会済み
管理
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ