3.センセー! 知らない人がいまーす!
風が涼しくなっても、打ち寄せる波の音がまだ、夏の情景を思い出させてくれる。
「わぁ! エメラルドグリーンの海ですね」
「あたしのお気に入りの場所なの。気に入ってくれて嬉しいわ」
目の前に広がる白い砂浜とキラキラと輝く海原に、「とっても綺麗ですね」と、スフィアが声を弾ませる。それにリシュリーも、嬉しそうに肩を揺らして、「ありがとう」と返す。
海と言うから、すっかりパンサスのような漁港がある街並みを想像していたのだが。着いてびっくり、アルザスは『海』という要素が全く感じられない、どこにでもある長閑な田舎街であった。
では一体どこに海があるのだろうか、と首を捻れば――
「ちょうど、うちの別荘の裏が海岸線になっててね。別にうちの浜辺ってわけじゃないけど、街の人達は立ち入りにくいようで、ほとんど人が来ないのよ。小さいけど静かで良い場所でしょ」
「ええ、本当に。海を見ながらお茶でもしたいものですね」
「その場合、きっとスウィーティには、白いビーチパラソルと、セレストブルーのワンピースが似合うだろうね!」
不意に幻聴が聞こえた。
「ああ、丁度良かった。そういえば確か、トランクの中に淡い水色の服が入っていたはずだ」
しかしこの声が幻聴でないことは、スフィア自身が一番良く知っている。
何せ、アルザスに来るまでの馬車では、ずっと彼は真向かいに座っていたのだから。『お見送りだよ』と、からっとした笑顔で言って。
「ああ、安心して。日傘と帽子も忘れずに僕が持ってきているから、浜辺を歩くときは言いなさい。そのミルクのような白い肌に何かあったら大変だからね」
「~~っ兄様、見送りだけだと言っていませんでしたか!?」
「見送るよ。スウィーティが無事にレイランド家の門をくぐるまでは……」
どうやら見送りという言葉に、一般常識とは著しく乖離した意味を見出している彼に、誰か『送る』という意味を叩き込んでくれ。
「それと、父様と母様は自主性だと言って許したけれど、やはり僕は保護者は必要だと思うしね。君達の自主性を損なわない程度に感性が若く、かつ、いざという時は対処できる力を持つ程度には大人を――と考えれば僕くらいが適任だろう?」
彼が言うことはもっともであるし、間違いなど一寸もないのだが、なぜか彼が言うと、言い訳に聞こえてくるから不思議である。何の言い訳なのかはここでは口にしないが。
スフィアは盛大な溜め息をつき、隣のリシュリーに申し訳なそうに両手を合せる。
「すみません、リシュリー……ご迷惑をおかけしまして……」
「あら、それは大丈夫よ。実は、お兄様からは事前に家の方へ連絡が行っていたみたいで」
用意周到すぎるだろう。
スフィアが、キッと目尻を尖らせてジークハルトを睨むも、ジークハルトは「猫の真似をするスウィーティも素敵だよ」と、どこ吹く風だ。目に異常をきたしているのだろう。
「先に謝っておきます。これからもご迷惑をおかけします、すみません」
あまりに潔い先取り謝罪に、リシュリーも腰を折って噴き出した。
「あはは、大丈夫よスフィア。スフィアのお兄様だなんてむしろ大歓迎だわ」
「スフィアったら心配性ね」と、リシュリーはスフィアの頭を大丈夫だと撫でた。
しかし次の瞬間、「それよりも」と、笑っていたリシュリーの顔からスッと表情が消える。
「わあ、こんなところがアルザスにあったなんて、私も知らなかったよ。ほら、見てごらんジーク! こんなに水が澄んでいるよ」
スフィアとリシュリーは、声がした波打ち際へと目を向けた。
そこには、顔立ちが良く似た煌びやかな青年が二人。
「グリーズ兄上、あまり波に近付きすぎると足を掬われますよ。まだ入れる時期でしょうけど、濡れた身体に今日の涼しい風は難敵ですから」
「聞いたかい、ジーク! グレイが私のことを心配してくれたよ。どうだい、うちの弟は可愛いだろう」
「僕には、波の音が激しくて何も聞こえなかったな」
「凪いでますけど!?」
果たしてこれは幻影だろうか。
目の前の見目麗しい彼らはきっと蜃気楼か何かだ。でなければ、この国の第一王子と第三王子が、護衛も連れず、こんな迂闊に海ではしゃいでいるわけがない。さすがのリシュリーでも、顔を強張らせている。
すると、スフィアの兄、もとい保護者、もとい番犬が離れたことで、浜辺の奥の方で戦々恐々としていた面々がやってくる。
「おいおいおい……これって、生徒会合宿の予定だったよな?」
困惑した声を出しながら、こめかみを押さえるガルツ。その肩をブリックがポンと叩く。
「きっと夢だよ、ガルツ。もう一度寝たら元の世界に戻れるよ、きっと」
「じゃあ、ちょっとそこに落ちてる椰子の実に頭打ちつけてこいよ、ブリック」
「それより、ガルツがそこの海でちょっと溺れてきた方が早いよ」
「ちょっと溺れてくるってなんだよ。死ぬわ。つか、お前の容赦のなくなり方が鬼畜なの何で?」
「存在がマウント人、許すまじ」
笑顔で言っているあたり業が深い。ガルツは隣のスフィアから一歩距離をとった。
すると、脱線した話をカドーレが元に戻す。
「まあ、冗談はそれくらいにして。それより、殿下達は一体どのような事情で、ここに来られたのでしょうか」
さすがカドーレ。皆の混乱を的確にまとめてくれた。
しかし、生徒会の面々が顔を見合わせるが、皆は首を横に振った――自分は知らない、と。
であれば、自ずと答えはでる。




