30・世界VS少女……それとシスコン
家までグレイに馬車で送って貰えば、屋敷の扉の前でジークハルトが仁王立ちして待ち構えていた。
「母様から聞いた。一人でおつかいに行ったんだって? ――ッどうして! 僕に知らせなかったッ! どうして僕に! その嬉し恥ずかし初めてのおつかいを! プロデュースさせてくれなかったんだ!!!?」
馬車から降りた瞬間、スフィアはジークハルトにその身体を抱き締められ慟哭された。
こんな醜態を妹の目の前で晒しておきながら、どうしてとは片腹痛い。
――絶対プロデュースされると思ったからよ。
「ジークハルト兄様、落ち着いて下さい。ほら、まだ同乗者もいらっしゃいますから」
「同乗者?」とジークハルトは訝しそうに首を伸ばし、馬車に視線を向けた。
「お久しぶりですね、ジークハルト卿」
爽やかな挨拶を交わしながら目の前の馬車から降りてきたグレイを見て、ジークハルトの顔が引きつる。
「おっと……どうしてお前がスフィアと同じ馬車から降りてくるんだ? なあ、グレイ」
「やだなあ、そんな怖い顔しないで下さいって。今回、私はスフィア嬢を助けた、謂わば功労者なんですから」
グレイの言葉にジークハルトの目が剥かれる。
「本当か! 何かあったのかスウィーティ!? どこの野郎だ! どこに居る! さあ今すぐ! 今すぐッ!」
今すぐどうするつもりなのだろうか。
ジークハルトに両肩を掴まれ前後に揺すられる。もう慣れたものだとスフィアがされるがままに身を任せていると、グレイがジークハルトの手を止めた。
「私もあまりここに長居するわけにはいきませんので、どうぞスフィア嬢に挨拶をさせて下さいませんか?」
「まあ、今回はスフィアを助けてくれたらしいからな。仕方ない。さっさと済ませて帰れ」
旧知の仲だといっても、王子相手にここまで言えるのは彼だけじゃなかろうか。
グレイに対抗できる数少ない者の内、一人はジークハルトだろうな、とスフィアは少しだけジークハルトを見直した。
ジークハルトがスフィアから離れると、グレイが代わりに彼女の前で膝を折る。
「今日はとても楽しかったです。心の距離も一気に近付きましたしね」
「思うのは自由ですからね」
「……次は邪魔者の居ない場所でデートを致しましょう。また手紙を差し上げます」
「ジョンが喜びますわ」
「…………スフィア嬢、諦めませんよ」
なかなかめげない。メンタル超合金か。
グレイの眉根が小刻みに震えていたが、それでも彼は最後まで綺麗な笑みを保っていた。
流石にスフィアも、そのグレイの強靱な精神に感服し苦笑を漏らす。
「今日はありがとうございました。髪飾りは遠慮なくいただいておきますね」
するとグレイの表情がフと柔らかくなった。
グレイは折っていた膝を立たせると胸に手を当て、初めて見た時と同じ礼をとる。そしてそのまま顔だけをスフィアに向けると、彼女の頬に手を伸ばした。
「ん!?」
「――ッなぁ!?!?」
グレイがスフィアの頬に口付けを落とした。
スフィアとジークハルトは、グレイの突然の行動に目を丸くし言葉を消失させる。ジークハルトに至っては、丸くした上にその目は血走っている。
「それでは私はさっさと退散しますね」
グレイは颯爽と馬車に乗り込んで行ってしまった。
「本当、油断ならない殿方ですわ」
しかも去り際にスフィアにだけ聞こえるよう、耳元で「今度はもっと良いご褒美期待してるからな」と囁いていった。
「全く……犬に見せかけた狼だな」
ジークハルトは肩をすくめて大きな溜息を吐いていた。
「ええ、本当に。……ところでお兄様、ハンカチは持ってらっしゃいます?」
ジークハルトは一瞬きょとんとしたが、すぐにスフィアの意図が分かると空を仰いだ。
「……お前も中々に育ってくれて、お兄ちゃんは嬉しいよ」
スフィアはジークハルトの取り出したハンカチを受取ると、躊躇いなく頬を拭った。
二人は並んで屋敷の門を出て行く馬車を見送った。
◆
おつかいで頼まれていた物をレミシーに渡し、スフィアは自室へと戻っていた。
「予想外に疲れたわね」
疲れたサラリーマンの様に、首を伸ばし肩を手で揉む。
出窓の台に座って、窓の向こう側に広がる広大な緑の景色を観賞するのが、スフィアが考え事をする時の癖だった。
「花屋のメーレル……」
今回のは予想外だった。というか、誰が予想できようか。
この世界は、スフィアの前世である『涼花』の時にやっていた乙女ゲーム『100恋』の世界だ。だから勿論ゲームのシナリオ通りに世界は進むし、人間達は動いている。
「まあ、ゲームより皆人間臭さはあるけどね」
それでも、今までは攻略キャラの男達とヒロインである自分――スフィアの出会いは、こちらから干渉しなければシナリオ通りだった。
まさか、向こうからシナリオに反して接触してくるとは考えてもいなかった。
しかし今回はその「まさか」が起きてしまった。
シナリオを崩した事への世界からの予定調和ではない。
シナリオを崩す恐れがあるスフィアへの警告、もしくは先制攻撃だ。
「冗談じゃないわよ……」
つまり今後は、突発的に攻略キャラと出会う可能性が出てきたというわけだ。
「これじゃあ、シナリオを知ってるっていうアドバンテージ半減よ」
窓に映る自身の表情から目を背ける様に、スフィアは窓台から下りた。
「正直、今回はグレイ王子が居てくれて助かったわ。じゃなければ、自分一人で対処するしかなかったもの」
スフィアは後ろ髪を撫ぜた。手に柔らかい感触があたった。
グレイが「青の方が似合う」と言って付けたリボンだった。
今回は素直に受け取ったが、そんな優しさはこれが最初で最後だ。
今後は誰であれ容赦はしない。情けや甘さなど見せてやるものか。
「これからは、今まで以上に気を引き締めていかなきゃね。取り敢えず、存在の把握が簡単な学院の生徒から順に潰していきましょうか!」
世界が勝手に私をヒロインに据えておいて私の野望を奪うというのならば、警告だろうが先制攻撃だろうが全て受けて立とうではないか。
九歳に合せて設定された世界観など、通算アラサーの自分にとってみれば多少トラップが増えたところでイージーモードだ。
――私をアルティナお姉様のメイドではなく、敵対するヒロインとして転生させたことを後悔させてやるわ!
スフィアは後頭部の青いリボンを解くと、装飾品の入った化粧箱にしまい込んだ。
すると、丁度蓋を閉めたと同時にドアをノックする音が部屋に響いた。
「入るぞ?」
ノックの主はジークハルトだった。
スフィアが許可の言葉を口にすれば、そのドアはすぐに開いた。
「どうしたんですか? ジークハルト兄様」
ジークハルトは無言のまま部屋にあるソファに腰を下ろすと、スフィアを手招きした。
スフィアもジークハルトの隣に大人しく座る。
すると彼はにこやかな顔で、地の底を這う様な声を出した。
「さて、話して貰おうか? 何があったか……誰に何をされたのかを……」
「そっ、その話は……もう、終わったのでは!?」
「終わった? ははは、不思議なことを言うね。話を切り上げただけだよ。あの場ではね……」
なぜ、自分は大人しく彼の隣に座ってしまったのだろうか。
ジークハルトの手は、逃がさないとでもいうように、がっちりとスフィアの肩を掴んでいた。
立つ事も離れる事も出来ない。
一日で二回も自分の行動を後悔することになろうとは。
スフィアは自分に諦めの溜め息をつくと、観念して今日の出来事を話した。
聞き終わったジークハルトは、何故か難しい顔をしていた。
――どうしたのかしら。発狂して飛び出すかと思ったのに。
想定外に静かになったジークハルトを心配そうに覗き込めば、彼は神妙な顔をスフィアに向けた。
「スウィーティ、知ってるか?」
「何をですか?」
「猟銃の有効射程距離は五十メートルなんだ」
「……はい?」
このシスコンは突然何を言い出したのか。
「ギリギリ殺傷を狙えるのが百メートル、届かせるだけなら五百……いや、それでは無意味だな」
おもむろにジークハルトは立ち上がると、窓辺に近寄る。
「えっと、ここから門まで百くらいか……いや、それでも木が邪魔だな。だとすると――」
ジークハルトは窓の外を覗き、ブツブツと呟きながら指で何かの距離を測っていた。
「あ、の……ジークハルト兄様?」
「ん? 何だい、スウィーティ」
何事もない様な顔を向けているが、その顔には騙されない。彼が先程まで口走っていた事と、今測っている何かを突き合せれば嫌でも答えが導き出される。
「一応確認しますが、銃でどなたかを狙われるつもりじゃありませんよね?」
「どなたか」などと濁したが、彼が銃を向けたい相手は一人だろう。
「ははは、まさかそんな! スフィアは案外、物騒なことを考えちゃう子だなぁ。駄目だぞ? 銃を人に向けちゃ」
「そ、そうですよね! 何だぁ、私てっきり……」
何だ、ただの思い過ごしか、とスフィアは胸を撫で下ろした。
「そうだ、スフィア。今度グレイをお家に呼びなさい。今日のお礼をしないとね。……しっかりと」
胸を撫で下ろしたのも束の間、一瞬にして今度は頭を抱えたくなった。
「~~ッ兄様、自重!!」
グレイは、レイランド家に関わらない方が幸せなのかもしれない。
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