16・トラウマをプレゼント♪
長いようで短かった冬休みも明け、再び学院には生徒達の賑やかな声が戻ってきていた。
その賑やかな校舎内では比較的静かな上級生棟。その三階から下級生棟の二階を見下ろす男子の姿があった。
「どうかしたか?」
「いんや。ちょっと、久しぶりの赤髪姫に現を抜かしてただけだよ」
「自分で現抜かすとか言うのか。……で、その赤髪姫がどうしたって?」
「んー? そろそろお別れかと思うと――ね」
男の視線の先には赤髪姫こと、スフィアの姿があった。
「……女遊びはほどほどにしろよ。ロクシアン」
「ははっ、分かってるさナザーロ」
◆
校舎の中はしっかりと防寒されていて、廊下に出ても季節を肌に感じる事はなかった。さすが貴族の学院。立て付けが良い。
スフィアは持っていたパックジュースをガルツとブリックの手の上に置いた。
「何だこれ?」
「……頼んでないけど?」
二人は手の上に置かれたジュースを不審な目で見るだけで、手を付けようとしない。
「別に何も入ってませんよ。冬休みの宿題が良く出来たご褒美です」
言ってスフィアは自分のジュースにストローを刺し、一気に吸い上げる。その様子を見て、二人とも小さく「どーも」と言うと大人しくジュースに口を付けた。
「で、あんなの調べさせてどうするつもりなんだ? また、俺達みたいに子分にするとか言うつもりじゃねぇだろうな」
「そんな事しませんよ。あまり多くなっても管理が大変ですし」
「管理て……」
ブリックが微妙な表情になるが、スフィアは構わずジュースを吸い続けた。
三人は廊下の窓を背にして、目の前の廊下を行き交う生徒を適当に目で追う。
「……ナザーロ=イヴァンコフ、ね――」
六年生との接点など下級生には持ちようがなかった。生徒会長らしいが、姿もまともに見た事もない。
「はぁ……どうしたものかしら」
スフィアが憂鬱そうな溜め息を宙に吐き出した時、その視界に影が降ってきた。
「君、ナザーロに興味あるんだ?」
上から覗き込むようにしてスフィアに声を掛けた男子は、人好きのしそうな笑みを浮かべていた。彼の胸には最高学年を示す赤の校章が飾ってある。
「ど、どちら様ですか?」
突然現れた上級生にスフィア達は目を丸くする。
「僕は彼の友人さ。ロクシアン=バレル。よろしくね、赤髪のお姫様」
ロクシアンは少し腰を折ると、スフィアの髪を一房取って口付けを落とした。
――相当、女慣れしてるわね……。
そのロクシアンの自然すぎる仕草にスフィアは目を細めただけだったが、両脇のガルツとブリックは顔を赤くして目を見開いていた。
スフィアは年相応の愛らしい表情を作ると、上目遣いにロクシアンにしなを作る。
「こちらこそ、お会いできて光栄ですわロクシアン先輩。生徒会副会長……でしたよね。確か」
ブリックの手紙の中で、彼の名前も同じ生徒会メンバーとして出てきていた。
「おや、これは光栄だね。こんな美しい姫君に知っていて貰えるなんて。生徒会をやってて良かったかな?」
「もう! ロクシアン先輩ったら、お上手ですね。ふふっ……」
スフィアとロクシアンは互いを見つめて朗らかに笑い合う。
「笑ってるように見えねぇのが怖ぇよな」
「ええー、もう僕巻き込まれたくないんだけど……」
ぼそりと溢したガルツとブリックの手を、スフィアが後ろ手で摘まめば、二人は痛みに言葉を詰まらせ静かになった。
「それで、ロクシアン先輩。何か用事でもあったんですか? こちらは下級生棟ですが?」
さも何事もなかったようにスフィアが話を切り出すと、思い出した様にロクシアンは手を叩いた。
「そうそう、頼みたい事があったんだよ。スフィア姫に」
「私に?」
一体何だろうか。先程まで面識も無かった相手に突然頼み事とは。
――でも、この頼み事を聞けば、少しはこっちの動きも融通が利くようになるかも知れないわね。
「そう。それこそ君がさっき口に出していたナザーロの事で。聞いてくれるだろ?」
ロクシアンは顔の前で手を合わせると、スフィアに「ね?」と片眉を下げてウインクをする。
元々生徒会長であるナザーロの弱味を掴む為に、生徒会の後ろ暗いところでも探そうと思っていたところだ。
ただ、その生徒会に関わるきっかけを、どうしたら良いものかと悩んでいたのだ。向こうから恩を売らせてくれるのならば、これ程ありがたい事はない。
スフィアは、二つ返事でその頼み事を引き受けた。
◆
昼休み。改めて教室に呼びに来たロクシアンに連れられて、スフィアは六年生の教室に来ていた。
一体どんな事を頼まれるのだろうと思っていたが、何のことはない。女よけになって欲しいとの事だった。ナザーロの。
「ナザーロ先輩はロリコンか何かですか?」
女よけならばもっと適役がいるだろう。もっと年相応の。
思わず本音を本人に溢してしまえば、彼は苦笑する。
――これが、ナザーロ。言われてみれば確かにそうね。雰囲気なんか変わってないわ。
スフィアは脳内の攻略キャラ辞典に載っている彼を思い出す。
本来彼とはこの時点では出会わない。出会うのはもっと先の社交界に入ってからだ。ゲームの中のナザーロは、とても硬派で全てにおいて真面目だった印象がある。
今現在、貴幼院で彼が生徒会長をしているのも頷ける話だった。
「というか、スフィア嬢。なにやらロクシアンが君に変な事を頼んだようだけど、聞かなくて良いからな? 彼の言う事は、殆ど虚言だと思ってくれて良い」
「誰が虚言癖だよ。まあ確かに、お前はよけなきゃならない程、女には恵まれてないけどさ」
言った途端、ロクシアンの頭にナザーロの分厚い教科書が落ちた。
「結構。俺はお前みたいに器用じゃないんで一人で十分。と、いう訳なんだ。すまないね、スフィア嬢」
ナザーロはまだロクシアンの頭の上に乗っていた教科書を取り、開いた頁に目を落とすと、二人の存在を意識の外へと追いやった。
流石に黙々と自習をする彼の邪魔をする気にはなれず、スフィアはロクシアンと共に大人しく教室を出た。
「ごめんね? あいつ頑固だから」
一年生の教室まで送ってくれていたロクシアンが、申し訳なさそうにスフィアに謝罪する。
「いえ、知っていますから」
「え?」
「い、いえ……! そ、そんな感じの方だなーっと思っただけです」
慌てて取り繕えば、ロクシアンは特に気にもせず流してくれた。
年上の人と話しているとうっかり自分の立ち位置を忘れそうになる。
スフィアは一つ咳払いをして空気を変えると、疑問に思っていた事を口にした。
「えと、一つ不思議に思ったんですが、どうして本人が要らないって言う女よけなんか頼まれたのです? しかも、一年生で面識もない私に」
首を傾げて問えば、ロクシアンは顔に渋面を作った。
「実はよけて欲しかったのは、不特定多数の女の子じゃなくて、とある一人の令嬢なんだよね」
「一人? でしたら本当に必要ないんじゃ――」
「その子が良い子だったらね」
言って目をすがめ、嘲笑を浮かべるロクシアンの表情を見れば、おおよその察しは付いた。
「あまり、ナザーロ先輩には……その、よろしくはない方なんですね」
きっとナザーロの性格だ。ロクシアンと違って女慣れした様子もないし、近付いてきたその女子の下心など知りもしないのだろう。
「ナザーロ先輩は……公爵家でしたものね」
遠回しに、その女子の思惑に触れた事を口に出せば、ロクシアンは「流石だね」と目を細め笑った。
「やっぱり君に頼んで良かったよ――と言っても、本人にはダメって言われたから、表立っては何も出来なくなっちゃったんだけどね」
肩をすくめ、両手をまるで「仕方ないよね」という様に上げるロクシアン。
気付けば一年生の教室は、もうすぐそこだった。
「ごめんね、スフィア姫。嫌な思いさせちゃって」
教室の入り口で、再びロクシアンはスフィアの髪を手に取り口付けを落とした。背にしていた教室内からざわめきと悲鳴が上がる。
ロクシアンは一つ微笑すると、スフィアの髪から手を離そうとした。が、その腕は突然に掴まれてしまった。
彼の腕を掴んでいたのは、スフィアの小さく白い手だった。
驚いてスフィアの顔を見れば、スフィアは年下とは思えない艶然とした笑みを浮かべている。
「ロクシアン先輩。また明日、私を呼びに来て下さいね」
まるでその言葉は、深夜の逢瀬をねだる深窓の姫君の様だったが、彼女の表情は手練手管の悪女の様でさえもあった。
ロクシアンはその対照的な違和に思わず息を飲んでしまう。
最後にスフィアは「絶対ですよ」と付け加え教室に入った。
ロクシアンは、自嘲気味に苦笑すると「仰せのままに」と呟き、踵を返して教室へと帰っていった。
◆
さて、ナザーロへの作戦変更だ。
弱味を握るのではなく、彼へはトラウマをプレゼントしてやろう。
スフィアは口端をいやらしく歪めた。
それを隣で見ていたブリックは、まだ見ぬ犠牲者に祈りを捧げた。
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