10・ちょっと、その話は知らないんですが?
うららかな陽光。風が吹けば木々は囁き合うように葉を揺らし、落とす影は地上にアラベスクの様な繊細な美しい画を描く。
目にも耳にも美しい小鳥たちが枝に並んで、互いに愛を語り合う。
そんな麗しい景色が見える部屋の内側は――まさに暴風雨だった。
「いやぁあぁあぁですぅううぅうぅ!!!!」
けたたましい、魂の千切れるような叫びの元はスフィアだった。
「そんな事言わずに、ヘイレンがどうしても君に会いたいって言うんだよ」
ベッドの脚にしがみ付いて、絶対的拒絶反応を示す愛しの娘にローレイは嘆息した。
「なぜそんなに行くのが嫌なんだい? 王宮は美しいものばかりで、きっとスフィアも気に入るよ」
「絶対いぃいぃやぁぁあなんですぅぅうぅ!!!!」
理由が分からぬスフィアの拒絶に、ローレイは助け船を求めてレミシーに目配せをする。
「ここまで嫌がるんだから、あなたも諦めたら?」
「そうしてあげたいけど、流石にもう十回位断ってるからな」
「……よく陛下も許して下さってるわね」
レミシーは一瞬呆れた様に閉口して、嘆息した。
――そして、なぜそんなに中々諦めて下さらないの!
本当、いい加減諦めて欲しい。
これまでもヘイレン国王のお召しは幾度もあった。0歳の頃から半年に一回は必ず。
その度に色々と口実を作って避けてきた。大泣きしたり、姿をくらましたり、仮病を使ったり。
赤ちゃんの頃はとにかく泣いた。ブリッジするくらい泣いた。あまりに酷かった為医者を呼ばれたが、結果王宮に行かなくて済んだ。それで幼児時代は何度も乗り切った。
歩けるようになると、犬小屋や屋根裏や木の上などで、ひたすら夜になるまで隠れ続けた。しかし、老執事のセバストが探索班に加えられると一気に発見率が上がった。
それからは専ら仮病だ。腹痛、頭痛、歯痛、腰痛――あらゆる仮病を使った。
「お父様……鈍痛が……ッ」
「どッ、鈍痛!?」
鈍痛が通じたときは、流石にローレイを心配した。
「頼むよ、スフィア。一度で良いから! ヘイレンがどうしても、君に会いたいって言うんだよ。行きたくない理由はなんだい? 言ってごらん?」
スフィアは唇を尖らせ、不満だという様なじっとりとした目をローレイに向けた。
そんなの、理由は一つしかない。
――フラグを立てたくないからよ!
王宮に行くという事は、現時点でも少なくとも一人とは必ず関係を持ってしまう。
ゲーム随一の人気キャラ――『グレイ王子』と。
わざわざそんな強キャラを、装備もレベルも伴ってないまま対処しろというには無理がある。
いくら中身が大人だからとて、子供の姿で取れる手段は格段に限られてくる。
流石に自国の王子相手に、脅しや落とし穴は無理があるだろう。
であれば、とにかく出会わない事が重要だった。
しかし――
「世界が諦めてくれない……」
ガルツとブリックの件で忘れかけていたが、予定調和の力がこの世界では働いてしまう。
恐らく二人の時は「貴幼院で出会う」という条件をクリアしていたから、子分にしても何も起こらないのだろう。
それに比べ、こう何度も王宮に行かせようとするのは、間違いなく行く事で何か起こるという事の現れでしかなかった。
「絶ッ対! 行きませんッ!」
ツンとそっぽを向いてしまったスフィアに、ローレイは頭を抱えて嘆いた。
「どうしよう、困ったな。今回はウェスターリ大公のご令嬢も来るというのに……」
「まあ、アルティナ嬢が?」
「行きます」
先程までの醜態はどこへやら。
ソフィアは背筋を伸ばし指を綺麗に揃え、いかにも侯爵家令嬢といった風格で立っていた。
「行きましょう、お父様。陛下をお待たせしてはいけませんわ」
凜とした声でそう言い残し、スフィアは颯爽と部屋を立ち去ってしまった。
◆
馬車は蹄の軽快な音と共に、先に見える一際高い塔が立ち並ぶ王宮へと向かっていた。
「お父様、兄様は一緒に来なくて良かったんですの?」
そういえば朝からジークハルトの姿が見えなかった。いつもならスフィアがあれだけ泣いていれば、それこそ文字通り飛んでやって来るのに。
しかし、今日はまるで音沙汰がなかった。
「ああ、ジークハルトは友人と用事があると言っていてね」
「いいんですか? 陛下のお召しなのに……」
「構わないさ、今日は個人的なものだから。社交界でもないし、ヘイレンに挨拶したらスフィアもゆったりしてて良いよ」
「はい、ありがとうございます。お父様」
と、にこやかに返事してみたものの、彼の希望通り「ゆったり」と過ごす事は出来ないだろう。
スフィアは逃げねばならぬのだから。迫り来るフラグから。
彼女は馬車の小窓から見える王宮に、溜め息を吐いた。
馬車は正門をくぐり、王宮の前庭の中を走る。そこは、まるでおとぎ話の国のような光景だった。
天を突くように溢れ出る噴水は太陽に当てられ輝き、道を取り囲む低木は寸分の狂いもなく美しく刈り揃えられている。見る者を楽しまる千紫万紅の花々は目だけでなく、その風に溶ける香りで鼻腔をくすぐり楽しませる。
そして目の前には堂々とした面構えの白亜の王宮が来る者は拒まない、とその意匠豪華な扉を開いて待っていた。
スフィアは大きく息を吸った。清々しく冷えた空気は彼女に肺の位置を自覚させ、緊張に自ずと高くなった身体の熱を抑えてくれた。
意を決して馬車から足を踏み出す。
扉の前で、一人の執事が腰を低くして出迎えてくれた。
彼は二人を謁見や社交パーティが行われる大広間ではなく、ヘイレン国王の私室へと案内した。
その際、スフィアは廊下を歩いている時も、国王の私室に着いた時も、常に辺りをきょろきょろと見回していた。
娘のそんな様子をローレイは緊張してるのだろうと微笑ましく見ていたのだが、彼女の本意は違った。
――さて、グレイ王子からどう逃げようかしら。
彼女は、逃走もとい脱出経路の確認をしていた。
そこへ、見るからにこの城の主であろう男が、満面の笑みを浮かべ鷹揚とした足取りで部屋に入って来る。
胸下までありそうな黒髪は、高い位置で一つに結わえられ彼に清潔感を与えている。加えて、彼の身体を包む衣服は一点の汚れもない白の長衣。左肩に無造作に掛けられたローブはベルベットの上品な光沢を持ち、その真紅は白を纏った彼をより一層高貴に際立たせていた。
彼こそレイドラグ王国国王『ヘイレン=アイゼルフォン』――その人だった。
「やっと! 本当に、やっと!! 来てくれたね、スフィア嬢!」
ヘイレンは両手を広げ、さも飛び込んでおいでと言わんばかりに、スフィアの体高に合わせるように膝を折った。
初対面で愛されすぎている気がする。これもヒロイン故なのか。
しかし、相手は一国の王。その顔や身体全面から惜しげも無く放出している異常なまでの好意を無下には出来ない。
スフィアは顔に子供らしい無邪気な笑みを貼り付けると、「陛下ぁ~」と嬉しそうに彼の腕の中へ飛び込んだ。
「おお、可愛いねスフィア嬢は。はは、見事な赤髪だ! お母上の血かな……よく似合っているよ!」
ヘイレンの手が忙しなくスフィアの頭やら背中を撫でまくる。
まるで猫になった気分だ。
「ヘイレン。父親の前なんだ。少しは自重してくれないか?」
「良いじゃないか。そんなケチ臭い事言うなよ。どうせ将来、私の娘になるんだから」
「まあ、それもそうだけどさ――」
――ん?
二人は何事もないように会話を続けているが、今し方とても重要で最悪な事が混じっていた気がする。
「しかし本当、君のところに令嬢が生まれて良かったよ。私も息子三人だし、君も暫くはジークハルト卿だけだったもんな。いつも男だらけで花が欲しかったところだよ。奥方に感謝だな」
「娘はいいぞー可愛いぞー!」
二人は嬉々として会話を続けようとするが、それはスフィアの愛らしくも無知を装った声によって阻まれる。
「陛下、私のお父様になられるんですか? そしたらお父様はお父様で無くなってしまうんですか?」
大きな瞳を丸くさせ、小首を傾げて愛らしい表情を作れば、ヘイレンの顔は重力に逆らうのを諦めたかのように緩む。
その情けない程に崩れた顔に、背後でローレイが嘆息するのが分かった。
すると次の瞬間、スフィアの身体はヘイレンの腕の中から、宙へと移動していた。
眼下で呆けた顔をしている国王を見下ろしながら、スフィアはローレイの腕の中へ着地した。というより縦抱きにされていた。
「ヘイレン、もう良いだろう! まだ君は父親でもないんだから、レディであるスフィアにあまりベタベタ触るんじゃない!」
ローレイの明らかな子供のような嫉妬に、スフィアは眉を下げて苦笑した。
しかし、その表情に下で、スフィアの心中は先程からずっと大嵐だった。
――待って? 当たり前の様に話してるけど「未来の父親」って……「まだ」って何!? ……つまり――!?
「お父様? あの、それで……未来のお父様って……どういう――」
「ああ、ヘイレンと昔交わした約束でね。子が出来たら結婚させようってね!」
スフィアは絶句した。
そうであれば私は何の為に、今までひたすらに王宮に来る事を拒んでいたのだろうか。グレイと会おうが会わまいが、生まれる前から結婚が決まっていたのであれば不可避事項だ。スフィアには手の打ちようがない事だった。
「おやおや、驚いてしまったかい? 大丈夫だよ。まだまだ君の父親は僕一人だ。暫くは僕だけの天使だよ」
そういって、ローレイはスフィアに頬ずりをした。
放心しているスフィアはされるがまま、上下に引っ張られる頬に任せて不細工に顔を歪ませていた。
――これは、どうあってもやっぱり世界には敵わないって事なのかしら……。
「あぁ、ローレイ。スフィア嬢が、お疲れのようだ」
疲労というより心労ですっかり動きを鈍くしてしまったスフィアを、ヘイレンが心配そうに覗き込む。
「隣の部屋に、息子達とアルティナ嬢が来ていたんだが、これでは少々無理――」
「元気!」
心配するヘイレンの声を遮って、スフィアは真っ直ぐに天高く挙手をした。
「元気な奴が自ら元気と言うか」などと気にしてはならない。何の為にリスクを負ってまで今日この場まで出向いたのか。
――それは、ひとえに彼女への愛故によ!
「お父様、私元気です! 今ならランバダも踊れますわ!」
「ランバダはやめておこうか。あと、君にランバダを教えた奴を教えなさい」
「すりおろすから」と、ローレイはいつものにこやかな顔で、聞いた事も無い地の底の様な声を出した。
そんなローレイの言は無視してスフィアは彼の腕の中から飛び降りると、一目散にヘイレンが目で示していた隣の部屋へと駆け寄った。
国王の私室と扉を隔てて続いている部屋。
扉に付けられた取っ手は金色に煌めいており、それはあたかもアルティナの金の髪を模しているようだった。
――この向こうに、生アルティナ様がッ!
正直、垂涎ものである。
しかしその取っ手を握ろうとした時、右手が意思に反してそれを拒んだ。いや、深層心理の現れなのだろう。
アルティナに会うという事、それ即ちグレイとも会わなければならないという事だ。
ただでさえ世界がお膳立てしてくれている中、極めつけのように本来のシナリオに沿って彼に会ってしまえば、シナリオ改変は難しく――いや、絶対不可能だろう。お膳立てにお膳立てを重ねれば、それはもう既成事実だ。
――それでも、私はッ!!
葛藤する右手を左手で押さえ、無理矢理に取っ手を掴み握り締める。
――私は戦う! 決して、逃げないッ!
そして彼女との間の隔たりを取っ払う為に、その両の手に力を込め、引っ――――
「さあ皆、お待ちかねのスフィア嬢だよ~」
ヘイレンがスフィアとは反対の扉を、いとも容易く躊躇無く開け踏み入った。それに続きローレイも、スフィアの横を通り過ぎ平然と部屋に入っていく。
「何してるんだい、スフィア。早くおいで?」
折角、岩に突き立った宝剣を引き抜く勇者の如き覚悟をしたのに、それは見事不発に終わった。
スフィアは「はい」と沈んだ声を返し、意気消沈した足取りで部屋へと入っていった。
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