心霊スポットのそばにある蕎麦屋の店主は今日も憂鬱
今日も客が来ない。朝から一人も来ない。おれはいつになったら、まともなお客に蕎麦を出せるんだろう。山の中の細い道路沿いなんかで店をやっている時点で大繁盛ってのは見込めなくてもさ、ちゃんとした客が一人くらい来てもバチは当たらないと思う。
ガラガラガラッ
店の重たい引き戸が開く音がする。
「結局何もなかったね」
「ほんとそれ」
「スマホに何か映ってる?」
「いや何も」
うるさい。ドアが開いたかと思えば、大学生だろうか? 若い男女四人組が話しながら店に入ってきた。無意識のうちに「いらっしゃいませ」と口が動くのは、きっと職業病だろう。
「私が言った通り、やっぱり嘘だったじゃん」
「だな、ここまで来て本当に損した」
「えー、でも今回の話はマジっぽかったんだって」
「まあまあ、お腹減ったしご飯食べてどっか遊びに行こうよ。私はカラオケがいいなー」
四人が楽しそうに話しているのが聞こえる。またいつものパターンだ。
「すみませーん、注文いいですかー?」
若い女の声が店内に響く。はあ……もう少し無視するか。
「あのー、すみませーん!」
ああ嫌だ。頼むから勘弁して欲しい。
「すみま…………」
ああ、やっと逝ったか。声がしたテーブルを見ると、だらしなく椅子にもたれかかった若い男女の体が四つ見えた。いつもの事だ。おれは店の電話機で、いつもの電話番号に電話をかける。呼び出し音が五回ほど鳴った後、受話器を取る音がした。
「今日は四つだ」
おれが言うと電話が切れた。
電話をかけてから二十分後、またドアが開く音がする。
「こんにちは。今日はどんな感じですか?」
紺のスーツに白いシャツ、爽やかな水色のネクタイをした若い男が店に入って来た。来るタイミングも服装もいつも通り。こいつはおれの仕事仲間だ。
「あれだよ」
おれが若者たちの死体を指差すと、スーツの若い男は嬉しそうに死体の側に向かった。そして持っていた大きな紙袋から、これまた黒くて大きな袋を取り出し死体を袋に入れ始める。
「洗面所借りますね」
スーツの若い男は袋詰めした死体を外に運び終えると、店に戻って来た。そして洗面所で念入りに手を洗った。おれがタオルを用意してやると、男は嬉しそうにそれを受け取った。好青年に見えるのに、どうしてこんな仕事をしているのだろう? おれはこの男に会う度に思う。
「蕎麦屋でのお仕事お疲れ様です。おかげで今日も新鮮な体が手に入りました。今月は景気がいいですね。今日で二十体超しましたよ。店の横に止まってた車も古くないみたいだし、今回もいい収入になりそうです」
「そりゃよかった。でも、おれからすると生きた人間に蕎麦を食べに来て欲しいんだがな」
「いやあ、それは難しいですよ。こんな山奥になかなか人なんて来ませんって。しかも店の裏の道を進めば心霊スポットですよ? 尚更です」
「そうだけどよ、何度も言うがおれは生きた人間に蕎麦を振る舞いたいんだよ」
「諦めてください。ここには心霊スポットに来るような物好きしか来ませんって」
うちの店の裏にある、山奥に向かって伸びる道を進むと、知る人ぞ知る心霊スポットがある。あまり有名ではないのだが、定期的に人がやってくる。
どういう場所かはわからないが、あそこに行って生きている人間をおれは知らない。理由は不明だが、心霊スポットに行った人間は必ずこの店まで戻ってくる。そして空腹だとかなんとか言って店に入って二、三分で死ぬ。
死ぬとわかっているからわざわざ確かめには行かないが、きっと山奥には何かあるのだろう。おれはそれがすごく気になっている。
「いつも気になるんだが、どうして裏の道を進んだ場所に行った人はこの店に来て死ぬんだ?」
「さあ? でも見に行った人は必ずこの店まで戻ってきて死ぬんです。親父さんがここで働く前からずっとそうなんだから、そういうもんなんですって。考えても仕方がないですよ」
「そりゃ考えても仕方がないことだが……」
「それにこの蕎麦屋に入るのは決まって心霊スポットに行った後でしょう? 見えない何かが作用してるんだと思いますよ」
「そうか……」
おれは納得できないが、それ以上は聞くのをやめた。
「あ、そうだ、蕎麦でも食べて行くか?」
「そうですね、いただきます。じゃあ、ざる蕎麦で」
「あいよ」
おれは蕎麦の用意をする。
「おれはもっとたくさんの人に蕎麦を振る舞いたいよ……」
「何を言ってるんですか。借金抱えて首が回らなくなった親父さんに夢を語る権利なんてありませんよ」
「……そうだな」
「ここでこうして好きな蕎麦屋をやってられるだけでも、うちには感謝してもらわないと」
「……わかったよ」
おれは昔ちゃんとした自分の店を持っていた。しかし、事業で失敗して金が必要になり、いろんなところから金を借りた。いや、借りまくった。金を返すために金を借りて、その金を返すためにまた借りて、いつのまにかどうしようもなくなった。
借金が返せなくなったおれは命を絶とうとしたのだが、そんな時にこのスーツの若い男の上司が、借金を肩代わりする代わりにこの蕎麦屋で働くことを持ちかけてきた。この新鮮な死体が集まる蕎麦屋で働くことを。
「ごちそうさまでした。おいしかったです」
スーツの若い男が、食べ終えた食器を運んで来てくれた。本当にしっかりした奴だ。
「おうよ、お代はいらねえよ」
「え? いいんですか?」
「おれが蕎麦を振る舞いたかっただけだ」
「いつもありがとうございます。じゃあ、また新しい死体が来たらご連絡ください」
「あいよ。なあ、一つ聞いていいか?」
「何でしょう?」
「本当に裏に何があるのか知らないのか?」
「またその話ですか。いつも言ってるでしょう、行った人は『何もなかった』と言いながら死んでいます。だから何もないんじゃないですかね」
「本当だと思うか?」
「確かめに行けば必ず死ぬ。こんなの本当のことなんて誰にも確かめようがないですよ」
「でもよう……」
「そう言うならご自身で見に行かれては?」
「……そうだな、悪かったよ、いつも同じことを聞いて」
「いえいえとんでもない。ではまた」
「……おう」
スーツの若い男は爽やかな笑顔を貼り付けたまま店を出ていった。
おれはすごく気になった。裏の心霊スポットには一体何があるのか。こんな店でだらだらと生きるぐらいなら、いっそのこと見に行って死んでもいいんじゃないか……だんだんそう思えてきた。
そうだ、次に死体が上がった時、電話をしてから見に行けばいいんだ。もしおれが死んだとしても、あのスーツの若い男に死体は回収されるから問題はないだろう。
ん? 問題って何が問題だって言うんだ。今後いくら働いてもこの店から出られない。もう何年も関わっているのに、おれはあのスーツの若い男の名前すら知らない。今更おれが死んで誰が困る? 迷惑なんて知ったこっちゃない。
でも、まあ、仕事を放棄するのはなんだか心苦しい。ちゃんと電話をしてから見に行くとしよう。
こうしておれは裏の心霊スポットを見に行くことを決意した。
機会は思っていたより早くやってきた。
おれが決意してから一週間後、新しい死体が上がった。また若者四人組だった。おれは電話をして死体が上がったことを伝えると店を出た。
一瞬体が震えた。やはり少し怖い。でも、今更こんな命なんて惜しくはない。だらだら生きるぐらいなら見に行ってすっきりしてやる。おれは震える手をぐっと握りしめ、店の裏の道を山奥に向かって歩き出した。
不気味な山道を想像していたが、心霊スポットに向かう道といっても特にこれといったことはなく、木々が鬱蒼と茂った薄暗い一本道が続いているだけだった。
十分ほど歩き続けると、大きな岩が道を塞いでいた。岩を避けて歩くこともできず、完全な行き止まりだった。周りを見渡しても木しかなく、怖いと思う要素は何もない。もう拍子抜けするほど何もなかった。
「本当に何もないな……」
おれは思わず独り言を言ってしまった。周りに何の気配もなく、これ以上いても何もできない。さあ、戻るとするか。おれは来た道を戻った。
店に戻るといつものスーツの若い男が、死体の袋詰めを終えたところだった。
「こんにちは、珍しいですねお店から出るなんて」
「ちょっとな、気になって見てきたんだよ」
「ん? どこを見てきたんですか? もしかして……」
「ああ、心霊スポットだよ」
「そうですか。どうでした? 何かありましたか?」
「いや、何もなかった。今のところおれが死にそうな感じもしない。なんなんだろうな、心霊スポットって」
「何もないんですね本当に」
「ああ、木が茂った道をずっと行くと岩があっただけだった」
「岩ですか?」
「ああ、大きな岩が道を塞いでいて戻ってくるしかなかった」
「そうなんですね」
「どう思う? おれ、もしかしたらそろそろ死ぬのかね?」
「何を言ってるんですか。親父さんはもう死んでるでしょう」
おれは自分の耳を疑った。おれが死んでる?
「は? 何をふざけたこと言ってんだ?」
「忘れたんですか? 親父さんはもう何年も前に死んでるんですよ」
「いやいや、おれはここでずっと働いてるじゃねえか」
「ええ、働いていますよ。でも、死んでます。借金を抱えて自殺したのに、未練がましくうちの上司の枕元に立って『蕎麦が作りたい』って言ったそうですよ。忘れたんですか?」
「……え」
「何日もしつこく枕元に立たれて、根負けしたうちの上司がこの店をあてがったんですよ。物好きなもんですよ、うちの上司も。まあでも、幽霊になった親父さんに給料なんて概念はありませんし、この店に生きた人員を割かなくていいからこっちとしては助かるんですけどね」
「おい、本当におれは死んでるのか?」
「だからそう言っているでしょう」
「…………」
「既に死んでいるんだから、そりゃそれ以上は死なないでしょう」
「…………」
「でもやっぱり何もなかったんですね、それが知れてよかったですよ、私は」
衝撃だ。おれが死んでいた。こんな馬鹿な話があるはずない。あるはずがないと思う反面、徐々に嫌な記憶が蘇ってくる。自ら命を絶った時の記憶が。
信じたくない。自分が幽霊だったなんて。こんな事を知るぐらいなら見に行くんじゃなかった。後悔がおれの胸を満たす。だが、それと同時に一つの疑問が浮かんだ。
「……そういや、おれの前にここで働いていた人がいるのか?」
「ええ、いましたよ」
「それは生きた人間だったのか?」
「ええ、もちろん」
「その人は今何をしているんだ?」
「ああ、死にましたよ」
「えっ……」
「他に使い道のない頭の悪い人だったので、心霊スポットを見に行かせたんですよ。組織のみんな気になっていたから実験に使おうって」
「その人はじゃあ……」
「ええ、見に行って帰ってきて『何もなかった』、そう言って死にました」
「そんな……」
「人材としては使えなくても、体は健康だったんで有効活用しました。いい話じゃないですか。死んで役に立ったんだから。彼も本望でしょう」
「……本望って、お前人の命をなんだと思ってるんだ!」
気づけばおれは叫んでいた。おれの声が店中に響く。こんなに腹が立ったのは久しぶりだ。
「いやいや、自ら命を絶ったあなたに言われたくないですよ。あなたは命について語れる立場ではないんだから」
スーツの男は爽やかな笑顔で言った。
「お、お前……」
おれはもう何も言えなかった。言い返したいのに返す言葉がない。悔しい、悔し過ぎる。もうこんな組織辞めてやる。辞めてどうするかは何も決めていないが、辞めてこんな店出ていってやる。でもどこに行く? いや、とりあえずこの店を出て山を下りよう。
「あれ、体が透けてますよ?」
スーツの男が驚きながらおれを見た。釣られておれも自分の体見てみると、たしかに体が透けている。そしておれの体はどんどん足から順に薄れていった。
「えっ……なんだこれ、どうなってるんだ!」
「あれですかね、自分が死んでいることに気づいたのがダメだったのかも」
「いや、そんな、おれは…………」
おれが話し終える前に口が消えた。こんなにあっさり終わるのかおれは。目が消える前に最後に見たものは、爽やかにおれに笑いかけるあの男の顔だった。
「あ、消えちゃった。親父さん、さようなら。まあ、聞こえてないだろうけど」
スーツの若い男はそう言うと、何事もなかったかのように淡々と死体を店の外に運び出し、乗ってきたハイエースに軽々と積み込む。積み込みが終わると、男は店で手をよく洗ってから、店の前に止められていた車を確認する。
「親父さんの件の報告もあるし、車は回収班に五日後の予約で頼むか……」
男は面倒くさそうにぼそぼそと呟くと、店の中に戻った。
「親父さん、せっかくタダ働きしてくれていたのに、惜しいことしたな。そうだなあ、借金で首が回らない奴でも探して連れてくるか……」
回収班への予約電話を終えた男は、少し残念そうな顔で溢した。
男は店を出ると、丁寧に両手でドアを閉めた。そして車に戻ろうと後ろを振り返ろうとしたその時、自分の背後に何か気配を感じた。
ぬるりとした嫌な汗が男の背中を流れる。初めての感覚だが、男はこれが殺気や憎悪といった負の感情であることがなんとなくわかった。
男は深呼吸をしてゆっくりと振り返る。そして後ろに居た存在を視認すると、思わず目を見開いた。男の顔に恐怖が貼り付く。
「あっ……やっぱり何かいたんじゃないですか……」
これがこの男の最期の言葉になった。
蕎麦屋から連絡があった二日後。スーツの若い男の帰りがあまりにも遅いので組織の人間が店を見に行くと、死体が積み込まれたハイエースの側に、頭をもがれたスーツ姿の死体が一つ転がっていた。