第一章 ⑥
「ジャスハー様。魔人族領に近い場所にいる中で最も中央に近いあなただからこそ、お願いしたい。証しはここに。」
「唯花。お前を使者にしなければならないことが私にとっては苦しい。」
「構いません。むしろ、私にとっては幸福です。」
「だれかに悟られてはいけないとなると、行軍する道は選ばなければならないな。」
「あまり整備はされていないが、カルカランを経由してケルケレンでミルハウス殿と会談しよう。」
雑音が混じる。
「この男を連れて移動する。ミルハウス殿と会う際にほかの魔人族の元へ引き渡す。」
「妖霊の襲撃だ!多い!くそっ、あいつは置いていけ!守れん!」
身を切り裂く大きな痛みが感覚を包む。
―これでは助からない。
「逃げたぞ!やましいことがあるのだろう。追って討て。悪いが私たちのこの行軍が見つかってはいかん。」
「いたぞ!斬れ!」
またもやありとあらゆる経験から思い起こしても見当たらないような苦痛が体に走る。
―これでもだめだ。
「正直に話させてもらう。おそらく信用できるもんじゃないだろうから手かせはつけたままで構わない。だが、本当のことなんだ。」
「わかった。ひとまず、武器も渡せないが、不自由はできるだけ無いようにしよう。」
「妖霊の襲撃か!お前も戦えるな!手錠を外す!戦え!」
またも雑音、そして視界が暗転する。
あまりにも巨大な情報量にめまいがした。自分が今いた場所すらおぼつかず、自分が先ほどまでどのような姿勢を取っていたのかわからなくなる。かろうじて膝の地面と自分を後ろ手に縛る縄の感触が自分の体勢を思い出させる。
はっと気づいた時に改めて回りを見回すとまだ後ろにフリアエが立っており、時間がまるで経過していないことが分かった。
そこまでして自分が呼吸することを忘れていたことに気づき、せき込んだ。
「おぉ!?どうした?エリアスといったか?体調は大丈夫か?」
指輪をはめて見回したと思ったらいきなりせき込んだ捕虜に驚いたのだろう、フリアエが気遣ってきた。
「すまない、ちょっと無理な体勢をしていたものだからせき込んでしまった。」
エリアスは言い訳としては苦しいか、と思いつつ言葉を返す。
先ほど見聞きした映像は幻だったのだろうか、だが、それにしてはありえないほど現実的で、熱を持った映像だったような気がした。なによりその痛みの記憶は本当のもののように体が熱を持っていた。
「エリアスといったか。フリアエ様の厚情に感謝してほしい。本来ならば軍隊が行軍中に不審な行動をしていれば打ち首でも文句は言えないのだ。わかったな?
では、フリアエ様、そろそろ朝の会議の時間です。移動いたしましょう。見張りは部下に任せます。ゼーロイ!見張りを交代してくれ。」
ムスタファが部下に声をかけて天幕から外に出ていく。
本音を言えば助かった。自分が今得た情報があまりにも多すぎて整理する時間がほしいと思っていた。
先ほどの幻覚で見たミルハウスと言えば魔人族の間ではかなり有名な人物だ。ミルラース領を収める現当主にしてこの戦時に際していち早く中立派と名乗りを上げたこと、特にミルラース領は人間族の領地に隣接していることもある中で、人間族に迎合しないが、争いをしないと表明したことで話題になっていた。アリウス領も同様の方針にすると声明をおって出したが、もっとも早くに中立と名乗った上、最も大きな勢力であったため魔人族皆々の印象だが、中立派の旗頭はミルハウスとなっていた。
そして、先ほどフリアエという女性がここをダリエシン領と言っていたことと先ほどの映像と照らし合わせれば、この天幕は魔人族でも広く知られている人間族有数の権力者であるダリエシン領の領主であるジャスハー・ダリエシンの意の下に動いており、ミルハウスとの秘密会談を企図しているということだ。
ケルケレンという町で会談を試みようとしており、そして、あの口ぶりからすると若干遠回りして向かっているということなのだろう。
あくまで今見た幻が事実の物であれば、だが。
だが、真実だったら、希望はある。自分のやらなければならないことをするためにも。