3―5.暗闇の檻
――壮絶な苦しみを味わい、深い暗闇がその身を包んでいた。冷たい部屋に横たわる体。
目覚めた時には全てを失っていた。戻るべき家も、立場も、子孫を残す術さえも。
早池峰 友禅、十八歳の春のこと。
意識が半濁としている。じめじめとした、だが冷たい空気を肌が感じ取り、鼻には腐ったような据えた臭いが常に突き刺さる。身体の上を、細長い何かが這って行く。自分の身を包んでいる着衣も、じっとりと湿り、不快以外の何ものでもない。下腹部を鈍くも重い痛みが蝕み、体中が熱を孕んでいる。
じわりと戻ってくる五感で感じる苦痛は徐々に身体にしみ込んでくる。
指を一本、動かす事すら辛い。重い身体を持ち上げる事ができずに、うつ伏せのまま友禅はゆっくりと瞼を持ち上げた。
瞳が、鉄格子を捉えた。自分はその格子の中に横たえられている、という事を理解するのに、暫しの時間を要した。友禅が認識をする限り、ここは座敷牢、だった。
瞳をぐるりと動かし、周囲を探るが、今までに知覚したことの無い暗闇が辺りを包んでいた。闇のせいで鉄格子の外側に通路があるということが判別できたのみだった。自分の周りに何があるのかは分からない。
重くなってくる瞼に従い、そのまま友禅の意識に暗闇が訪れた。
その時だった。
「ようやくお目覚めですか? 友禅様?」
重い瞼を持ち上げると、鉄格子の外から数人の男達が、横たわっている自分をのぞき見ていた。自分に声をかけたのは、顔にまで掛かる長い黒髪と、異様なまでに白い肌を持つ、蛇のような印象を持たせる男だった。
男達は、格子を開けると土足で座敷牢に上がりこんでくる。畳というのは名ばかりで酷く汚れが詰まり、元の色が分からないほどになっていた。自分の手の平には、ささくれて腐りきっている畳の感触が伝わってくる。男達が歩く振動で、床を這っていた数匹の百足が部屋の隅に向かい逃げていった。
男の周囲にいる者達は皆、下品な笑いをこちらに向けていた。
「こ……こは?」
やっとの思いで出した声はしわがれていた。
「ここは忌家。貴方がた、正規の狗鬼達は、ここにいる者達の犠牲の上に成り立っているのですよ」
「いみ……け?」
初めて聞く言葉であった。
「表向きには『無いもの』とされている場所ですからね。知らないのも当然でしょう。ここは本家の地下にある『忌家』。本家にとって好ましくないものを管理下に置き、隠しておく場所なのですよ」
蛇のような男は、長い髪を右手で掻き上げた。
「なんで、自分がこんな場所に? ってか?」
蛇の男の傍らに立っていた男は、ヤニに黄ばんだ歯をむき出し、自分に向かって生暖かい息を吐き出す。蛇の男は静かに語る。
「貴方はもう、本家から不要物の烙印を押されてしまったのですよ。穢れた血を持つ不浄な狗鬼として……。弟の哭士が、貴方の立場を担う事になるでしょう。彼は、今は十二歳でしたかな。本家に召し上げても、まだ充分適応できる歳ですからね」
懐かしい弟の名が出、友禅の心中に動揺が生まれる。
「一体……何故」
「まさか、覚えてないわけ無いだろう? 三日前の事だぜ」
男の言葉に、口を開きかけたが、次の言葉を出す事が出来なかった。
掠れた音が喉の奥から出てくるばかり。瞼が、重くなってきた。
「……」
友禅はそのまま、目を閉じた。
「傷口が膿み、熱病になっているようですね。まあ、男の『象徴』を失い、粗末な治療しかされていないのですから、弱るのは当然でしょうが。ここで簡単に死なれては困ります。籠女の血を与えておきなさい」
蛇の男は、取り巻きに命令を下すと、早々に座敷牢を後にした。
――あぁ、やはり夢ではなかったのだ
あの出来事から、もう三日も経っていたのか。そう思い出し始めたと同時に、意識がまた深淵に沈んでいった。