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2―29.真相

――菊塵、ごめんね。こうするしか、無いみたい。

 あの雨の夜。




 菊塵の顔面を、今までに無い大きな衝撃が襲い掛かった。

 瞬時には自らの身に何が起きたのかを理解することは出来なかった。

 だが、直後に襲い来る壮絶な痛みに、菊塵は喉が張り裂けるほどの猛りを上げ、顔面を押さえながらうずくまった。

 同時に、床に硬いものが転がる。

 左目から零れ落ちたのは、菊塵の狗石だった。


 顔を押さえ込んでいる菊塵の手は、見る見るうちに真紅に染まってゆく。

 少量とはいえぬ生ぬるい液体が指の間を流れ落ち、襲いくる苦痛に、体がくの字に折れ曲がる。

「何故……僕の狗石の在り処を……!」

 痛みに耐えながら、搾り出すようにフユに問う。体内に狗石を埋め込んでいることは、埋め込まれた菊塵と、久弥しか知らないはずである。

 フユは、菊塵の狗石の在り処を初めから知っていたようである。


「……血の、流れ。私の能力は鉄を操れる、だから……」

 短いフユの言葉で菊塵はフユの言わんとしていることを察する。

 血には鉄分が含まれている。鉄を操れるフユは、人の血の流れをも察することが出来るのだろう。

 その為、菊塵の左目付近の血流が、不自然になっていることに気づいた。その為狗石が埋め込まれていることを知っていたのだ。




 一歩、また一歩と、フユは菊塵の元へと足を進める。震える体を必死に操り、フユは菊塵の前に転がり落ちた小さな石を拾い上げる。

 苦しげな表情を浮かべながらも、菊塵の狗石を、優しく握り締める。

 その感触は、菊塵の体を包み込む。狗石を握るフユの手から、これからフユが行おうとしていることが狗石を通じて流れ込んできた。

 それは、逆の立場であったとしたら、菊塵が迷うことなく行っていたであろう事。

「止めろ……!」

 猛る声はフユには届かない。最後まで、自身に下された命令に抗おうと、フユの表情は苦痛に満ちている。フユの目が、見上げている菊塵の目と交差した。


 目が合い、一瞬にして、緩まるフユの表情。これから行おうとしている事に迷いを捨てた、柔らかくも強い瞳。菊塵は息を呑んだ。

 ゆるりと開いた唇から、紡がれる短い言葉。

 フユの背後には、無数の鉄棒。すべて先端は菊塵に向けられている。





「さよなら」




 フユの言葉と同時に、次々に菊塵に向かって来る無数の鉄棒。

 まるでコマ送りのように近づいてくる鉄棒。

 うずくまった状態から無我夢中で伸ばした右手は、フユに届くはずも無い。

 まぶたを強く閉じるフユ、窓に当たる大粒の雨さえも、菊塵にはその時全てを知覚することが出来た。


 それは一瞬の事だった。

 軟らかい物を貫く、生々しい音。轟く雷。そして、一挙に多数の鉄棒が床に突きたてられた事で、建物は大きく揺れた。



 見開いた菊塵の右目が、認めたくない現実を映し出す。

「あ……あぁ……!」

 開いた口からこぼれだす言葉は、すべてが叫び声となって意味を成さない。








 無数の鉄棒が腹部を貫かれている、フユの姿。床が一瞬で真っ赤に染まっている。

 顔は天井を仰ぎ、膝からフユは崩れ落ちた。背中から突き出した鉄棒は、フユが倒れ臥すと同時にけたたましい音を立てた。

 


 力の限り、鉄棒が刺さっている足を振りぬいた。

 引き千切れる鈍い音と太腿の痛みと共に、菊塵の右足は自由を得た。半ば這うように、菊塵はフユの元へとたどり着く。

 フユは、菊塵の狗石を使い、菊塵に放った攻撃を全て自分に向けたのだ。菊塵の能力まで、フユは最初から知っていたのだろう。

「フユ! フユ!」

 名を呼び続ける菊塵の叫びにも似た声に、閉じられたフユの瞼がピクリと動き、フユの瞼がゆっくりと開かれる。

 多量の出血。菊塵の体を、自分の物ではない生ぬるい液体が伝う。フユの命が流れ出している。

「……」

 フユの左手がゆっくりと持ち上がり、菊塵の頬に触れ、菊塵はフユを見つめた。

 何か言いたげなフユの瞳、フユの口がゆっくりと動く。



――私が、守る。



 確かにフユの唇が刻んだ言葉。

「……フユ?」

 フユの言葉を飲み込めない菊塵。見開いた右目が、何か光るものを捉えた、が、瞬時にそれは激痛へと変わり、菊塵の目は光を失った。

 釘が、残った右目にも襲い掛かったのだ。

 直後、フユの首が下がる。同時に重くなるフユの体。

 この人物の命が、後わずかで燃え尽きてしまいそうなことを、菊塵は感じ取った。

 右目の傷など、然したることではなかった。掠れた声で何度も何度もフユの名を叫ぶ。だが、菊塵の声は、フユにはもう届かない。

 こみ上げてくる制御の出来ぬ感情。自身の怪我など忘れ、体温を失いつつあるフユの体を抱きとめた。




 雨は激しく降り続いている。

 抉られた左目も、自ら引き剥がした右足の傷も、知覚することを忘れ、菊塵は、今しがた起こった出来事が信じられずに、ただ呆然とフユの体を抱きとめていた。

 だが、その時間も長くは続かなかった。




 背後で響き渡る、悲鳴。

 目は見えずとも、菊塵の聴覚は、その声の主をも聞き分ける。フユの妹、アキの声。そしてその背後には聞き覚えの無い人物の足音。

「これは……一体……!」

 声からは屈強そうな体躯であることが想像できる。この壮絶な部屋内の様子に、言葉を失っていた。



 それからは、現場に駆けつけた屈強そうな男、蓼原の手配で、菊塵とフユは別々の病院に運ばれ、治療を受けた。

 菊塵は偶然にも、桐生が所属する病院へと運ばれ、桐生の素早い処置により、失明を免れた。

 だが、不幸にも『人間』用の病院へと搬送されてしまったフユは、狗鬼としての治療が遅れ、今も眠ったままの状態なのである。


 これが、全ての真相だった。

 菊塵はフユに手をかけていない。だが、フユを傷つけていない、とは言い切れない。



 自分が未熟だったばかりに。心をゆるしてしまったばかりに、今もフユは、病院の一室で、管をつながれた状態で眠っている。

――僕の甘さが、彼女の人生を奪った。

 菊塵の心中には、その思いだけが消えることなく残っている。

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