2―22.政府のイヌ
今日子の墓前から彩子が去り、色把と菊塵が残された。
「あぁ、まだ居た。良かった~」
聞きなれた、安穏とした声。菊塵は振り返らずともその声の主を察した。
『桐生……さん』
町医者の桐生だった。普段着の上に白衣を羽織っている姿は、霊園にはとてもではないが似つかわしくない。
「何故、ここに? 奥様は既に帰られましたよ」
桐生の妻、彩子は今夜早池峰家に迎えを寄越す旨を話し、去った。それから数分もしないうちに桐生本人の登場である。
「うん、本当はね、彩子と僕は一緒に君たちと話をする予定だったの。でも、話をするだけなら彩子一人でも十分でしょう? ほら、あの人コレは達者だから」
そう言って、口の横で指をはじく動作をする。口が回ると言いたいのだろう。
「僕は、別件で菊塵君に忠告があって来たの」
菊塵は、この柔和な顔が崩れたところを一度として見たことは無い。その菩薩のような顔の裏で何を考えているのか、菊塵の観察眼をもってしてもなかなか読み取れない。
「……ガバメンタルドッグ(GovernmentalDog)が動き出すよ。政府の犬が、本家に牙を剥くみたい。間もなくね」
菊塵の目線は桐生の足元付近を一瞬だけ彷徨い、最終的に桐生の目へと戻った。
「……僕はもうGDではありません」
自身の『過去』に触れられ、僅かに菊塵は動揺した。桐生は柔和な表情を崩さない。
――ガバメンタル ドッグ。通称GD。政府が飼う隠密部隊。幼少の頃に菊塵はその部隊に所属し、情報収集のノウハウを叩き込まれた。ある出来事を境にGDから離れた現在でも、仕事の上でその能力は大きく役立っている。
「君はそれで完結しているのかもしれないけど、『彼』はそうは思っていないみたいだよ」
「……!」
頬が少し強張ったのが自分でも分かる。
「彼は君の能力が欲しくて仕方が無いんだよ、きっと」
菊塵の様子に気づいていないのか、はたまた気づかないふりをしているのか。桐生の表情は変わらない。
「……僕は、誰のものにもなりません」
菊塵の言葉に、桐生は柔らかに微笑む。
「ふふ、何だかんだ言って、君もまだ若いねえ。そういうの好きだよ、僕」
腰に手を当て、笑みを浮かべたまま小さく首をかしげる桐生。色把は、その場で心配そうな表情を浮かべ二人を見つめていた。
「……桐生さん、貴方の奥様は何をお考えなのでしょうか」
菊塵の言葉に、桐生は首を振る。
「僕も分からないよ。僕と彩子はお互い、都合が良くて夫婦という関係を取っているだけなの」
手のひらを上に向け、桐生は肩をすくめた。
「僕は狗鬼を研究する支援が、彼女は僕が持っている情報が必要。だから、あの人が何を考えて、何をしようとしているのか、僕の与り知るところじゃないんだよね」
「さ、僕のお話はこれでおしまい。とりあえず、君の古巣の事を小耳に挟んだものだから言っておいたほうが良いと思って」
そう言って、色把と菊塵の二人の顔を見る桐生。
「お心遣い、感謝します」
菊塵は桐生に小さく頭を下げた。桐生は色把と菊塵の脇をすり抜け、墓前に立つ。目を瞑り暫く手を合わせた後、白い墓標に一礼した。
振り向きざま、桐生は菊塵に言い放つ。
「あぁ、菊塵君。色把さんなら僕が早池峰家に送りとどけるよ。君は久しぶりに『家族』に会って来たらどう?」
「……」
他人のために自ら動くことが殆ど無い桐生である。色把を送り届ける、ということにも何か彼なりの意図があるらしい。
「わかりました。色把さんをお願いいたします」
菊塵は桐生に承諾の旨を伝える。
「じゃあ、行こうか、色把さん」
桐生は色把に手を差し伸べ、先導する。色把は頷き、桐生に続くも、菊塵を気にしたように何度か振り返る。
「後から向かいます。ご心配なく」
この言葉に、色把は小さく頷き、墓前を後にした。
※
園内の芝生が風にもてあそばれ、さわり、と音を立てる。
真新しい今日子の墓とは打って変わり、霊園の隅にひっそりと佇む、苔むした小さな墓が一つ。
周囲には所々に雑草が生えている。菊塵はその雑草を踏み分け、墓の前に立った。
墓碑には、かつて『家族』だった人々の名前が刻まれている。
苔むし、風雨にさらされた墓石の様子から、かなりの年数が経っていることが伺える。
――もう、十年以上前になるのか。
今でも、昨日のように思い出すことが出来る。
靴下に水分が染みる生ぬるい不快感、その不快感に視線を下げると、白い靴下は赤黒く染まっている。
鼻につく鉄分の臭い、投げ出された白い手とは対照的な赤い色。
床に広がる赤色に浸された、長い髪の毛。
近くの木立から、鳥が羽ばたく音で菊塵は現実に引き戻された。
「まったく……僕らしくも無い」
菊塵は腕を組み、自身の家の苗字が記された墓碑を静かに眺めていた。




