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2―16.思わぬ出会い

 曽根越 菊塵を追い、蓼原タデハラが行き着いた先は、閑静な住宅街だった。

「ここは……」

 菊塵が入っていった建物は重厚な門構えの屋敷、である。白壁が延々と続き、塀の奥には、ずっしりとした日本家屋の屋根と、立派な松の木が見える。門の脇の、古びた表札に目をとめる。

「ハヤチネ……?」

 変わった苗字だ。そして、どこかで聞いたことがある。

 近所の主婦を捉まえて、話を聞いてみた。製薬会社の創始者の家だと判明するのに、そうそう時間は掛からなかった。どこかで聞いたことのある感覚に漸く合点がいった。菊塵の勤めているアービュータスの会長、である。




 屋敷に住んでいるのは、創始者の早池峰修造と、その孫。出入りしているのは使用人の女性。最近は、若者が数人出入りしているのを見かけるという。おそらく、菊塵もその内の一人なのだろう、と蓼原は考える。

 早池峰修造の孫は十七歳、高校には行っておらず、祖父の会社、アービュータスで、会長である祖父の身辺の警護をしている、とも話があった。全て早池峰家の使用人が話をしていた事だそうだ。ほぼ正確な情報とみて良さそうだった。




 ただ。




――早池峰さんの家から、銃声のような音がしたことがある。その後で解体工事のような大きな音と地響きがした。大きく古い家だから、工事なんかも必要になるのかもしれないが、工事車両が出入りした気配は無かった。



 こんな言葉が女性の口から出た時、思わず蓼原は怪訝な顔を浮かべてしまった。銃声のような音がしたのも、大きな音がしたのも、一週間程前の同日だったそうである。蓼原は、手帳に主婦の言葉を書きとめると、礼を述べ、その場から離れた。

 蓼原の中の『勘』が、何かを訴えかけている。

 心中には、四年前の事件がまた渦巻いていた。人外の力で壁に突き刺さっていた鉄パイプ、その前に聞いた凄まじい物音、そして地響き。菊塵を追いかけて行ったその先でも同じ派手な音と地響きの証言。

――こじつけ過ぎるかな。

 そう、自分に言い聞かせ、早池峰家を後にしようとしたその時だった。




「!!」

 一瞬、だが確かに蓼原の耳に届いた。早池峰家の内部から、木材の割れるような音。まさか、聞き込みで得た現象が今まさに起こるとは。早池峰家に背を向けた体をもう一度反転させ、蓼原は様子を伺った。



 それから、例の音は鳴り響くことはなく、しんと住宅街は静まり返っていた。


 暫く早池峰家を見つめていたが、その後何の変化も無い。

―― 一体、何だってんだ。

 蓼原が一つ大きなため息をついた瞬間だった。早池峰家の正門が静かに開き始めた。






 開いた門から出てきた人物らに、蓼原は一瞬目を疑った。

「アキちゃんじゃないか」

 蓼原の従姉妹である。彼女の母親の厳しい教育を受け、現在若干十五歳にして、芸能界に足を踏み入れ、現在はモデルとして活動している。中々の人気を博していたはずだ。

 アキも蓼原に気づいたらしい。アキに連れ立ってきた金髪の外国人も、アキと共に蓼原に歩み寄ってくる。ギリシャ彫刻を思わせるような彫の深さに、スラリとした長身。

――随分と、美丈夫な男だ。

 蓼原は一目見てそう思った。黙って小さく首をかしげ蓼原を見つめている彼の年齢は読み取れない。大人びているようにも見えるが、どこかしら子供らしさも残っているように思える。


ケイさん、どうしてここに?」

 アキは蓼原の事を『圭さん』と呼ぶ。見上げて首をかしげる少女に、尋ねたいのは自分のほうだった。

「いや、仕事で偶々通りかかったんだが……アキちゃんこそ、何故?」 

 アキは、蓼原の質問に、隣に居る外国人を見上げた。

「なあ、アキ、誰? コイツ」

 徐に、アキの隣に立っていた外国人が口を開く。流暢な日本語、という以前に、砕けすぎている言葉だった。

 アキは、外国人の言葉に、足を思いっきり踏みつける。踏まれた当の本人は、一瞬ものすごい形相を浮かべ、そのまま黙り込んだ。表情からはまだ痛みを堪えている様子が伺えた。



「彼を、迎えに来ていたの」

 彼、とアキは痛みを必死に押し隠している外国人を指した。外国人は、名をユーリ・ヴァルナーと名乗った。蓼原も続いて名を名乗る。

「ここ、『友人』がいるもんで」

 引きつった笑顔でユーリは屋敷を親指で指す。

「それは、こちらのお孫さん?」

「えぇ、まあ」

 ユーリは蓼原の問いに素直に答える。

「中には、曽根越 菊塵という方も?」

 蓼原の問いに、明らかな動揺を見せたのは、ユーリの傍らに立っていたアキのほうだった。

「アキちゃん……」

 四年前からそうなのだ。曽根越 菊塵の名を聞くとこうして身を硬くし、黙り込んでしまう。事件直後の事情聴取の時からである。家族が重傷を負った場面を見た衝撃のせいであろう、と取調官は漏らしていた。

 だが、蓼原は知っている。伯母が娘、アキの事を話す時に、『アキは嘘をつくときに下唇を軽く噛む癖がある』と。

 蓼原は、あの事件のときに、自分が知らない『何か』を見たのではないか、そう思っている。

 だが、その小さな胸の内に何を潜めているのか。何度尋ねても、この少女の口は、何も語られる事はかった。何も知らない、下唇をかみ締めながら、少女はそう一言告げるだけなのである。




「なぁ、さっきのもだけどよ。『お姉ちゃんを、返して』ってどういう意味だよ?」

 ユーリが突如口を開く。

「!!」




――お姉ちゃんを、返して?




「それは、曽根越 菊塵に言ったのか?」

 蓼原はユーリに問う。

「あぁ……そうだけど」

「龍」

 アキの小さな言葉が、ユーリの言葉を止める。

「もう、行かないと」

 昔から、表情の少ない娘であったが、その瞳の奥には、焦燥が広がっている。アキの若さでは、人の心理をある程度見抜ける刑事の目は誤魔化せない。

「アキちゃん、今の……」

 引きとめようとする蓼原の脇を、アキは足早にすり抜けていく。

 蓼原は今、『あの』事件の捜査員ではなくなっている。彼女を拘束する法的手段を持ち合わせていない。

「……」

 去っていくアキを見送るしかなかった。



「おいっ! アキ! アキってば!」

 困った様子で、小柄な少女の後ろを、スラリとした長身が追いかけていく。

 残された蓼原は、二人が去っていった方向を暫く見つめていた。


 柳瀬アキの姉……柳瀬フユ。

 そして、柳瀬フユと交際相手だった曽根越 菊塵。

 『お姉ちゃんを返して』とアキは菊塵に話したという。



――もう一度、曽根越と柳瀬フユの周りを洗いなおすべきなのかもしれない。



 一度だけ早池峰家を振り返る。白壁に囲まれた立派な日本家屋の屋根は、何故か、見上げている蓼原をあざ笑っているようにも見えた。





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