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1―4.菊塵の説明

比良野ひらの色把いろはさん、ですね」

 翌日、ビジネスホテルで一夜を明かし、今度は立派な日本家屋に通された。

 床の間、大きな掛け軸、絵に描いたような立派な客室だった。畳一枚分はあるかというくらいの大きな卓。色把の目の前に茶托。色把の向かいには、黒いフレームの眼鏡をかけた男性。そして少し離れた窓べりに、見覚えのある男性が不機嫌な表情で座っている。



「僕は、曽根越そねごえ菊塵きくじんと申します。そこに行儀悪く座っているのは早池峰はやちね哭士こくし

 昨晩、お会いしていると思いますが、と話を付けてから眼鏡の男性、菊塵は話し始める。

 窓べりに座っている哭士は、やはり昨日、自分の部屋に一番最初に入ってきた男性だった。目の前の菊塵も記憶にある。

「昨晩、手荒な真似をしてしまったこと、お許し下さい。こちらとしても火急かきゅうの事態だったもので」

 静かな声、眼鏡を指で押し上げる。まっすぐこちらを見つめる目と目が合って、色把は思わず下を向いた。



「僕達は、色把さんが連れ去られたと貴方のお婆様から連絡を受け、この数日、貴女を探していました。貴方はもう安全です。あのビルはアービュータスという会社の……、聞いたことはありませんか? 製薬会社の一つです」

 祖母の事が話に上がり、ようやく色把は体の力が抜けた。

「あの会社と僕達が組する組織の間には浅からぬ縁がありまして。まあ、それは追々話しましょう。まず、僕達が聞きたいのは、貴女がさらわれた時のことです。貴方をさらった人物は、どのような?」



 口を開きかけて、色把はふと動きが止まる。手で、紙とペンをあらわす動作をする。

「あぁ、失礼しました。こちらを」

 色把の目の前に、紙とペンが用意される。色把は声を出すことが出来ない。十歳の時からだと祖母から聞いたが、色把は十歳より前の記憶が無く自分に何が起きたのか覚えていない。

 色把が、記憶を辿りながら文章を書こうとしたその時だった。



「まどろっこしい事はいい、菊塵」

 哭士が遮る。声を初めて聞いた。意外に若い声だった。

「そのまま話せ、唇を読む」

 色把に向けられた言葉に首をかしげる。

(そのまま、話す……?)

 菊塵は苦笑を浮かべる。

「慣れている対話方法の方が良いと思ったのですが、彼は時間が掛かる事は嫌いなようで。僕も彼も、読唇術どくしんじゅつを心得ていますので、そのまま口を動かしてみてください」

 哭士の言葉に悪戯っぽく笑う菊塵。紙以外で他人と会話をするなど、色把には無かったことだ。調子が中々つかめないまま、少しずつ色把は話し始めた。

『私は……』



『私は、庭で洗濯物を干していたんです。そのとき庭の勝手口から、誰かの気配がありました。普段誰も出入りしない場所です。妙だな、って思ったけど家の中にはお婆様もいるし、何人か使用人の人達もいるからきっと誰かだろうって』

 一つ一つ、思い出しながら話を進める。色把の頭の中には当時の風景がよみがえる。通じているのか不安になり、そっと二人の様子を窺った。

 目の前の菊塵は色把の唇から目を離さずに頷いているし、哭士の方は相変わらず不機嫌そうな顔で微動だにしない。色把の話は声を出さずとも通じているようだ。

 色把は続けた。



『でも、その音がしてから暫くして家の中から物が壊れる音がしました。家の中に入ろうとするとお婆様の声がして、『逃げて』って。どうすればいいのかわからなくなって……それでも家の中に向かおうとしたんです。お婆様が心配で』

「なるほど」

『そうしたら……金髪の男の人でした。背が高くて結構若い感じの人。屋根の上から私の目の前に飛び降りて来ました。外国の人だと思います。目の色も違っていたから。でも、日本語はとても流暢りゅうちょうで、私の同行を求めてきました。私が大人しく従えば、家の中の者には危害は加えない、と』

「外国人……ねぇ。いたかな、そんな奴」

 菊塵は考え込む。会話が止まると、続けるように哭士が促した。



『それから、黒い車に乗せられて貴方達に発見をされた部屋に。あの部屋からは貴方達に会うまでの間、出ていません』

「部屋にはどれくらいの間?」

『二日です』

「誰かと話をしたか? 例えばお前を連れ去った外国人とは?」

「お前」という少々乱暴な哭士の言葉に引っかかりつつ色把は頷いた。

『あの部屋に入ってからすぐ、四十代位の男性が入ってきました。その時に、外国人の方も引き連れられて一緒でした』

「あぁ、きっとその男はアービュータスの社長でしょう。貴方を確保する直前に、その方も押さえさせて貰いました。所で、話の内容はどういった?」

 菊塵が促す。

『最初に、私が近く危険な目に遭うだろうから保護をさせてもらった、と。危険が過ぎ去れば自宅に帰すから、それまでここで待つようにと言われました』

 色把の言葉に眼鏡の奥の瞳が細められた。

「貴方はそれに従った?」

 色把は頷く。

『にわかに信じられませんでした。お婆様が私に逃げるように叫んでいたし……でも、私が何かすれば家の方々にも危害が加えられると、そう思ったんです。了承すると、男性はそのまま部屋を出て行きました。それからは、何も』

 菊塵が納得したように目を閉じた。



「なるほど、大体の事はわかりました」

 菊塵が頷く。

『お婆様は、無事なのですか?』

「……後ほど、会えるかと。ここ数日の事でお疲れでしょう。離れの方に部屋を用意しましたので、まずはこちらでお休み下さい。女中じょちゅうも居ますので、何なりとお申し付けください」

 にこやかに色把に語りかけた。

 屋敷の中を自由に歩き回っても構わないと話を締め、菊塵の一連の説明は終わった。色把は菊塵にぺこりと頭を下げ、案内された部屋へと向かう。

 ここでようやく自分に降りかかった突然の出来事も、ひと段落しそうだった。



(でも、私には何一つ、確信を持てる物が無い)

 自分の身が安全だということも、祖母とも後で会えるということも、すべて菊塵が話をした事だ。あの一連の騒乱は何だったのか、本当にここは安全なのか。自分が知りたい事に何一つ触れることが出来ず、色把の心中は晴れなかった。




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