1―22.交戦
「……五月蝿いから来てみれば」
そこには、異邦人と思しき闖入者と、相棒の菊塵が争っていた。目的は色把だろうと、容易に想像はつく。二日間の間で、哭士の体はかなり回復しており、菊塵と闖入者の間にも容易に割り込む事ができた。
色把はというと、起こっている狗鬼同士の戦いが信じられないらしい。目を丸くして、その場に立ち尽くしていた。哭士と目が会うと、困ったような表情を浮かべ、唇を噛みしめた。
「はは、僕では、力不足だったようで」
諦めたように、菊塵は笑った。
「何、お前? その子の狗鬼か?」
色把を見、哭士に問うユーリ。答える必要は無いとばかりに、哭士は肩をすくめた。
「ま、いいや。相手が一人増えたところで、俺の目的は変わらない。なぁ、アービュータスの社長を攫ったのもお前達だろう? 困るんだよねぇ、雇い主が居なくなっちゃうとさぁ」
軽い、自信に満ちた口調。いけ好かない男だと哭士は思った。
「じゃ、第二ラウンド、始め!」
軽快な動きで中空へと舞い上がるユーリ。菊塵と戦っている時も、この男は何らかの能力で空へと飛び上がるというのは分かっていた。攻撃をすれば、見えない何かで防がれる。正体を掴めれば、勝機はある。ユーリの能力の正体を見極めようと集中するが、瞬間、見計らったかのように目の前にユーリが降下してくる。
「!」
右半身を後ろに引き、ユーリを交わす。すれ違いざま、左足をユーリの右脇に叩き込む。
「かはっ……!」
小さく咳き込むユーリ。が、苦しそうな表情は一転する。舌を出してニヤリと笑う。
「……なーんてね」
ユーリに放った哭士の左足には、硬い感触が返ってきている。能力で打撃を防いでいるのだ。
「衝撃がハンパねぇ……すげー力。お前、あのメガネよりは出来そうじゃん」
「さあな」
自信に満ちているこのようなタイプの人間は単独で行動することが多い。兎に角、単独で色把を攫いに来たのであれば、この男を戦闘不能にするか、逃げられないように手段をとらなくては、保守派の者達に色把の所在がばれてしまう。その為には、この男の能力の正体を見極めるのが先決だった。
高く飛び上がるユーリに続き、地面を強く蹴り上げ、同じ高さにまで飛び上がる。その瞬間、ニッと笑ったユーリは両手を組み、哭士の頭目掛けて振り下ろした。
「!!」
攻撃に気づき哭士は空中で拳を避けるがユーリの腕が肩を掠った瞬間、バランスを崩す。だが哭士はそれを狙っていた。瞬間に自らの足をユーリの足に絡め、引き落とした。思いもよらない行動に、ユーリの目が大きく見開く。
「しまった……!」
中空でユーリの襟首を掴んだ哭士は、自身の体重ごとユーリを地面に打ち付けた。
庭に敷き詰められていた砂利が、二人が墜落した衝撃で天高く舞い上がった。パラパラと舞い上がった砂利が辺りに降り注ぎ、砂煙が上がっている。
「クッ……」
砂煙が収まると、組み合ったまま落下したはずの二人の狗鬼は、距離を置き、地面にしゃがみこんでいた。哭士の右頬には、切り傷が一閃している。
「面白いよ。お前」
全身を打ちつけたらしく、苦しげな表情を浮かべてはいるものの、ユーリからは何の緊張感も感じられなかった。軽口を叩ける程の技量はあるらしく、戦闘においても絶対的な落ち着きを見せている。
「……」
頬の傷は浅い。だが、たちまちのうちに、首にまで血が滴ってくる。哭士は袖口で右頬を拭った。
「あーぁ、首、狙ったんだけどなぁ」
よろりと立ち上がるユーリにあわせ、哭士も立ち上がる。長身の二人が対峙する。
目の端に色把が見える。
ユーリを哭士に任せた菊塵は、戦闘の余波から色把を守るため、傍らに立っている。菊塵の目は、これから行う哭士の行動を理解しているようだった。色把の耳に向けて、菊塵の唇が動く。
――哭士は、まだ本気を出していません。けれど遊びはここまでですよ
(菊塵め、好き勝手言いやがって)
先に動いたのは哭士だった。正面から拳を振りかぶり、ユーリに殴りかかる。案の定、ユーリの体に拳が当たる前に、硬い感触が哭士の拳に返ってくる。
「ハッ、んな攻撃、当たっかよ」
ユーリの言葉に、哭士の口元がつりあがる、笑んでいた。
「ブラフだ」
次の瞬間、現状は大きく変わっていた。
※
「お……前!」
目を大きく見開き、ユーリが膝から地面に崩れ落ちた。背中を向けるように、哭士が立っている。
ユーリからすれば、目の前の哭士の姿が消えたように見えたであろう。
「能力、分かった」
哭士の静かな声に反応し、ユーリが顔を上げる。
「お前の能力、『空気の固定』だな。ブロック状の塊を作り、上に立つ。これで、空中に浮いているように見える。生成できるブロックは一つ。ガードする場合は、必然的に範囲は一箇所、そして一面」
淡々と哭士が放つ言葉に、ユーリの表情から余裕が消えた。
「……なんで分かった?」
「砂利だ」
「は?」
大きな目を更に見開くユーリ。
「さっき巻上げた砂利が、お前の近くで不自然に落ちていった。それで空中に透明な物質があることに気づいた。後は行動パターン。複数生成できるなら、もっと有効な攻撃をしてきていた筈だからな」
ユーリと哭士が落下した直後に降り注いだ砂利の流れを、哭士は見ていたと言うのだ。ユーリは信じられないといった表情を浮かべていた。
※
『一体、何が起きたんですか?』
色把には、哭士が突如ユーリの背後に移動し、そのユーリが倒れこむ様相しか分からなかった。
「哭士は、彼の能力が一箇所しか使えないことを見抜いたのでしょう。眼前でわざと分かりやすい攻撃を繰り出し、能力で防御させた。その後哭士は、神速に彼の背後に回り、ガードされていない背中を攻撃した。目に見えなかったのは、彼も同じでしょう。これが一般の狗鬼と、早池峰の血を持つ狗鬼との違いなんです」
説明を終え、菊塵は哭士と対峙しているユーリに目を落とした。
菊塵の説明と同時に、ユーリはまたしても立ち上がる。
「……ヤバイね。コレ。とてもじゃないけど敵いそうにねぇや」
俯き、諦観とも取れる仕草。だが、向き直った面差しのユーリの両目は、真っ赤に燃え滾っていた。
「でもよ、ここで引き下がるわけにはいかねぇんだよ! その子だけでも貰っていく!」
速い。哭士の脇をすり抜けたユーリは、色把に向かってくる。振りかぶる手は真っ直ぐ自分に進んできている。菊塵が自身の能力を発動させようと、色把の前に立ちふさがる。
「菊塵、必要ない。動くな」
哭士の声に、菊塵が手を緩めた。色把の眼前が、突然真っ白になった。