5―21.包む水
がらり、と岩の崩れる音。
「……!」
友禅と取那を中心に、狗鬼達は緊張を巡らせ振り返った。
「……洛叉……!」
執念。洛叉を動かしているのはそれだけだった。身体はもう動かせる状態ではない。それでも目だけは爛々と光り、友禅だけを捉えている。取那は数歩後ずさった。ゆらりと身体を傾がせながらも立ち上がる。洛叉の背後からは蔦や枝葉が伸び、じわりと哭士達との距離を詰め始める。
友禅へ打ち込まれた種子を哭士達にも植え付けようとしているのだろう。
血を媒介し、命を吸い取る宿り木。狗鬼達の心の奥底に決して小さくはない恐れが湧き上がる。
下手に攻撃を加えれば、種子がこちらに向かって放たれるだろう。
ひとたび身体の内に入り込めば、それを取り出す術は無いのだ。
―― 一体、どうすればいい……。
その時だった。哭士は異様な気配を感じ取った。
洛叉と哭士達がにらみ合う静まり返った空間で、足元の小石がカタカタと揺れ始めた。哭士の心臓が早鐘を打つ。何か、強大な力がこちらへ向かってくる。
地鳴りのような音は段々と大きくなり、足元の振動が大きくなってくる。
「な……何だァ!?」
ユーリも異変を感じ取り、声を上げたのとほぼ同時だった。
遂に、地鳴りの音は轟々と耳に障るまでの大きな音となる。
怒涛の如くうねりながら押し寄せるのは、大量の土砂だった。
「走れ! 早く!」
呆然とする面々、だが危機をいち早く察知した菊塵が短く叫ぶ。
朽ちた木々も、氷の柱も、すべてを土砂が飲み込んでも飽き足らず、地面を激しく揺るがせながら黒い塊はその場にいるもの達をさらに飲み込もうと口を開いた。
哭士は取那の手を取った。ユーリは友禅を救おうと地面を蹴る。苑司も足を縺れさせながらも哭士達へと続こうとした。
次の瞬間、ゴポリと、身体を浮遊感が襲う。
水中に身体が浮かんだのだと感知するのに数秒の時間を要した。
土砂の水ではない、透き通ったそれは哭士達全員を柔らかく飲み込み、流れを作りながら土砂から遠ざけてゆく。
水中から友禅の姿が一瞬だけ見えた。顔をこちらに向け、唇が何かの言葉を紡いでいた。
――友禅は 何を――
――土砂も、この水も、友禅が――
流れる水は、意志を持ったように洞の中を進んでゆく。
流れに抗おうとするが、複雑な流れは身体を自由に動かすことが困難だった。
周囲を凍りつかせ、その場にとどまろうとするが、哭士の周囲を見えない膜が包み、凍結がそこで止まってしまう。
抗えぬままどんどんと友禅の居る空間から離されていく。
水の膜が爆ぜ、その場に哭士達はバシャリと水音を立て倒れ込んだ。
菊塵、苑司、取那、クオウも哭士の近くに水流によって運ばれていた。
皆、今しがた起こった事態についていけず、呆然と座り込んでいた。
背後で水音がする。最後に運ばれてきたのはユーリだった。
水の膜から解き放たれ、ゲホゲホと咳き込む。
身体を起き上がらせると同時に、ユーリは叫んだ。
「友禅は! 友禅はどこだ!!」
皆、口を噤んだままだ。勿論、そこに友禅の姿は無い。
「畜生……! 畜生――!」
拳を地面に叩きつけた。
喉を反らし、張り上げる声はびりびりと空気を揺らした。
「哭士兄……」
クオウが哭士を見上げる。
「……俺、友兄を探す。絶対、一緒に帰るから」
必死に訴えている瞳に、偽りの色は見えない。
哭士は一度頷き、了承の意を伝えた。
クオウもそれにこたえて頷くと、一瞬で姿を消した。
だが。
最後の命を燃やし、有り余るだけの水量を使って友禅は哭士達を救ったのだ。
あの土砂に飲み込まれれば、狗鬼といえどもひとたまりもないだろう。
洛叉も
――友禅も。
※
「友兄! ……友兄……!」
全身がずぶ濡れで、あちこち身体には傷がつき、そしてその傷からは蔦が伸びていた。
体中を覆う蔦で友禅の顔を確認するのも難しくなってきている。
クオウは友禅の顔にかかる蔦を手でかき分けた。
うっすらと開かれた目は、数秒の間、虚空を彷徨い、そしてクオウへと向けられた。
「クオウ……」
「友兄、帰ろう。黒髪の姉ちゃんが悲しんでた。みんなで一緒に帰ろう」
だが、次に帰ってきた言葉は、クオウの思いもよらないものだった。
「クオウ、私の石を、差し上げます」
胸の上に載っていた手がわずかに動き、自分の懐を指差した。狗石が入っているのだろう。
「いらない……そんなの、いらない……。俺、友兄の家に行きたい。友兄と一緒に帰りたい」
クオウの言葉に友禅が小さく息を吸って話し出す。
友禅の身体を蝕む植物は、確実に友禅の命を喰っている。
「貴方には、お祖父さんが居るんです。ちょっと怖い顔ですけれど、実は涙もろくて……」
「友兄……?」
「ご飯がとても美味しい家政婦さんも居るんです。ちゃんと、みんなの言うことを聞くんですよ……」
瞳は濁り、虚空を見つめている。それでも、表情は柔らかい。
「そんな事聞きたいんじゃない! ねえ友兄、お願いだからさ聞いてよ……」
「取那を、お願いします……」
瞼が閉じられた。もう、友禅から言葉が発せられることはなかった。