5―17.危殆
木々の間で、二人の人物が向かい合っていた。
一人は息が切れ、肩で息をしている。
平然と立っている人物が、口を開いた。
「何故、倒れないのか。……そう、思いました?」
長い時間が経過していた。友禅の身体も、あちこちが悲鳴を上げている。
洛叉の身体も既に立ち上がれる状態ではない。なのに、身体に怪我など無いかのように平気で立ち上がり、攻撃を仕掛けてくる。
「痛みというものは非常に厄介です。恐れを生み、そして体の自由を奪う」
「……」
洛叉の言葉に、友禅は押し黙った。
洛叉の言うとおり、痛みを感じていないかのような所作に、友禅に一つの考えが浮かぶ。
脳内の物質を麻薬で操り、痛みを感じないようになっているのだと友禅は考えた。
痛みという恐れがなくなった体で、防御しない攻撃は先が読めない。
真向から向かい、友禅の力をものともせずに組みかかってくる。そして、早い。
「人の脳はほんの一部しか使われていないのです。だが、それを解放すれば」
「このように、貴方にすら対抗できる力が出せる!」
腕がしなる。友禅に伝わってくるのは、決して軽くはない衝撃。かつて、忌家で覚醒した時の自身とほぼ同程度の力だろう。
それよりも力が落ちている友禅は押される一方だ。
「!!」
考えている間にも、洛叉の腕が伸びてくる。長い爪が友禅の皮膚を裂き、赤色が散った。
※
「友禅、どこだ……!」
友禅を追い、森の中へ踏み入るも、姿を見つけることが出来ない。
耳を研ぎ澄ませても、気配を感じ取れるものの、音が反響して正しい位置が分からない。
「キク、分かるか?」
「……いえ」
菊塵もまた、険しい表情で首を一度だけ横に振った。
また地面が揺れた。
三人に緊張が走る。
「しっかし、不気味だぜ。まだ見慣れねぇ」
ユーリは周囲を見渡した。
度重なる戦闘で、木々は所々倒れたりしているが、それでもまだ「森」と言い表してよい程、鬱蒼と木々が茂る。
そして、草木が生えるスピードが異様に速いのだ。
気に絡まる蔦、足元に生える草、少し目を離すと数センチ伸びている。
「植物を操る能力か。苑司、もしかしたらまたお前の能力を借りるかもしれねえ」
菊塵とユーリに遅れぬよう、必死についてきている苑司は、無言で一度、強く頷いた。
「!!」
突如、木に巻きついていた蔦が、不自然に蠢く。
葉が一枚、菊塵の腕を掠めた。鋭く尖った葉は、菊塵の腕に細い一本の傷をつける。
菊塵を狙い済ましたかのような動きだった。
「菊塵さん、大丈夫?」
「ええ、このくらいなら何も……。しかし、何なのでしょう。さっきの植物だけ、意志を持っていたような」
このような傷は、何の問題にもならない。滲んだ血を手で払い、そのまま歩みを進めた。
「いた!!」
短いユーリの叫び声。
視線の先を菊塵も追う。
苦しげな表情を浮かべている友禅と、向かい合っている一人の男、洛叉だ。
友禅は菊塵達の姿を見とめ、瞠目した。
「何故……!」
クオウの身を案じてのことだろう。
「大丈夫、あいつの声が聞こえないようにしてある。さっさと早池峰に追いつこうぜ」
ユーリの言葉に、友禅の表情が少しだけ和らいだ。
だが、異変が現れたのはその時だった。
友禅の元へ進もうとした菊塵は、指先に違和感を覚えた。
「何だ……これは……!」
指先がぶるぶると震えている。気づいた瞬間から、体中に違和が広がり、力が抜けてゆく。
「菊塵さん!」
受身も取れず、肩から崩れ落ちる菊塵。苑司は菊塵へと駆け寄った。
こちらに一瞥もしなかった洛叉がこちらを見、うっすらと笑みを浮かべた。
「植物の毒というものは、なかなか侮れないのですよ」
洛叉の罠だったのだ。洛叉は、誘うように木々の中へ消える。すかさず友禅も後を追う。
「野郎……!」
歯軋りをしながら、二人を追いかけユーリも消えた。
「僕はいいです……出来る限り、ユーリの援護を……!」
震える声、身体。呼吸も乱れている。
「でも……!」
「……自分に向けられた攻撃は能力で何とかします……ここに纏まっていては狙われます」
息を吸い込むと共に目が丸くなる苑司。全身に緊張を帯びている。
それでも、苑司は菊塵の意思を汲み取り、立ち上がった。
「無事で……いてください」
心配そうに瞳を覗き込む苑司に、菊塵は無理に笑った。
「大丈夫です。哭士にはまだ僕が必要ですから」
菊塵の言葉に、苑司は小さく頷いた。
※
「この植物、かなり厄介だな……」
見る間にざわざわと茂る葉。菊塵に傷を負わせた植物の見分けが付かない。毒が少しでも体内に入れば、菊塵のように動けなくなってしまう。
「ユーリ」
後ろから声をかけられ、振り返った。
苑司が見上げている。
「たぶん、この葉っぱ、どうにか出来るよ。手伝ってくれるかな……」
苑司の目には、確信が宿っている。島への突入時とは別人のようだ。
「助かった。ちょうど俺も手伝って欲しかったところだ」
ユーリはいつもの笑みを浮かべ、苑司を見つめた。
ユーリは自分と苑司を空気の壁で囲う。
「いいぜ、苑司」
ユーリの合図と同時に、苑司は深く息を吸い込む。
周囲の茂った葉が風により揺れ始めた。
それは徐々に激しくなり、やがて根こそぎ植物を引き剥がし始める。
苑司の拳は強く握られ、身体は強張っている。能力を統制するのに神経を集中させているのだ。
ちらり、と菊塵が居る方向へ目をやるが、そちらに葉は飛んでいっていない。
能力の操作もかなり上達している。
苑司が小さく唸る。
鼻から一筋血が流れ出す。慣れない能力をこの洞窟に入ってから酷使している。
苑司の身体に、相当な負担がかかっているようだった。
目を見開き、流れ落ちる血にも気づかない。
「苑司、もういい。もう止せ!」
「!!」
肩を掴んだユーリに、苑司がはっと意識を取り戻す。
「あ、ああ……ユーリ、ごめん……」
指先で、血を拭う苑司。
「……悪かった、もう能力は控えろ。な?」
そういうユーリも、身体は悲鳴を上げ始めている。
「大丈夫だよ、僕は……それより」
苑司の言葉が途切れた。
「!!」
激しい音と共に、空気の壁が壊れ、苑司の身体が吹き飛び宙を舞った。
投げ出された人形のように地面へと落ちる。
「苑司!!」
叫ぶユーリ。駆け寄ろうとした瞬間、上空から降り立った人影が、苑司の身体を踏みおろした。
振り返る人物。ユーリは瞠目した。
「……クオウ……!」
目から光が消え、また怯えた表情でこちらを見つめている。
「馬鹿! 何で出てきた!」
だが、ユーリの言葉はクオウには届かない。
「また……声が……」
ユーリの空気の壁を自らの力で壊し、脱出したのだ。恐れとも怯えともつかない表情で頭を抱えている。
「声……? 壁で遮断したんじゃなかったのかよ……!」
それが、友禅の狗石を手に入れんとするクオウの衝動だとはユーリが知る由もない。
「お前! 兄ちゃんを助けてくれって言ったじゃねえか! アレは嘘か!」
ユーリの声が空気をびりびりと揺らす。だが、クオウの表情は変わらない。
そして冷徹な洛叉の言葉が、どこからか響き渡った。
「友禅の狗石なら後からやろう。クオウ、その狗鬼達を殺せ」
容赦なく降りかかる洛叉の声。クオウの瞳が紅く染まった。