5―11.統率者の鎖
鬼頭の狗鬼達の被害は甚大だ。それでも鬼頭の表情は変わらない。
「真逆、ここまで犬を減らされるとはな」
倒れている狗鬼が視界に入っていないかのようだ。部下の身体を踏みしめ、数歩近づく。
その様子にユーリは不愉快な表情を浮かべた。
「犬だァ? てめぇの部下達だろ。お前を守ろうとしてこうして傷ついてる」
右手を広げ、倒れている狗鬼達を指し示す。
「何を言う。俺が使役し盾として使ってやっただけだ。兵など所詮、使い捨てだ。道具は使えなければ取り替えるまで」
「……なんて野郎だよ……」
ユーリは舌打ちした。
「……だから嫌なんです。莉子はこの男に使い潰された」
自身をかつて兄様と慕った部下は、自身と他者の能力の差に異様にこだわり、そして捨てられることを恐れていた。
この男に、より長く道具として使ってもらう為に、だ。
「お前ら、何とも思わないのかよ!」
ユーリは周囲の鬼頭の狗鬼らに呼びかける。
「……無駄です。狗石が鬼頭の手中にあるうちは、彼らにどうすることも出来ない」
そうユーリに忠告した菊塵だが、僅かな異変に気づいた。
統制の取れていた狗鬼達の数人が、震えている。奥歯を噛み、じっと何かに耐えているようだった。
「……」
菊塵にはその表情に既視感を覚えた。
それは狗石を奪われ、命令をされながらもそれに逆らおうとした哭士の顔と重なる。
同時に、菊塵の脳内に一つの考えが浮かんだ。
「ユーリ」
菊塵はユーリに自身の策を伝えると、ユーリは目を瞠った。
よもや、菊塵がそのような提案を出すとは思いもよらなかったのだろう。
だが、次の瞬間、イタズラを思いついた子供のように楽しげに笑った。
「キク、俺それに超賛成」
「苑司君、僕とユーリの能力でなるべく保護しますが、なるべく前線から離れ避難してください。……すぐ終わります」
「わ……わかった」
緊張の面持ちで苑司が頷く。島への突入時よりも幾分、顔つきが変わり落ち着きが見て取れる。ユーリの補助による成果がそうさせているのだろう。これなら短時間離れていてもなんとかなりそうだった。
「いきます」
「おう」
菊塵とユーリは鬼頭に向かって同時に真っ直ぐ駆け出した。
「で、お兄様、俺は何をすればいいわけ?」
「鬼頭以外に『守られている』狗鬼を見極めます。おそらく、それが発信塔です」
フム、と軽く鼻をならす。
「そいじゃ、もう一回行きますかね!」
ユーリは再び水入りのペットボトルを取り出し、狗鬼達へと向かっていった。
※
――どうにかして、猟犬達を開放出来ないでしょうか
菊塵がユーリに提案した言葉である。
鬼頭が放った、自身の部下を物としか捉えていない発言に身じろいだ狗鬼を見、菊塵は違和感を覚えた。
基本的に狗石を使った支配はその命令が下された瞬間のみ有効である。
以前、哭士が狗石により莉子の支配下に置かれた時も、下された命令を完遂、もしくは一定の時間が経過した場合、その効果は一旦切れた。
継続して支配下に置くには、狗石による命令を継続して送る必要がある。
――果たして、鬼頭にそれが可能だろうか
と菊塵は考えた。鬼頭へ攻撃を放った瞬間、会話をしていた瞬間、その間に命令が断絶すれば、どこかに隙が生まれるはずである。しかしそのような様子は一切無かった。
周囲に狗鬼を配置し、自ら手は下さない。
鬼頭が狗石を持っていると考えるのがごく自然な流れではある。
だが、隙が生まれていない事を踏まえると本人が狗石を持っているとは考えづらかった。
配下の複数の狗石を持つ狗鬼を司令塔とし、その司令塔の狗石を使い間接的に命令を下していると考える方が現状を見たときに一番説明がつく。
ここにいる狗鬼達は自身を防御することをしない。咄嗟に庇うのは、統率者の鬼頭と、指令塔である狗石の保持者だ。
突き上げるような振動が再び洞窟内を揺らす。同時に降り注ぐ水滴。
ユーリの視線が目まぐるしく周囲を泳ぐ。
投じられた爆弾の水蒸気でなかなか姿が見えない。
――ダメだ。見つけられねぇ。
もう一度放とうと爆弾を振りかぶるユーリに猟犬が数人がかりで飛びかかる。手に空気の塊を生成している以上、ユーリは自身を守る壁を作れない。ユーリは大きく舌打ちする。
「畜生……! これじゃ……!」
数で圧されてしまう。
ユーリの上方から菊塵が飛び込む。
いくつかの銃口が菊塵の軌道を追った。菊塵を狙う狗鬼数人を空中で冷静に打ち抜いた。着地と同時にユーリに組みかかっていた男を吹き飛ばす。
跳ね上がったユーリと背中合わせに短く言葉を交わす。
「苑司は」
「無事です」
「司令塔は」
「鬼頭の背後の小柄な狗鬼と思われます」
「了解」
襲い来る狗鬼達の間に見つけた僅かな隙間。ユーリは地面を強く蹴った。
次々と繰り出される攻撃をすんでの所で避けながらユーリは目標の司令塔を目指す。
――もう一発だけ、爆弾を放てる。
右手に持つ空気のブロックの中で、水がちゃぷちゃぷと激しく揺れている。
だが、鬼頭の狗鬼らもそれを必死に阻止すべく、一斉にユーリへと飛びかかった。
※
ここでユーリが止まってしまえば、菊塵の発案がすべて振り出しに戻ってしまう。
ユーリもそれを承知しているようだった。獣のような唸り声を上げ、組みかかってくる狗鬼を力の限り振り払っている。
司令塔はその隙に、また狗鬼達の背後へと紛れようと後ずさっている。
またもやユーリの近くで爆発が起きた。
小柄な狗鬼に数人が覆いかぶさり、爆風から身を守っている。ユーリの目が光った。
細長い手が、ようやく司令塔の腕を鷲掴み、そのまま自身へと必死に引き寄せる。
「てめェか……ッ!」
途端に狗鬼達の動きが乱雑になる。司令塔がユーリから逃れようと意識が乱れている。鬼頭の命令と自身の保身への意識の間で抗っているのだろう。
その隙をユーリは逃さない。周囲の緩まった狗鬼の手を逃れ、司令塔の狗鬼を掴む腕に力を込める。そして自身ごと地面に引き倒した。激しく抗う司令塔。接近戦ではユーリの能力はさほど使えない。歯をむき出しながら腕を振り上げ、思い切りこぶしを振り下ろした。
だが、鋭い音とともにユーリのこぶしは跳ね返される。他の狗鬼の能力だ。
この好機を逃せば、次は無い。本能的に菊塵とユーリは瞬時に悟った。
ユーリの攻撃は周囲の狗鬼の能力で防がれるだろう。菊塵による攻撃が必要だった。
※
「キク! ここだァァ!!」
喉が張り裂けそうな程の大声でユーリは叫んでいる。ユーリと激しくもみ合う司令塔の胸の中心に照準を合わせる。他の狗鬼達は間接的に送られる鬼頭の命令により、ユーリを司令塔から引き剥がそうと一気に飛びかかる。
人影にユーリの金色が見え隠れする。
自分の呼吸で上下する僅かな腕の誤差も命取りだ。
「キクッ! 早く!」
いよいよ司令塔ごと押さえつけられたユーリの身体、目の前を狗鬼達が塞ぎ、司令塔の姿が見えなくなる。司令塔の思考を一瞬だけでも遮りさえすればいいのだ。封じられた右腕を渾身の力で振りかざす。拳銃を反射領域に打ち付け跳ね返し左手に持ち替えた。
利き手ではない左腕、押さえつけられているこの状態、狙うべき対象はもみ合い照準がなかなか定まらない。
菊塵は天井を仰ぎ見た。自身の能力を展開し、自身の死角となる部分を鏡のように反射領域に映し出す。
遂に司令塔から引きはがされたユーリ、だが、彼は司令塔を空気のブロックで拘束していた。
――見えた!
一瞬にして脳内の回路が繋がる。視界が狭まり、打ち込むべき箇所だけが菊塵の網膜に焼き付いた。
引き金を絞る指が遅い。自身に返ってくる発砲の反動、空気を切り裂く一発の銃弾を反射させる。
頭の中で描いたとおりの軌道を辿り、銃弾は狗鬼の間をすり抜けてゆく。
「痛ッ……!」
ユーリの左耳を掠め、銃弾は司令塔の体へと打ち込まれた。
鳴り響いた銃声の後、はた、と一瞬だけ周囲の狗鬼の動きが止まった。
狗石による指令が途切れたのだ。
引きはがされたユーリは、地面を激しく転がるも、体制を瞬時に立て直す。視線の先には司令塔だ。
「う……おらァァァ!!」
ユーリは力の限り獣のように飛びかかった。
空気の壁を蹴り、渾身の力で司令塔の顔面を殴り抜いた。
静まり返った暫時の間、鈍い音だけが響き渡った。
倒れこんだ司令塔、ざざあ、と細かな音と共に、沢山の狗石が零れ落ちた。
隊列は乱れ、菊塵達に向かっていた足が、ばら、ばらと止まった。
「……馬鹿な」
今まで微動だにしなかった鬼頭の眉が持ち上がる。目の奥が震えている。
「貴方は言いましたね。僕の中には曽根越久弥が居ると」
戦慄く空気を纏った鬼頭に、菊塵は真っ直ぐ向き直った。
「確かに僕の中にはあの男が生きている。僕が最も恐れ憎んだ鬣犬が」
ユーリは瞠目し、弾かれたように菊塵を見た。
「しかし、個を尊重する彼のやり方と、そして逆らう者は己の力で押さえつけ目的を達成する執念、それは尊敬に値するものでした。……それは忠誠としてかつての鬣犬をつなぎ止める鎖となっていた」
GDの二本柱の片割れは既に死亡し、狗鬼達を根本から支配する本家ももう存在しない。
「だが貴方にはそれが無い。自身が傷つく事を恐れて個を殺し、それに身を隠した。只の臆病者です」
菊塵の声が、最後まで鬼頭に届いたかは分からない。
恐れる首輪(GD)は失われ、猟犬を繋ぎ止めていた狗石という鬼頭の鎖は今、まさに絶たれた。
紅く光る複数の目が、かつての統率者を映し出す。
統率者の地位は今まさに陥落した。使い捨ての手足として使われていた猟犬達は統制を失った野犬と化し、長きに渡り自信をつなぎ止めた鎖に牙を向かんとざわめき出す。
「貴様ら……! 何をしようとしているのか分かっているのか……!」
その言葉が引き金となった。怒りが、憎しみが空間に満ち溢れ、狗達は一斉に飛びかかった。
皮肉にも、それが今までで一番統率の取れた個々による力動であった。
吠え声にも似た怒号が空気を揺らす。鬼頭の声は聞こえない。
「……行きましょう」
こちらを気にするものは誰ひとりとしていない。個を認めず総を己の物として扱った故の哀れな男の末路を、菊塵は見届けることは無かった。
ぴりぴりとした雰囲気を纏った菊塵に、苑司は話しかけられずにいた。
横顔が刃物のように研ぎ澄まされ、触れれば切れてしまいそうだった。
だが、そんな苑司の心中を知ってか知らずか、するりと菊塵と苑司の間に細身の身体が滑り込んだ。
「ちょっとちょっとキク、少しズレてれば俺の耳、吹っ飛んでたんですけど」
ユーリは菊塵の銃弾がかすった左耳を指す。僅かに耳から血が流れている。
刃物の顔が、ゆっくりとユーリに向けられた。笑っている。
「言いましたよね。もう一回言ったら風穴を開けるって。外してしまったのが残念でした」
次の瞬間には、普段の菊塵の表情に戻っていた。
どさくさにまぎれて言い放ったユーリの『お兄様』発言を菊塵は聞き逃してはいなかったのだ。歩きながら弾を込めなおす菊塵の横でユーリは冷や汗を流す。
「……それは大層ゴメンナサイでした」