表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
162/190

5―9.残滓

 菊塵が鬼頭の言葉に一瞬だけ気を取られたと同時だった。

 ゆけ、と小さく放った言葉に鬼頭の背後に控えていた猟犬達が動き出す。

 計算され尽くしたような対称シンメトリーな動きだった。




「!!」

 等間隔な隊列の均衡が瞬時に崩れる。囲んでいたうちの一人が菊塵の懐を目掛け飛び込んでくる。

「……しまった……!」

 それを避けようと動いた事で、ユーリ、苑司と離れてしまった。着地した先の地面がぐにゃりと歪み、菊塵は足を取られる。

「くっ……!」

 菊塵は敢えて背中から強く倒れこむ。背後に反射の領域を生成し、自身の身体を弾き飛ばした。空中でのバランスを整え、近くに立つGDに銃弾を放つ。太股を打ち抜かれた隊員はその場に倒れこむ。

 菊塵の反撃に動揺する事もなく、次の隊員が向かってくる。

 振りかざされた拳を潜り、脇腹を殴りつける。その背後から飛びかかってくる男の肩口に向かって引き金を引き打ち抜く。

(ユーリ達は……!)

 出だしで分断されてしまった二人を探すが、カーキ色の中に目的を見つけることが出来ない。休む間もなく襲いかかってくるのだ。菊塵は避けるが振りかざされた手が菊塵の右腕を弾く。

「!!」

 突如、だらりと自身の腕が垂れ下がる。肩より下が痺れ自分の意思で動かすことが出来なくなった。

 触れた身体の一部を麻痺させる能力を持っているようだ。持っていた拳銃が重い音を立て落下した。

 利き腕を封じられ、菊塵の心中に焦りが広がる。反射領域を蹴り上げ推進力を倍にし、先の男を吹き飛ばす。他の猟犬達は菊塵の周囲から距離を取り、食らいつく隙を狙っているかのようだった。

 麻痺していない左手で拳銃を拾い懐にしまいこんだ。背後にも意識を張り巡らせながらゆっくりと次の攻撃の隙を狙った。





 一人の狗鬼の目が光った。軽い目眩に襲われたが、菊塵は奥歯を噛み締めそれを受け流した。

 左手で額を押さえ、視線をあげる。次に向かう標的を見定めようと目を眇めた、その時だった。






「よし、そこまでだ」

 菊塵の耳が信じられぬ声を捉えた。

「……久弥……さん……?」

 無表情の男たちの背後から見慣れた、浅黒い大柄な男が現れた。

 かつて恐れたあの笑みを浮かべながら。

「地獄から這い上がってきてやったぞ、菊塵」



「……!」

 菊塵は咄嗟に後方へと跳ね上がり距離をとった。

 久弥は本家で死んだはずだ。だが自分に掛けられる声、歩き方、癖のある表情、曽根越 久弥、本人としか思えない。

「何故……!」

 死体を見たのだ。紅い狗に喰われ、断末魔の叫びをあげながら事切れる様を見たのだ。

「俺があんなもので死ぬわけがないだろう」

 自信に溢れた表情、笑うときに僅かに首を傾げる見慣れた癖。




――何かの、間違いだ。




 だが、菊塵の思いとは裏腹に、久弥が一歩進むと共に、意識せずとも足が下がって行くのだった。

 




     ※





 ユーリは菊塵とは全く違うものを見ていた。

「龍、こんなところに居たのか」

 降り注ぐ言葉にユーリは頭上を見上げた。もう十数年も会っていない実父が自分を見下ろしていた。

「親父……!」

 自分よりはるかに大きな父、こんなところに居るはずが無い。何より、子供の頃に見た若い父の姿なのだ。ユーリの頭は混乱していた。

 戦慄くユーリをそのままに、父親の大きな手が頭に載せられる。

「さあ、龍、帰ろう。母さんが待ってる」

 幼子に向けられるような、柔らかい微笑み。だがユーリは幼い頃、そんな父の顔を見たことなど一度もない。

 ユーリは湧き上がる感情とともに激しく父親の大きな手を振り払った。

「……今更……今更! 何を言ってやがる! 母さんを見捨てたくせに! 千尋も、その母さんだってそうだ! てめぇはいつも俺たちを置いていきやがる! 俺たちがどんな思いをしたかも知らねぇくせに!」

 叫び声が反響する。

 見下ろす父親の顔から表情が消えた。

「……!」

 向けられる拒絶、身体が突然重くなったような感覚に襲われる。

 冷たい目に成り代わったその顔を背け、背中が小さくなっていく。

 最後に聞こえたのは扉の閉まる音。反射的に肩を竦ませた。


 ユーリは幼い頃の情景に知らず知らずのうちに引きずり込まれていた。







 瞬間に風景が変わる。

 真っ暗な、それでも見慣れた部屋。ぐるりと見渡せば周囲の家具は全て自分より大きかった。

 ガシャン、ガシャン、と陶器の割れる冷たい音がけたたましく響く。




 自分が立っている周囲にも容赦なく白い皿が叩き落とされ、その音に思わず顔が歪む。





―― 一番、嫌いな音だ……!





 耳をふさぐも用を成さなかった。

 そこへまた別の声がユーリへと降りかかる。


 自分と同じ髪色、蒼い瞳、その目は自分に向けられている。

 久しく聞いていない母国の言葉。ヒステリックな女の声で紡ぎ出されるその言葉は、全て自分の事に関するものである事を理解する。汚く罵しるその声の主は――。


Mutter(かあさん)……!」


 もう自分は何もできない子供ではないのだ。それでも、美しく穏やかだった母が顔を醜く歪ませ、唾を吐き出しながら自分に罵声を吐きかけるその姿にユーリは耐えられなかった。身体は頑として動こうとしない。ユーリの中の幼い自分が身体を硬直させている。

「……やめろよ……」

 声が震えている。それでもユーリは声を張り上げた。

「止めろッ! 止めろーッ!」

 



      ※




 息も出来ぬ程の強い風が周囲に吹き荒れる。次の瞬間、身体を引っ張り上げられる感覚に、ユーリの意識も引き戻された。

「……苑司」

 涙目になりながらユーリを見下ろす苑司と視線が重なった。

 自分の呼吸は激しく乱れ、苑司を笑えないほど自分の目が潤んでいた事に気づく。

 はっと気づき、苑司の背から襲いかかってきた狗鬼を殴り飛ばした。

「僕……分かったんだ。あの人は、自分が怖いと思うものを見せるんだよ……!」

 よくみれば、苑司の指も、唇も震えている。

「……何でお前は平気なんだよ……」

 ユーリも、おそらく菊塵も術中にはまっているのだろう。なのに何故、苑司だけがこうして敵の能力から逃れているのだろうか。

「平気なわけないよ! 今ここに居ること自体が恐いよ! 全部! だから僕は逃げて探したんだ、ユーリと菊塵さんを!」

 今、まさにこの状況が恐ろしいのであれば、鬼頭の術にはまらなかったことにも頷ける。 



――あんな幻なんかにやられそうになるとか……笑える。



 まだ幼い頃の心的外傷トラウマに囚われていた事に、ユーリは苦笑した。





      ※





 菊塵もまた、鬼頭の術中にいた。背中を嫌な汗が伝ってゆく。

 そんな菊塵の心中を察したのか、久弥は大声で笑った。

「お前は俺からは逃げ出せんよ。そう叩き込んでやったんだ」

 菊塵は首を振る。

「僕は……!」


 菊塵の両足は地に根を張ったように動かない。

「さあ、思い出せ。お前はどう足掻こうと俺と同じ鬣犬ハイエナだ。獲物をあさり腐肉を喰らい地を這うように生きる卑しい生き物だ。今更、自分だけが真っ当に生きている者だとでも言えるのか? もう、腐肉の味も忘れられまい」


 一歩、一歩と近づくたび、久弥の身体は大きくなっていく。

 体に刻まれた記憶が、硝煙と鉄と砂埃の臭いを脳に再び浮かび上がらせる。




 自身を拾い、右腕として育て、そして一番大事なものを壊した男。




 菊塵には分かっていた。この状況は非常に良くない。

 身体が記憶に支配され、自由をじわじわと奪っているこの状況に、焦りとそして既に片が付いたはずの怒りがふつふつと心中から湧き上ってきていた。



――いけない このままでは いけない!



 内なる声が、自身を律しようと叫んでいる。

 だが、こわばった筋肉はさらに自身を強固にし、高ぶる感情は視界をどんどんと狭めていく。



 滅多に崩れることのない菊塵が、憤怒の表情を浮かび上がらせ、そして、咆えた。

 びりびりと震える空気。それでも久弥は不敵な笑みを浮かべたまま動かない。



 抑え込んでいたものが統制から解き放たれた。

 後先を考えず、菊塵は久弥へと向かっていった。





評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ