5―8.猟犬
「大丈夫かねえ、あの兄弟達は」
色把を追う二人を見送った菊塵、ユーリ、苑司はひたすら先を進んでいた。
「友禅さんが居ますから、大丈夫でしょう。能力的にも兄弟であるあの二人は相性が良いです」
「戦力的に友禅がいると心強いんだよなぁ。ハイスペック過ぎるでしょアレ。しかも顔もいいし、物腰柔らかいし。ありゃ年上キラーだね俺にはわかる」
「……そろそろ口を閉じてください。僕らは少しでも取那さんに関する手がかりを探るべきです」
「へいへーい、承知しました。オニイサマ」
確かに菊塵とユーリの交際相手は姉妹であるが、この五月蝿い男が義理の弟になるかもしれない事は考えたくない菊塵であった。
「……もう一回それを言ったら風穴開けますよ」
目尻がぴくぴくと痙攣する菊塵。その様子にユーリはわざとらしく指先を口元へと持っていった。
「ヤダー、キクったら恐ーい」
「…………」
ふざけたユーリの言動に菊塵は言い返す気力を失った。
「……所で苑司、お前ずいぶん静かだけどどうした? 腹でも痛いか?」
斜め上から苑司を覗き込むユーリに、眉尻を下げたまま苑司は問いかけた。
「何でそんなに普通でいられるんだよ……」
いつ狗鬼が襲ってきてもおかしくない状況だ。苑司は半ば怒ったような声を上げた。
「苑司君、彼を基準で考えないように。彼は緊張という行為が著しく欠如している生物ですので」
「キク、なんか俺に当たりキツくねぇ?」
「休みなくベラベラと話し続けられたらこうもなりますよ……まったく」
本日、何度目か分からぬため息を吐き出す菊塵。
「場を和ませようとしているのがわからんのかねぇメガネさんは。そんなことよりさ……」
ユーリの口はそれ以降も止まることはなかった。
進んでゆくとやがて、分かれ道へと差し掛かった。
「しっかし、能力で地形を変えられてたんじゃ、お手上げだね。迷子だよ俺たち。一個一個道を試していく?」
文字通り両手を万歳するユーリを見、菊塵もため息を吐き出した。悔しいがユーリの言うとおりであり、次へ進むための手がかりを全て失ったのだ。
顎に手を当て考え込む菊塵に、恐る恐る声をかけたのは苑司だった。
「あの……」
「どうしました?」
菊塵が苑司に問う。
「何だか、覚えのある感じがあるんだ。匂いとか、そういうのじゃなくて……本当に、なんていうんだろう……雰囲気が、風に乗ってくるっていうか……」
苑司はおずおずと片方の道を指差した。
「それは、こっちから流れてくるんだよ……。取那さんのあの感じ……」
狗鬼となり、風を扱う事ができるようになった苑司は微妙な風の変化も感じることができるようになったらしい。苑司は以前、取那と接触している。
苑司の言葉に菊塵とユーリが顔を見合わせる。道は、決まった。
「苑司、お手柄だ。俺たち、実はすげー奴連れてきたかもしんねぇな」
※
「ここ、マジで降りるわけ?」
行き止まりに見えた道の端、数メートルに渡る大きな穴が菊塵達を待ち構えていた。ユーリは穴のギリギリまで足を運び、そろりと下を覗き込んだ。底は見えず、生ぬるい風が吹き出しては、衣服や髪をゆるゆると揺らす。
「気配はここから?」
菊塵は苑司に問う。問われた本人は迷う素振りもなくひとつだけ頷いた。
「吹いてきてる感じから、下には結構広い空間が広がっているみたい」
ここまで苑司の案内で進んできたのだ。ここも彼に従ってゆくべきであろう。
「ユーリ、数メートル下に足場を作ってください。それを繰り返してゆっくりと降りましょう」
「はいよ」
菊塵の提案を聞くも早く、ユーリは苑司を脇に抱えて足場に飛び降りた。
「しっかし、こんな洞窟、自然に出来たものなのかね。上やら下やら道が入り組んでさ」
縦穴を下りながらユーリが菊塵に話しかける。
「自然に出来た洞窟に、狗鬼の能力で手を加えているんでしょうね」
哭士達と菊塵達を分断した能力を思い出す。あの能力であれば、網の目のように入り組んだ洞窟を作り出すことも容易だ。
縦穴の終わりが見えてきた。僅かに光が漏れている事に違和を覚えたその瞬間だった。
「ユーリ! 来ます!」
菊塵の声にユーリの表情が鋭く切り替わる。瞬時に足元のブロックを自分達を覆い隠す壁へと変化させた。鈍い音とともに銃弾が刺さり目の前で止まる。
「あっぶねー……!」
ユーリの呟きを他所に、菊塵はぐるりと足元の状況を確認する。カーキ色の軍服が数人。GDだ。
空気の壁が解除され、菊塵ら三人は地面へと降り立った。
「待っていたぞ」
真っ直ぐに耳に向かってくる聞き覚えのある声。菊塵はその方向へ視線を投げやった。
鬼頭 隆二、嵜ヶ濱村へ向かうトレーラーを襲撃を指揮したであろう人物。
身じろぎもしない、瞬きもしない。まるで人形のように菊塵の姿をその動かぬ瞳に映し出していた。
「……キク、あいつ、誰?」
鬼頭の纏う異様な雰囲気に、自然にユーリの声も小さくなる。
「車内で話したでしょう……。彼です」
「……GDの猟犬ってやつか。あァ、確かにそんな感じだわなぁ」
ずらりと等間隔に揃った隊列を見、ユーリは頬を掻きながら呟いた。
「曽根越 久弥も厄介ですが……彼も相当です」
菊塵はGD時代の鬼頭を思い出していた。
「各個が思考し動くよりも司令塔の思い通り、一挙一動に動く方がはるかに効率的です。人間の軍隊であればそれは不可能でしょう。だが、狗鬼ならば……狗石がある。奴は統率する狗鬼の狗石を使うのです。それこそ、手足のように」
「げぇ。自分の狗石を預けちゃうわけ? そりゃ大層なこって」
ユーリの言葉に反応した鬼頭に共鳴したのか、周囲の狗鬼達が一斉にユーリを見つめる。
「……気味が悪ィ」
肩をすくめ、ユーリは一歩下がった。
「曽根越。警告はしたはずだ」
面でも被っているのかと思いたくなるほど目の前の男は表情筋を使わない。
「……存じています。それでも僕たちは進まなくてはならない」
菊塵はまっすぐに鬼頭へと言い放つ。男の唇が静かに開く。
「気に入らないな。曽根越久弥の右腕ともなれば尚更だ」
「僕はもう、鬣犬の右腕ではありません」
それでも鬼頭の表情は動かない。瞬きをひとつして、また唇だけが動き出した。
「自分では分からぬだろう。その所作、その思考、奴が重なる。お前の中にはまだ曽根越久弥が居る」
「……」
骨の髄にまで叩き込まれた恐ろしさと、そしてあの男に対する憎悪。本家での戦いで払拭したはずの感情が、菊塵の心臓を握り締める。
「貴様はいつまで経っても、久弥の飼い犬だ。死ぬ間際まで」
鬼頭の言葉が菊塵の胸を貫く。菊塵は奥歯をかみしめた。