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4―13.アキは語る

 冷たい風が切るように菊塵へと襲いかかる。菊塵が向かう先は一箇所しかなかった。

 病院の周囲には建物らしいものは何もなく、吹きさらしの状態だ。裾がはためくコートの襟を合わせ、菊塵は足を早めた。


 エレベーターに乗り込み、それぞれの階を表示する行き先ボタンの下にカードキーを差し入れる。

 これで狗鬼専用のフロアへとエレベーターは止まることができる。


 ゆっくりと動き出すエレベーター内で菊塵は思いを巡らせた。

 信頼し、そして信頼されていると思っていた。相棒の哭士。

 寿命の期間を先延ばしに伝える事は哭士であれば有り得ることだった。だが寿命の制約を外そうと躍起になり奔走するうち、その可能性を頭に浮かべることすら忘れていた。自身への迂闊さに苛立ちがつのる。

 

 気持ちの整理がつかない。

「……」

 少しでも気を楽にしようと菊塵は頭を振った。

 だが、当然ながら気が晴れることはなく、そのままフユの病室へと どんどん近づいてゆく。


 病室の扉を開くと、眠っている交際相手の横に一人椅子に座り込んでいる者がいた。頬にガーゼが貼られ、痛々しい様相のアキだった。

「菊塵……さん」

 交際相手の妹は目を合わせぬまま、菊塵の名を呼んだ。

 「どうも、こんにちは。怪我は大丈夫ですか」

 菊塵の問いに、アキはゆっくりと頷いた。

「……」

 何か言いたげな表情に、菊塵はアキの返答を待った。



 暫しの静寂の後、ようやくアキは口を開いた。

「実はね、言っていない事がある。お姉ちゃんの事」

 頬に貼り付けられたガーゼで話しにくそうにしているアキの言葉に、菊塵の頬が僅かに痙攣する。

「本当は、知っていたの。貴方がお姉ちゃんを、こんな風にしたわけじゃないって」

 菊塵の組んだ指がぎゅっと握り締められた。

「それは、フユが僕の狗石を握っていたから、ですか?」

 菊塵の問いに、アキはゆるゆると首を振る。

「それより前。お姉ちゃんから、聞いていたの。貴方を、大学で見つけた事」




        ※




「ねえ、アキ。私、大学ですごい出会いをしちゃったかも」

 アパートの一室で、アキとフユは向かい合っていた。フユが笑みを浮かべながら、アキに話しかける。

 アキは首を傾げながらフユの言葉を待った。フユとアキは間逆と言ってよいほど性格が異なっていた。活発、活動的、陽気、という言葉が当てはまるフユに対し、アキは人見知りで、無口だった。アキにとってフユは、自分の一番の理解者であり身近な存在であったが、それ故に肖ることの出来ない遠い存在でもあった。

「大学にね、狗鬼が居たの」

 フユの言葉に、アキは少々肩の力が抜ける。

「狗鬼なら、周りに沢山居るじゃない」

 全国各地に散らばっている狗鬼、籠女の数は、アキも把握していない。だが、百や二百といた単位ではないのは確かだ。

 狗鬼という特異な存在であることを隠し、社会に溶け込んで生活をしている狗鬼が殆どである。大学構内に同族が居たからといって、そう驚くことはないはずである。

「それがね、その狗鬼は左目に狗石が埋まっていたのよ。面白いでしょう?」

 アキは籠女、姉のフユは狗鬼。

 フユの能力は鉄を操るというもの。フユの話によれば、人間の体に流れる鉄分、つまり血の流れを把握できるのだと言う。左目付近の血流が不自然だった人物を見つけ、注意深く見つめていたところ、左目に狗石が埋まっている事に気づいたのだと言う。

「一体どうやって、埋め込んだんだろう? 手術? 本人の能力? 一回話しかけてみようかなあ。……でもなあ、彼、変な噂がついて回ってるからなあ」

 頬に手を当て、考え込むような素振りを見せる。

「一体、どんな?」

「彼ね、子供の頃に、家族を亡くしちゃってるんだって。それも、殺人で。その事件を面白がって悪ふざけみたいな噂が立ってるの、馬鹿みたいよね」

 接点を持っていないフユですら知っていると言うことは、かなり有名な話のようだ。

「そのせいか、普通に話しかけても避けられちゃったり無視されちゃったりするみたい」

 手に持っていたマグカップを、指が何度も軽く触れる。

「何か大きなきっかけが無いと、難しいんじゃない?」

 アキが紅茶を一口飲み、呟くように言う。




「そうだ!」

 タン、とマグカップがテーブルに強く置かれた。姉はいつも行動が唐突だ。

「大学で彼に助けてもらうのはどうかな?」

「は?」

 余りに突飛な発言に、アキは咄嗟に言葉を発することが出来なかった。

「そう、それだ! 手すりの釘を外して自分に落とせば簡単だもの! そうしたら、お礼がてら、色々話していくうちに打ち解けて、狗石の話だって聞けるようになるかも!」

 思い立ったらすぐ行動するフユは、もうアキが何を言おうと止められないのは分かっていた。

「怪我をしたらどうするの。危ないよ」

「一応、私だって狗鬼よ。いざとなったら自分で避けるって。平気平気」

 そうしてにっこりと、アキに笑顔を投げかけるのだった。




        ※




 アキの語る言葉の数々に、菊塵は苦笑した。

「まったく、彼女らしいと言うか……。僕は出会う前からまんまと、彼女の手中で弄ばれていたわけですね」

「それだけじゃない」

 後からフユがアキに語った内容によると、菊塵の腕時計の金具を壊したのも、フユ本人らしい。

 おかしいとは思っていた。突然降りかかった危険から助けられた人間が、他人の腕時計が壊れた様を見ていられるわけがないのだ。

 これには菊塵も笑わざるを得なかった。

「僕は彼女に翻弄されっぱなしだったと言うことですか」

 肩を震わせ、笑う菊塵。当の本人は、何も知らぬような顔をして眠っている。



「そのときは、上手くいった、なんて喜んでた」

 アキの目は、遠くを見つめている。

「上機嫌だったお姉ちゃんは、何時もと変わらないように思えた。でも」

「でも?」

「だんだん、話題が、貴方のことばかりになっていったの」




        ※




「お姉ちゃん、分かっているよね」

 何時ものように、大学での菊塵との出来事を話していたフユに、アキは言い放った。

「何が?」

「狗鬼同士は結ばれてはならないっていう掟」

 本家が定めている掟。狗鬼は籠女、もしくは人間と結ばれなければならないという掟。男女の狗鬼が交わったとしても、子は成せない。

「その菊塵って人、好きになったの?」

 アキの言葉に、フユは一瞬、真顔になったが、それをすぐに笑い飛ばした。

「馬鹿ね、何言ってるのよ。彼には、興味本位で近づいただけよ」

 好きになるとか、そんなのあるわけないじゃない、呟くように言い放った。




        ※




「お姉ちゃんは、自分が狗鬼だって事を、言わなかったんじゃなくて、言えなかったんだと思う」

 本家の掟に逆らえば、自分のみならず、自身の家系が、本家からの迫害を受けることになる。

 それをフユは怖れていた。自身が狗鬼だと明かせば、菊塵はフユを遠ざけるのは間違いなかった。少しでも菊塵と長く過ごすために、フユは自身の正体を明かせずに居たのだろう。

「でも、お姉ちゃんが恐れていた日は突然やってきた。……あの日……お姉ちゃんがあんな事になったあの日……お父さんが、貴方とお姉ちゃんの関係に気付いたの」

 アキの目は悲しみに満ちていた。

「貴方との仲を問い詰められたお姉ちゃんは、嵐の中、家を飛び出した」



――逃げよう、菊……! 二人で、誰も居ないところに行こう……!



 あの時の言葉が、全てを物語っていた。

 二人の関係が知れ渡れば、二人は引き裂かれるのは明らかだ。

 フユは堪らず、菊塵の元に駆けつけた、という事だったのだ。


「そう……だったのですね」

 あの嵐の夜、フユの不可解な行動の数々にようやく納得できる理由を手に入れた。菊塵の肩から力が緩まる。


「貴方が、お姉ちゃんを奪った。そうとでも思わないと、頭がおかしくなってしまいそうだった。私をずっと守ってくれたお姉ちゃんが……自分で……なんて」

 懺悔の念が伝わってくる。菊塵はアキの目を見つめた。

「お話していただいて、ありがとうございます」

 菊塵の顔はいつの間にか普段の表情へと戻っていた。自身をそこまでして振り向かせようとしたフユの行動力に苦笑した。



――僕もフユを見習うべきでしょうかね。



 今朝の出来事を思い返す。

 哭士は自分の怒りを受け入れる素振りが僅かだがあったのではないか。ややもすれば哭士は本心を語っただろうか。

 一七年の凝り固まった不安を解し、次に向かわせる事は出来るのか。



――考えていても始まらない。



 語らぬ相棒の本心を暴くにはそれなりに骨を折らねばならぬようだ。



――『奴』に語らせるには理屈で通してはいけない。





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