4―11.迫り来る時間
朝食の用意が整い、修造、菊塵、色把、苑司、シイナ、マキが居間へと集まった。
「哭士の姿が見えぬようだが」
いつもの哭士の座る定位置には、主無き座布団が鎮座していた。
「おかしいですね。哭士が寝坊なんて……」
修造の警護の為、哭士は祖父に合わせて起きる。修造から狗石が取り除かれた後は常に朝食も共にしていたのである。
「様子を見てきます」
菊塵が立ち上がる。色把と苑司も菊塵の後に続いた。
哭士の部屋へと続く廊下。何故か妙にさわさわと冷たい冷気が足をくすぐる。季節的にも冷え込み始める時期ではあるが、それにしても寒すぎる。
「……なんだ、この冷気は……」
菊塵の表情が強張っている。色把の心中も、何やらざわざわと心地の悪い感覚が湧き上がってきていた。
「これ、自然の風じゃないよ……」
狗鬼に目覚めている苑司は、空気の流れ、風を若干であるが操れるようになったらしく、敏感に伝わってくる冷気に身震いをした。
哭士の部屋に近づくにつれ、強まってくる冷気。三人の足が自然に早まった。
周囲は不自然なほど温度が下がっている。
「哭士、開けるぞ」
襖越しに声を掛けるが返答は無く、部屋を隔てる襖に手をかけるも開かない。何か硬いもので固定されているようだ。
「まさか……!」
菊塵の行動は早かった。数歩後ずさると肩から襖へ体当たりをした。
真ん中から割れる襖と共に菊塵が部屋へと転がり込む。
「うわっ!」
部屋が開かれると同時に、さらに強い冷気が三人を襲った。冷気から庇う腕の間から覗いた部屋の様相に、皆衝撃を受けた。
「哭士!!」
部屋の中心、布団の横に哭士はうつ伏せに倒れこんでいる。哭士を中心に放射状に部屋が全て凍りついていた。駆け寄ると、苦しげに息を吐き、呻いている。
「色把さん! 桐生さんを!!」
菊塵の言葉と同時に、色把は駆け出した。
※
「いやあ、驚いた驚いた」
その後すぐに駆けつけた桐生の指示で哭士は別室へと移動された。状況を説明できないマキを一旦帰し、居間へと全員が集まった。
『一体、哭士の身に何が起きたのですか』
色把が桐生に問う。
「……文献にしか残っていないから、これは恐らく……なのだけれどね」
歯切れ悪く桐生が語りだす。
「哭士くんに迫る寿命からくるもの……でしょう。寿命のリミットが近づいてきた事で、能力の統制を司る部分から影響が出てきたと……」
「……!」
その場の空気が固まった。皆が背を向けてきた哭士の寿命が、ここに来て牙を剥き始めたのだ。
『哭士は、いつ一八歳に……』
「あと、三ヶ月と聞いています」
菊塵の返答に桐生は首をかしげた。
「三ヶ月? おかしいなぁ、文献だと哭士くんの症状は一ヶ月を過ぎてからだと書いてあるけど……」
菊塵の表情が険しくなる。
「まさか……」
菊塵が立ち上がる。珍しく剣しい雰囲気を纏っている。
そのまま菊塵は哭士が伏している部屋へと一直線に向かい、勢いよく襖を開いた。
物音に気づき哭士が上半身を起こすのと、菊塵が行動を起こすのはほぼ同時だった。
菊塵は迷う素振りも見せずに哭士の左頬を拳で殴り抜いた。
「!!」
まともに拳を食らった哭士はそのまま畳へと倒れ込む。
顔を起こし、切れた口の端を拭った。追うように菊塵は哭士に馬乗りになり、襟を掴み上げた。
「哭士……! 『本当の誕生の日』はいつだ!?」
菊塵は今まで見たこともないような険しい表情を哭士に向ける。
「……」
哭士は答えない。菊塵の虹彩が紅く染まり、ざわりと髪の毛が逆立つ。
「お前……!」
更に菊塵の拳が振りかざされ、哭士の全身に力が込められた瞬間だった。
「ちょっ……ちょーっと待った! タイムタイム!」
突然飛び込んできたのはユーリだった。哭士の胸元が解放される。ユーリが菊塵を羽交い絞めにして哭士から引き剥がしたのだ。
「キク、お前らしくもねぇじゃんか。落ち着けよ、な?」
ユーリの声に菊塵も体から力を抜き、ユーリへと向き直る。と、菊塵の視線が部屋の入口で止まった。
「……友禅さん……」
ユーリと共に哭士の部屋を訪れたらしい。菊塵に名を呼ばれ、友禅は目礼した。
兄の名に哭士も顔を上げた。病院のベッドに横たわっていた友禅の身体から傷が消え、誰の助けも無くしっかりと立っている。治癒の力が消えたのではなかったのだろうか。
訝しげな表情の哭士を他所に、友禅は一歩前へ踏み出した。
「このような状態では何も事が進みません。哭士もきちんと説明をすべきです」
静かな、だが凛とした声に周囲の空気は一変した。優しげな語り方に強要は一切無い。だが、友禅の言葉はその場にいる皆の心によく届いた。ぴりりとした雰囲気は友禅の一言でほどけていった。
哭士ひとりを除いて。
「説明することなど何も無い」
小さく息を吐き、目を他所へ逸らす哭士。ユーリが目を見開く。
「早池峰! お前なぁ!」
「……頭を冷やしてきます」
菊塵は立ち上がり、ユーリの脇をすり抜けた。友禅に一言告げ礼をすると、そのまま部屋を後にした。