4―7.カゴメ
さらに数ヶ月が経過したある凪の日の夕方。一艘の小舟が島へとたどり着いた。
月に一度あるかないかの海が凪ぐ日、島外から物資を運ぶ船がやって来ることがある。
だが、この日は見慣れぬ舟に見知らぬ人々が乗り合わせていた。
遠巻きに様子を伺う村人を他所に、崖を切り崩して人が登れるようになった坂道を数人が歩いてやってくる。
全身に包帯を巻いた小柄な人物と、それを支えるように歩く数人の姿だった。
異様な来訪者達に、皆がざわついている。
村人の群れの中から清太郎が近づき、問う。
「一体こんな村に何の用かい。 ここは貧しく、目新しいものなど何もない村だぞ」
来訪者の一人、若い男が清太郎に助けを求めるような目つきを投げかけた。
「風の噂で、病を治せる者がいると聞いてやってきた。子供が全身に火傷を負い、どの医者も匙を投げた。藁にもすがる思いでこの島に来た。もし本当なら助けて欲しい。お願いだ……!」
小柄な人物は、七、八歳位の子供であった。
特異な力を村外の者に見せて良いものか。村人達に動揺が広がった。
誰とはなしに茜の姿を村人たちが探す。皆が目に留める前に、輪の中から、茜が飛び出した。
「……」
茜が膝をつき子供の様子を伺うと包帯には膿が滲み、小刻みに震えている。小さな声だがはっきりと耳に届いた。
「お母さん……」
茜は痛々しげな表情を浮かべた。両親を亡くしている茜に、子供の母を呼ぶ悲壮な思いは何よりも堪えたのだろう。
茜に迷いが消えた。その場で野良仕事で使っていた鎌の先で傷を作り、子供に治療を施した。
巻かれた布の端から見えていた爛れた肌が薄くなってゆく。来訪者達は呻くような感嘆の声を上げる。
「……これできっと、大丈夫」
村を訪れた者たちは目に涙を浮かべ、茜に手を合わせた。治療された子供は数日で巻かれた布が外され、可愛らしい顔が顕になった。その顔には火傷の痕一つ残っていない。
治療を施された者らは、次の凪の日まで村の仕事を懸命に手伝い、そして礼を何度も述べながら帰って行った。
それからというもの、海が凪いだ日は、危険を顧みず村へと怪我人が訪れるようになった。苦しげな者たちを茜は放っておけず、全ての者に血を与え続けた。
初めは月に一人、二人ほどの怪我人が、どんどんと増え続ける。訪れる怪我人が増えれば増えるほど、一度は健康的になっていた茜の顔色が血が足りずに真っ青になっていくのだった。
「姉さん、もうこれ以上は無理だ。もう血を分ける事は止めよう」
しかし、すでに噂は広まり実際に怪我人がわんさと訪れている。悲惨な状況を目の前に、もう治療は出来ない、と切り捨てる言葉を投げかける事は出来なかった。
だが、限界はすぐにやってきた。
「姉さん!」
村にやってきた怪我人を治療した直後、茜が倒れ込んだ。仁が駆け寄り、抱き上げる。顔が真っ青だった。
茜は再び床につく日が多くなった。清太郎は足繁く茜の元へと通い、仁と共に看病し続けた。
「ごめんね……次の凪の日までには、元通りになっているはずだから」
心配そうに茜の顔を覗き込む清太郎に、茜は語る。
「茜、もう辞めろ。これではお前が死んでしまう。残酷かもしれないが、やってくる怪我人はお前に何も関係のない者達だろう。確かに、島に人が訪れたことで、この島は貧しさを脱したかもしれん。だがな……」
清太郎は、自分の顔を見つめる視線に気づき、口を閉じた。
「確かに、清太郎の言うとおりだよ。でも、駄目……。父や母を亡くした私や、仁のような思いをする人を、少しでも減らせたら……そう思うとね……血をわけずにはいられない」
茜と仁の父母は、大雨の日、緩んだ崖が崩れ、落石で死んだ。
丁度父と母に連れられていた茜は、両親が死ぬその瞬間を目の当たりにしていたのだ。自分の力ではどうすることもできないまま目の前の両親が冷たくなっていく様を見ていたのである。その事情を知っている清太郎は、これ以上何も言えなくなってしまった。
「茜さん……、ちょいと良いかね」
訪ねてきたのは、畑の近くに住む夫婦だ。この妻も茜の治療で黒い痣を消してもらっている。
「家内が妙なことを言い出してね。茜さんのように、怪我を治せるようだと」
妻が茜の横にやってくる。
「昨日の事なんだけどね。子供と一緒に遊んでいたら、二人共転んでしまってねぇ。二人共手のひらに怪我をしちまったのさ。それで、茜さんの真似してみようかって、子供と手をあわせてみたんだよ。そしたら、ほら」
広げた手のひらは、つるりとし、怪我など何もない。
「かなり、血が出ていたんだよ。でもあっという間さ。あんたに直してもらった私にも、そういう力が宿ったみたいなんだ。だからさ……」
妻は、茜の治療を手伝う、と申し出た。実際に他の者の怪我でも試してみたが、間違いなく怪我を治すことができた。
倒れた茜を心配した村人らの中で、治療された者の数人にも茜程ではないが、治癒できる血を持つものが現れた。
その者たちの申し出で茜は次の凪の日は休むことが出来ることになったのだった。
そして次の凪の日がやってきた。舟は五艘。怪我人は七人に及んだ。茜は表に出ず、体を癒すため床についていた。その傍らには仁が座っている。
そこへ清太郎が訪ねてきた。
「何か食いたい物は無えか。蜜柑ならあったはずだが……」
尋ねられた茜は首を振った。
「仁、島に来た者が、滋養に良い薬草を持ってきたそうだ。貰ってきたらどうだ。俺が姉さん看てるから」
仁は頷くと、舟が付く岸へと走っていった。
「何故、こんなにも良くしてくれるの」
布団から上半身を起こした茜は、足繁く通う清太郎に問いかけた。清太郎は少しだけ背筋を伸ばし、茜に向き直った。
「……同い年の、幼馴染のお前を放ってなどおけるものか。それに……お前のことを昔から好いていた」
目を丸くする茜。清太郎は大きく唾を飲み込み、口を開いた。
「俺と夫婦になってはくれないか」
清太郎の目は真っ直ぐと茜を貫いた。その視線に茜は目を落とす。
「いいの? 身寄りもない、体も弱い、こんな私で……」
清太郎はそんな事を言うなとばかりに息を吐きだした。
「俺はお前と仁の家族になりたい。もう一度言う。夫婦になってくれ」
しばらく清太郎を見つめていた茜は、ゆっくりと頷いた。
式は粛々と執り行われた。村の者らは二人の門出を心より祝福した。
怪我人ばかりが押し寄せ、村全体が暗い雰囲気になっていた所に、僅かながら良い風が吹いたように思われた。
その後、村長と清太郎の取り計らいにより茜と仁は村長の屋敷に暮らすことになった。
茜と清太郎が夫婦となった後も、島に押し寄せる人々は増える一方だった。
治癒の力を持つ村の者らも、茜も、訪れる者達に血を与え続けたが、それでもやはり限界がやってきた。治癒の力を持つもの達の表情は明らかに疲弊し始めていた。
「清太郎よ。私に考えがあるのだが」
清太郎の父、村長はある提案を出した。
屋敷に治癒の力を持つもの達を集め、金を取る事にする、と。今までは金銭などを謝礼として受け取るばかりであったが、こちらから金額を提示し額を上げれば、諦める者たちも出るであろう、と。
始めはこの案も上手くいった。支払いが出来ず諦める者も居り、訪れる者らの数が減り治癒の力を持つもの達も回復の兆しを見せた。だが、それは僅かな間のみだった。
金額を釣り上げても、それでも人はやってくる。治癒の者たちの人数に釣り合うようにまた金額を釣り上げるという繰り返しだった。
金額が上がるにつれ、治癒の者たちも屋敷の奥へ、奥へと堅牢に守られ、外へ出ることもできなくなった。 治療費で村外から材料を運び込み、複雑で頑丈な建物へと作り替えられた。
治療が必要な時にだけ治癒の力を持つ者が呼ばれ、そしてすぐに奥へと戻される。そんな日々が続くようになった。
うちの一人が呟いた。
「これじゃあ、籠の中の鳥のようだねぇ……なんでこんな力がこの村に与えられたのかねぇ。私たちは貧しい土地を耕して、島にしがみつくように生きて、それだけでよかったのにねぇ」
外に出られぬもどかしさ、今までの生活を懐かしむ思いがこの言葉の端々に現れていた。
その言葉に茜は胸を痛め俯く。全ては自分の行いが切欠だったと。
誰からともなく、治癒の者たちは籠の中の女、籠女と呼ばれるようになった。