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4―3.記憶の欠片

 複数人の足音が近づいてくる。

 修造、苑司、シイナ、マキとの食事が済んだ卓を布巾で拭いていた色把は手を止めた。

 廊下に面した襖が開くと、そこには、哭士と菊塵が立っていた。

 数日ぶりに早池峰家へと帰宅した哭士の表情は、心なしか翳っているように見え、色把は言葉をかけるタイミングを失ってしまった。

 心配そうに覗き込むと目が合い、哭士は一瞬目を伏せた後、低く色把に言い放つ。

「後で、話す」

 今日はもう休むと一言告げ、哭士は自室のある方向へと足を進めた。


 哭士とすれ違う際、纏っている空気がいつもと違うように感じられた。

 チリ、チリと色把の脳裏に砂嵐のような映像がちらつく。その砂嵐をもっと鮮明にしようと、意識を集中し、眉間に軽く手を添えた。

「色把さん」

 哭士の後方に立っていた菊塵が色把に声を掛ける。ハッと我に返り菊塵を見上げると、彼の顔色も僅かに悪いように見えた。

「恐らく、僕たちは嵜ヶ濱村へと向かうことになると思います」

 サキガハマ村。以前、自分が連れ去られた際に閉じ込められた箱ごと運び込まれることになっていた村だ。

 色把の心中が呼び出された恐怖でざわりと波立つ。


 菊塵も相当な疲労が溜まっているらしい。色把に察せられぬようにしては居るようだったが、僅かな所作から疲れがにじみ出ている。

 色把は菊塵からも詳しい話を聞くのを止め、一度だけ大きく頷いた。

『後で、詳しい話を聞かせてください』

 菊塵の顔を見上げ、一言言い放つと、菊塵はその言葉に頷き、踵を返した。



 部屋の片づけを終え、離れの自室へと戻る。先に床についているシイナが、柔らかい寝息を立てている。色把は布団からはみ出してしまったシイナの肩を優しく掛け布団で包んだ。

 部屋の中は近づいてくる冬の足音でじわじわと冷え始めていた。布団に潜り込み、自分の体温で温まり始めるのを待った。

 横に寝返りを打ち、先ほど哭士とすれ違った際に見えた映像を思い出そうとする。

 だが、先ほどの砂嵐のような映像は何も浮かび上がっては来なかった。突如やってくるこの感覚は、自分で御する事が出来ないのが歯がゆかった。

 ため息を吐き出し、瞼を閉じた。







 色把は、不思議な夢を見た。







 夢であれば、自分を中心としてあらぬ幻想や出来事が展開されるのが殆どだ。

 だが、色把が見た夢は、普段のものとは明らかに違っていた。他人の、全く違う世界の出来事。

 音、匂い、感触。その全てが手に取るように感じられ、まるで目の前で繰り広げられているように思えるほど、生々しいものだった。






        ※





 遠くからさざなみが風にのってやってくる。草の青々とした香り。

 耕され、水分の含んだ濃茶の土に紛れるように数人の男が鍬を振るっていた。ザク、ザクと鍬が地面に衝き立てられるたび、男たちの呼気まで耳に届いてくる。首から下げた手拭も汗と土で元の色が分からぬほどにまでなっていた。

 顔を上げて周囲を見渡せば、高台になっている今の場所からは海が見えた。

「今日はここまでにしようや。この調子なら十分種撒きには間に合う」

 一際身体の大きな浅黒い男が、作業をしていた残りの者達に声を掛けた。その声を合図に、鍬の音が止み、バラバラと散り始める。井戸に顔を洗いに行くもの、所々で肩を並べ、笑い声を上げながら帰るもの、一人、二人と散って行き、ぽつりと残された人物が一人。作業をしていた男達の中で、一番若い青年だった。身体が細く、見るからに力が弱そうな青年は数本の鍬を担ぎ上げる為に藁縄で縛っている最中だった。

 そこへ、作業を終える指示を出した男が近づいてくる。

じん

 名を呼ばれた青年は顔を上げた。男の顔を見て、ゆっくりと立ち上がる。

 仁の胸の前に子供の頭ほどの麻袋がぶら下げられた。何のことだか分からずに麻袋を見つめたままで居ると、男は早く受け取れと言わんばかりに何度か麻袋を振った。重そうな袋はゆっくりと仁の前で揺れている。

清太郎せいたろさん、これ……」

「少しだが食え」

 幼い頃に両親が死に、仁は身体の弱い姉との二人暮らしだった。受け取った麻袋の感触から、食べ物がぎっしりと詰まっていることが分かる。村長むらおさの息子である清太郎は、歳の近い仁を気にかけ、何かと世話を焼いてくれる。

「こんな……受け取れないです」

 仁の住んでいる村は切り立った岩壁に囲まれた島にあり、潮の流れも複雑になっている。故に、外との交流も殆ど無い、閉じられた村だった。

 だからこそ、皆々で肩を寄せ合い、土地を開墾し、少しでも作物を作れる場所を作っているのだ。それを自分たちだけがこうして食べ物を受け取るわけには行かない。麻袋を返そうとする仁の手を清太郎はがしりと掴んだ。村の中でも一、二を争う体格の良さを持つ清太郎と、細い体の仁では、力の差は歴然だ。清太郎に掴まれた腕は微動だにしない。

「この間の礼だ。この間の大雨で死者が出なかったのは、お前の姉さんのお陰だ」



 仁の姉には、不思議な力があった。先の事を見る、予見の力だ。

 半月前、姉は村に嵐が直撃することを告げ、海に近づかないように呼びかけた。ある程度天気を読める年寄りたちは、嵐など来そうにない天気であると言っていたが、数日後、大嵐が突如として村を襲ったのだ。海からは渦をまくような高波が押し寄せ、簡単に人を飲み込むほどだったという。姉が事前に知らせていたことで、村人達は海に近づかず、一人の死者も出すことなくやり過ごすことが出来たのだった。

 何度も何度も、姉の予見は的中している。長雨が続く事、崖崩れが起きること、地震が起きること……。

 村人たちは、姉の予見の度に備え、被害を最小限に抑えることが出来ていたのだった。



 姉弟二人だけの暮らし。決して裕福とはいえない。

 病弱な姉に栄養をつけさせようと、仁自身は殆ど食事らしい食事を取っていなかった。正直、渡された食料は在り難い物だった。

「お前の姉さんは、この村には必要なんだ。いいから持って行けって」

 ぐいと麻袋を押し返され、わしわしと頭を撫でられる。清太郎は仁を見ぬまま踵を返した。仁は小さくなっていく清太郎の背中に深く頭を下げた。


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