4―2.覚悟
カナエの落命の知らせを聞き、覚悟はしていたがやはり辛い。
兄の様に慕われている事は良く分かっていた。友禅自身も自身も「妹」のように思っていた。
友禅が忌家に囚われていた間に、長かった髪を切り、男の様に振る舞っていたカナエ。彼女なりに必死に本家の当主に相応しくあろうとしていたのだろう。
その様子を見、友禅は心痛めていた。どうにか彼女が囚われた柵から解放されればとそう願っていた矢先だったのだ。
――このような想いはもう、沢山だ。
死んでいった忌家に囚われていた者達、見境なく殺された本家の者達、取那の涙。もうこれ以上人々が苦しみ、命が失われる様を見ていたくない、連れ去られた取那を救いたいと友禅の心中に強い思いがめぐる。
だが、狗鬼の治癒力を失ってしまった今、ボロボロのこの体を起き上がらせる事が今は精一杯なのだ。
友禅は、大きく息を吐き出すと、ゆっくりと目をつぶり、そして心を決めた。
毎晩、消灯前に桐生は友禅の様子を見に病室へとやってくる。
今夜も定刻通りにのんびりとした様子で病室を訪れた。友禅の表情が固く強張っている事に桐生は気づいたようだ。
「どうしたのかな? 普通の人間ならあと二週間位で動けるようになるからね、もう少しの辛抱だよ。痛みが強いようなら、鎮痛剤を出すけれど?」
優しく覗き込む桐生に、友禅はまっすぐ向き直った。
「桐生さん、お願いです。この身体にもう一度、治癒の力を取り戻させて頂きたいのです」
突然の友禅の言葉に、桐生は目を丸くする。
「後はどうなっても構いません。取那を救いたいのです。哭士らは取那が居る嵜ヶ浜村へ行くのでしょう。私も……」
食ってかかるように話す友禅を桐生の手のひらが遮る。
「待って待って、友禅君、そのような事は僕には出来ないよ。籠女の血も効かない普通の人間の体と同じなんだから」
ゆるゆると両手を振り、実現出来ないと主張する。
「いいえ、貴方なら……いえ、貴方だからこそ出来る方法が一つだけあるではないですか。私に狗鬼の力を取り戻させる、たったひとつの方法が……」
数時間前に話していた薬の力である。
――正しく使えば狗鬼のように傷も治りも早くなり、身体能力も飛躍すると思われるよ。
桐生は友禅の意思を読み取り、頬をこわばらせた。
「狗神の薬を私に投与して下さい。失った治癒の力が戻るかもしれません」
「駄目だよ。どんな副作用が起きるのかわかったものじゃない。それに、僕はそんな事の為に君を救ったわけじゃないよ」
桐生の口調は厳しい。
「忌家から抜け出したばかりの私たちを援助して下さった事、感謝しています……それもこれも、私が貴方の生み出した実験体の一つだからですか?傷をつけたくない、と?」
友禅の問いに一瞬桐生が言葉を失った。
「…知っていたのかい」
「ええ、貴方が中心となり狗鬼と狗鬼を掛け合わせた子供を生み出す研究をされていた、と。そして唯一生き残ったのが私だとも」
友禅は静かに語る。
「あちゃー。まいったね」
首を傾げ後頭部をわしわしと掻く桐生。
「そう、確かに僕が君を造った。最初はね、本当に上手くいった作品の一つだと思っていたんだよ。……最初はね」
そう語る桐生の声、友禅を見る眼差しは子を見るような慈しみを孕んでいた。
忌家を抜け出したボロボロの状態、行くあてもなく窮していた友禅は桐生の前に姿を現した。ほぼ革新派寄りの立場ではあったものの、派閥には加担せずひたすら研究に没頭していた桐生であれば、中立的に応えてくれると接触を図ったのだった。
「……すいません」
言葉が過ぎた。当時、何も聞かずに体を休める場所を提供してくれたのは桐生ではなかったか。急くあまりに恩義も忘れ不用意な発言をしてしまった事を友禅は悔やんだ。だが、桐生には友禅の心中が見えるようだ。ゆっくりと頷き、いいんだよ、と一言答え、そして続けた。
「君にはここで治療に専念して欲しい。これ以上自分を苦しめる事は無いじゃないか……そうだろう?」
友禅は何も語らない。ただただ左右の違う色の目が桐生をじっと映し出す。その眼差しには揺るぎない覚悟がはっきりと現れていたのだろう。桐生は大きく息を吐きだした。
「あーあ、そういう眼差し、君のお母さん、さくらさんにそっくりだよ。でもね……場合によっては君は命を落とすかもしれない。いいのかい?」
答えはとうに決まっていた。
「覚悟の上です。もう、近しい者達がいなくなるのは堪え難いのです」
桐生の目が僅かに憂いたが、友禅はそれに気づかぬふりをし、頭を下げた。