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3―32.たった一つの力

 物心ついたときから、無意識に使っていたこの力。

 幼い頃、力の使い方を教えるべき親族は傍に居なかった。身近にいた父親は、家にいたためしが無い。父親の能力を見たことも無かった。

 周囲に狗鬼がおらず、他人にはこのような力が無いと分かり始めた頃から、独学で力の使い方を身に付けた。

 幼い頃から、自分の力が唯一で、そして最強だった。狗鬼である以上、只の人間に力で負けることは無かったからである。



 やがてユーリは日本に渡り、自分以外の狗鬼を知った。

 それでも、自身の能力で他の狗鬼達をねじ伏せてきた。見えない硬い壁は自身を守る盾になり、何人たりとも自身に負傷を負わせることは無かった。相手は自分の壁を見破れぬまま、自身の足元に倒れ伏していった。

 自信という自惚れの壁は、厚く、堅牢に、ユーリの周囲を囲っていったのだった。



 早池峰 哭士に出会うまでは。



 能力があっさりと見破られ、自身の力を遥かに凌駕する身体能力。そこから、ユーリを囲う壁は、崩壊を始めていた。

 妹の死、影鬼の一撃を一般人に救われるという不覚。そして、哭士をも凌駕する圧倒的な力との遭遇。



 ――貴方は、まだ自身の力を十分に使いこなせていないようですね。



 廃工場で自身に放たれたレキの言葉に、ユーリは悩み、もがいていた。

(畜生……!)

 日本に来てから、自身の本当の名前を聞いた者の中から、嘲るようにユーリに言い放たれる言葉があった。


 ――ああ、あの落ちぶれた家の狗か。



 朱崎 龍。自分のもう一つの名前だ。この名前には、朱崎という家の重荷が圧し掛かる。

 籠女が生まれなくなった家。力の弱い狗鬼の生まれる家。


 どれだけ自分が力を示しても、朱崎という名を冠しているだけで蔑まれる事がユーリには許せなかった。

 狗鬼同士の諍いに勝利しても、自身の能力でねじ伏せても、付いてくるのは朱崎という「弱い家」という烙印。




 やがて、朱崎の名を名乗るのをやめた。

 自身は母方の名前、ユーリ・ヴァルナーとして、どの狗鬼の家柄とも関係の無い、一人の狗鬼として力を認めて貰う事を欲した。

(俺には力がある! 誰にも負けない能力ちからを持ってる!)

 自身の中のもう一人の自分が叫ぶ。そしてその背後にも、もう一人の自分。

(でも、本当はそうじゃないってことは、分かってるんだ)

 哭士と出会ってからの度重なる敗北は、ユーリに大きな傷跡を残していた。



 だからこそ、ユーリはこれ以上負けるわけには行かなかった。

 ユーリの心の奥底に、一人の少女の姿がちらつく。

(千尋? ……アキ?)

 可愛がっていた妹か、はたまた自身の籠女か。

 その姿は靄がかかっているように、ハッキリと捉えることはできない。

 だが、ユーリの心中にちらつくその人物は、かけがえの無い者である事を、ユーリの本能は分かっていた。



 一人の狗鬼として、その者を護る強さを持たなくてはならない。これからの戦いで、負けるわけには行かない。

 それが、今のユーリの心中を支配していた。








 ―― 一か、八かだ






        ※




 男と対峙をしたまま、何秒かが経過した。

 挑戦的な目で男を睨め付け、その場を微動だにしないユーリ。

 隙だらけのようだが、それが何かを狙っているようにも思えるのだろう。男は、ユーリから視線を外さぬようにして銃に弾を装填した。


 照準がユーリの額に合わさっても、ユーリの表情は揺るがない。

「その貧相な板で、何発防げると思っているんだ?」

 男の問いにも、ユーリは答えない。

 その様子に、男が顔を笑みでゆがめる。

「大層な口を叩いておきながら、打つ手が無くなったってわけか? せいぜいあの世で嘆くと良い!」

 男の銃が火を噴いた。

 だが、ユーリの身体に銃は当たらない。

「残念、ハズレ」

 男の右耳に、ユーリの声。

 男はがばりと右を向き、すかさず銃を放つ。二発、三発と、耳を劈くような銃声がこだまする。

 確かに、目の前の標的に向け、引き金を引いている。だが、ユーリが空気の壁で銃弾を防いだ時に響く独特の音もしない。

 銃弾はあっけなくユーリの眉間、胸の中心をすり抜けていく。

 まるで、曽根越 久弥の「透過」の能力のようだった。だが、狗鬼に与えられる能力は一人一能力の筈である。

 瞠目している男の右半身に、衝撃が走り、庭に転がっている岩に向かって弾き飛ばされた。周囲に砂塵が舞い上がり、岩は男がぶつかった衝撃で一部が砕け散った。

 強かに打ちつけたのだろう。男の唇から、血が溢れている。男は袖口で血を拭うも、なかなか起き上がれずにいた。

 ユーリは、地面を踏みしめ、男の前に立ちふさがる。



「蜃気楼って、知ってっか? アレ、どうやって出来るか知ってる?」

 ユーリの口の端が大きく上がる。


 蜃気楼は空気の密度の違いによって発生する。密度の濃い方に向かって光は屈折し、通常と違う風景を作り出す。

 通常、蜃気楼は、気象の変化によって温められた空気や冷やされた空気の密度の違いで自然界にしか姿を現さない。だが。

「数日前に気付いたんだよね。生み出したブロックの中の空気の密度、圧力が自由に操れるって事にさ」

 初めに、男に向かって砂を叩き付けたのは、目潰しのためではなかった。蜃気楼で生み出した虚像と自分が入れ替わる為に、一瞬だけでも男の視線を途切れさせる必要があったのだ。

「自分にこの力を使うまでは試してなかったからさ。うまくいって良かったぜ」

 空気の壁に加え、自身の居場所も分からなくさせてしまえば、相手の攻撃はほぼ防ぐことが可能になる。




        ※




「だが、それは所詮まやかし、だろう?」

 ユーリの耳元で囁く声。紛れも無くそれは、対峙していた男の声であった。

「!!」

 信じられぬまま、がばりと振り返るが、遅かった。

 横腹に叩き込まれる大きな衝撃。数メートルも飛ばされたであろう。もんどり打って地面に倒れこんだ。





 鼻の奥が鉄臭さが広がる。血で汚れた口の周囲を、乱暴に袖口で拭う。

 肩を庇いながら顔を上げた。岩の近くに座り込んでいる男と、そして、もう一人。唇が切れている箇所も全く同じ男が、ユーリの前に立ちはだかっていた。


(……男が、二人?)


 ごくり、とユーリの喉が鳴る。

「……なんだよ、それ。俺と同じ虚像でも作り出したのか?」

 狼狽は顔に出さないように、笑いながら問う。だが、ユーリの心中の動揺は男には手に取るように分かったであろう。

「貴様の子供だましの能力とは違う」

 立ち上がっている男が答える。瞬間、岩の近くに座り込んでいる男の姿が消えた。

「ほら、こっちだ」

 まただ。背後から降りかかる男の声。ユーリの身体が、再び宙を舞う。壁で防ぐ間もなかった。

 ドサリと地面にうつ伏せで倒れる。

 顔を上げると、やはり捉えるのは同じ姿をした二人の男。一瞬の間を置き、空中に溶け込むように、一人の男の姿が消えた。

 男は自分の分身を生み出し、自在に操れる力を持っているようだ。先程ユーリの肩を抉る銃弾を放ったのは、この男の能力によるものだったのだ。

「くっ……」

 ユーリは、目の前に蜃気楼を展開させる壁を生み出すも、ユーリの背中を、男の靴が叩き込まれる。一瞬大きく身体が反り、喉の奥から絞り出される苦しげな声。

「片方を誤魔化せても、一方からはお前の浅知恵が丸見えだ」

 姿をくらませる虚像を生み出せたとしても、それは相手が一人で、かつ自分の正面に居なくてはならない。一つしかブロックを生み出せないユーリは、背後の視線を欺く術を持たない。

「一方が塞がれるなら、同時に二方向から攻撃すれば良いまでのこと」

 ユーリの左右の耳に男の声が同時に届く。瞬時に右側に壁を展開させるが、左脇に重い衝撃が走る。強かに自分が生み出したブロックに叩きつけられる。

 小さくユーリが咳き込み、何も無い空中に、赤い飛沫が浮かび上がった。空気の壁にユーリの吐き出した血が付着したのだ。

「……畜生……」

 血の飛沫と同時に、ユーリの膝も地面へと落ちる。



 能力の相性が悪すぎる。完全に受け手に回ってしまった。がくりと地面に右手をつく。小さな砂の粒が小さく音を立てた。

「まだ、終わりではないぞ」

 更にも男の声。声のする方へ即座に反応をし、壁を展開させる。

「今度はこっちか」

 まったく別の方向から蹴りを叩き込まれ、ユーリの身体は宙を舞った。

 受身も取れぬまま、肩から落下し、纏っていた衣服は埃で白くなり、汗に付着した砂が全身を汚していた。

「龍! 龍!」

 アキがユーリに向かって何度も何度も叫ぶ。普段から表情を殆ど表に出さないアキ。だが今やアキの叫びは金切り声に近い。

 その様子とは対照的に男はさも楽しげといった様子だ。

「五月蝿い餓鬼だ。少し黙っていて貰おうか」

 アキの背後に、男の分身が現れる。籠女であるアキは、狗鬼の動きには即座に反応が出来ない。首筋に水平に平手を叩き込まれたアキは、ガクリとその場に崩れ落ちる。

「アキっ!」

 全身を奮い立たせ、アキと男に向かって跳ぶ。瞬間、男の分身が消え、ユーリの拳は空を切った。

 身を翻し、倒れこんだアキを抱え込んだ。

「アキ!」

 アキの身体は微動だにしない。抱き上げると、身体中に付いた傷が露になる。攫われてから今まで、菊塵の狗石の在り処を問われ危害を加えられたに違いが無かった。

 それでも、気丈に耐えていたのだ。


 自分が助けに来ることを信じて。




 ユーリの息が震える。自分にもとらえることの出来ない感情が体中を駆け抜ける。

「もう、そのガキは用済みだ。籠女と共に、死ね」

 ユーリの目が、二人の男をとらえた。

 一人は銃を、一人はナイフを構え、自身に向かって来ている。どちらかを防いでも、致命傷となるのは確実だった。


 何故か今のユーリには、向かってくる男がスローモーションのように見える。だが、自身の身体も水飴に捕らわれてしまったかのように動かすことも出来なかった。

 このままでは、アキも……。

 ユーリは、アキの身体を強く抱きとめた。


 ナイフを弾く硬い音と、男の銃声が響いたのは、その次の瞬間だった。


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