3―30.絡み付く砂
久弥の視線が菊塵と莉子に向かっている隙を見て、ユーリがアキに向かって駆ける。だがアキは、久弥の部下により囲まれている。
息を小さく吸ったユーリの目が鋭く光り、直前で身を屈めた。地面に手をつき足を振り上げ、部下の一人に攻撃を仕掛ける。
だが、相手も戦い慣れている部隊員だ。ユーリの蹴りはあっさりと交わされてしまう。
そのユーリの影から、もう一人の人物。
哭士は身を深く屈め、ユーリの影に隠れて近づいていた。すぐ傍の男に横から足払いをかけた。男の体は中庭の砂地に倒れこむ。手を突きすぐに立ち上がろうとするその手を、更になぎ払い、背中を打ち付けられた部下の腹部に拳を撃ち込んだ。
部下は喉から小さく呻き、ガクリと体から力が抜けた。
もう一人の部下が動く。ユーリに対し拳を放つが、ユーリは目前でその拳を防ぐ。
哭士の背中に向かって別の隊員が銃を放つ。それをユーリの空気の壁が防ぐが、銃弾は空気の壁に埋まらず、激しく哭士の背後で弾け飛んだ。割れた空気の破片がパチリと哭士の背中に当たる。
「なんだ……!?」
ユーリが瞠目する。ユーリの生み出す空気の壁はかなりの強度を誇る。だが、それをも打ち砕く銃弾。
対狗鬼用に威力が強化された銃のようだ。防ぎ方を誤れば、負傷は免れない。
(……厄介な代物だ)
哭士は内心舌打ちする。
目の前に対峙しているのは、体の大きな男と、部隊員としては体の小さな男の二人。
同時にその二人の男が向かってくる。
相手の銃に注意しながら、ユーリと共に一人ずつ潰していくのが得策であると哭士は判断した。
だが、次の瞬間、大柄な男は哭士に、もう一人の男はユーリに向かって銃口を向ける。ユーリもそれに気付き、身を僅かに屈める。
同時に鳴り響く銃声。哭士は右へ、ユーリは左へと地面を蹴り避ける。
(……しまった)
相手を追うように銃弾を放ち、離れたところに追いやる。相手は初めから二人を分散させるつもりだったようだ。
相手の思惑に気付くが、時はすでに遅い。
哭士は壁に向かって跳ぶ。哭士の影の移動をなぞるように銃口が向く。中庭と外界を隔てる白い壁を一度、二度、蹴り上げると、哭士を追うかの如く弾痕が壁を抉った。ぐるりと頭から一回転し、両手足で地面を掴む。哭士の真横を銃弾が通り抜ける。蹴りだす勢いで真直ぐに跳び、男の鼻面に向かって拳を叩き込む。
だが、哭士の拳は、バシリという快い音と共に男の手の平に掴まれた。男はそのまま哭士の拳を握りつぶしに掛かる。
拳の骨が軋む。思わず哭士の顔が小さく歪んだ。哭士の奥歯が鈍く音を立てる。
腕を強く引く。そのまま肘を地面に向け下げた。前のめりになった相手の横面に、体を捻りながら思い切り膝を打ち込んだ。
脳を大きく揺さぶられた男は、鈍い音と共に、地面に大きな体が沈む。だが、男は意識を手放さない。がばりと顔を上げ、瞳が一瞬紅く光ると、突如哭士の左足が重くなる。
違和を感じた左足に目をやると、哭士の左足に纏わりつく大量の砂。
砂を操る狗鬼のようだ。砂を払おうと左足を振るが砂はこびりついたように離れない。みるみるうちに砂は凝縮し、哭士の左足を万力のように締め上げる。
「そうだ、左足を狙え」
遠くで久弥の声がする。完治したかに見えた左足、僅かに庇っている様を久弥は見逃していなかったようだ。
かつてレキに折られた腿まで砂が這い上がり、ギリギリと静かに迫ってくる。
哭士に焦りが見えたのを察したのだろう。砂の能力の男は、ゆっくりと地面から立ち上がり、余裕の表情を浮かべて見つめている。
能力者を仕留めれば効力はすべて消える。男に止めを刺そうと、右足で地面を蹴る。
「!!」
集合した砂は思いの外強い力で哭士を固定していた。バランスを崩し、地面に倒れそうになる。
「無様だな。早池峰の狗」
男の嘲笑が響き渡った。
手で掻き取ろうとするが、哭士の手が掛かった瞬間に指へと移動してくる。指についた砂もまた、量すら少ないが指をギリギリと圧迫してくる。
闇雲に触れるのは危険だ。
「……」
一歩踏み出すたびに、砂が足を引っ張り、大幅に移動する速さが落ちた。目の前の男を出し抜いて攻撃をする事は難しい。この砂をどうにかしなくてはならない。哭士の目が、周囲を探る。
視界に、中庭の大きな池が映る。
次の瞬間には、池に向かって駆け出していた。
砂の抵抗で高く飛ぶことは出来ない。一歩踏み出すごとに、地面を蹴る左足の重量が増していく。
「ぐっ……」
左足の折れていた箇所が、ジクジクと痛み出す。治りかけていた足が、悲鳴を上げ始めた。
絶えず頭の芯にまで痛みが走り続け、苦痛に思わず顔が大きく歪む。
だが、このまま地面に伏すわけには行かない。左足をつくたびに地面の砂は哭士に移動し、左足の砂の塊はかなりの大きさになっている。砂は更に上にも移動を続け、腰の辺りまで塊が上がってきている。
「遅い! 遅い!」
面白げに事を見つめていた男は、突如哭士の傍らに現れ、わき腹を強く蹴りつける。
避ける事など出来なかった。
つんのめる様に、地面に片手がついてしまう。獲物に群がる蟻のように、ざわざわと砂が瞬時に上昇を続ける。右腕が一瞬にして砂に覆われた。
何とか起き上がるも、右腕の砂は、哭士の首に向かって伸び、じわじわと圧力を上げ始めた。
殆ど足を引きずるようにして、池に飛び込んだ。
高い水しぶきが上がり、哭士の体はずぶ濡れになる。だが、砂は落ちるどころか、水分によって更に凝縮し、岩のように硬度を増す。
「水で落ちるわけが無かろう! 浅はかな!」
哭士の膝下までの深さの池。水を吸った砂は更に重量を増した。
歯を食いしばり、左足に力を込め圧力に抗うが、哭士は池の底に手をついてしまう。
「そろそろ、楽にしてやろうか」
男が池に足を付けた。ざぶざぶと音を立てながら哭士に向かってくる。
苦痛にゆがめた哭士の表情。
だが、次の瞬間、双眸に鋭い光が宿る。
「別に、洗い流そうとしたわけじゃない」
哭士の周囲が、突如白で染められた。
右腕を覆う砂の塊も、白く変色し、ゴツゴツとした見た目に変わる。
哭士が右腕に力を込めると、激しい音を立てて右手の固まりは割れ落ちていった。右手を振ると、残っていた欠片もすべて吹き飛んだ。
「水を十分に吸わせた。氷にすれば、割るのは容易い」
凝固する際に膨張した氷は、周囲の砂をも巻き込む。氷で包んでしまえば、それは砂ではなく、砂の混じった『氷』となる。氷を自身の制御下に置くことの出来る哭士は、いとも簡単に池から足を引き抜く。
一瞬にして状況が一変、狼狽している男とは裏腹に、哭士の口元に冷酷な笑みが浮かんでいた。