3―18.ふたご
友禅の顔色は真っ青だ。長い長い話に、負傷した身体が悲鳴を上げ始めているのだろう。だが顔色が優れないのは、怪我の所為だけでも無いようだ。
「以上です。彼女の身に起きた出来事は、あまりにも、辛すぎる……」
頭をゆるゆると振る友禅。閉じ込められていた少女と入れ替わった取那は、それからと言うもの、毎晩のように弊履の男達の餌食となっていたのだ。
友禅の瞳は、色把の俯いた顔を捉えていた。
「色把さん……貴女にこれをお話して、本当に良かったのか、私には分かりません……。過去の出来事にも触れず、このままを過ごしていた方が幸せだったのかもしれません」
皆の視線は色把に注がれている。色把は膝に重ねて置いてある自分の手を見つめていた。
『私と、取那は双子……なのでしょうか』
顔を上げた色把と友禅の目が合う。
「おそらく、そうなのでしょう。ですが、何故双子を引き離し、一人を牢に閉じ込めていたのか……」
その時、哭士の脳裏に、ある人物の言葉が浮かび上がる。
――本物の【神】の器が手に入れば問題は無い。
何故か、その言葉が哭士に蘇ってきた。
「【神】の、器……?」
一番部屋の置くで呟いた哭士の言葉に、全員が振り返った。
「廃工場での……レキの言葉ですね」
菊塵も思い出したようだ。レキは取那を捕らえ、『本物の【神】の器』と言ったのだ。菊塵の表情がみるみる強張っていく。菊塵が色把を見つめる。
「色把さん、貴女も聞いたはずです。……貴女のお婆様の墓前で彩子様の言葉を」
――【神】は、百年の間に朽ちた体を再生させるために、若い娘の身体……『器』を欲するのです。身体を挿げ替えながら、何年も……何百年も……
「何だ……それは」
哭士は耳を疑った。そのようなモノが存在して良いはずなど無い。それは最早、【神】ではなく化け物だ。
「色把さんのお婆様、今日子様は貴女が【神】の器にされることを懸念し、友禅さんとの婚約を取り付けた」
菊塵が静かに語る。
「だが、それだけではおかしい。双子だと知っていたのなら、二人とも【神】の器にされる危険性がある。なのに、今日子様は、色把さんの縁談だけを取り付けた……」
眉間に人差し指を当てる菊塵。修造が静かに口を開く。
「儂も、比良野家に生まれたのは女児一人だと聞いておった。双子など、始めて聞く」
「比良野 今日子さんは、色把さんが双子だと言うことを知らなかった……?」
友禅が、全員の顔を見ながら語る。
「そういう事になります。ならば、誰なのでしょう。肉親に双子だと知られる前に、一人を牢に幽閉することが出来る人物とは……」
「ミヨ……様」
友禅の額からは脂汗が滴り落ちる。友禅の言葉は、深く、全員の耳に届いた。友禅を、忌家に捕らえた張本人。
「黒古志 御世。本家当主の補佐を務めている者じゃな……。そうじゃ、あの方は、比良野家の籠女の出産に立ち会っておる!」
全員が修造の言葉に顔を上げた。
「ってことは、その御世って奴が生まれた双子の一人を、隠したって事か……? 母親はそれを黙って見ていたのか?」
ユーリの言葉に、色把が口を開く。
『私のお母様は、出産の直後に気を失ってしまわれたそうです。生まれた直後の子供を、抱くことは出来なかった……そう、聞いています。そのお母様も、私が幼い時に、病気で亡くなったと……』
母親に関する記憶が無い色把は、人から聞いたことが全てである。自身の記憶では無いせいかどこか口調が不安げである。
「ならば、その御世が双子を隠すことが出来た可能性が高いという事か……」
菊塵が眼鏡を中指で持ち上げる。
「だが、何の為だ。わざわざ双子を引き離す理由があるというのか」
「それについては、私からお話しましょう」
病室の扉が開き、一人の女性が現れた。
桐生の妻、桐生 彩子だった。彩子が病室に足を踏み入れると同時に、空気が引き締まるのを哭士は感じた。
この人物の纏う雰囲気は、只者ではない。病室内の数人がそれを感じ取っているようだった。
哭士の思いに気付いているのかいないのか、友禅のベッドの傍らに立ち、彩子は語り始める。
「保守派の思想を持っている本家は、【神】の望むとおりに行動します。【神】が欲する器というのは、若い女の籠女でなくてはなりません。そして、その器が生まれるとき、【神】がその時期を言い放つのです」
色把と取那の出生が、丁度その時期に重なったのだろう。
「ですが、その生まれた子供が双子だった場合、先に生まれた子供を【神】の器とし、もう一人の子供を、忌家に置くのです」
『本物の【神】の器』……レキは初めから取那を狙っていたのだ。
「同じ力を持つ双子が同じ場所に存在すれば、【神】がその双子に宿り、力が二つに分かれてしまうと、そう考えられてきました。だから、双子の片割れは不要なもの、『忌み者』として、忌家に捨てられるのです」
彩子の言葉に、色把の体が大きく強張る。その様子に、ハッとした表情をする彩子。
「まさか、貴女が忌家に囚われていた方の双子だったなんて……」
彩子は口に手を当て、俯いた。その表情から、僅かに失望の念が現れた事を哭士は感じ取った。
「貴女は、知っていたのですか……? 彼女が双子だったということを……」
菊塵の口調は、何時も通り静かなものではあったが、纏う雰囲気は全く違う。沸々とわきあがる感情を押さえ込んでいるようだった。
「えぇ」
俯いたまま、彩子は答える。
「勿論、双子の一人が忌家に囚われていたという事も……」
「存じ上げていました」
「何故!」
菊塵の目が大きく見開かれる。立ち上がった勢いで、菊塵の掛けていた椅子が音を立てて倒れた。静かな部屋には、その音が割れるように響き渡る。
「何故、それを今まで……!」
革新派の狗鬼らに伝えられていなかったのか。菊塵が全てを叫ばずとも、言わんとしていることを全員が理解した。菊塵の拳は強く握り締められ、こめられた力でぶるぶると震えていた。
「【神】を手に入れるためには、仕方が無いことなのです」
「……!」
全員、彩子の言葉に、声を失った。
「そんな……そんな事の為に、見て見ぬふりをしていたというのか! 生まれながらに囚われた少女を!」
珍しく菊塵の声が荒ぐ。だが、そんな菊塵の様子にも、彩子は動じる気配は無い。
「狗鬼や籠女を生み出した【神】さえ手に入れば、今まで分からなかった狗鬼の特性を解明できるかもしれない。これは、人類にとって大きな歩み。その為には、多少の犠牲は……」
彩子の言葉がピタリと止む。部屋の奥から湧き上がる、目に見えるような殺気を感じ取ったのだろう。
「哭士……」
殺気の主、哭士の双眸は、彩子を捉えて離さない。ふと、哭士の胸にやんわりと何かが当てがわれる。
胸に当たったのは修造の手だ。皺が刻まれた瞼の奥の瞳は、何も語らずとも哭士を制していた。哭士は強張った肩から力を僅かに抜いた。
「私は、この考えを曲げるつもりはございません」
毅然とした態度は、崩れることは無い。
「修造様」
まっすぐな背筋、まっすぐな視線が修造に向けられた。年老いても尚鋭い瞳は、やはり早池峰の血を思わせる。
「革新派の指導者として、命じます。ここにいる狗鬼達を、革新派の指揮の下、嵜ヶ濱村へ向かわせるように」
哭士、色把、友禅が僅かに反応を見せる。
「……儂が命じたとして、素直に従う者らとお思いかね」
この者らを見よ、とばかりに周囲に立っている若い狗鬼らを見渡した。
皆、じっと彩子の顔を見つめている。だが、その表情は不信感に満ちていた。
彩子の口元が歪む。
「あなた方は、もう一人の双子を救いに行くのでしょう。【神】の器にさせない為、【神】から本物の『色把様』を奪い取る為に」
色把の肩が大きくびくつく。自分を抱きしめるように、小さくうずくまった。それを見つめる彩子の、胸の前で組まれた腕は頑なだった。
彩子の泰然とした様子からは、心中を察することは出来なかった。同じく心中を察することの出来ない桐生と、この妻。状況は同じであれ、与える印象は間逆のものだった。
「貴方たちが行き着くところは、私たち革新派と同じ。ならば、私の下で動く方が賢い選択ではないかしら。よく、お考えになることです」
くるりと踵を返すと、去り際に色把に言い放つ。
「それでは、失礼いたしますわ。……『色把』様」
扉の音が冷たく響き渡った。