1―11.少女と色把
獣のような哮りが、色把の耳に突き刺さった。
ハッと、声の方を向き直る。庭の方からだ。
哭士の声に違いない。
荒れ果てた家内の散乱物に足をとられながら、色把は庭へと一目散に駆けた。
(一体、これは……!?)
信じられなかった。庭の中心に哭士が倒れ伏し、その脇に少女が立っている。
目を見開き、哭士を見つめているその少女は、鏡写しのような、自分と同じ姿。
「契約が結べない……身体が、拒絶している?」
哭士は苦しそうに唸り声を上げ、頭を抱えている。彼の泰然としている姿しか知らない色把は、今の哭士の姿に衝撃を覚えた。
少女も色把に気が付いたようだ。はっとした表情を浮かべた後、少女は怒気に髪が逆立つ。
「私のすべてを奪って、それでも邪魔をしようっていうのか……! アンタ! 哭士に何をしたの!」
少女が敏捷に色把へと向かってくる。振り上げた腕の先には、光る刃物。
状況が飲み込めない色把が身構える余裕も無かった。
色把の顔に、刃物の影が重なる。衝撃のあまり、目をつぶることすら出来なかった。
と、目の前を大きな物が遮る。少女の姿は、遮った影で見えなくなった。
「何するの!!」
激昂した少女の声。ジャリ、ジャリ、と砂利を踏む音で、二つの力が拮抗しているのが分かる。
色把が見上げると、間に入った和装の男性が、振り上げた少女の腕を掴んでいたところだった。
「……貴方の目論見は失敗しました。この方を手にかけるのは過誤というものです」
どこか優しさを感じさせる、物静かな声だった。少女に言い聞かせるように語る男。少女の刃物をもつ手が、男の手を振り払おうと震えている。
「一旦、退きましょう。それが、賢明です」
少女は、逡巡の様子を見せたが、男の言葉に少女の力が抜ける。色把を睨んで、少女は踵を返し、姿を消した。
瞠目している色把に、男性は向き直った。
「申し訳ありません。やむを得ず、彼の動きを一時封じさせてもらいました。今、一人では歩行すら困難な状態です。彼を……哭士を、助けてあげて下さい」
丁寧な言葉遣い。一本に束ねた髪、色の白い細面な男性であることは分かったが、月光を背負った男性の顔ははっきりと見る事は出来なかった。
色把に言葉を残し、男性も少女の後を追って消えた。
二人が消え去った後、はっと我に返り、哭士に駆け寄る。
息が荒い。そして不規則だ。相当な体力を消耗しているようだった。助けを呼ぼうにも、山道を抜けてきたこの屋敷の周りに、都合よく人が通るとは思えない。屋敷から出れば、またあの影が襲ってきて助けを呼ぶ前に自分が斃れてしまうかもしれない。
おろおろと哭士の身体に手をかけると、燃えるように熱かった。と、その時、哭士の腕がゆっくりと伸び、色把の手を強く掴んだ。
「け……いたい、菊塵……に」
うつ伏せになっている哭士の身体の下から、黒い携帯電話が見えた。何とか電波が通じている。
画面の中に菊塵の名を見つけ、即座に通話ボタンを押した。菊塵が電話に出てから、必死に電話口を指で叩く。哭士の声がしない通話の状態から、色把が電話口に居るのだとすぐに察知した菊塵。
何かあったのだと感じ取り、哭士の携帯の所在地から、菊塵がすぐにその場に駆けつけた。