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3―16.とりな

 暫く、自分と同じ姿の少女を鏡越しに見つめていたが、ふと、頭に一つの考えが浮かぶ。

「ねえ、ちょっとお願いがあるんだけれど」

 鏡に映る着物に見とれていたトリナは、振り返って色把の顔を見つめる。

「私の代わりに、布団に横になっていて欲しいの」

「布団に? どうして?」

 トリナは小鳥のように首をかしげる。その所作一つ取っても、鏡が勝手に動いているような気がし、妙な感覚を覚えるのだった。

 真夜中に、従者が自室の様子を監視に来ることは知っている。布団の中でおとなしく眠っているのかを確認しに来るのだ。

 そこに、自分と瓜二つの少女が眠っていれば、誰も自分が屋敷を抜け出した事は分からないはずなのである。

「いいから、お願い。そうしたら、この部屋の髪飾りを一つあげるわ」

 そう言いながら、一つの引き出しを引っ張り出す。金、銀をあしらった絢爛な髪飾りがずらりと並んでいる。

 トリナは、その様子に目を見開き、息を呑みこんだ。ここまで煌びやかな装飾品を見たことが無いようだ。だが、それでもトリナは返事に逡巡しているようだった。

「ねえ、良いでしょう?」

 にっこりとトリナに笑いかけると、トリナはおずおずとした様子で頷いた。


 

 トリナは、色把の寝巻きを着て身代わりに布団に入った。しきりに布団の柔らかさに感動を覚え、トリナ自身が満足をしているようだった。ニコニコと大人しく布団に包まっている。

「いい? 誰かが来たら、眠ったフリをするのよ」

 トリナに釘を刺すと、真面目な顔で頷き返す。その返事に満足し、色把は先ほどトリナを招き入れた廊下に出る。

 渡り廊下から、手すりを乗り越え、庭園へと足を踏み入れた。

 何時も琴の習い事を行っている窓から見ていただけの庭園だ。美しい松も、裸足で歩くと痛そうだと思っていた白い砂利も、明るい昼に見えていたものとは全く違う様子を見せる。松は黒い影となり、不気味な生き物に見える。足を踏み出した砂利も、感触がただただ心地が良かった。

 普段なら許されるはずのない外出。それも真夜中に一人きりで、不気味な庭園を歩いている事に、色把は今までに無いほど高ぶっていた。

(前に覗こうとして怒られた池に行ってみよう。その後は、雑木林の近くの庵を見に行こう)

 草木の間を走りぬけ、池の傍らに座り込み、着物は随分と汚れてしまった。手の平も土で真っ黒になってしまったが、それが色把にとっては新鮮で仕方が無かった。

 家に縛り付けられていた稽古の合間に、やりたいと思っていた事が無数に湧き上がってくる。




 しかし、その時間も長くは続かなかった。




 それは突然の事だった。

「こんな所に居やがったのか」

 背後から降りかかる、低い声。只ならぬ雰囲気に、足を止め、ゆっくりと振り返る。

 一人の男が、自身の背後に立っていた。知った顔ではない。本家の者の服装とも違う。目は爛爛と輝き、浅黒い肌に顔に走っている古傷。爛々と不気味に光る目は色把の身を包む着物を睨めつける。

「その着物……本家の物に手を出しやがったな」

 大きな手の平が自分に向かってくる。一瞬にして恐怖を感じ取り、叫び声を上げようと口が開く。

 だが、開いた口は声を上げる前に塞がれ、体を軽々と担ぎ上げられる。男の足は風のように早く、あっという間に庭の奥の雑木林に連れ込まれた。

 雑木林の中には、何の変哲も無い薄汚れた岩が立っており、そのすぐ脇には、目を凝らさなくては分からないほど地面に同化している石の蓋がはまっていた。

 男がそれを持ち上げると、地下へと続く階段が現れる。





 地下へとあっという間に連れ去られ、一番奥の牢屋に放り込まれてから暫くの時間がたった。おそらく、もう外は明るみ始めている時間だろう。

 だが、ここは地下で、勿論窓は無く、時間の感覚も殆ど無かった。

 今まで嗅いだことの無いような酷い臭いに顔をしかめる。何処も彼処も泥か何かで黒く汚れている。

「一体、何なの……ここは」

 つぶやいた言葉は、不気味に壁を反射しては掻き消えていった。

 空気自体が澱んでいる気がして、色把は出来るだけ息を深く吸い込まぬように意識した。



 一人っきりになってから暫くの時間を置いて、目の前に現れた男に向かって、堪らずに色把は叫んだ。

「私をこんな所に閉じ込めて、ただで済むと思っているの! お婆様に言いつけてやる!」

 牢の鉄柵にすがりつくようにして、声を張り上げる。

「少し牢を出ただけで、知恵を付けたらしいな。自分が色把だと言い張っていやがる」

 顔に傷を持つ男は、自分の顔を見ると、にやりと笑う。

「私は色把よ! 他に何があるって言うの!」

 男は恐ろしい。だが、恐怖心を押し隠して声を張り上げる。だが、そんな様子も男は見抜いているようだった。

「おかしいなあ。色把お嬢様は、現在も確かに本家にいらっしゃるはずだ。お可哀相に、今は怪我を負って、丁重に看病されているそうだぜ。色把と名を呼ばれて、確かに反応したそうだ」

 首を捻り、勿体ぶったわざとらしい言い回し。色把は男に食いかかるように更に叫ぶ。

「嘘よ! あの子はトリナ! 私と同じ顔をした偽者よ! 私に成り代わっているんだわ! お婆様が私を見たら、すぐに本物だと分かるはず! 早く私をここから出しなさい!」

 突如、牢の隙間から力強い手が伸び、自身の細い首を鷲摑みにした。息が吸えずに、目を見開いた。

「ギャーギャー喚くんじゃねえ。お前が本物だろうが、偽者だろうが、ここを知っちまった以上もう戻れやしねえ。間違えて本物を捕らえたなんて上に知れたら、それこそ俺たちの首が飛ぶ。本家には今も色把と名乗るガキがいる。周りもそれを色把と認めている。それで十分だ。……今からお前の名は「取那」だ。二度と色把と名乗るんじゃねえ」

 ギリギリと絞まる首。空気を求めて口が大きく開く。

「死にたいか?」

 目の前が暗くなってきて、思わず首を横に振った。開放される自身の首。ゲホゲホと咳き込み、ようやく息を吸い込めた。

「……確認だ。お前の名は」

「……」

 認めたくは無かった。男の顔を見上げ、睨みつけるも、微動だにしない。男の腕に力がこめられる。間違った答えを言えば、間違いなく首をへし折られるのだろう。

「……取那」

「そうだ。それでいい」

 見下す男の視線が痛い。両の手を握ると、手の平に爪が突き刺さった。




(許せない)

 男が立ち去った後に心中に広がる真っ黒な感情。

 今しがた起きた出来事を全て理解したわけではない。だが、あの少女に、自分が持ちえていたもの全てを奪われたことを、徐々に理解し始めていた。

 窓から見える金木犀も、床に散らばったお手玉も、部屋一杯に用意された絢爛な着物も、全てがあの少女の物。

(許せない 許せない! 許せない!)

 こんな変化を望んでいたのではない。判で押したような不変な日々に、僅かな楽しみが欲しかっただけなのだ。


(本物は私! 本物は私なのに!)

 叫びたくなる衝動を抑えると、代わりに熱い涙が溢れ出した。

(絶対に、抜け出してやる)

 あの少女が、自分の全てを奪ったことを後悔させてやる。薄暗い牢の中、沸々と湧き上がる感情は、自身の心を焼いていくのを感じていた。


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