第2話 コンビニ店員石ころと話す
「ふぅ、一体ここはどこなんだ?」
突然訪れた環境の変化に未だ思考が追い付かず、無意味な言葉が口からこぼれる。
周囲は360度鬱蒼と生い茂る木々や植物で埋め尽くされている。足元には俺が転んだせいで潰れかけている草がある。
すると少し離れたところに見覚えのあるモノがあった。それを発見するや否や不快な感情が湧き上がった。
「こいつのせいで!」
八つ当たり気味に呟いたセリフは森のざわめきに吸い込まれ、虚しく霧散した。
無機質に光る黒い石。直径は1メートルくらい。表面はゴツゴツしていて、下半分が地面に埋まっているのではないかという様子で偉そうに鎮座していた。
愛用していた自転車の前輪を破壊した張本人である。
まぁ、この《石ころ》……というには大きすぎる気もするが、こいつに衝突したせいで今の状況があるというのは、何となくわかる。
確信じみたものはないが、今はそう思うしかない。
俺は《石ころ》の方へ歩きはじめた。
半ば呪詛のように「こいつのせいで、こいつのせいで……」と呟きながら。
『──すまぬ』
「え?」
あと数歩で《石ころ》へと辿り着くかという所まで来て、突然謝罪の言葉が聞こえてきた。いや、鼓膜で感じ取れる音声として聞こえたのではない。言葉として直接響いてきたのだ。
思わず周囲を見回し立ち止まる。
「誰かいるのか?」
辺りに人影はない。しかし言葉は確かに響いてきたのである。
そして数秒の沈黙ののち。
『あぁ、ここにいる。お前の目の前にある石のように見えるそれが我だ。』
と、荒唐無稽な言葉が返ってきた。
はっ、何を馬鹿な。石が喋るわけないだろ……と、少し前の俺なら思っていただろう。
しかし、今はこの状況である。夢やあの世だとしても不思議ではない。ここは素直に受け入れることにする。
俺は《石ころ》を凝視する。顔らしきものはない、もちろん口や目なども見当たらない。
眉根をひそめ困惑の表情を浮かべながらどの様に対応すべきか思案していると……。
『我が名はトウロニギス。この度はこちらのいざこざに巻き込み、申し訳なく感じておる。』
《石ころ》は自己紹介と謝罪をはじめた。
とはいっても、目の前の石は静かに鎮座したまま。もちろん表情をうかがえるはずもない。
かといって、この状況の顛末の何かしらを知っている様子。こちらの疑問をぶつけてみる。
「トウロニギスさん、でよかったですか? あなたが原因で俺の今の状況がある、ということで間違いないですよね」
誰も見ていないとはいえ、無機質な石と会話しているシュールな状況に、俺は自身が感じる違和感をグッと抑えながらも少々威圧する様に話しかけた。
『そうだ。石魔人族のトウロニギスで間違いない』
《石ころ》は石魔人族という聞いたことのない単語を付け加え再度名乗り、言葉を続けた。
『我々石魔人族は竜魔族による急な襲来により力を失いかけた。我々の力はこの大地を維持するために必要不可欠なのだ。そこで緊急措置として空間転移によって避難することになった』
『他の同族は事前に定められた場所へと無事転移したはずだ。しかし最後まで空間転移陣を操作していた我は竜魔族の追撃を受け、不完全な状態で空間転移を発動してしまったのだ』
『そのせいで、他の世界を経由する形で転移してしまった様だ。その際、偶然にもお主らの世界へ出現し、お主を巻き込んでしまった』
一通りの顛末をトウロニギスと名乗る《石ころ》は伝えてくれた。
とはいっても、竜魔族や空間転移などというファンタジー感溢れる単語が普通に入り混じっていて変な感覚だ。
「え? あ、まあ。大体は理解できました。で、ここはどこなのですか?元居た世界には帰れるのですか?」
何やら複雑な事情があるらしいが、こちらには関係のない事。
それに複雑な気持ちなのはこちらの方なのだ。こんな良くわからない世界には長居したくない。早く帰ってゆっくり休みたい。今はそれだけだ。
『うむ、どうやらここは我が住んでいた世界で間違いないが、定められた転移先ではない様だ。したがって、ここがどこだかは分からぬ。そして今すぐお主を元の世界に戻すというのは出来ない』
トウロニギスはそんな俺の思いをあっさり砕いた。
「そんな、無責任なっ!」
思わず大きな声で叫んでしまった。
叫んだ声は森の木々に少しだけ木霊して、ジワジワ……カサカサ……という森本来の音に混ざり消えていった。
数秒なのか数分なのか、落胆の表情を隠せず俺はトウロニギスと向かい合い沈黙する。
これからどうすればいいのか。こんな世界で生きていけるのか。元の世界に戻るにはどうすればよいのか。
そんな言葉だけが頭の中をグルグル巡る。答えは全然出てこない。
仕事明けのだるい身体と現在置かれた状況に疲労感が増してくる。
そんな俺の様子を見かねたようにトウロニギスは言葉を発した。
『そんなに悲観するでない。我が必ずお主を元の世界に送り届けよう。但し、他の石魔族と合流した後、現在ある竜魔族との争いが収まり次第となるがな』
「帰れるのか?」
『ああ、もちろんだ。お主を巻き込んだ非は我にある。責任を以て元の世界に送り届ける』
俺の希望にトウロニギスはそう答えた。
しかし、この《石ころ》にそのようなことが出来る様には思えない。なにせ動かぬ石なのだから。
「でも、どうやって?」
当然の疑問をトウロニギスに投げかける。
『そうだな。このままでは我は何を成すことも出来ぬ。……そこでお主の協力を仰ぎたいのだ』
『とは言っても、一方的に協力せよと言うわけではない。お主が元の世界に戻るといっても今すぐにはできないというのは理解しておろう。そこで、それまでの期間我を眷属として使役するがよい。生活する上で必要な事、お主に危害が加えられそうなときの護衛など我に任せるがよい』
何か《石ころ》の思惑に乗せられているのではないかという疑問も浮かんでくるが、それでも今はそれしか選択肢はない様だ。
ましてや、理解するには難しすぎるこの状況や世界の中で俺が一人で生きていくというのは極めて難しい。この世界に精通した者の手引きがあった方が良いに決まってる。
ただ眷属とか使役とか聞いたことのある単語だが、深く理解しているわけではない。その辺はキッチリ確認しておいた方が良いだろう。
「わかった、俺も元の世界に帰りたいし協力もしたい。でも眷属や使役というものについてよくわからないから、詳しく教えて欲しい」
するとトウロニギスは少しの間をおいて答える。
『うむ。これは我が力を行使し、お主を元の世界へ送り届けるということにも直接関わるので、しっかり説明する必要があるな』
そう言うと眷属契約と使役する際の取り決めを語り始めた。
『まず我は動けぬ。我が失いかけた力を得て動けるようになるまでには数年単位でこの森の魔力を吸収し続け、貯めこまねばならぬ……このままでは、な』
まぁ、確かに何年もここに居座るというのは現実的じゃない。
『そこで必要になるのが眷属契約だ。眷属契約とは使役される者が必要に応じて使役する者から力をもらい主からの指示や命令を行使するということになる』
『今、我は動けない。そしてお主は動けている。動けない我が得られる魔力は植物のそれと同様に極々少量だ。しかし動けている者が得られる魔力は、その消費量に比例して膨大なものになる……わかるか? つまり動けない我がお主と眷属契約を交わすことによって、お主から力をもらい動くことが出来るようになるのだ』
騙されているんじゃないよな?契約した途端襲われて殺されるとか喰われるとか、そういうことはないよな?
心配になったので一応聞いてみる。
「眷属契約して俺にとって何か危険はないのか?」
言い回しは微妙だが意図は伝わったと思う。
『ああ、そのような心配はいらぬ。眷属は主に対して敵害出来なくなる』
案外察しの良い《石ころ》なのだなと、そう思った。