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最後の吟遊詩人  作者: 路寄りさこ
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~王子の話~その5

路寄りさこワールドへようこそ!


さて、不思議を通り越していよいよ姫の部屋へ案内された王子。

姫には会えたのでしょうか?


 案内されてやって来た居城の寝室は、広くて、明るくて、快適そうでした。寝床だけに使うのはもったいないほどです。全体の色合いは白色ですが、外から差し込む光の加減でうっすらと緑がかるのが幻想的な雰囲気をかもし出していました。


 ここまでお聞きになって、おかしいと感じておられますね。その通りでございます。

 寝室に案内されたのにもかかわらず、時刻は昼間だったのです。けれども、大広間を出て来ますときは、確かに夜だったように記憶していましたので、奇妙を通りこして、いったい何を信じて、何を疑ったらよいのかさえ、分からない気持ちでした。


 部屋の扉は、どっしりとした面持ちで閉じられていました。私は、引き返す勇気もなく、一歩一歩と室内に足を踏み入れていきました。

 天蓋つきの大きなベッドが、部屋の中央に置かれてありました。

 天蓋を支えている四本の柱は赤く燃えていて、近寄ると、何ともいえない芳しい香りが鼻を衝きました。燃えるように見えていたのは、薔薇でした。蔓薔薇が、天蓋を支える柱に巻きつき、絡みつき、真っ赤に染めているのでした。

 天蓋は蔓薔薇で覆われ、そこから蔓が下に向かって伸びて緑と赤の帷になっていました。

 姫はどこにいるのでしょうか。

「…………」

 姫の名を呼ぼうとして気づきました。私は姫の名前すら聞かされていないのでした。

 部屋を見回しましたが人の気配はなく、壁際には大きな陶製のストーヴと、様々な形の来客用の椅子が何脚か並べられているだけでした。

 ベッドには、やわらかな羽根布団がふんわりと掛けられていました。とても寝心地がよさそうで、私の疲労している肉体は、その気持ちのよさそうな寝床が、無性に恋しくなったのです。

 私の心が誘惑と戦っているとき、ふとした弾みに、その羽根布団がこそりと動いたように、私には見えたのでした。

「姫か」

 私は、思わず声をあげていました。

「姫、返事をしてほしい」

 冷静に考えたなら、私はとても奇妙で、そして滑稽な場面に遭遇しているのです。こんな婚礼が、いったいこの世のどこにあるというのですか。皆様のなかで、聞いたことがあるという方がおられましたら、ぜひとも教えていただきとうございます。

 今思い返しますなら、私は、結局、浮ついた心でもって、目に見えない何者かにほだされていたのです。そんなことは、その時は知る由もありません。不思議さが、ますます私の好奇心を掻き立て、欲望と支配欲と、後には退けないという諦めにも似た思いとが入り交じって、私に蛮勇を押しつけてきました。


「私は、スヌサ国のルメトモン三世だ。姫の夫を選ぶ競技にて、みごと勝利を獲得した者である。今、祝宴の席より参った。……何か事情がおありのようであるが……せめて、お顔を見せてはくださらぬか。美しい方よ、薔薇の香りに埋もれて、何を待ち望んでおられるのか。私は姫の力になれるなら、それはこの上ない光栄なことだ。どうか、遠慮は無用である」

 私は、いっぱしの王子振りを示しながら、少しずつ少しずつ、ベッドの方へ近づいて行きました。

 息を凝らして、何か化け物にでも触れるようにして、いささか及び腰になりながら、天蓋から垂れ下がっている薔薇の蔓を左の手でかきわけました。

 薔薇の刺は、私の手の甲を鋭く引っかきました。血がにじみ出し、手の甲を伝って、絹で覆われた羽根布団のうえに、小さな赤い染みをつくりました。

 ベッドに被いかぶさっている布団は、ふっくらと盛り上がっていました。羞恥の思いからか、あるいはちょっとした悪戯心からか、そしてそれが、二人の間に和んだ初対面をもたらしてくれるとでも考えてのことでしょうか。私は疑いもなく、そこに姫の存在を予想して、高鳴る心を抑え、やがてやって来る幸福に無量の喜びを感じるのでした。


「姫よ」

 初めは小さな声で呼びかけました。

「姫よ」

 眠っている子供を起こそうという程度の、中ほどの声で呼びました。

「姫よ」

 三度目には、ちょうど夢のなかを彷徨っている深い眠りに就いてしまった人を、たたき起こすようにして叫びました。

 返事もなく、動きもなく、そして寝息すら聞こえてきません。

 考える間もなく、私は次の行動に移っていました。そうです。こんな状況のとき誰もがするように、しんなりと掛けられている羽根布団を、さっとばかりに引き剥いだのです。

 そこに何があったでしょうか。見目麗しい、そして初夜を迎えようという恥じらいと艶やかさを秘めた初々しい女性の姿が、薄絹を纏って横たわっていたのでしょうか。

 いいえ。ご想像の通り、横たわってはいませんでした。

 けれども、経験豊かな商人の皆様、あなた方の数々の見聞をもってしても、そこで私が目にしたものは、易々と想像することはできないでしょう。

 そこには、その布職人の技も見事な出来ばえの金糸の刺繍を織り込んだシーツの上には、四角い箱のようなものが載せられてあったのです。とくに美しかったり珍しかったりするわけでもなく、ごく普通の簡素な箱でした。

 私は、たいへん良いタイミングで思い出しました。大広間で吟遊詩人の歌を聞いていたとき、私が見た箱のことを。歌の魔力から解かれて、周囲がもぬけの殻になったとき、王が座を占めていた場所にぽつりと置かれていた、いや、置かれているように見えた箱です。

 手にとって見ておくべきでした。商人の方々でしたら、抜かりなくされるところでしょうね。

 おそらくそれ、それと同じ種類の物であるように私の目には見えました。

 今度は、私もその箱を手にせずには立ち去れません。というよりも、その箱を手に取って見ることが、次にするべき、半ば強いられた要求でした。


 箱は、何の変哲もない両の手の平にちょうど乗るほどの大きさのものでした。

 取り上げると、カタカタッと硬い物が動く音がしました。なかは空洞になっていて、何かが入れられているようです。箱の側面をあちらこちらから眺めまわしましたが、どこにもつなぎ目がなく、蓋を開けて中を見ることはできません。

 私の好奇心はさらにさらに募ってゆくばかりです。気が狂ったように小刻みに腕を動かして、カタカタカタカタと音を立たせました。そうこうしているうちに、何か偶然が重なって、ぱっかりと箱が開かないとも限りません。子供の時には、そんな偶然によく出会ったものですから。

 結局、その箱を私の手ではどうすることもできず、私は、そのままベッドの上へへなへなと座りこんでしまいました。

 絹の肌触りと程よいベッドのしなりが、まことに奥ゆかしい繊細さで、私の眠りを誘いました。身体を投げ出し、薔薇の香りに抱かれて、深く深く寝入ってしまったようでした。心も身体もこれほど無防備になったことは、王子という身分に生まれてからこのかた、一度もなかったことでした。

 いいえ、けっして王家の身であることを衒っているのではありません。むしろ逆と言えましょう。まあ、そのような話は、また別の機会に、ご縁がありましたなら、多いに語り合いたいものです。


 ところで、いったいどの位の時を、そのベッドの上で過ごしたのか、さっぱり分からないまま、私は目覚めました。

 天窓からは、明るい光が差し込んでいましたので、太陽が空にあることは疑いませんでした。

 天蓋は蔓薔薇で覆われているので、天窓から差す陽光は、蔓の枝や緑の葉を通り抜けて、木漏れ日のように美しくきらきらと輝いていました。

「栄誉あるお方よ、目覚められましたか」

 突然の声が、私の心臓をぎくりと縮み上がらせました。ベッドの横へ視線を移すと、そこに立っていたのは修道服を着た男でした。

「私を覚えておられますか」

 私はかぶりを振りました。

「これでは話がしづらいですね」

 修道僧は、落ちついた声色でそう言いながら薔薇の蔓を掻き分けて天蓋のなかへ入って来ると、ベッドへ腰を降ろしました。

「怪我はされませんでしたか」

「いいえ。ご心配なく」

 驚きを隠せずに震えている唇を、私はやっとの思いで開きました。

「おや、刺にやられましたね」

 修道僧の言葉にはっとして、私が自分の左手の甲を見ると、血がにじんでいるではありませんか。それも、つい今しがた傷つけたようにです。

「これは……」

「薔薇の刺は人の心を見抜きます。なにか善良でないことをお考えでしたか。それよりも、なぜ、あのとき、私に声をかけてくださらなかった。私は待っていたのですよ」

 修道僧の口からは、思いもかけない言葉が滑り出してきます。

「あのとき……というと……」

 私の人生で出会った聖職者には、数に限りがありましたので、その顔を一人ずつ思い浮かべたところで、たいした手間はかかりませんでした。けれでも、自分の目の前にいる修道僧と容貌の一致する人物には辿りつきませんでした。

「お忘れですか。あなたが武勲の誉を勝ち取り、祝宴の席へと向かう途中、城門の前でお会いしました」

 私の心臓は、再び高鳴りました。

「あなたは……あの時の平修士ですか」

 私は目を疑いました。

 だって、私が話しかけたい衝動に駆られた修道僧は、昨日今日家を出てきたばかりのような、クリーム色の修道服を着た若い青年僧だったはずです。もちろん位も高くはありませんでした。しかし、今ここにいて、あの時の修道士だと名乗る男は、純白の修道服を着ており、高僧に違いないのです。フードの影から覗く顔は、決して若くはありません。清冽に研ぎ澄まされた力強い額や頬が、修行を積み重ね、また人生と世界について深く考え続けてきたことを示していました。


「一体全体、ここでどれほどの時を過ごしてしまったのですか」

 ここは、もしかすると、死んだあとに来るという世界かもしれない、と私は思いました。おあつらえ向きに僧侶が側近くにいます。

 私は、馬上槍試合で敗者となり、命を失ったに違いありません。思えば、勝者であると知らされた瞬間から、奇妙の連続ではなかったか。私は、あの黒い甲冑の騎士にひと突きされて、一瞬ののちに死んでしまい、そのあと勝者となる願望が残ったがゆえに、歪んだ魂の体験をしていたのに違いありません。

「やっと天国へ行けるのですか」

 私は、いたって神妙に、この修道士に尋ねました。

「そうともいえますが……。その、これからご案内する天国は、すこし様子が違っています。私はあなたを待っていたのです。あのとき、私に話しかけてくれたなら、事態はもっと早く、簡潔に変化していたかもしれません。まあ、しかし、これが運命だったのかもしれませんが。さ、ご案内しましょう。そうそう、その箱はお持ちなさい」

 私は、姫の代わりにベッドに横たわっていたあの箱を、しっかりと手から離さずにいたのでした。




僧侶は王子をどこへ連れて行こうというのでしょう。

事態、変化、運命……。


次話投稿は、6月12日を予定しております。

お楽しみにお待ちください。


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